イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

話数単位で選ぶ、2020年TVアニメ10選

色々あった今年ももう終わり、最後に恒例の10選企画をやっていきます。
今年から集計を aninado さんがしていただけることになりました。ありがたいことです。よろしくお願いいたします。

・ルール
・2019年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

この企画をやりやすくする意味もあって、今年はクールごとの視聴アニメ総評・ベストエピソード選出を既にやっております。クールごとの選出は好み重点でやっておりますが、年別はもう少しポピュラーな視点から、琴線に触れた作品、話数を紹介させていただきます。

春待ちに微睡みつつ -2020年1月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

焦熱と寒気の狭間にて-2020年4月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

秋風幽かに尾花を揺らす-2020年7月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

寒椿雪風に独坐す-2020年10月期アニメ総評&ベストエピソード- - イマワノキワ

 

id:INVADED:第10話『INSIDE-OUTED II』

津田健次郎渾身の演技も合いまり、非常に印象的なシーンだった

ID:INVADED:第10話『INSIDE-OUTED II』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 舞城王太郎という作家が好きで見始めたこのアニメは、非常に舞城王太郎的だった。残酷で、鮮烈で、優しく血まみれで、人間の業に飲み込まれる一刹那に微か、伸びる蜘蛛糸のような救いが見えていた。
サイコダイブの冬クールとなったけども、人間の中にある地獄を奇想を交えつつ具現する精神世界の描画は、アニメにしかない魅力にみちて大変良かった。その最たるものが、この話数で展開される”もしかしたら”に満ちた幸福な地獄だ。
主人公・鳴瓢は残虐極まる殺人鬼達に全ての平穏を壊され、復讐に取り憑かれた悪鬼のような男だ。しかし彼は法と正義、人の人たる資格を捨てきれず信じていて、それがこの残酷な物語に、宝石のように光る。

血と暴力と憎悪に塗りたくられた彼の心に、何が宿っていたのか。それが鮮烈に顔を出すのが、美しい夢に背を向けて、地獄たる現世に帰還するこの話数、その決断を果たすシーンだと思う。
そこには美しさと愛おしさと、人間が人間でいられる全てがあって、しかし名探偵たる彼はそれが”偽”だと知ってしまっている。背中を向けなければ、物語は解決へと向かわない。身を引き裂かれるような切なさを抱えて、男は甘い夢の牢獄から這い出して、地獄の続きを歩んでいく。
幾度も死に、幾度も殺し、妄想と現実の間を挑戦的に越境しながら、この作品は赤い血の通った……通いすぎた切なさをしっかり切り取っている。その真剣さが一番輝くのはやはり、このシーンだと思う。

臓物の臭気が漂うグロテスクを、モニター越しに濫用する悪趣味に対し、正しさで殴りつけるのではなく望んでいるものを差し出す。その上で、そこにこそ人の熱い涙が、魂を焼く夢が、それを諦めてでも進まねばならない誠があるのだと、しっかり描く。
そういうものを僕はいつも、舞城王太郎を紐解くたびに求め、このアニメはアニメーションという表現の力を最大限に活かし、魅せてくれた。絵が動くこと、声がつくこと。それが示す歪な幻想とグロテスクな現実の、複雑なアマルガム
赤黒い地獄めいたそれを飲み下しながら、見終わった感覚は爽やかだ。それはここで流れた鳴瓢の涙に、一滴の嘘も混じっていないからだろう。

 

・pet:第13話『虹』

闇が晴れて、旅の終着点が見える。 それはたしかにこの世に存在する、ヤマの景色。林さんが逃げ出した先で、確かに掴んだ希望。 それは誰かに与えられ、踏みにじられて消えるだけの儚い存在ではない。 理不尽に奪われたものを、俺たちは掴み直す。

pet:第13話『虹』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 IDと並ぶ新春のサイコダイブアニメの傑作、pet。こちらも人が生きるということの美しさと醜さを、奇怪なイマージュに焼き付けて描ききる作品であった。犯罪組織”会社”の便利な道具として、他人の精神と幸福を踏みつけ、善悪もわからないまま生きている子供たち。
彼らは自分の心を支える楽園”ヤマ”を分け与えてくれた”ヤマ親”を慕い、与えられた幸福が十全でないことを恨み、道を違えぶつかっていく。親殺しの地獄、子別れの地獄。様々な業が世界には満ちていて、それは精神を自在に操る異能を持っていようが、逃げられるものではない。
愛すればこそ悲しみが生まれ、逃げ場のない現実の中で幾重にも、どうにもならないカルマが積み重なっていく。悲劇は喜劇を生み、愛と笑いに包まれていたはずの過去もまた、悲劇に繋がっていく。非常に陰惨な話だ。

