イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダムUC RE:0096:第11話『トリントン攻防』感想

人倫定まらぬ魂の荒野を流離うモノ達の哀歌、今週は砂漠と水辺と。
ジンネマン親父と魂の語らい合いを済ませたバナージは迷いを少し振り払い、『箱をより良く使う』という目標を見定めてトリントン基地へと運ばれていく。
一方ミネバにこっぴどく振られたリディ少尉はラー・カイラムに合流し、まともに自分を受け止めてくれる大人ブライト艦長と出会う。
ロニさんが殺戮のマシーンに踊らされヤダ味万歳の殺戮を繰り広げる中、ジオン=メカニックの同窓会は勢いを増すのであった……ッて感じですか。

今週もバナージとジンネマン親父のハードなピクニックは続き、人生について、人間の業について大人の語らいをすることで、バナージくんは思わず砂投げちゃうような迷いの状態から抜けだしていました。
思わず燃えるコロニーを幻視してしまうような高い共感能力を持ったバナージは、ジンネマンが背負った悲しさを間違えることなく受け止められるし、世界の美しさと人の悲しみに思わず涙してしまうバナージのナイーブさを、ジンネマン親父も認める。
『大自然の懐に抱かれ、厳しい旅路をともにすることで男と男のつながりを作る』という、すげーマッチョな親子関係の理想が投影された関係は、カーディアスに勝手に死なれたバナージにも、子供を連邦兵に蹂躙されたジンネマンにも、これまで構築できなかった関係だといえます。

ジンネマンに限らず、このアニメのオヤジたちがバナージを構いたがる気持ちは、凄くよくわかります。
彼は聡明で素直で、年長者のアドバイスを正座して聞いて即座に行き方に反映させ、オッサン達が失ってしまった純朴さで世界の真実を見抜き、綺麗な魂でろ過してオッサンに見せてくれる、理想の青年です。
色々惑いつつも行動に出て、絶望的な状況でも投げ出さず、オッサン達が言えなかった『それでも』をオッサン達の助けを無駄にせず言ってくれる、こうなりたかった過去の自分。
思わず好感を抱くような良いやつであり、同時にひどく都合の良いやつだとも思います。

無論主人公が迷走すれば話も迷走するわけで、コントロール可能な限りの迷いに陥りつつ、キャラクターの交流を無駄にせずメインストーリーを引っ張ってくれるバナージは、頼れる主人公です。
己のエゴを整理できないままグダグダのたくるクズガキが主役の話よりはるかに見ていて気持ちがいいし、彼の言っている『それでも』は根本的に正しいし、そこにある真心が物語の都合優先の捏造だとも思わない。
彼は彼の人生を必死に生きて、結果傷つき、周囲の人の真心を無駄にせず己を癒やして成長する、立派な男です。


それを認めたうえで、やっぱりそこには一種の欲望充足願望というか、彼を支えるオッサンに己を投影し、ガンダムパイロットになれなかった視聴者の欠けた心を保管する、計算だか無意識だか動きが感じとれる。
バナージのように高潔で選ばれた特別な青年にはついぞなれなくても、己の焦げ付きと割り切りをバナージに託し、彼が己の物語を成功させるアシストは出来るという欲望を敏感に感じ取り満たす展開は、これまでも今回も繰り返されてきました。(無論、そういう欲求を満たさない創作は『ウケない』創作だし、その奥に仮想人物の生き方を真剣に描く意思と、そこを通じて何かを表現しようとする姿勢を当然認めたうえで、ですが)。
カーディアスも、ダグザも、己の生き様を後悔しつつどこかで割り切り満足して、それを若者に託して(という言葉が綺麗すぎるなら、押し付ける)さっさと物語から退場していきます。
死人はミスを侵さず、少年を幻滅させることもなく、真っ直ぐな瞳でたどり着いた真実をクソみたいな現実の中で摩耗させ、気づけば理想から遠く離れた場所に来てしまう無様をもう一度繰り返すこともありません。
バナージに何かを託して散っていった大人たちは、死ぬことで永遠に綺麗なまま才能のある子供の心に焼き付けられるという、一種の『勝ち逃げ』を果たしたといえます。

