イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第25話『鉄華団』感想

かくして少年たちは一つの終わりにたどり着く。
殺したり殺されたりしながら、殺さなくても良い明日を探し続けたアニメも遂に最終回。
ビスケットが死んでからの緊張がウソのように、生き残った人たちは大勝利なエンディングでありました。
色々と戸惑いはありつつも、彼らが『正しい』道に戻ってきた喜びも素直にあり、混乱してはいますがまず書き始めましょう。


ブログというのは便利なもので、一週間前の僕が何を考えていたのか、今読むことで察することが出来ます。

 

『間違った』世界に生まれたものたちが、『正しさ』に引き寄せられ、しかし『間違った』世界の残忍さから抜け出せないまま何処か、にたどり着く物語。 それは僕がかつて見たいと希求した、人間の可能性が都合の良い結末を引き寄せる『正しい』物語とは違うでしょう。

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ:第24話『未来の報酬』感想 - イマワノキワ

 

この気構えを勝手に持って今週の話を見たので、僕はほっとするような拍子抜けするような、不思議な気持ちで『To be Continued』の文字を見ることになりました。
ビスケットが死んで以降、お話はどんどん取り返しの付かない方向に進んでいき、鉄華団がどんどん自分たちの可能性を切り捨てていき、状況は世界の残忍さを反映しては悪化していき、お話が『正しい』方向に進む可能性は小さく、小さくなっているように見えた。
それは前回、シノとタービンズの二人という、名前と顔があって、視聴者の共感を強く惹きつける存在が死んだ時に、最高潮に達したと思います。

僕(そしてもしかするとあなた)はあの瞬間、『あ、ダメなんだ』と思った。
それこそステープルトンさんの言葉ではないですが、彼らが『只の子供』に戻る道はもうないんだと強く思ってしまったわけですが、終わってみると彼らは死んでいませんでした。
沢山の犠牲はありつつも彼らは一つの仕事を成し遂げ、社会に認められた『スジの通った立場』に自分たちを押し上げることに、無事成功しました。
それは世界の最底辺から反逆の声を上げて、他人を傷つける鉄片手に地球くんだりまでやって来た少年たちのお話として、『正しい物語』です。
かつて僕が望んで、一時は諦めた、彼らが心から望んでいた物語です。

僕が引っかかっているのは彼らが幸福になったことではなく、特にビスケットが死んで以降むき出しになった世界と彼らの荒廃が、この結末とどうつながっているのか、ということです。
僕は鉄華団の爬虫類的な想像力のなさにも、同輩を死に追いやるオルガのイデオローグとしての残忍さにも、壮大な理想の前に『家族』の範囲を狭められるクーデリアの覚悟にも、結局『殺し』に帰結してしまう三日月の行き場のなさにも、無力感を覚えつつ納得はしていました。
ギャラルホルンという腐敗した権力装置が世界を規定し、今僕達の回りにかろうじて維持されている権利が剥奪された荒野の中ならば、『そういうことはあるだろう』と納得した。
一見華やいで見える『家族』や『希望』を生々しくクローズアップした結果見えてくる、目を逸らしたくなるようなグロテスクもまた、キャラクターが生きている現実なのだとあのエピソード郡は思えたし、その延長線上に彼らの物語は否応なくあるのだと納得できるほど、ここ数話の物語の演出ラインは徹底していた(ように見えた)。

それが一種の物語的手管であり、世界の厳しさを提示することでキャラクターの物語の真摯さを担保する方便であったのか、はたまた仮想世界の一つの結論として真摯に描かれた実像だったのか、製作者ならぬ僕には分かりません。
しかしそこで描かれた荒廃が僕にはあまりに真実めいて見える以上、大団円に辿り着いたこの最終話を、どうしても無邪気に見つめることが出来ない。
仕事を手に入れ、承認を手に入れ、教育を手に入れ、地球という見知らぬ風景と、火星という懐かしい光景に帰還する彼らの『正しい』物語の奥には、これまで多数積み重なった『正しくない』物語が秘められているのだと、どうしても考えてしまうわけです。
政治や共同体、倫理といった人道装置によってなんとか保たれているものの、それが破綻すれば簡単にむき出しになってしまう負の人間性を、『只の子供』である彼らが当然所持しているのだという印象は、オルガがかつて語った死に向かう『正しくない物語』に頷いていた彼らの無垢な表情を思い出すと、どうしても消すことが出来ない。
彼らがグロテスクで気持ち悪い、自分たちの理解の及ばない『他者』であるという認識は、人間なら当然追い求める小さな達成に、最終話にふさわしく辿り着いた彼らの表情を見ても、拭えないわけです。


