イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

昭和元禄落語心中:第13話感想

かくして因果は巡り、死人との約束を背負って時は今に帰る。
昭和元禄落語心中、ひとまず幕の最終話でございます。
男と男と女の因果は、夫婦の心中という最悪の結末で幕を閉じ、取り残された菊比古と小夏は憎悪で繋がる不器用な義家族となる。
助六に託された落語の未来を一人で背負い、八雲の重責の中で孤独に足掻いた結果、かつての美青年は白髪の老人と成り果てた。
時代は流れ与太郎は真面目に芸に精進し、真打ちに昇進する日を目前としていた。
親の分からない子供をみごもった小夏に結婚を切り出し、未だ過去の亡霊に取り憑かれる八雲に助六襲名を切り出す与太郎は、周りの見えない馬鹿か、はたまた因業を解く無邪気の権化か。
先の気になる所ですが、一旦のお預かりということで、昭和元禄落語心中一期最終話であります。

と言う訳で過去の因業に決着が付き、三ヶ月ぶりに主役に話が戻ってくる回でした。
いやー懐かしいねぇ与太郎……一瞬顔と声忘れてたから、『誰だっけコイツ』とか思っちゃったよごめん。
しかし濃厚な因縁をしっかり整理したおかげで、八雲と小夏の間にある複雑な関係や、助六に似ているが違う与太郎の姿、そこに拗らせた視線を送る八雲師匠の心境と、第1話では理解しきれなかったあれそれが、すっと腑に落ちる様になりました。

思い起こされるのは七代目八雲の死に際でして、あの時血を吐くように告白していた『八雲という名跡の重さ』も『助六という名前との因縁』も、名前を継いだ八代目がしっかり受け継いでしまっていることに、やはり因果なものを感じざるを得ません。
物語の中で時間を超えて同じことが二回繰り返されれば、それは偶然ではなく必然であり運命なのでして、どんだけ時間が行き過ぎて、紅顔の美少年が白髪のジジイになっても消えやしない、奥行きのあるリフレインがここでも起こっているわけです。
みよ吉のあまりにも業が深い『女』を受け継いだ小夏の表情、行動含めて、過去をしっかりと描写した結果生まれる立体感が今回のお話にはあって、見ていて面白かったですね。

過去との因縁は何も人間同士だけで生まれるわけではなく、落語それ自体もまた、大きく変化しています。
過去編ではあれだけ万人を引き付ける娯楽の王様だった寄席も、すっかり人が減り、しかしその暖かな笑いは絶えてはいない。
才覚溢れる風雲児だった二代目助六の予言通り、落語が死にかけてしまった(そして死にきっていない)この風景は、彼の才覚を思い起こさせると同時に、それを背負って頑張ってきたけれども、背負いきれなかった八雲の業と無念も思い起こさせます。

助六と四国の山奥で見つけた『人と語り合う理想の落語』が、助六が死んだ後八雲師匠に宿らなかったというのは、第1話で見せた"死神"を見れば分かりますし、それは多分、助六と二人になってはじめて背負えるものだったのでしょう。
あの時はなかなかいい塩梅に『家族』だった小夏とも、複雑な憎悪と無関心でつながりあうしかない間柄に変わってしまったところを見ても、八雲という人間は(自分が認識している通り)『落語』という因業でしか人とつながり会えない、どこか壊れた人間なのだと思います。
それ故極められるものもあるし、それ故背負いないものもあったわけで、それを補える唯一の相棒が二代目助六だったんでしょうが、彼はどうしようもなく煙に変わってしまった。

心中に置いてけぼりをくらい、生き延びてしまったものの勤めとして必死に落語を背負いつつも、当然八雲師匠は二代目助六を全く諦められません。
躯を焼いた煙にも似た墓参の焼香の奥に、何も変わらず何も語らない助六を見るシーンは、八雲師匠がどれだけ追いつめられ、無残な因果を気に病んで無様に生き延びてきたのか、如実に示しています。
託された娘は『助六の血を残す』ために父親の判らぬ子供を宿しちゃうし、人間の弱さを置いてけぼりにして先に進む時間の無残さが、八雲師匠をギリギリん所に追い込んでいるのがよく分かる、緊張感のある語りだったと思います。


