イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

スタミュ -高校生歌劇-:第7話感想


高校生ミュージカル成り上がり伝説、第7回目は合宿回。
10月の学園祭という新しい目標に向けて、チーム鳳と仲良くなったり、先輩方がねっとりと関係を深めていったりした。
ライバルチームとも手早く仲良くなっていくストレスの無さは、チーム柊内部の凸凹もとっとと解消したこのアニメらしいところだ。

お話としては非常にオーソドックスな合宿回というか、新キャラの掘り下げ回というか。
これまで『嫌味なライバル』でしか無かったチーム柊の意外な側面にじわじわっと切り込んで、今後お話を引っ張るエンジンに据える準備をした感じ。
メインキャラ内部での対立はすっかり解消し、天花寺くんを筆頭にスーパーチョロ蔵軍団と化しているわけで、ここで新たな鉱脈に足場を移すのは大事だ。
いつもの様に唐突なお歌も、逆にチーム柊の別格感みたいのを巧く出していて、どんどんミュージカル演出がこなれている感じを受ける。

そういう新しい流れの中で、星谷のド素人っぷりはブレずに真ん中にあって、チーム柊のリーダー・辰巳との接触もそこに触っていく形。
合宿回には修行というか、新しいハードルを越えていく説得力を積み上げる意味合いも多いので、ド素人ゆえの強みを認めつつ定形に触れる大事さを指摘した辰巳の指摘は、かなりいいアドバイスだった。
このように的確な助言をライバルがすることで、『嫌味なライバル』以上の器の大きさも演出できるし、星谷(が引っ張るチーム鳳)の成長にも説得力が出る。
この掛け合いだけでも、今回のお話の仕事はしっかりしていた気がする。


教え子たちが仲良くなるのに比例して、これまでツンツンしてた柊さんがあっという間にデレ期に入り、鳳さんとキャイキャイしてた。
手早くアイコンタクトして芝居に入るところとか、お互い手の掛かる弟子を持った共感で繋がる描写とか、熊兄弟への慈しみの視線といい、『君ら、一ヶ月前まですげーギスギスしてなかった?』と聞きたくなるくらいの仲良し加減。
妾腹の兄弟とか面倒くさい関係を想定していたが、ただの親戚という間柄も見えて、そこまで捻れた関係ではなさそうだ。

熊にしてもドイツ製の壺にしても、今回のテーマは『嘘から出た真』のような気がする。
『表立ったものが裏になり、裏の裏には秘められた真実がある』というのは、チーム柊のフレンドリーな空気にしても、柊さんのデレっぷりにしても、今回のお話の基調になる要素。
『アクの強いキャラクター同士の衝突』にしても『学園内部の厳しい選抜』にしても、初期状態で用意されたネタ(チーム鳳とお披露目公演)は一応突破し、では第二エンジンに点火しようかというのがスタミュの現状なわけだ。
お話を次の段階に繋ぐブースターが今回クローズアップされたライバルであり、メンター世代の確執なのであり、これまで伏せ札として『嫌味なライバル』という『裏』を見せていたキャラクターがかなりスンナリと腹を見せ、『考えてたよりいいやつ』という顔をストレス少なく公開する様子は、スタミュらしいスムーズさだと思う。

それは強みであると同時に、例えばお披露目公演の設定からしてミュージカル学科にいられなくなった敗者がいるはずなのにそこには一切触れられないことだとか、スタミュらしい割り切りもまたあぶり出す。
それが悪いというわけではなく、スタミュはオーソドックスでスムーズな劇作を選択したという事実、それが取り上げるものもあれば取りこぼすものもあるという事実だけが、映像になってしまった創作物にはある。
『勝者がいれば敗者がいる』というロジックを画面の外側に置いてけぼりにして、主役とライバルとメンターに切り詰めたストーリー構成をするということ。
今回の話それ自体が一つのアティチュードなのであり、スタミュという作品が何を選びとって何を届け、何を創作の快楽として視聴者に見せたいのかという作品構造全体の反映でもある。
重ねて言うが、そこに善悪はなく、ただそうである(もしくは僕にはそう思える)事実がある。
その是々非々に関しては、視聴者一人ひとりの好みやらイズムやらで篩にかけて判断するべきところかと思う。

自分としてはストレートなお話の構成を維持するために、分かりやすいキャラクターとストーリー展開に割り切っている事それ自体は好感を抱く。
それを達成するためにニュアンスをかなり切り捨て、劇作にとって都合の良い世界を構築しているアラが見えてしまっている泥臭さは、それに付随する結果だろう。
例えば"少年ハリウッド"がレイアウトと小物を用いた演出で獲得した物語的奥行きの方が個人的な好みには合うけれども、この話は少ハリではないし、スタミュには達成できて少ハリには到達できない何かというものが、必ずある。

創作物はその作者によって、似通ったテーマを扱っていても必ず異なる『匂い』のようなものがあるからだ。


スタミュはどんな匂いをまとって終わるのかということは、それこそ最後まで見なければ分からないし、判断してはいけないものでもある。
その行く末を見てみたいと思わせるだけの魅力はこの作品に十分宿っているし、終わりに辿り着くまでの燃料計画はしっかり立っているとも、今回見ていて思った。
不格好ながら一生懸命なこのお話が、僕は結構好きなのだなと、クール折り返しに当たるこのお話を見終わって感じたのは、結構幸せなことなのだろう。