しかしだからこそ、その渦中を三人の主人公、三人の子供たちは必死に駆け抜けていく。どこかに在る美しい景色、大事な人が分け与えてくれた”ヤマ”に流れる水と虹と蝶を信じて、なんとか人間であろうとする。
それを諦めてしまえば、愛されたこと、愛したことが間違いだと膝を曲げてしまえば、人生の重みは一期に背骨をへし折る。そうして人間性を潰された後も、人生は続いてしまう。薄汚れ、輝きを失った現実はずっと続く。その出口の無さこそ、苦しみの源泉だ。
だが確かに、出逢えた奇跡は輝きを宿し、幸福に続く希望は人に在る。そのことをさんざん潜った精神ではなく、旅路の果てに在る現実に描き、”親”を超えてなお、自分の生きざまでその正しさを証明せんとする子供たちに託したこの最終回は、非常に力強かった。確かに、この残酷で優しく、容赦なく真剣な作品がたどり着くべき場所は、あの水と虹と蝶の景色以外にはない。

世界が生きるに足りる場所だと、夢を見せたのが間違いだった。出会い、愛したことが過ちだった。そんな悲しい結論を乗り越えていく物語は、まだ終わっていない。この虹を超えた先にある業と救済を、アニメでも見てみたい。そんな気持ちにさせられる、見事な最終回であった。

 

・22/7:第7話『ハッピー☆ジェット☆コースター』

コンテ演出・森大貴が現在と過去、笑顔と憂鬱、生と死を鮮明にかき分けたことで、非常にナイーブなものを抱えつつ、その重さがあればこそ笑顔で元気に駆け抜けていくジュンの尊厳がよく見えた

22/7:第7話『ハッピー☆ジェット☆コースター』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 変なアニメであった。僕は変なアニメが好きなので、1クールの中でも単話として一番出来が良いこの話を選ぶことにする。青く青くどこまでも高い空に、踊る友情と青春。それがスパッと断ち切られ、一人生の岸に取り残されてしまう残酷さ。世界をさまよい歩いても、もう好きだったあの子と二度と会うことはない重さ。
そういうモノが、ジュンちゃん一人の思い出の中に完全に閉じこもって、仲間と一切共有されないのがナナニジアニメである。
どん底からのし上がっていくサクセスの快楽はなく、巨大なビジネスが回す自動的なアイドル街道に乗っかって進みつつ、なんかいい感じで友情とか成功とかは積み上がっていく。各キャラクターそれぞれ、事情も過去も感情もありつつ、それが仲間と共有されて炸裂し、物語の障壁を突破していくことは、殆どない。

そんな奇妙に離れたカメラ・ポジションで、12話走り切る話である。そのエンジンたる稀代のパンクス、滝川みうの話を選んでも良かったのだが、やハリこのエピソードが図抜けて良い。
絵の作り方、キャラの見せ方、ドラマのテンポとリズム。どれをとっても通底した透明感があり、戸田ジュンを”アイドル”に、生の方向に必死に動かす二つの心臓がどれだけ寂しい景色からやってきたのかを、如実に教えてくれる。
現在の戸田ちゃんはひどく騒がしく走り倒し、たった一人のアイドル・ジェットコースターを仲間のため、自分のため笑ってやりきる。その戯けた仕草の奥に薫る深い悲しみ、死に触れた体験はけして滲むことなく、仲間に知られることもない。22/7はあくまで個別で、しかしどこかで繋がりながら、自動的なんだか自発的なんだか解らない人生を、必死に走っていく。
万人受けはするまい。しかし奇妙に、心に残る作品であった。
地味に、なかなか語られることのない”秋元康論”として各話数、あるいはナナニジアニメ全体が秀逸で、その角度からも楽しんだ。壁に宿った神様にも、敬意を持ちつつ神格化はせず、妙に冷えた視線を向けてる所は、作品として誇るべき徹底だと思う。

 