しかし時間は残忍であると同時に希望も宿していて(って言う風に解釈するのも、時間に流されるしかない人間の弱い読みだとは思いますが)、助六の芸を引き継ぎつつ八雲の弟子である与太郎との出会いは、閉塞した因縁を切り払う活力に満ちています。
生来の明るさで皆に好かれ、八雲師匠の厳しい修行にもしっかり付いて行く助六は、1クールを費やして語られた複雑な因業とは、遠い位置にいます。
あまりにも重たく捻くれた二人の噺家と、一人の女の因縁が今でも厄介なことを生み出しているのは、『血を繋ぐため』子供を産もうとしている小夏を見ても、ジジイにもなって青春の幻影から全く抜け出せていない上に自殺志願をちらほら見せる八雲師匠を見ても、良く分かる。
そこら辺の面倒くささを、蚊帳の外ゆえの気軽さでスパーンと切り伏せてくれそうな気持ちよさが、与太郎にはあると思うわけです。

それに与太郎は見た目の馬鹿さとは異なり、物事の本質を見ぬいて真っ直ぐに走っていく、八雲にも助六にも、当然みよ吉にもなかった美点があります。
出所からイノイチで八雲師匠の元に駆けつけ弟子を志願したのも、自分の落語に二代目助六が近いと思えば後先構わず練習しまくるのも、難しいことを考えないからこそ、本当に大事なものを掴み取れる『愚者の智慧』の象徴のように思うのです。
そんな彼が小夏と『家族』になると言い出し、助六の名前を継ぐと切り出す。
昔の事情が骨身にしみ付いている師匠と小夏にしてみりゃ『他人の気持ちの柔らかい部分に、土足で上がりぁがって』と言いたくもなるでしょうが、しかし長い間こじれた因縁を見せられた視聴者としては、事情を考えない馬鹿が思い切って横穴を開けなきゃ、おんなじことの繰り返しになるしかないと思ってしまうわけです。
小夏に呆れられたプロポーズと、八雲師匠に電撃走った襲名願いが一体どこに行き着くかはこれから先の物語ですが、しかしなにか良い所に行き着くんじゃないかなぁという風通しの良い楽観を、久々に顔出した与太郎のアホ面に僕は感じました。
まぁ老いへの恐怖も相まって、特に八雲師匠はクッソ面倒くさそうでもあるけどさ……。

安心といえば、いつもニコニコとみんなを見守ってくれる松田さんの、笑顔だけではない側面が今回はよく見えて、とても心がやすらぎました。
菊比古が突き放した小夏に寄り添い、『泣き止みなさい』ではなく『おもいっきり泣きなさい』と言ってくれる松田さんの人間力が、ほんとやるせない結末に終わってしまった過去で一息つける、ありがたい一瞬だった……。
自分の人生を大事にしない小夏にも、それを便利に使った顔のない男にもぷりぷり怒り通している姿も、松田さんが口にする『家族』への気持ちが嘘偽りのないものだと心底判らせてくれる、良いシーンでしたね。
高座に近い連中はどうにも業が深すぎるので、人間の正道を素直に歩いている松田さんみたいな人がちゃんといるのは、この話にとっても俺にとっても良いことなんだろうなぁ。


とまぁ、色んな予感を残しつつもそれが実際に発揮されるかは先の話であります。
圧倒的な表現力と繊細な気配りがたっぷり詰まったこのアニメ、強みである緊張感が仇になって続きは出ないかも……などと思っていましたが、嬉しいことに二期をやっていただけるようで、極めてありがたいことです。
幾度も幾度も、重ね折るように語られてきた人間と落語の業。
それが行き着く先に時間が飛んで、果たして人間はカルマを克服できるのか、新しい可能性は因果を超越して、人を幸せにする落語に辿り着けるのか。
この期待をじっくりと待てるというのは、ほんとに嬉しいことです。

身体性が色濃く残る作画、昭和という時代の薫りを魅力的に切り取った世界描写、芝居の中に込められた濃厚な感情、場面と気持ちを盛り上げる見事な音楽、大胆なレイアウトに濃厚な意味をのせる演出。
アニメーションの全てに気が配られ、そしてその技芸全てが物語に熱を入れるために使われている贅沢が、たっぷりと味わえる作品でした。
何よりもお話の真ん中にある落語を、声優さんの熱演と細やかな表現で真っ向から扱い、ズッシリとした重たさすらも楽しめるような『芸』として届ける奇跡を起こしてくれたのは、楽しくありがたい視聴体験でした。
こんな楽しいアニメが、まだまだ見れる。
おそらくは二期でも展開されるだろう、胃の捩り切れるような人間の業すらも楽しみに待ちながら、ひとまずこれにて。
いやー、良いアニメだほんと、最後まで見れるだろうしな!