今週バナージの涙を認め、理不尽な世界への『それでも』を自分自身も感じていると受け入れたジンネマン親父は、まだ死んでいません。
傷ついた少年を砂漠に連れ出し、厳しいイニシエーションを共にして共感を示し、彼の心を立ち直らせるべく胸襟を開く無言の行動は、たしかにバナージを癒やし、迷いを晴らして『箱をより良く使う』というクエストに気付かさせました。
『お前と一緒にいたから、俺もキツい状態を乗り切れた』という大人からの承認は、孤独だった少年には非常に刺さる言葉であり、マグカップに注がれたスープは、傷ついた心にじんわりしみたでしょう。(ここでもまた、『温かい飲み物』が『差し出された真心』のフェティッシュとして演出されていますね)


そうやって己を曝け出したジンネマン親父ですが、それは同時にこれまでの矛盾した生き様を公開し、バナージにそこを突っつかれる弱点を露わにしたことでもあります。
すべてを奪われて『世界を呪ってのたれ死ぬか、終わらない戦いを続けるか』の二択を突きつけられ、『それでも』とは言えなかったジンネマンは、バナージやマリーダを救い上げる手でそのまま戦争を遂行し、今回ロニが見せた無差別のテロルに加担する生き方を選んでしまっている。
『哀しいから、哀しいことを減らすために生きているはず』と認めているのに、己自身が哀しみを量産するテロルに首まで使っている矛盾が、今回バナージにかけた言葉には秘められているわけです。
ガキに説教しているうちに気づけば曝け出していた、人生の虚無の裂け目。
まだ生きているジンネマン親父は、この裂け目を前にどうするのか、問われる立場にいると思います。

これまでバナージに人生を託して去っていった連中のように、次の戦いで死んでしまうのか。
はたまた矛盾を正面から受け入れ、今からでも『それでも』と立ち上がって、己の人生の主人公としてクソみたいな現実に己を投げ込んでいくのか。
ジンネマン親父が今後どういう扱いを受けるかは、このお話が誰のための物語であり、何を充足しようとしているのかハッキリさせる、試金石になると思います。

僕はジンネマン親父とバナージの砂漠行が凄く好きで、それはそこに『温度』があるからです。
急にすれ違ってロボットを託し、炎に消えていってしまったカーディアスや、作戦の結果どうなるかも告げず己の死を段取りして去っていったダグザとは違い、彼はバナージと同じ飯を食い、砂漠の熱に汗を流し、重い荷物を一緒に背負った。
その身体性は巧いことオッサンの理想論が持つイヤな綺麗さを薄めて、砂と汗の匂いを彼の説教に込めていた気がするからです。
それは生きている人間にしか出来ないことで、そういう人間が生き様を変えるとなれば、死んで退場して綺麗な思い出になってハイおしまい、という流れとは、別のものを期待するわけです。

ジンネマン親父の厳しさと優しさで道を見つけたバナージが、今度はジンネマン親父を殴り返して、『それでも』と言える主体を増やせるかどうか。
インダストリアル7で先生が巻き込まれたような『人間がしてはいけない死に方』が、ジンネマンを含めたジオン残党によって撒き散らされている今こそ、これまでかなり一方的だった『大人とバナージ』の関係に、一つの変化を引き起こすチャンスだと思うわけです。
子供の真っ直ぐさを勝手に見て取って、勝手に生き方を悟り、勝ったに責任をとってかっこ良く死んでいくのではなく、自分の中にある子供の叫びに耳を傾け、摩耗してしまった生き方を改め、何度も間違えていくような、不格好な大人。
そろそろUCはそういう、無様に生き残る強さを大人に背負わせても良い気がします。
つーかだな、もう良い人がバッタバッタと死ぬのはイヤなんだよ……今回も街の虐殺見てて苦しかったし……『苦しく受け取れ』っていうシーンだからそういう演出ができているのはとても良いんだけど、でもやっぱ苦しいの……。


汗と熱を感じられる距離で、親身に世話を焼いてくれる人がいるバナージに対し、ロニさんに言葉をくれるのはモニターと仮面越しに飾った言葉しか使わねーフル=フロンタルであり、クソみたいな怨念を増幅するサイコミュであります。
ジオン同窓会に尺を使った分、ロニさんの描写がやや薄くて、マリーダさんほど彼女の背負っているストーリーを感じられないのは、なかなか残念なところです。
『あ、このシナリオヒロイン、敵になって死ぬんですよね? EDで何度も蒸発してるから知ってます』とGMに確認し、『時間押してるから交流するシーンは作れないけど、ここで絆を作っておいたほうが良いだろうなぁ……ニュータイプ的な何かで彼女に共感を覚えました』という先読みムーブを繰り出すバナージは、あまりにシナリオ進行に協力的なPC1だと思う。

