イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ゆるゆり さん☆ハイ:第11話『どうあがいても土壷』感想

テーマの取りまとめっぽいことは先週終わらせたので、ゆるーっとしたゆりに戻って終わろうぜってアニメ、ラス一個前。
いつもクールな結衣さんの可愛い隙がたっぷり見れる話を軸に、楽しい日常を描くエピソードとなりました。
あと結衣を前にした時のちなつの吹き上がりっぷりな……三期は抑えめだったので、キチ力ここで出してきたか……。
嫌いじゃない、ていうか好き。

OPは更衣室を舞台にした五分間漫才で、京子を間に挟んで微妙な関係の二人がすれ違ったり触れ合ったり。
ゆいにじっくりカメラを据え付けて時間を使うことで、冷静なツッコミ役という普段の役割から一歩踏み出した、隙と可愛げを存分に描写できたのは今回の良い所です。
基本的に優しさで作られてる世界なので、結衣も綾野もどうにか歩み寄ろうとしつつ、しかし上手く行かない、ようでいて善意から生まれてるすれ違いなので全然OKという塩梅が、面白くもあり嬉しくもありですな。
脱衣描写が真っ向勝負を軽妙に避けつつ、中学二年生のプレミア感を全開にしたいい作画になっておりまして、三期はほんとフェティシズム篭ってるなぁと思います。
チラチラ見えるブラ紐とか、謎制服の着衣シーケンスとか、こだわりが透けて見える所が良い。

二人のぎこちない距離感はそのまま、アホやっているように見える京子がどれだけ苦労して潤滑油になっていることを表してまして、ごらく部の危うさを全開とは違う形で教えるサインでもあります。
ココらへんを強調するために、京子が素早い理解度で結衣のモヤモヤを理解し、解決に動く描写を挟むバランス感覚はさすが。
一歩間違えば崩壊しそうな関係性の中で、その一歩を間違えないよう丁寧に、優しく生きている子ども達の不器用な姿は、着替え中でもエロいというより微笑ましい。
気を使いまくる綾野を見ていると、一期序盤の高圧的な様子が遠くに思えるけども、そこら辺は連載が続く中で変わってきたところなんだろうなぁ。
京子ラブは譲らないままで、色んな子に優しい描写が心地よいのは、二人の共通点かな。
三期はこれまで掘ってこなかったリソースの有効活用が巧く行っており、今回の結衣綾描写もその延長線上にある印象でした。


その反対に『定番だけど三期ではあんまやらなかった描写』として、チーナの大暴走が今回は元気でした。
定番と言いつつも、王子様妄想一本で押し切らず合間合間に病気で弱った姿を入れてリアリティを担保してく見せ方は、いかにも三期らしいなぁ。
あかりちゃんもそうなんだけど、ウケる要素を入れつつ記号化し過ぎないよう、演出バルブの開け閉めには気を使っている印象がある。
分かりやすくウケる要素は混ざりすぎると毒になるし、それ一本で行き過ぎて変化がなくなったりもするしな……塩梅重要。

ちなつから結衣への視線はアイドル的というか、恋に恋している自分への酩酊が真ん中にある気がする。
その過剰な強張りがなんかヘンテコな王子化に繋がり、過剰さを笑うコメディにもなっているわけで、それはそれとして大事な視線だ。
その上で、結衣への練習と嘯きつつも妙に自然なあかりとの関係性があることで、ちなつのゆるゆり成分は柔らかさを維持しているのだと思う。
三期はそっちも大事にしているのは、第7話とか見れば一目瞭然だ。
結衣への酩酊の不自然さとあかりとの関係の自然さにちなつが気付くと、とたんに緩くない百合に滑り落ちていく関係ではあるのだが、この作品はその一歩手前でいつも止まる。
そういうルールなのだ。

それはともかくチーナの暴走が面白いのは、やっぱり大久保さんの怪演が深く影響している。
一期の頃はこなれてなかったごらく部メンバーも、入れ替わりの激しい声優業界を泳いで見事に鍛え上げられた姿を、三期では見せてくれている。
ここら辺の変化を楽しめるのも、長期シリーズならではの喜びといえるだろう。

というわけで、季節が一巡りして花見で〆るべく、やってなかった要素を取り上げるお話でした。
ほんと三期は『ゆるゆりとは何であるか』を分解し、分析し、構築し表現した見事なリブートシリーズだったと思う。
11話積み上げてきた物語の終わりをどう〆るかも気になるし、最後の最後で三期スタッフが見せる『ゆるゆりらしさ』ってなんなのか、期待も高まるラスト一話前でした。