スケートリーディング☆スターズを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
絶対王者・聖クラヴィスが成し遂げた偉業を前に、挑戦者たる犬尾ノ台は怯まない。
決戦の場で、だからこそ挑戦を。
そんな思いを引っ張り上げる、エース前島最後の跳躍。
果たして、グランプリファイナルの行方は…。
そんな感じの最終話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
いい最終回であったと思うし、作品がたどり着きたい場所も良く見える書き方であった。
だが、自分はそこに乗り込めなかったことを最初に吐露しておく。
前島くんが切り開いた地平も、彼が最後に選んだ場所も、やっぱり僕には共鳴しきれない。
やはり第9話冒頭で、当時の犬尾ノ台が『なぜ、どう出来ないのか』をダイジェストで描いたことが自分の中で、とても大きい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
出来るということ、出来るようになるということは、出来ていない状態をキャンバスにして初めて描かれる…はずだ。
リーディングという競技、犬尾ノ台というチーム。
そして前島くんという主人公に何が足りず、だからこそ何を補えば良いのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
説明はしていても描写はしていないように感じたから、こんかい成し遂げた(とされる)奇跡の飛躍も、頭で納得はしつつ体温が追いつかない。
結局、前島絢晴は何が凄くて、この作品の主役をやっているのか。
彼を主役とするこの物語が、何だったのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
それが喉の奥に支えて、こんなモゴモゴした感想にもなっている。
これは彼(と篠崎くん)が背負うだろう天才性と幼児性の書き方、捉え方が、自分の中のそれと大きくズレていることが、理由の一つだと思う。
この作品の天才は、おしなべてコミュ障と書かれる
独自の世界、強い自分をもっているから、チームの真ん中として成り立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
その構図自体は判るのだが、そんな強い我が引き起こす軋轢をシビアに、リアルに切り取りきれたかと言えばそうは思わないし、みんな前島くんに甘かったと思う。
部の仲間だけでなく、リーディングという競技、作品世界全部が。
否応なく成長してしまう心身、社会性を世界と擦れさせながら、それでも他人を引き込む火花。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
天才の描写に説得力を持たすなら、そういう引力を描かなければいけないと僕は思うのだけど、前島くんからはそれを感じなかった。
コイツは圧倒的に凄い。
そう思わされる場面が、極端に少なかった。
それが足りないまま、前島くんは極端に狭い視界、誰かの思いを土足で踏む理不尽を、色んな人に甘く見逃されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
ギスギスと空気悪くなっているようで、どうにもツメきれない生煮えの感覚は、最後まで消えることはなかった。
彼は物語の最後に、”部”ではなく流石井くんの隣を選ぶ。
”盟友”とサブタイトルに銘打つほどに、強く狭く深い思いがあったとするのであれば、そこが必然の場所だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
しかし篠崎くんとの因縁の決着含め、そういうゴールに行き着くだけの過程を、この物語が積み上げられたとは僕は感じなかった。
十分に試されてもいないし、磨かれてもいないのに終わった。
終わったことになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
そういう感じが拭えない。
これは僕の感性が作品とチューニングできなかった結果だし、好みの範疇だとは思う。
出来不出来を客観で物申せるほど、僕の審美眼は優れてはいない。
『普通はこうだ』と言い切れるほど、モノ知ってるわけでもない。
ただ自分の中にある感覚として、今回描かれた結末を腑に落とすには色々足りなかったと、つくづく感じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
後半から尻上がりに、作品が描くものと自分が感じるものは距離を縮め、『こういう描写があってほしいな』と思ったことも画面に切り取られたが、正直遅く、また足りなかった。
それが終わってみての、率直な感想である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
天才は永遠に、幼い子供として自分の周囲と触れ合わず、他人を一方的に引っ張り上げ、消費する立場に立っていい。
そういう特権の工程を、意図してかはわからないが作品が投げかける形になってしまったな、と感じた。
最終話で示されたように、前島くんは流石井だけを見て、篠崎くんだけに執着し、全日本には入らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
その狭い視界が、気付けばもう子供ではない自分と、その隣に確かにある誰かの尊厳、求められる義務を見据えた上で、覚悟を込めて蹴っ飛ばしてとは見えなかった。
彼は、最後まで決断をしていない。