かくしごと:第12話『ひめごと』

一瞬と永遠が、儚く美しく踊る人生というダンス。 その只中を駆けていく父と子、それを取り巻く様々な人達の諸相を、懸命に賢明に追いかけ、刻み込む作品だったと思います。

かくしごと:第12話『ひめごと』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 『久米田康治という作家は、なかなか大したものだ』と、世間と僕にしっかり教えてくれる”久米田っぽくない”アニメだったと思う。つまり、世間一般で言われるエキセントリックな作家性の奥にあるデザインセンス、鋭い人間観察力、人間の機微をインクに焼き付け描ききる腕力、さんざんくさしつつも燃えている漫画への愛着が、しっかりとアニメになっていた。
幸福な幼年期と、全てが崩れた後の現在を二つの色彩、カメラワーク、現実感覚で対比させつつ、その間に何があったかハラハラと読ませるミステリとしての上手さ。変化の残酷を際立たせるだけではなく、確かにそこにある温もりに暖かな信頼を寄せながら紡がれる、父と娘、先生とアシスタント達の愉快な日常。そこに宿る、確かな生活の息吹。
だんだんと暴かれていく箱の中身には、愛と切なさがたっぷり詰まっていて、なかなか漫画のようには転がっていかない現実がずっしりと根を張っている。それが時にコミカルに、時に衝撃的に暴かれていく話運びの確かさが、作品に満ちる感傷を甘くしすぎない。

とにもかくにも、巧い作品であり、巧いアニメである。そうなるようにアニメを作りきっていたし、そう終わるように話を組み立て、この最終回でしっかりと終わらせきっている。
すべてが嘘のように崩れ果てても、それでも人は活きてしまって、世界は奇妙に美しい。松本隆実妹への愛惜を込めた”君は天然色”を彩る、ヴィヴィッドでありながら寂寥の香る色彩。そんなEDが作品の全てを語り、まとめ上げてくれるような読後感がある。

ベタな感動作が、ベタな最終回を迎えた。そうヒネた視線で見れるし、久米田康治という作家はそういうものを引き寄せる気質があろう。
しかしそれが狙い過たず胸の真ん中を狙い撃って、『ああ、文句なしにいいアニメだった』と見終わることが出来る……その爽やかさが時折蘇って、幸せな気持ちになれる物語というのは、やはり大したものである。大した作家の、大した作品の、大したアニメ化であった。

 

アイドリッシュセブン Second BEAT!:第6話『声』

安売り、ゴミ箱、高い壁。夕景を逃げ回る三月を包囲するもの全てが、『お前に価値はない』と突きつける。

アイドリッシュセブン Second BEAT!:第6話『声』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 二期というのは難しいものだと、毎回思う。何事か手応えのあるドラマを走り終え、視聴者に確かな満足を与えたからこそ、物語を終えたあとに物語は続いていく。しかし成長の余地は塗りつぶされ、少ない余白に何を描くか、その選択はいつでも難しい。
むりくり障害を用意しても、あるいはのっぺりとした手触りで起伏なく描いても、全力では仕切った始まりの物語よりも、そこに続く道はくすんで見えてしまう。そんな厳しさの中で、何を問題と選び、どう描くか。様々な亜に目が挑んできた課題に、アニナナも挑み、見事に勝ちきった。

アイドリッシュセブンはTRIGGERの背中を追い、並び、追い越すことで一期を走った。その後に広がった大きな世界は、より沢山のファンと、より沢山の”好き”が詰め込まれた世界だ。
そしてそこは、楽園ではない。
百億の人間が持つ、千億の”好き”。形も向かう先もその鋭さも違う沢山の思いを、どうまとめ上げ答えていくか。頂を越えたからこそ、アイナナにぶつかる沢山の波。センター交代、ユニットの不和、顔のない悪罵。様々なものが彼らに襲いかかり、傷つけていく。
そこから流れる魂の血が、一番容赦なく溢れたのがこのシーンの夕日、血の色にも似た赤い絶望であろう。愛くるしく整った美形が流す涙は、倒錯以上の切実さでしっかりと胸を打ち、彼らがたどり着いてしまった場所の残酷さをしっかり教えてくる。
アイナナは異常なほどに演出のセンスが良く、色彩、レイアウト、タイミングどれをとっても一級品の鋭さが、画面に常時宿り続ける。カメラが切り取った静物に、クローズアップされる表情と芝居に、何を語らせるかの選択と表現が力強い。

