イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プレイレポート 16/05/07 アマデウス『輝け! 暁のステージ!!』

黄金週間もそろそろお終い、初夏のコバヤシTRPG祭りのシメは、深夜のアマデウスオンセだったよ。

シナリオタイトル:輝け! 暁のステージ!! システム:アマデウス GM:コバヤシ

浅間忍さん:光戸美海流:15歳男性:フレイヤ:導きの子 女顔と押しの弱い性格に悩んでいたが、神子として覚醒した時にいろいろ吹っ切れた男の娘。周囲の生態系を壊すほどにモテる、強く優しい愛のアマデウス

ソエジマさん:美浜櫂:23歳男性:ポセイドン:創世の子 衰退していく村を盛り上げるべく、大学行って運営手腕を高めたインテリマッチョ神子。太い首とタフな魂を持ち、試練に立ち向かっていく。

シェンツさん:エリック:外見50代男性:トール:伝説の子 不法就労の頼れるガテンとして、伝説を残すスカンジナヴィアン。その正体はヴィーキングの王として数多のサーガを駆け抜けたレジェンドであり、若き神子を見守りつつ己も伝説として生きる。

田中くん:人造神子チハヤ:外見14歳女性:イズルハ 異界から流れ着いた剣を核に製造された、ロボ神子。清廉潔白な武神の魂を受け継ぎ、護国の剣として戦う。起動後あまり時間が立っておらず、神との交流の中で様々なことを学ぶ。

つーわけで、"旋血ラグナロク"付属一本目を遊んできました。プレイ自体は非常に盛り上がり、テーマを真正面から受け止めてもらい、ロールの温度も上がりました。秘密のドミノがいい具合にシーンを連れて来てくれて、場が盛り上がりました。エリックがステージに上がり、メタルバンドを再結成して大暴れするシーンの暴走したパワーと熱は凄いことになってた。楽しいセッションでした。同卓していただいた方ありがとうございます。

 

んで、自分このシナリオを遊ぶ上で相当手を入れている。モチベーションとか情報の繋がり具合とか、プレイヤーを迎い入れ遊ばせるTRPGシナリオとしてあんま整っていない部分がかなりあったので、まずそこに手を入れた。ここら辺は環境の好みへのすり合わせ、実プレイの満足度を上げるためのチューンナップの意味合いが強い。

このシナリオはセクシャルな事象を扱ってるんですが、セックスの話はどうやったって参加する人間のパーソナルに切り込んでいく、ナイーブな事象だ。僕個人の考えとしては人種や差別、虐殺や偏見と同じように繊細かつ丁寧に扱うべきテーマであり、それをPLやGM、読者に見える形でしっかり表明するべきテーマでもあると感じている。

このシナリオの記述が、僕が考える『TRPGでセックスを扱う上で必要な配慮』を満たしていたとは思わないし、だからこそ骨格だけ残して大量の記述をぶっ飛ばしてプレイしたわけだが、その源泉は何なのか。セックスは一般的に案外ぞんざいに扱われ、普通に話して良い話題として扱われることがあるから、TRPGでも無造作に扱っていいからなのか。はたまた、他人のセックスを嘲笑うような態度をユーザーに叩きつけて、困惑や怒りや反感を産みたいと思って書いているのか。

そういう意図はシナリオライター(やゲームデザイナー、製作者集団、編集者)にはおそらくないのだろう。このシナリオの中のセックスの扱いは、特別悪趣味というわけでも積極的に何かを踏みにじるというわけではなく、日本(男性)社会の水準で一般的な無邪気さで扱われ、そこに異議を唱えるほうが繊細ともいえる描き方だ(と僕は感じた)。

しかし公式に出版され流通する文章の受け取り方はユーザーが決めるわけで、一ユーザとして僕はそこに配慮の無さと軽い歪んだ意志を感じたし、かなりの数の人間が同じように感じるのではないかとも受け止めた。実際にプレイした後PLにシナリオを読んでもらって、そういう意見も貰った。(そういう部分において共通の見解ができているからこそ、長年同じプレイグループを継続できているのだという意見は、もちろん有効だ)

TRPGが人と人が繋がる素晴らしいゲームだからこそ、ナイーブで個人的アイデンティティにまつわるテーマを扱う場合は配慮が必要だろうし、このシナリオの無遠慮な記述はそこに到達していないと感じた。あえてナーバスな言い方をしてしまえば、これを読んで僕は傷ついたし、僕が大事にしているTRPGを少し損なわれたとも思った。こういう文章を書いている理由の八割以上は、収まりのつかない個人的な感情を文字にすることで、ある程度以上の方向付けをしているだけだ。

セックスにまつわる物語を、TRPGの中でやるな、というわけではない。性別にしろ性行為にしろ性差にしろ、セックスが人間に直結する以上、人間と人間を遊ぶゲームたるTRPGにおいて、セックスは大事な問題だ。それは重要であると同時に危険でもあり、例えば露骨な描写を避けるとか、注意書きをプレイの前段階で用意するとか、大切で危ういものを扱うのに必要な配慮をシナリオの中に組み込むべきではないかと、僕は思う。一般的にメディアの中のセックスが蔑ろにされている現状があるとはいえ、僕の好きなTRPGというメディアの中でセックスを無造作かつ無邪気に扱って良いわけではないし、扱ってほしくもない。そして、このシナリオの記述は無意識かつ無造作かつ無邪気に、セックスを扱っているように思う。

それでは僕は困るのだ。セックスのような大事な問題を扱うのならば、片手間ではなくパワーを込めてしっかりやってもらわなければ、僕はびっくりもするし困りもする。紙幅を使えとか、メインテーマとして扱え、というわけではない。あえてライトに扱ったり、笑いのネタの一環として軽く流せるような描き方を考えること含めて、セックスを扱う重たさや危うさに、少しは目を向けてシナリオを書いて欲しかった。

『現代に生きる神世』を中心軸に据えたアマデウスならば、例えば古代女権社会と性的放埒につなげて描くとか、神と人間の倫理の差異とか、シャクティやタントラ、房中術などに代表されるセックスと魔術の繋がりとか、シナリオ中でセックスを扱う必然性をいくらでも盛り込めるとは思うのだが、そこにどっしりと腰を落とした描写も見受けられない。必然性がなく過激な装飾を施すことは、インパクトを求めて大事なものを弄んでいると受け取られても、ある程度しかたがないのではないかと、僕は思う。

ここにこのような意見を描くことで、僕の気持ちが落ち着く以上の効果があるのだろうか。先のことは分からないが、いきなり無邪気なセックスへの嘲笑(としてしか受け取れないもの)を、剥き出しの状態で叩きつけられるのは、正直な話気楽な立場の一ユーザーとしては勘弁願いたい。危うく大事なものにはそれ相応の扱いをすることで、TRPGというゲームはより『良く』なっていくと思うし、楽しくもなっていくと感じる。この文章を僕はあくまで個人的な意見と感情の集積として書き終わるけども、この言葉がパブリックな正当性を完全に欠いているとは、当然思っていない。『私は傷ついた』という表明は個人的なものであると同時に、ある程度以上の公共性も有する言い回し足りえるだろう、多分。