プロジェクトセカイについて、ちょっと思ったこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
ボーカロイドというIPを、今戦えるコンテンツとしてリバイバルする意図があるこのアプリ、活力ある消費者層といえば若者なわけで、そこに訴求するよう作られていると思う。
そこにポップな消費加速だけでなく、ある種の教導意識があんのかな、て話。
一般論としても、また自分を鑑みても思春期はキツい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
悩みは多く、力は少なく、焦りばかりが募る。
可能ならば導きが欲しいが、肥大化した自意識は上から押し付けられる正しさを弾く。
そういう時、物語はスッと染み入る力を持ってると、僕は思う。別に思春期に限らんかも、だけど。
プロセカが描く『あるべき人間像』というのは相当に理想が高く、同時にそこに届かない、ままならないカルマも色濃く描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
他人は自分のことをわかろうとしてはくれないし、思いは上手く形になってくれないし、すれ違いは加速するし、初期衝動は忘れられていく。
プロセカの子供たちはそういう場所から始まって、そういう世界に苛まれながら、セカイと仲間に出会って、なかなか進みづらい人生を一歩ずつ歩いていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
その歩みはかなりゆっくりしていて、問題解決の兆しは見えつつ、成功や正解は簡単には掴めない。
一歩ずつ、しかし着実に。
そんな筆致が鮮明にしていくのは、沢山の人が当たり前に悩む難しさの普遍性と、苦しみながらも絶望する必要のなさだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
ほなちゃんが、相反するように見えるクラスの意見を取りまとめようと悩み、揺れながら差し出せた確かな言葉。
あるいは冬弥(を始め、様々な子供たち)が、親と向き合う時の難しさ。
子供たち(と、かつて子供だった僕ら)を取り巻く問題は在り来りで、生っぽくて、痛々しい。だからこそ仮想の物語は、身近な手触りを持って伝わっても来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
そこに向き合う時、バーチャルシンガーとセカイは答えを与えない。ヒントと問いかけ、落ち着いて考えることが出来る安心できる場所を提供する
自分の世界を塗り固めている固定観念を、ちょっと違った角度から見つめてみること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
誰も自分を判ってくれないと、孤独に苦しんでいる時に隣りにいてあげること。
話を聞き、受け入れ、相手を尊重した上で自分の考えを伝えること。
他人の声を、恐れず慌てずよく聞くこと。
『そんなことがあなたと、あなたの周りにいる大切な人にとって大事だよ』と、セカイに住まう最も新しい神たちは静かに教えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
彼らもまた悩み、考える一人格であることはバチャシンのユニストを見ればよく判るが、それでも彼らは子供たちを受け止める神を、頑張って演じ続ける。
そこにはやっぱり、あるべき大人の姿、なってほしい成熟の形が反映されているような気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
子供と大人の境界線は常にあやふやで、子供は誰かに守られつつも別の誰かを受け止め、守り、導く…大人(あるいは人間)に期待される仕事をどこかで果たさなければいけない。
だからバーチャルシンガー達は、嵐の中で立ちすくむ(作中の、そしてスマホを現実に握ってる)子供たちに安心を与えつつ、立ち位置が変わった時”あなた”がどうしたら良いか、教える鏡のような仕事もしていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
人のあるべき形を、物語に織り交ぜて語ることを恥じない。その高徳に驕らない。
それは作家集団としてのクラフトエッグの、とてもいいところだと思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
これは僕の勝手な妄想でしか無いけども、彼らはアプリの向こう側にいる人々…特に自分と世界の形がまだあやふやな子供たちに、『こうあるべきだし、こうあってほしい』と祈りながら、物語を編んでいる感じがする。
その姿勢は、やはりとてもいいな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
例えば学校との向き合い方が、通信や定時制など多彩なこと。
性別違和を抱えたマイノリティを、主役に据えていること。
少数派だけを主役と特権化するのではなく、恵まれた(ように見える)子供や、在り来りで普通の子供にも同じ重さの物語を用意すること
複数のユニットを用意し、多彩な個性や才能、それが生み出す喜びや苦しみを横幅広くすくい上げて、極力たくさんの人に『これは私の物語だ』と思えるような物語を編んでいること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
セカイを共有するユニットを外れて、すぐさま”みんな”が生まれないところ含めて、今っぽく書こうとしてる気がする。
(ここら辺の、現実のうねりをフィクションに取り込みシンクロ率をあげようとする努力は、例えば”スタートゥインクルプリキュア”においてユニが『制服を着ないプリキュア』になったり、”プリパラ”において性別違和を持つレオナが主役だったりした流れと重なるかな、とも思う)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
無論作品が選び取った画角がどうしても取りこぼしてしまうものはあるし、『描かない』と選び取ることは、『描く』と選ぶのと同じくらい難しく、価値がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
例えば人にとって大きなウェイトを占める恋愛の要素を、プロセカはあまり描かない。そういう選択をしている。