ここで揺れた心が一つの答えにたどり着き、あまりにも強い”好き”に適切に向き合うだけの強さを新人アイドルたちが手に入れたと、確信させる第9話もいい。話の折り返し点に、主役一つの到達点を置くことで、これからもまだ続く物語に漕ぎ出す大事なリスタートポイントなのだと解らせるライブの表現力は、大変いい。
しかしその輝きは、闇や傷を妥協なく描ききればこそ重さが在る。魂の奥でのたくる数多の”好き”が生み出す、怪物めいた人間の複雑。自分を傷つける刃が、唯一未来を切り開く武器になるような不思議。
そういうものに一切目をそらさず描けばこそ、この物語が語る”アイドル”は真実の光を宿す。三月を焼いたあの灼光も……というかそれこそが、闇を超えていく光に意味を与えるのだ。そういう話数である。

 

・BNA ビー・エヌ・エー:第4話『Dolphin Daydream』

人間は善意でリサを檻に閉じ込め、無知で窒息させる。
イルカなら、水の中でも息が出来るだろう。
己の優しさと賢さを疑わない、無自覚な強者の暴力。
それを打ち破るのに、人間の顔では足りない。
みちるはなりふり構わず、”化ける”獣として拳を振るい、檻を壊していく。

BNA ビー・エヌ・エー:第4話『Dolphin Daydream』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 BNAで好きな所は沢山ある。
世間を知らない10代のクソガキと、頭が固い年寄りマッチョがそれぞれを知っていき、認めていく物語の構造。獣に仮託すればこそ、今モニターの向こう側で(あるいはその中で)暴れている諸問題を鮮明に出来る、ファンタジーとしての強さ。ケレンだけに逃げず、リリカルで湿った表現力を随所で活かした演出。たしかにあの世界で、必死に生きて変わっていく人間たちの息吹。
好きな話数も良い話数も沢山あって、どの話数を選出するかは悩む。
鮮烈な演出、物語としての力強さ、キャラクターの魅力。そういうものは多分、別の話のほうが良い。なずなが登場してからのほうが、少女たちを取り巻く世界の複雑さ、そこから学び変わっていける豊かさは色濃く描けている。街と獣人社会全部を飲み込む巨大な危機も、後半のほうが力強くうねるだろう。アクション作画の暴れ方も、流石にクライマックスが謙虚だ。

その上で、この話数を選んだのは一番”BNA”らしいからだ。アニメをただの麻酔薬では終わらせず、今流れている現実、普遍的な人の生き様につなげて考えざるを得ない吉成監督の生真面目さが、原液のまま溢れているエピソードだからだ。
『差別なんてなんでもない』とばかりに、平等な顔で無知を振り回す人間たちの白面。岸の向こうの人の街……もともと自分がいたはずの場所からアニマシティに帰り、変わっていく自分を少し肯定できるようになったみちる。友達と青春を走って、喜ばしいはずのエンディングに訪れる、あまりにも切なく長い沈黙。
この物語で扱う差別と無理解、その難しさはみちるが……そして自分が固まりきったと考えてるハードボイルドな狼神が、生き生きとアニマシティに潜り、その諸相を掘り下げ、一歩ずつ近づいてくれたからこそ体温を持つ。上滑りする説教にならないよう、悩んで間違えてそれでも”化けて”いく青春の獣たちを、ちゃんと描いてくれたからこそ。
当たり前の人達が、当たり前に消費する当たり前の青春。そこから隔離され、それでもみちるの周囲に踊るきらめき。それが救い得ない、重たい影。それは”獣人”というファンタジックな道具立てを選んでも……選べばこそ、ひどく当たり前な、わたし達の物語として刺さる。
それを成し遂げる見事な音響、美術、画面づくりの巧妙さ……アニメーションとしての基本的なスペックが揺るがなかったことも、”BNA”の強さであろう。いいアニメなので見てね。

 

・文豪とアルケミスト:第12話『歯車 前編』

そしてそれでも確かに生まれてしまう、極光のような儚く美しいものに強い視線を送り続けてきたアニメだから。
真・芥川と偽・芥川と太宰の間に渦を巻く愛が、何を掴み、何を取り逃すかは見届けたい。
そこにこそ、この生真面目過ぎる怪作の”言いたいこと”はあるのだと、僕は思っている。