子供にしかなれない自分を見据え、それでも身勝手に他人に身を任せるエゴも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
そんな自分を鷹揚に受け止め、エースと信用してくれる周囲への報いも。
彼が選び取る瞬間は、多分あったんだろうけど僕には不鮮明で、主人公特権に流されるままに用意された結論、天才の玉座に座ったと思えてしまった。
それは僕の視野が狭く、身勝手で…こう悪しざまに罵ってる前島くんと同じ子供だから、見えない部分なのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
だがそれをよりクリアに、的確に届くよう描くのが物語というもので、少なくとも僕のセンサーには、この作品はそれを果たし得ているとは思えなかった。
均質であることを求める社会と、特別であろうとする個人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
その接点としてリーディング競技を描くのならば、第1話の段階で競技の輪郭、凄み、面白さはやはり伝えられるべきだったと思う。
ライバルたちがどんな価値観を体現し、何を譲れないから滑っているのか、早く伝えても欲しかった。
性格極悪のスーパーエゴたちが、それでも認めざるを得ないほどの圧倒的パフォーマンスで競い合う話ならば、それはそれで食えたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
でもこのお話の天才たちは中途半端に怪物で、中途半端に人間であろうとして、何処に落ち着くのかわからないまま飛び、偉業を成し遂げ、それを超えていく。
ありとあらゆる不遜を許されるほどの才を、そこに見出していないのに不遜である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
と思えば、エゴを完遂して世に背き、殴りつけられる独善も貫いてはくれない。
いい人である部分、でも伝わらない不器用に身勝手だからこそのエネルギーが逃げて、キャラの輪郭がぼやける。ジャンプが低く見える。
嫌われ汚れる覚悟みたいなものが、作品から伝わらなかった。みんなに好かれたいというスケベ根性が、何処か透けていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
そういう断言できるほど、僕はこの作品のことわかってない。作りての意図なんて、結局は分からない。
だから、自分が感じたことだけを足場に感想をいう。それがいいんだろう。
前島くんに、子供のまま大人になって欲しかったというのは、児童に過剰な思い入れとコンプレックスがある僕の歪みであり、勝手な押しつけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
でもそれは、そうなることが”正しい”と思うと同時に、”面白い”と感じるからだ。
矛盾に思えるものが、ドラマの坩堝で溶けて混ざり合う瞬間は、いつでも面白い
そういうモノを、氷のなか止まっていた時間が動き出すモチーフの作品であるならば、描いてほしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
この見立て自体が、僕の見たい話を押し付けた勝手な妄想ではあるのだが。
でもそういう期待感をやり取りしながら、作品を見ること以外僕には出来んのよ。弱いなぁ…。
篠崎くんが氷の言葉に込めた想いは、天才の特別な言語を代弁できる通訳者ではなく、前島くん自身が滑りの熱量で溶かし、理解してほしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
子供時代の無理解を、伸びた自分の背丈、伸ばしてくれた世界への感謝で飛び越えて、”盟友”と思える場所にたどり着いてほしかった。
でもそうではなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
そう望んだ僕が悪い。このお話に期待した僕が悪い。
そうやって自分を納得させる部分もあるし、そう思わせてくれるだけの素材はあったと、どこか突き放しながら評価している自分もいる。
たかだか1クール、タダで見ていたアニメに振りかぶりすぎ。そう呟く自分もいる。
どうにもまとまらない感想となり、これ以上喋ってるとろくでもない事をログに残しそうなので、そろそろ終わりにする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
既にわりと良くないことをWebに放流もしているので、これ以上居座ると自分も他人も毒に染めそうである。それは全く、本位ではないのだ。色々申し訳ない。
ただ僕はこのアニメを好きになりたかったし、好きになれるかな、と思ったからこそ最終話まで見た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
嫌い、と言い切れるほど心に深々刺さったわけではないが、しかし波長が噛合い”俺のアニメ”になったとは、当然言えない。
ただ、僕はいつもそうなってくれるといいなと、勝手に期待しながらアニメを見る
そうやって勝手に振りかぶり、上手く芯を捉えれれなかった無様さと疲労を抱えてはいるが、しかし『お疲れ様』と『ありがとう』は言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年3月28日
言うべきでもあろう。作品を世に問うことは、いつでも奇跡であり偉業なのだから。
最終話までお疲れ様、ありがとうございました。