現状バナージに影響を及ぼす人に壮年の男性が多いのは結構気になるところで、ミネバを除くと回りはオッサンだらけです。(そのミネバも、迷いをぬけ出す導きを受けたのはコーヒー屋のオヤジ)
可愛い可愛いマリーダさんは少女と言って良い年齢なんだけど、あの人『女性としての機能』損なわれてるからなぁ……現状バナージとの交流ラインが、相当『女』を排除したラインで展開してる気がするんですよね……ここら辺も、UCが提供する欲望充足に現状少し首をひねる理由の一つ。
まぁ云うても、マーサが割と最悪な形でマリーダさんの失われた『女』を悪用せんと気合入れてるんで、マリーダさんの『女』はイヤな感じで発露しそうではあるけどね……マージでマーサは許せん……。(マリーダさんを思うと私怨エンジンに火が入り、結果話がブレブレマン)

ロニさんと語らうなり、お互いの矛盾を顔を突き合わせてぶつけるなりするシーンがあれば、そこら辺の不均衡も少し和らいだ気がするけど、『袖付き』ではないバナージはフロンタルとの会談には同席できないしなぁ……。
マリーダさんにしろギルボアさんにしろ、『平時に触れ合って、戦時でぶつかり合う』というラインをしっかり守ればこそ、心が響きあいショックを受ける展開に説得力が生まれていたわけで、パイロットスーツではない状況でロニさんと語らうシーンがなかったのは、なかなか勿体無いと思いました。
まぁそういうシーン入れてると、グフが城から出てきたり、ゾゴックがヒート・ソード使ったり、ガルスKが砲撃したりの血沸き肉踊るアクション展開できねぇしな……ここら辺のバランスは、常に難しいな。

大人に支えてもらえないリディ少尉も、親父さんのひっそりとした手回しの結果ラー・カイラムにたどり着き、ブライトさんにちょっと真剣な言葉を貰っていた。
パイロットという戦闘単位を相手にしながら、『死ぬのが仕事』というニヒリズムではなく、『普通に出撃して、普通に帰って来い』と言えるブライトさんは、バランスの取れた人格している。
未だアムロの写真は飾ってるし、この後息子がアレでソレになる運命だし、割り切れない部分も沢山有るんだろうけどね。

ラー・カイラムの三人組もいい人っぽくはあるんですが、『いいチームですね』と認めつつ『おれも入りたかった』と過去形で不可能態な不器用ボーイ・リディ少尉を受け入れてくれるかは、まだ未知数ですね。
気付けばジンネマンを『キャプテン』と呼び、『袖付き』の制服は着なくてもガランシェールの作業着は着ているバナージに比べて、リディ少尉は共同体への溶け込み方が不器用だよなぁ……だから、世界に可愛がられないんだろうけど。
誰か孤独で可愛げのないリディ少尉も、バナージの四分の一でもケアしてやって欲しいけども、彼はまぁ追い込まれる立ち位置だよなぁ……鏡像が歪まなければ、主人公の真っ直ぐさ目立たないもんなぁ……。


と言うわけで、『ある日パパと二人で、この世に生きる喜びと哀しみのことを語り合う』グリーングリーンな話でした。(舞台は砂漠ですけど)
あの話はパパが遠い旅路に出掛けて帰ってこないわけですが、ジンネマン親父は生き残って、今回偉そうに説教した優しさで人を殺す矛盾に、正面から向かい合って欲しいもんです。
『私』としての優しさをまず受け取って、テロリストという『公』の立場との矛盾を拒絶しないバナージは、ホント共感能力の高い優しい子よな……。
来週も楽しみなんですが、世界の矛盾を煮詰めて焦げ付かせるような虐殺シーンは、やっぱ見たくないですね……MSという戦闘兵器が『カッコイイ』だけじゃなくて、『醜く、恐ろしく』見えるのは、UCの良いところやね。