文豪とアルケミスト:第12話『歯車 前編』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 怪作であり、快作であった。バッタバッタと放送予定がなぎ倒され、世間のうねりに翻弄された秋。さて何を見るかと見渡して、目についたアニメは自分の興味領域にバックリと喰らいつき、キャラクターコンテンツが振るうにはあまりに凶暴過ぎる牙で、こっちの根性を試してきた。
この作品の感想を描くのに、アニメ以外をたくさん読んだ。元々自分の認識的にはそっちが”実家”であり、だからこそポップな商品として文学を再形成し、消費されやすい形で売り飛ばすコンテンツのアニメ化がいかがなものか、斜に構えて飛び込んだ部分はある。
蓋を開けてみれば力み過ぎとも言える本気で、創作すること、復活すること、生きることと死ぬことを厳しく問いただし、イケメン文豪をバッタバッタと斬り殺すこの話数を世に問わなければ、どうにもならないほどに思いつめ、刃のように突き出してきた。
つくづく、痛快だった。

創作は文脈を借り受けることで成立する。あらゆる物語は必ず、その外側にある何かを借りているものだが、それにしたってオタク文化は窃盗が過ぎる……部分が目立つと、僕は思う。借りるなら借りるなり、膝を正し眉間に力を入れて、本気で盗んでいって欲しいものだと思い、叶わないことが多々ある。
この作品は”文学”に二礼二拍手一礼、堂々様々な文脈を借り、自分のインクで散々に汚し、そうしてぶちまけたカルマと複雑さをまた大真面目な顔で食いちぎって、自分たちにしか出来ない再話を果たした。
作中に引用される文学的クスグリで終わらず、作家論、作品論、創作論を『戦士としての文豪』に語らせ、戦わせ、苦しませる。遂には殺す。
別にそんなことしなくても、ソフトでライトに形だけ整えて、文脈を窃盗しても良いところなのに。異常で過剰な力みを見せて、『どうだ!』と大見得を切ってイケメンの屍を、一週間晒す。

やりすぎであるし、痛快であった。このぐらい本気でやらなきゃ、やっぱいけないんだな、と思った。こんだけ本気の物語は、色んな意味でコストが大きい。賢ければ、こんなに力んだ大立ち回りはわざわざやらないだろう。もっと口当たり軽く、可愛く楽しく適度に重く整えるだろう。
だがこの、青筋たった力みが、僕は最高に愛おしい。誇らしい。文アニは『ナメてんじゃねぇぞ!』と、焼け焦げたカルマの残骸に一人立ち、堂々月に吠えていた。そして次の最終回、見事に人間性の泥、燃え尽きた灰の中から、見事な花を咲かせて終わっていった。
見てよかったと、心から思った。

 

・宇崎ちゃんは遊びたい!:第10話『鳥取で遊びたい!』

当惑はするんだが描かれていることは不快ではなく、というか『お、鳥取良いかも。先輩と宇崎は可愛いかも』とは思う仕上がりになっていて、しかし鳥取リアリティとアニメの筆致は噛み合わず、ネタは狂ったようなループを繰り返し…イカれちまったぜー!(叫びだすトリプルH輪るピングドラム

宇崎ちゃんは遊びたい!:第10話『鳥取で遊びたい!』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 一年に一本のエピソードである。ただし、珍妙な方向に。

宇崎ちゃんのアニメは結構好きで、大学生を主役にしたからこそのセックスとの距離感とか、人間をコンテンツ化していくイヤーな視線と人間を人間として扱うしかないドラマの熱量の相反とか、わざとらしいオタク味と妙に分解能の高い人間心理の冴えとか、個人的に面白いところがたくさんあった。
物語としてのピークは第8話にあって、アニメとしての仕上がりもまたそこが最高潮である。素直にそこを推せば良いのだが、やるべきことをやりつつも話を決着させるには話数が足らない(あと二期が決まってて原作が連載中)という事情が、残りの話数をかなり奇妙な方向に捻じ曲げていく。
『うざ可愛くて、つっけんどんな主役をとにかく好いてくれる巨乳』という、オタクの血と汗と涙と精液を捏ね繰り回して生まれたようなホムンクルス、宇崎ちゃん。彼女は話が転がるうち、必然的に体温を手に入れ一人間になっていってしまう。
記号的なキャラが記号的であるゆえに回っていた部分に齟齬が生まれ、この作品は怪物めいた彼女の母を持ち出してくる。娘よりも遥かに人間を見ず、自分の性的妄想に溺れるセックスモンスターの奇っ怪を描いたのが、この前の9話。
それを足場に回すかと思いきや、一話まるまる鳥取観光案内を、明らかに浮いてる写真的リアリティでアニメにしてぶん回すのがこの10話である。奇妙な高低差とズレは物語的テンションのヘアピンカーブを経由し、あまりに空疎な話の展開とあまりに写実的な鳥取の風景、取ってつけた名所案内と連発する『いつもの宇崎』に、脳髄が揺れ奇妙な快楽が生まれだす。