んじゃあ、今回の大団円は嘘っぱちなのかと言われれば、けしてそうではないでしょう。
過去の描写を見れば彼らがこういう終わり方をずっと求めていたのは分かりますし、子供を見守る雪之丞さんとステープルトンさんが、『只の子供に戻れない』荒廃を乗り越える彼らのたくましさを祝福しているのを見ても、ここは辿り着くべくして辿り着いた場所です。
あとま、あいつら良い奴なので幸せになったほうがいいよ、当然だけど。

問題なのは(というより、個人的に気になるのは、か。あんま主語大きくしてもいろいろ間違えそうだ)最終話で描かれた『正しい』物語も、それ以前に描かれた救いも正しさもない『間違っている』物語も、同様に確かな真実として彼らの中にあるように僕には見えていて、『正しい』終わりに辿り着いた今回以降、そのバランスをどう取っていくつもりなのか、ということでしょう。
それはこれから先の物語、今回手に入れた達成の先にある、すこし大人になった彼らの物語を見ることでしか、結論付けることが出来ないと思います。
今回の大団円はお話の折り返しでしかないのならば、再び剥き出しでグロテスクなリアルが彼らに憑依することもあるでしょうし、それに飲み込まれて過去望んだ希望を打ち捨てるという選択肢とも、それを『嘘』だったとして結果オーライで忘れてしまうこととも別の、新しい結末が待っているのかもしれない。
それは未来の物語だし、それに期待するだけの材料は、今回の最終話に詰まっていたと思います。

一つ強調しておきたいのは、『ビスケットの死から加速した『正しくなさ』は、秘められたものだったから無条件に真実であるとは限らない』ということです。
確かに世界は苛烈ですし、それに追詰められて剥き出しになった荒廃は重たく、否定しようのない事実ですが、同時にそこから抜けだして自分らしく自己を達成したいという願いや、そんな願いを貴重で意味のあるものだとする綺麗事もまた、作中においても現実においても事実でしょう。
どちらの事実を真実として肯定するにしても、はたまた両方を含んだ相矛盾する存在を是認するにしても、大事なのは一貫性を持って物語を走りきり、一つの答え(たとえそれが『答えは出せない』というものであったとしても)に辿り着くことだと思います。
だから、秋に次の物語が控えているこの段階では、作品全体の確たる評価を下すことは出来ません。
言えるのは、最終話で一応の収まりどころとして用意された『正しさ』も、その前景として描かれた『正しくなさ』も、僕にとってはある程度以上の説得力をしっかり持っていたので、両方大事にしてほしいな、という感想です。


かつて憎悪していた阿頼耶識そのものとなって、過剰な『正しさ』に溺れながら子供たちを殺しに来るアインくんは、三日月の体半分をもぎ取りながら死んでしまいました。
死にかけてからのアインくんは、クランク二尉を殺した『敵』と同じ技術で命を永らえ、仇である三日月のように他者の物語を読まない存在として、マクギリスの陰謀の駒として暴走し、死んだ。
どうにかして火星の子どもたちに接近したいと願ったクランク二尉の真意を放り出し(放り出すしかないよう、マクギリスに良いように操られて)、自分の生存に必要な物語だけを読んだアインくんの閉鎖性は、約束の場所に辿り着いてもなお癒やされない、三日月の想像力の欠如と似通っている。
アインくんが『敵』に接近し物語と衝突して死んだように、阿頼耶識の過剰励起によって体の一部を持って行かれた三日月が、体の大半と人間性を持って行かれたアインくんに接近しているのだとしたら、あの無様な姿は未来の三日月の暗示なのかもなぁと思ったりもします。
クーデリアが託した教育という『宿題』が、三日月の閉鎖した世界観をこじ開ける足場になるか否かも、これから先に託された物語でしょう。

三日月の視線に背中を押されながらオルガはここまで来てしまったわけですが、その一方的な関係もすこし変わったように描かれています。
これまでは三日月だけが『どこに行けばいい?』と問うていましたが、幼い時に約束した場所にたどり着いた結果、今度はオルガがそれを問う立場になった。
それは綺麗な達成の象徴ではあるんですが、『殺し』以外で道は開けないと三日月に思い込まさせてしまったオルガのカルマは、実は全然解消されていません。
それが生き様ならば貫けばいいとも思いますが、少なくとも殺戮以外を求める不器用な三日月の姿がこれまでも描かれていた以上、オルガはどうにかして自分が三日月に科した呪いを解いてやるのが、『正しい』スジな気もします。
ここら辺もまた、今後の物語で展開する部分なんでしょうかね。

