プロセカイベント”シークレット・ディスタンス”を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
春、桜の季節。ニーゴの明るい社会性担当、暁山瑞希は仲間と連れ立ち、ホラーツアーを楽しむ。
悲鳴と笑いが木霊する時間を観測しながら、胸の奥につかえるわだかまり。
見えているものが全てではなく、見えることが幸福ではない。
そんな感じの瑞希エピである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
人格破綻集団ニーゴに置いて、(瑞希の胸につかえた秘密がまだ不明なので、便宜上三人称としてこの単語を使うが)彼がどれだけ周囲に目配りし、色んなことに配慮しながら集団を取り回しているかは、ここまで描かれてきたとおりである。
装いのワリにマトモで、フツーに話せる良い人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
社会や他者から求められるスタンダードを、ハイレベルにこなせる瑞希はそんな目線で見られがちだと思う。
彼に焦点を合わせ、()付きの内言が多い今回は、”KAMIKOU FESTIVAL!”に引き続き、そんな見た目の奥に何がのたくっているか、解剖していく話だ。
彼は悪気も配慮もなしに自分を傷つける他者をよく見てるし、それに傷つきつつも拗ねず逃げず、人当たりの良い自分を維持している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
それを所属する集団に拡大して、面白いことを増やそうと色々働きかける。
スケジュールを組み、前向きなレスポンスを返し、陽気に笑いかける。
それがなんの配慮も屈折もなく、ナチュラルに差し出されてはいないことを、今回のモノローグはしっかり教える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
瑞希がニーゴに果たしている役割はすごく自然で、なおかつ大事で、だからこそ無意識に蕩尽されてしまいがちだと思うが、不器用でナイーブな少女達はその貴重さを解ってもいる。
他人が見た目通りではなく、求められる仮面をつけることが時に魂を、命を吹き消すことにも繋がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
まふゆが最も分かりやすく体現しているが、多かれ少なかれそういう軋みを自分側に引き寄せているニーゴにとって、誰かを思い、それを行いに発露させていくことは”当たり前”ではない。
他人を判ることも、自分を判ってもらうこともとても難しいと認識しているからこそ、おずおずと繋がれる貴重な仲間が大事。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
そんな認識をナイトコード越し、打ち上げのファミレスで積み上げてきたからこそ、今回の度は楽しい。
その楽しさを動かしてくれたのは、やはり瑞希だ。
救済願望に取り憑かれた繊細アーティスト、虚無を抱え込んだ仮面優等生、承認欲求に引き裂かれつつ戦う少女戦士。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
人格凸凹の奇人ばかりが集まる中、瑞希は非常に社交的で、積極的で、他人が欲しがる自分を提出する技量が高い。
しかしそれは、差し出した自分を拒絶された痛みの末、生まれたカサブタだ
それが具体的にどういうものであったか、未だクローゼットは開けられていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
”本当の自分”なるものを晒し、預けて拒絶された結果、今の人当たりの良い明るい瑞希が生まれた、とも言えるのだろう。
心地よい距離感を提出しておけば、他人は自分のいちばん大事なところには踏み込んでこない。
女の装甲の奥にある柔らかい部分に、これ以上傷をつけないための生存戦略としても、彼の朗らかな対人スキルはあるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
同時にそれが、何かと内にこもりがち、寂しがり屋のくせに甘えベタな仲間たちが笑顔になる、凄く大事な契機になっているのも、また嘘ではない。
瑞希が色々気にかけて、自分が企んだことが目の前の他人の実態とどう食い違っていて、何が痛みを生んでしまったかよく見ていることを、ニーゴの仲間はよく見ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
何しろ思いを外に出すのが下手くそなので、素直な言葉では言えないけども、ありがたく感謝している。
だからこそ絵名は微睡みの中、瑞希にかかった陰りを見落とさずずーっと気にする。見間違いではなかったと、笑顔の奥にある影を次回に引きずる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
瑞希に沢山助けられた彼女たちが、影の中に踏み込む資格。
影の中に隠し、しかし封じきれていない思いを、仲間に預ける資格。
そういうモノを、ニーゴは今後追いかけていくのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
性にまつわるクローゼットとその公開/受容は、人間の根っこに直結しているので大変難しいし、非常に繊細な扱いを要求する。
しかしまぁ、プロセカの筆なら土足で踏むってこともないだろうな、とは思っている。
土足で踏まないために、今回『ずっと一緒にいたい』と思えた瑞希の本当に、一足飛びに抱きつかせなかったのだろうし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
そこには過去の痛み、明かせない真実がドッシリ横たわってて、そうするべきだと判っていても中々進めない。
タフに見える瑞希でも、超えられない壁は当然ある。
そういう人生のでこぼこ道を書くのに、プロセカは焦りがないし、ドッシリ取り回しつつユニットの仲間が、セカイの妖精たちが、あるいは初めて出会う人たちが何か、飛躍の切っ掛けをくれる世界を描き続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
人は孤独で、変わるのは難しく、しかし確かに繋がりはある。
そんなスタンスを、イベントトップのイラストはよく示している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
微睡む三人を見守る瑞希は、光から最も遠い場所にいる。
明るく朗らかに、自分なりの強さを持って”マトモ”に思えるような彼こそが、実は深い影の中に身を置いたまま、だからこそ大事な人を見守り続けている。
ならば、見張りを見張るのは誰か。楽しいことを連れてきてくれる人に、楽しいことを連れてくるのは誰か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
そんな疑問への答えがラストの絵名であり、セカイに増えたMEIKOなのだと思う。