このエピソードの酩酊感は多分、10話まで”宇崎”に付き合ったからこそなのだろう。いかにもプラスティックな記号論に思えて、しかしまぁまぁ人間の味、その作品ならではのコクが見えてきて、しかし途中で急旋回して叩きつけられる極めて珍妙な、リアリティのブレ。
それがドラッグ体験でいうところの”セッティング”を果たし、僕の脳内麻薬はドバっと溢れ出した。異常で奇妙で、楽しい時間だった。
こういうのはめったに味わえなくて、とても楽しかったので10選に入れる。
『質考えれば、別にピックアップする話山ほどあるだろ……』と、もうひとりの僕がどこかでなにか言ってるけども。
この楽しさに背中を向けると、アニメの感想をわざわざ書き記している意味にもまた、嘘をついてしまいそうな気がするのだ。死ぬほど楽しかったです。それは嘘じゃない。

 

ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会:第6話『笑顔のカタチ(〃>▿<〃)』

大変…大ッ変に良かったです。

ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会:第6話『笑顔のカタチ(〃>▿<〃)』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

 とにかく強いアニメだった。
単話としての仕上がり、シリーズとして抑えるべき文脈と表現、それを振りちぎって描くべきもの。テーマと定めたもの、それが生きる世界とそこで生きるキャラクターの描き方。
詩情、美麗、切実。アニメに必要なものを的確に用意して、最適な場所に最高の演出でしっかり埋め込み、連動させる技量。
”個”でしかないわたしの願いを、どう”わたし達”と繋げていくか。”わたし達”になどなりたくないあなただけの私を、どう”わたし達”にしていくか。青春期の様々な迷いと悩みをしっかり描きつつ、明るく華やかなステージへと踏み出していく少女の輝きを、眩しく描ききる筆の確かさ。
一切緩みなく、話数単位で、それを繋げた一つの物語としてしっかり立ち上がってくる、力強い鼓動。分断の時代だからこそ描かれるべき、軽やかな公と私の多彩な繋がり方が、軽妙な面白さと混ざり合いながら押し寄せてくる興奮。
とにかく、強いアニメだった。

なので話数単位で選ぶのは悩む。全部外して別格として”虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会”を選ぶことも考えたが、それも卑怯なので”あえて”の一つを選ぶと、この話数となる。
このアニメ、少女たちの悩みに毎回、別の解法、別の回答、別の突破者を用意する多様性が、”個”を主題とした作品の語り口としてあまりに正解であり、また解決がパターン化しない面白さを生んでいるわけだが。
このお話は”みんな”であることが一つの答えで、また愛さんという特別な”あなた”であること、璃奈ちゃんが苦しみつつも自分を見つけ”わたし”であることも、答えである。作品が最後にたどり着く大きなアンサーが、あくまで璃奈ちゃん個人の切実さをしっかり宿して先取りで答えられている所に、話数としての強さ、それを活かすシリーズ構成の上手さがある。

情報系に強い璃奈ちゃんらしく、平面を様々に使い倒したフェティッシュの取り回し、鋭い演出が途切れない。鏡、ガラス、モニター、床……様々な2Dが3Dの璃奈ちゃんを多彩に反射し、彼女の悩みと苦しみ、それでも繋がりたい、スクールアイドルでいたい熱量を際立たせていく。
璃奈ちゃんボードを感情表現を補助する”義顔”と考えると、パラ・アスリート的な話だな、と思う。そういうふうに補われ、守られ、強化される”わたし”を肯定する物語は、やはり強い現代性を持っている。
そんな志の高い物語を、圧倒的に可愛い璃奈ちゃんに”萌え萌え”出来るよう、オタク記号と文脈を自在に取り回してチャーミングに仕上げきってるところも、最高に良い。璃奈ちゃんかわいい!!

