イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイカツ!:第162話『☆めちゃパニック☆』感想

芸能活動すべてを『アイカツ』という魔法の言葉で包むアニメ、今週は大阪お笑いエピ後編。
正直に言ってしまえば難しい回で、笑いの難しさにも道化の仮面をかぶっているニーナのキャラクターにも、あと一歩踏み込めないお話になってしまった気がします。
一番ナチュラルに笑えたのがド天然である珠璃ってのは問題な気もしますが、計算で笑いを取りきれないニーナの未熟さを見せる話であるならば、主役勢の空回りが笑えないのは計算のうちなのか。
これで大阪からは離れ、ニーナを掘り下げる機会がやってこないことを考えるとキャラを握りこまないうちに終わってしまったのはミスなのか。
イマイチ判断しきれん。

アイカツ世界は善意以外の存在を許されないルールがあるので、差別と悪意が必要とされる笑いの構造に切り込んでいくには、ちょっと難しい部分があるのかもしれません。
見せ方としては第129話『トークの花道』のように、舞台裏での細かい準備をアイカツらしいガッツストーリーに噛みあわせるアングルが一つの手段と思うわけですが、今回はケンちゃんという解りやすい障壁を出して、そこを抜くことで話を落とす感じでした。
空回りする未熟な自意識とか、哀れみで笑ってもらってる無様さを真っ向勝負で出迎える意味では第147話『輝きのルミナス』とかが先例としてあるわけですが、こっちも外してなんというか無難に……キツイ言い方をすると茶番でお茶を濁して、オチが付いたしたように見せかけている感じもします。
ニーナとルミナスの笑いが作中でも未熟な以上、笑いの話なのにウケてしまってはいけなく、かと言ってその未熟を正面から乗り越える話でもなく、不必要に優しい話に落ち着けてしまった印象を受けます。

堂島ニーナが計算でやっている笑いは誰も掴めておらず、その滑ってる様子を厳しく指摘してくれる誰かもいない以上、彼女に何らかの成長を期待するのは酷なのかもしれません。
しかし善意のオブラートをギリギリで維持しつつ、持って生まれた欠損を埋めて前進する姿は、あかりジェネレーションの得意技であり、メインテーマの一つなはず。
『自分は寒い』という状況をニーナが認識し、そのシビアさを抱えて一歩踏み出す形に整えてくれたら、お話に前のめりになる足がかりもあったと思うのですが、アイカツ世界の優しさが悪い方向に転がった印象があります。

個人的な嗜好としては、優しい世界を維持しつつシビアでハードなネガティブさにギリギリで接近し、何かをもぎ取って帰還してくるスリル・ドライブのようなアイカツが好きなので、今回の(あえてこう言う言葉を使うなら)ヌルさはポジティブには受け取れませんでした。
堂島ニーナの二面性は『笑い』というテーマを扱えばこそ面白いし、アイドルとしてはポップで何でもありな魅力をしっかり表現できている分、お笑いとしてはマジでダメダメなところとかも、踏み込めば面白くなりそうだと思います。
だからこそ、この二連エピソードで見せた微妙な上滑り感、キャラの核に踏み込めていない感覚が最後まで抜けなかったのは、惜しいと言わざるを得ません。
例えばおおぞラッコのコスプレをしたあかりが『笑われている』のであって、『笑わせている』のではない状況に深く切り込んでいたなら。
そういう仮定を思わずしてしまうような、ちょっと残念な大阪編だったと、僕は思います。