そんなオルガは、自分の創りだした物語が『家族』である子供たちを奮起させ、死地に追いやり、約束の場所に引っ張った事実に悩んでいました。
ここら辺は人生の凸凹道を先に歩いてきた先達として、常にいいアドバイスを上げてきた名瀬が綺麗に拾いまして、『自分の言葉に胸を張れ』『犠牲はあったが立派なこともやった。お前は偉い』と必要な言葉を与えていました。
良くも悪くも、望むと望まざるとオルガはカリスマであり、今後も彼の言葉で人がたくさん死に、それ以上に生きるのでしょう。
そういう彼が成し遂げた一つの偉業に、同じく言葉で『家族』を活かし、人を殺してきた名瀬さんが正当な評価を下したのは、とても良かったと思います。
同時に、他人と繋がるためのツールである言葉の閉鎖性も描かれていたので、今後オルガはこれと戦わなければいけない気もしますが。
鉄華団が足を踏み入れかけてギリギリで抜けた『正しくない』物語は、個人的にはやっぱりある程度以上の説得力があるので、二期でも忘れずしっかり踏み込み、勝利なり敗北なり融和なり、一つ答えを出して欲しいですね。


んで、作中一番『正しくない』存在であるマクギリスは、描いた絵図通りの勝利を達成し、真っ直ぐ行きたかった親友を絶望に叩き込んで殺し、その幼い妹の尻を思う存分堪能していました。
邪悪だ……おそらく私利私欲のためではなく、ガエリオに言ってたことにも嘘がない辺りが、ほんとうにな。
彼の行動原理が『怒り』であることが語られていましたが、それを生み出す具体的な動機は未だ見えないままです。
ここら辺も秋以降の物語で公開されるところでしょう……されなきゃ困るマジで。

マクギリスとモンタークという二重の立場を利用して鉄華団を援助し、ギャラルホルンの腐敗した支配に楔を打ち込んだ彼の望みは、ほぼ完璧に叶いました。
子供たちにとっては受け持った『仕事』を達成し、踏みにじられるデブリではなく真っ当な人間としての証明をしただけのコンパクトなライフ・ヒストリーも、彼やバリントン、ノブリス、蒔苗といった『汚い大人』にとっては、世界を揺るがし自分たちの権益を生み出すための物語として利用され、世界を変えていくようです。
火星やコロニーで描写された、マグマのように熱く暗い圧政のツケがどう破裂するのか、そしてそれを生み出す一因になってしまったクーデリアや鉄華団がどう向かい合うかも、未だ語られざる物語ですね。
三日月やオルガたちは必死に自分らしい行き方を掴もうと足掻いていただけなんだが、それが否応なく世界に波及してしまう偶有性に、二期ではどう向かい合うのかねぇ……。

マクギリスの行動には冷静な熱気が感じられ、彼も『必死に自分らしい行き方を掴もうと足掻い』ているのではないかと、僕は疑って(もしくは期待して)います。
彼の怒りが世界を壊し、再構築することでしか発露しないにしても、それは多分鉄華団と同じく個人的な感情であり、今回の大団円を肯定するのなら、その気持自体を否定はできないなぁと感じています。
まぁやったことは他人の人生操作しまくり、嘘言いまくりの殺しまくりのド外道で、負けスジ一つも肯定はできんけどさ……そこら辺のツケは、来年の今頃見えてくるのかねぇ。


というわけで、火星を旅立っったガキたちが、自分の証を立てるために約束の地を目指し、残忍な世界に仲間をもぎ取られながらなんとかひとつの達成に至る、良い終わり方でした。
同時にその旅の中で手に入れたもの、旅の結果として世界に広がった影響には、描かれ切っていないものも沢山あります。
あまりに残酷な世界と相対するために、彼らが見せた危うさや冷酷さも、突き詰めきれていないと僕は感じています。

苦しみながら辿り着いた約束の場所の先に、何があるのか。
キャラクター達が見せた危うさをどう掘り下げ、どういう決着を着けるのか。
色々なものが楽しみになる、第1期最終回でした。
まだまだオルフェンズの物語は続いてくれるようなので、物語全体を振り返ることは出来ません。
それは結構幸せなことじゃないかなぁと、こうして感想を書いてみて、すこし混乱が収まった今の僕は思います。
良いアニメでした、秋が楽しみです。
ありがとう、鉄血のオルフェンズ。