 

ご注文はうさぎですか? BLOOM:第12話『その一歩は君を見ているから踏み出せる』

というわけで、ご注文はうさぎですか? BLOOMが幕を閉じました。
凄く真剣で力強いものを、凄く柔らかく優しく描き続けていくアニメで、無茶苦茶凄いな、と思います。

ご注文はうさぎですか? BLOOM:第12話『その一歩は君を見ているから踏み出せる』感想ツイートまとめ - イマワノキワ

” 話数単位”というタイトルにはちょっと反した選別で、ごちうさ三期はまぁとにかく凄かったので、その総まとめたるこの話数を選ぶ、という話ではある。
無論単独の物語としても新しく始まる年に、チノちゃんが町の外に向ける目を重ね、最終回なのに力強く未来に踏み出し、狭い美少女サークルの中の話なのに風通しが良い、凄くBLOOMらしいエピソードである。少女たちは可憐で健気で可愛らしく、世界は華やいで美しい。(スタジオじゃっくがこの作品で見せた美術の冴えは、何度強調してもしたりない。)
この三期は僕という人間が、チノちゃんをヒロイン(にして沢山いる主役)とするこの話を、彼女という人間をどれだけ好きか思い出させたアニメで、彼女が幸せに向かって強く進み、色んな優しさに包まれて暮らしている姿を見るたびに、とても心が暖かくなった。

それはここに至るまでの物語で、人生に長く伸びる影を鋭く睨み、世界から排除しなかったからだと思う。”ごちうさ”自身が確立に大きく寄与した、フワフワした歯ざわりの麻酔薬。とにかく優しい世界が、甘やかな美少女のナリで皆に優しくしてくれる夢。
おそらく多くの人が”ごちうさ三期”に求めるものをしっかり果たしつつ、しかしこの物語には固く冷たい骨があった。チノちゃんの人格を大きく占拠する、失われた母の思い出。硬い表情の奥に張り詰めた悲しみが、溢れないように身に着けた頑なさは、脳天気な田舎娘がなーんも考えず全霊を注いで、世界が笑顔に値すると教えてくれた結果緩んでいく。
そんな物語をTVシリーズと劇場版とOVAで積み重ねた先に、この三期最終話がある。チノちゃんにしっかりカメラを据えて、彼女を取り巻く世界、彼女が触れ合っていく人々が良く見える。
なんでも出来る王様に選ばれて、姉の手を一旦離れて色んな人の願いを聞き、幸せを考えて、町の外へと終わりの先へと、笑顔で進んでいく命令を下す。そこにたどり着くよう、小さい身の丈で必死に考えるチノちゃんが、僕はとても好きだ。
それはこの話数だけで生まれたわけではなく、初回放送から六年、時間を積みコンテンツを取り回した結果として、生まれた輝きだろう。
ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN”や”ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会”など、ビッグバジェットの”三期”が肩を並べ、それぞれ自分たちが積み上げてきた歴史に堂々とした答えを刻んでいった2020秋クールの中でも、”ごちうさ”の軽やかな本気は頼もしかった。

ごちうさ”が本当に好きで、この作品が描きうるものを徹底的に考えて、豊かな筆致で書ききって辿り着けた最終回だった。色んな人が生きる木組みの街が、弱さや寂しさや悲しみにかけてくれる魔法と祈りを、誠実に積んだから辿り着ける終わりだった。
それは閉じていないし、終わりもしない。未来へ、外へ、より明るい方へと伸びていく。そんな力強い流れに乗って、チノちゃんの時間は否応なく動いていく。別れもあり、出会いもある、けして止まらない生へ、チノちゃんは進んでいく。
そんな彼女の物語が、まだまだ続くのだと思える終わり方にしてくれて、僕はとても嬉しかった。ともすれば閉鎖した永遠を求めがちなジャンルだからこそ、陰りあればこそ光を求め掴む人の強さと優しさを、大事に描ききってくれたことがありがたかった。
ごちうさ三期は、本当に凄いことを凄いと誇らないまま、見事にやり遂げてくれたアニメだ。その力みのない本気が、僕にはなんだかとても嬉しかった。長い時間を開けてなお、こんなに”活きた”アニメとして三期が創られることは、僕にとって大きな希望となったのだ。