イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第73話『彼女がデビューする日』感想

年の瀬も見えてきてガンガングイグイ進むアイドル夢奇譚、ついに紫京院ひびきステージに降臨というエピソード。
ラスボスである彼女に如何に説得力をもたせ、同時に『ただの悪役』からはみ出した魅力をもたせるか。
状況をまとめつつ進展させ、キャラ描写も一歩先に進んだ、見事な終盤戦の幕開けとなりました。

とにかく今回はステージングが良くて、ひびきの行動理念である『昔はよかった』をCGの説得力で伝えてくる、京極監督渾身の演出が冴えていました。
今回のお話を通じてひびきは『卑怯な悪役』から『考えは違うけど、トモダチになれるかもしれない相手』に変わらなければいけないわけで、アイドル紫京院ひびきの説得力はまずアクティングにかかっています。
プリリズ時代のアレやソレを髣髴とさせる、過去の文脈への目配せの効いた演技構成も良かったですし、ジュネ様やりんねちゃんを思わせるバレエ&アイスダンスベースの優美な踊りも、プリパラの『みんなトモダチ、みんなアイドル』路線と一線を画すひびきの理想を、見事に体現していました。
裏工作一切無し、パフォーマンス路線の完成度と宝塚男役的な猛烈なアピールで一気に支持を掻っ攫うところは、一種の清々しさすらあった。

ひびきの意外な側面をアピールするミッションは多岐にわたっていて、『性別』という一番根本的な、しかし重要な共通点をカムアウトしたり、『紫京院ひびき』『プリンス』『怪盗ジーニアス』という名前に変わり、親しみやすい『まほちゃん』という呼び名をファルルに呼ばせたり、着実に『みんなトモダチ、みんなアイドル』という結論への道を引いていました。
あまりにも純粋なファルルがひびきの側にいることで、必要な軌道修正を施したり、ひびきが持っている『情』の温度を見せたり出来たのも、非常に良い配置。
ここら辺はファルルが好きすぎる自分の贔屓目はあると思いますが、一期終盤で非常に劇的な物語をくぐり抜け、純朴な人間性と善性を『獲得』したファルルとひびきが接触したのは、やっぱり凄く良いことでした。

反面、全国一億人のひびふわ推しクラスタは、生きれば良いんだか死ねば良いんだか判んないレベルの燃料投棄に燃え上がってたわけですが。
ひびきのカムアウトに失神する辺り、思いの外ふわりの恋心は名残っていたようでもあり、それ故にヘテロセクシャルにはキツい告白でもあり。
捨てられる形で終わった初恋、自分の性自認とひびきの真実とのギャップといった、ふわりエピの燃え残しを再確認する演出が多かったように思います。
わざわざ『燃料、すっげぇ残ってますよ!!』と演出するのは大爆発させる前フリだと思うので、女の意地を見せるのか優しさで包み込むのか、形はどうあれふわりとひびきの話はしっかり展開させて欲しいところです。


女であることを告白し、ステージング的にも同等(むしろ別格)の実力を持っていることを見せた後、ひびきは自分の行動理念を言葉で説明してくれました。
それは感情に任せた暴論ではけしてなくて、らぁらたちと同じようにプリパラを愛しつつ、その形が違うロジカルなもの。
『プリパラは競技性がなくてヌルい』『もっと人間のエゴとか傷つけ合う情念とか過去の怨念とか盛り込め』という言外の主張が、モロクソプリズムの輝きに呪われたプリズムヤクザの寝言過ぎて、未だ幻影を追いかける身としてはざっくりと刺さった。
ここであえて過去シリーズを匂わせるロジックを組み立ててくるのは、プリパラが独自シリーズとして結果を出し、『みんなトモダチ、みんなアイドル』という題目に説得力が生まれたからこそ、効いてくる論理展開だと思います。

プリパラはお気楽極楽仲良し路線ですが、んじゃあ人生への真剣さをすべて放棄したのかといえばけしてそうではない。
ファルルの死であるとか、校長の歪んだ思い出であるとか、あろみかの衝突であるとか、要所要所で真面目さにしっかり組み合っている。