彼女はあくまで観察者として、少女たちからの接触を初見で拒む。触れ合わず、距離を取ろうとする。
それは集団に馴染まないことで自分を守っている、あるいは遠いからこそ色んな事を観測できる瑞希の心象が、ボーカロイド形に結実したものであり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
そのままでは壊れてしまう予感が、解決のためのアドバイスをセカイに結実したものだとも言えるだろう。
瑞希はまふゆが見えなくなった時、またセカイに死にに行ったのではないかと心配し、足を進める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
しかし彼の中にも”死にたい以外ない”暁山瑞希というのはあって、いつか彼自身がセカイに迷い込むこともあるのだろう。
影と光は常に揺れ動き、見守るものが見守られることだってある。それが平等だ。
今回は瑞希の傷を描く話なので、他の連中は比較的朗らか…ていうか、瑞希のおかげで朗らかにもなれてんだけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
一生『救え! 歌作れ!!』と奏に言い続けるまふゆが余りにベイビーちゃんで、思わず笑ってしまった。
ずっと言い続けたくなるくらい、あの呪いこそが本物の救いだったのね…。
奏もスランプに風穴開けてくれた旅…それを企画してくれた瑞希にちゃんと『ありがとう』言えたし、ガラスの少女達は青春の血を流しつつも、彼女たちなりに強く優しくなってきている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
それが観測できる旅だったのは、とても良かったと思う。
その変化が、瑞希の胸につかえた思いを受け止めうるのか。
それはまた、別のお話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
人間力高く人生の問題を乗りこなしているように見せる”優等生”が、その実非常に複雑な思いを抱え、言えないことも沢山あると描くのは、誠実で嘘のない描き方だと思う。
自然に輝いて強く見えるものも、かなり必死に薪を燃やして、魂を焼いている。
その揺らぎを見せないことが、おそらく女の装いをし続けることと同じく、瑞希がたどり着いた生存戦略なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
そこには、デカい意義と誇りがある。しかし揺らぎもする。
人生の問題は個別の形と肌理をもち、必ず揺らいでいるのだ。
その色彩を、よく描くエピソードだった。良かったです。
追記 外面と中身のギャップ、記号に見えたものが血を流す人間だったという驚きと喜びは、クラフトエッグが扱うレトリックでもかなりデカい部分を占めてると思う。予断と先入観を活用し、罪悪感と発見で読ませていく語り口。
プロセカ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
瑞希イベはレトリックとして()付きのモノローグが大変多いが、それは彼の内側にある思考の多さ、素直な自分を出す前に内部で溜め込んでいる感情と情報の多さを、可視化するレトリックだと思う。
自分についても、世界についても、セカイの中にある自分についても。
瑞希はよく考えているし、よく考えざるを得ない人生を送ってきたのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
それは性選択含めた自分自身を素直に提出して、弾かれ傷ついた結果一歩引いたところから自分と世界を観察せざるを得なくなった、適応としての目の良さ、傷としての成熟なのだと思う。
ナチュラルな自分をそのまま差し出しても、世界は受け入れてくれない。値札を付けずに、地面に叩きつけてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
そういう事実を色んな出来事、色んな角度から思い知ることが『大人になる』ことだとしたら、プロセカの子供たちは皆、その真っ最中である。
それでもなお、自分であることを極力削らず、自分の外側に拡がる場所にどう、己を提出していけば良いのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
そんな靭やかなバランスを手に入れるために、どう愛するべき他者、自分の内面に踏み込んでいいと思える誰かを大事にし、大事にされていけば良いのか。
それぞれの人格と個性に応じ、ユニットごとキャラごとに手探りしている課題を、瑞希はかなり早い段階から解いた…傷だらけで解かざるを得なかった結果、ニーゴの子供たちが遊び疲れて眠る中、一番深い闇から見守る立場になってんのかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
しかし大人びた瑞希もすべてを諦めきっているわけではなく、なんの加工もない私自身を受け止めて欲しい願望が、当然ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
それは年齢にも成熟度にも、当然選択された性にも関係なく普遍的な人の願いだ。
それを望んで、一度叶えられたかった経験に彼は学び、人当たりの良い鎧で自分を庇った。
今更それを脱ぐのも難しく、また怖いのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
『本当の貴方を見せて』と囁くのは簡単だが、それに伴う痛みや恐怖もひっくるめて人間一人受け止めるのは、まー大変である。
絵名が見つけてしまったものは、相当に重い。受け止めるためには、彼女も”大人になる”必要があるのだろう。
その時変わっていくもの、擦れて生まれる傷、変化しない魂の核を、薄暗い絶望や死の匂い、やり場のない怒りも込めて描くために、ニーゴというユニットがあるのかな、とも感じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
薄暗く、正しくないからと言って、”それ”が無いわけじゃない。なら、書くしか無いのだ。
それをどう、オタクカルチャー、アプリメディアに期待される強度と軽度で書ききるか、その上で書いてるものに嘘をつかないかつうピント調整が、ニーゴは精妙だな、とも感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
切実だけど重すぎない、ギリギリのラインを上手く狙ってる感じがある。
そうなるよう調整役やってきた瑞希の、重い内面。
そこにもちゃんと、最初から示唆されていたようにしっかり筆を伸ばすのは当然であるし、大事なこともであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月13日
いつものことながら、プロセカの問題は中々解決しない。
たしかに一歩、それでも一歩。積み上げながら進んでいく物語が、何処に漕ぎ着くか。見守るのは、とても面白い。