全てを描こうとすれば焦点は散漫になり、結果何も描けなくなってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
セカイを設定し、多彩なユニットを用意して何を描き、何を伝えたいのか。
そこら辺は物語を受け取った個々人が感じ取って、様々異なるものだと思うが、それでも可能な限り広く、人のあるべき姿を模索している印象がある。
その時セカイという仮想は、悩む子供たちに静かに寄り添う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
それは現実と呼応しながら姿を変え、虚構でありながら現実を変えていく。
フィクションとリアルは共鳴可能であり、その影響は多彩で力強い。
その書き方に、プロセカというアプリ自体が重なって、僕には見える時がある。
読解され消費される虚構でありながら、現実に接続し変化させうるもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
あるべき理想をキャラクターとドラマに具体化し、親しみやすく優しい…でも芯のある手触りでそこにあるもの。
作中の子供たちがセカイに受け止められるように、現実の子供たちがこの物語と繋がる。
そんな意図と野心を込めて、子供たちの青春を守る避難所であり、自分をよりよい場所に押し出す足場ともなっている”セカイ”は描かれているのではないかな、とも思うのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
自分たちが選び取った虚構の形式と、現実の振る舞いが重なる時、創作は一番強い力を発揮すると思う。嘘なのに、嘘ではない。
物語の中で語っていることが、嘘になりえないほどに強く誰かに届き、フィクションに描かれしかしリアルでもある苦しみや喜びを通じて、生き方に共鳴する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
あくまでユーザーに扱いを委ねつつも、そこに描かれているものから学び、導きとして、辛い現実の麻酔剤以上の仕事を物語に果たして欲しい。
やっぱり僕は、そんな野心をプロセカの作品構造と語り口からは感じる。とても力強くて、大事なことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
無論アプリは怜悧な集金装置でもあって、そっち方面でも色々研ぎ澄ませてはいるのだが。
渋いガチャとかな…マジ渋いよ、勘弁してくれ。
その上で、プロセカという”セカイ”が現実と接合するよう、衣装や楽曲を広く募集する動きが長く続いていたりするのは、やっぱり良いことだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
この物語と出会って、現実に生まれた思いをすくい上げて、セカイはまた広くなる。
作中の描写と、現実のうねりがまた一つ重なっている。
そんなうねりが長く続くよう、あえてキャラが抱えた問題解決のハードルを上げて、幾重にもストーリーを重ねる筆致にも、独自性を感じるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
全てがスカッと解決するカタルシスは、なかなか遠い。でも悩んで掴んだものが、無駄にはならない。
一歩ずつ、少しずつ。それでも前へ。
そんな生っぽいテンポもまた、『これは私の物語だ』と感じ、描かれているものが誰かの絵空事と上滑りしないよう、よく研がれた物語の刃と言えるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
楽しい物語を提供しつつ、どう読む側の現実に刺すか。虚構を現実に注入するか。
やっぱそこの部分を、色々考え工夫し、成し遂げてる物語だと思う。
追記 選び取ったテーマやモチーフに対し、通底した批評意識抜きで作られる創作が、誰かに刺さるわけがないのよね。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
ボカロをメインテーマとして選び取っている以上、プロセカの描く物語が『私の物語』として受け入れられるためには、その特異性と普遍性をしっかり描かないといけない。
音楽を作るためのツールであり、文化的メディアでもあること。
多彩で、様々な在り方に寄り添うアートの核になりうること。
人造的で便利なツールであると同時に、人格を持ったキャラクターでもあること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
衣装や楽曲、世界観に応じて多彩な顔を見せ、なおかつそれが全て”ミク”達であること。
『ボカロってなんだろう?』ということは、現状様々に問い直され、再結晶してドラマの中で強く語られてる印象だ。
ここら辺、タイトル真ん中を担当する一歌が、どこに出しても恥ずかしくないミク廃であることが、うまく仕事をしている感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
ミクが好きで、それに出会い救われ、青春期に出会い直して再び助けてもらう。
良さを知っていて、それを情熱的に伝えてくる。
そんな子を入り口に、彼女を取り囲む青春のドラマを楽しみ、共感する中で、プロセカ…とボカロは『私の物語』になっていく…ポテンシャルは、十分にあるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
何しろ僕はもう10代ではないし、10代の子供たちにこの物語がどう届いているか、実地で観測できているわけでもないので、そこは推測になる
しかしかつて子供であって自分を心のなかでリブートした時に、この作品の語り口と空気は”刺さる”感じがするし、漏れ伝える反響からもよく効いてんじゃないかなという感じはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
険しい青春を歩く杖として、誰かと繋がる糸としてのボカロは、今まさに再生を始めつつあるのではないか。
そう僕が感じるのは、『始まってほしいなぁ…』という願望込みの、身勝手な観測である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月5日
何しろ生きることは苦しいし、それが子供であるのなら尚更だ。
そういうものに立ち向かう武器、闘い方を教えてくれる助けは、何億あっても良い。
その一つに、プロセカはなろうとしてんじゃないかな、て話