ひびき周辺のことで言えば、凡人で非才であることを突っつきまくられた結果、今回乗らなくても良い挑発に乗っかったみれいなどは、相当にシリアスなキャラだと思います。
ネタ方面の爆発力で見落としがちなわけですが、ひびきが目指している『過去』と『未来』の真剣さというのは『今』まさに放送しているプリパラの中にこそ、存在しているわけです。
となれば、対立しているように見えるひびきとらぁら達が『みんなトモダチ、みんなアイドル』というテーマに立ち戻る余地も既に準備されており、『では、どうやって真実に気付くのか』というのが重要になります。

これを支えているのがおそらく『アイドルへの愛』という言葉で、ひびきがプリパラ勢にキツく当たるのも、愛ゆえに高まった理想が彼女たちを認めないから。
それは視野の狭い見方ではあるのですが、らぁらたちが気付かず発言しているように、主人公たちに負けない真摯な気持ちをひびきも同じように持っていることの証明でもあるわけです。
悪意からではなく愛ゆえに反目しあうのなら、その愛をお互い認め合い、『みんなアイドル』の範囲を広げることで『みんなトモダチ』という収まり方を予測するのも、スムーズでロジカルなことでしょう。
それを助けてくれる純粋さと優しさ、寛容さはファルルという外付け装置の形でひびきに与えられているし、今回断絶を強調したふわりもまた、ギャップを乗り越える姿を見せる準備をして、ひびきが歩み寄る手助けに名乗りを上げた状態です。
今回見せた対立と、その先にある和解の予感は相当にロジカルで、お話しの見取り図を読み取りやすいエピソードだったと言えます。

『アイドルへの愛』がまっすぐ語られたのは、お話しの構図だけではなく、ひびきを好きになる足がかりとしても大事でしょう。
ファルルに惚れ込んでいる描写も含めて、ただふんぞり返って破滅を企む嫌なやつから、自分で土俵に上がって体を使う様子が見て取れ、いわばひびきが『魂の汗』を流すアスリートなのだと分かるお話だった。
キャラを好きになるのはお話を見続け、お話を終わらせる上で非常に大事なので、そこを怠けずやってくれたのは最高に良かったです。


というわけで、ラスボスが敵役・怪盗ジーニアスからライバルアイドル・紫京院ひびきへと華麗な転身を果たす回でした。
こうやって最後の障壁の説得力を高めつつ、攻略ルートを分かりやすく指し示してくれる話があるのは、非常にお話を受け入れやすくて有り難い。
小ネタ関係の切れ味も良くて、相変わらず傷口に塩を塗るチャンスを忘れないドロシー(と、それを冷静に受け流し器を見せるひびき)とか、らぁらの「くうそってなに!」とか、あじみ先生のぶっちぎりキチ顔とか、非常にグッドでした。

こっからしばらく紫京院ひびき(怪盗ジーニアスではなく)の掘り下げが続くわけですが、第一弾はレオナとひびきの性自認
自分はレオナという危ういキャラクターを投げ込み、その扱いを常時丁寧にやり続けている制作陣に感謝しているわけですが、一番最初にこのネタを拾ってくる気概には大感謝しかない。
女の姿をした男と、男の姿をした女が己を語り合い、分かり合うことは、紫京院ひびきが何を考え、何を大事にしているのかを理解する大事な足場になるでしょう。
そして、(可能なかぎり楽しく見れるよう、ネタ方面のオブラートには当然くるんでくるでしょうが)性自認という日常社会の中では隠されがちな、しかし非常に大切なテーマをメインキャラクターに据えつつ、レオナの『普通ではない』性自認を茶化すことも、『普通にする』こともなかったこのアニメが更に踏み込むことで、キャラ描写を超えた何かが見えてくる気がします。
とても楽しみです。

……ひびきの言動を見るだにどう考えても性自認女性なんだけど、ふわりを足長おじさんしたりファルルと魔法使いロマンスするの最高に楽しんでいたのは、一体どういう趣味なのだろうか。
単純に『ロマンス最高、王子様最ッ高!! だから自分が演じますッ!!』というロマン主義者の究極系なのか、はたまた姫系女の子が三度の飯より好きなレズなのか。
どっちに転んでも面白いと思いますが、ここら辺の疑問も来週分かるんでしょうなぁ。