イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

91Days:第5話『血は血を呼ぶ』感想

家族のために家族を殺し、裏切られては新しい家族を作る血まみれのファミリー・アフェア、新展開の第五話目。
ガラッシアの圧力によりオルコはファンゴ、ヴァネッティはネロという武闘派の厄介者をそれぞれ生け贄に捧げ、アヴィリオの復讐は頓挫しかかる。
満たされない空虚を抱えながら、ファミリーに縛られないがゆえの知略を活かし、仇敵だったはずのファンごとネロを結びつけることに成功する。
狭いロウレスの街の下らない矜持は、生き残るための諦めをなすりつけながら、行方も知らず嘆きの川を流れていくのだった……というお話し。
前回緩いお話をやった分、一気に河岸が動くサスペンスがぐっと身に迫る、良いエピソードでした。


とりあえず勢力図がややこしくなったのでまとめてみますと、

・オルコとヴァネッティがファミリーとして敵対しているが、所詮木っ端ヤクザであり、シカゴの大物であるガラッシアの以降は無視できない。
・手打ちの条件として戦争できればなんでも良いファンゴをオルコが切り捨て、ヴァネッティのフラテもネロを切り捨てて生存を図る。
・ヴィンセントが代表するヴァネッティ守旧派はガラッシア(婿入りしたロナルド)の圧力を煙たく感じつつも、楯突くほどの実力も意欲もなし
・孤立したネロ派は『敵の敵は味方』理論で、新しく引き入れたアヴィリオを外交特使としてファンゴに接触、共通の敵であるオルコの首を条件に共闘関係を繋ぐ
・しかしアヴィリオの目的は家族の復讐であり、ネロの生存もヴィンセントへ繋がるための足場でしかない

という感じかな。複雑怪奇だ。


さんざんファミリーファミリーぶちあげていても、人を殺すのをなんとも思わない人間のクズどもの集まりですので、銭と命がかかれば即座に売っぱらう薄情なもんです。
オルコは息子であるファンゴを切り捨て、フラテも兄であるネロを売り払う。
アウトローたるマフィア唯一のの行動規範だったはずの『ファミリー』が、実利と生存の前にはケツ拭く紙より薄っぺらい価値観だと明らかになる今回は、底意地の悪い負のカタルシスがありました。
生き残るために兄婿の尻を舐め、実兄の命を差し出すことに決めたフラテの目の隈がホント最悪でな……魂の色がそのまま出てる感じで素晴らしい。

『敵の敵は味方』というところまでネロを追い込んでしまったのは、実の弟であるフラテであり、『家族』の復讐のために戦うアヴィリオと、肉親相食むヴァネッティの地獄は、なかなか面白い対象です。
アンジェロの家族は野望のためにぶっ殺し復讐を呼び込んだヴィンセントが、実子であるネロを手に掛けるのはためらうのも、『家族』をめぐる対比の中にあるといえます。
そもそも問題がここまでこじれたのは、アヴィリオによるヴァンノ殺害をネロが誤解した結果
だし、フラテをけしかけたのは義理の兄であるロナルドだし、様々な繋がり方をした複数の『家族』の問題が、どんどん絡み合いねじれていく物語なのですね、このアニメ。

アヴィリオもネロの誘いを受けて『ファミリー』の一員となり、『親に捨てられた武闘派の一時的同盟』という奇策で血路を切り開く。
この同盟を組む主因が命を貼って親分を守ったティグレに報いることだったり、血よりも濃い『ファミリー』の絆もしっかり描かれています。
しかし当のアヴィリオは奪われた過去に復讐し、『家族』の仇を取るために偽物の『家族』に滑り込んでいる状態であり、このアニメの中での『家族』は裏切りと信念、軽薄さと信念の間を行ったり来たりする、非常に複雑な顔を持っています。

 

二つの河岸を行ったり来たりしているのは復讐者アヴィリオも同じことで、『俺には復讐以外何もない』とうそぶきつつも、先週のんびり男旅でつながった絆を随所で確認し、ネロのことを憎からず思ってしまっている様子を見せています。
家族との思い出を奪われたら世捨て人になってしまうほど愛情が深かった男なわけで、冷酷に目的を達成していくというよりは、ネロを新しい『家族』と『仇』、どちらで迎え撃てば良いのか迷っている印象を受けますね。
『ここでネロが死んだら、ヴィンセントまで辿りつけない』という言葉が冷酷な目的なのか、はたまた情に満ちた言い訳なのか……その答えは、ネロ自身も分かっていないのでしょう。
そもそも手紙が来なければ、自発的な復讐には走らず嘆き続けて腐ってたわけだからな……骨の髄から復讐者っていうキャラクターではないのだろう、名前も『天使』だし。

アヴィリオが復讐の意志を飲み込んで、飲みまわされる煙草と『返ったらファミリーになれよ』というネロの提案を受け入れるシーンは、彼の複雑な心境を的確に描写する、鋭い演出でした。
煙草は久方の再開となったコルテオの描写でも有効に使われていて、第1話では煙草とマフィアを嫌悪していた彼も、ふたたびであった時は自発的に煙草を吸い上げる密造酒屋に落ちている。
一度口にしたら出られないヨモツヘグイのように、このアニメの煙草は『人道に背中を向け、血まみれの争いを肯定するマフィアのやり方』をキャラクターが飲むか飲まないか、その象徴になっていると思います。

超えられない一線という意味では『水』もいい仕事をしていて、ヴァネッティ本家との決別を意味するファンゴのアジトは『嘆きの川』の先にあり、アヴィリオはかつて命の取り合いをした相手を利用するべく、船で水を超える。
『嘆きの川』はギリシャ神話の冥界と現世を隔てるスティクス、ならびにその支流であるコキュートスのイメージが重ねられており、コキュートスはダンテの"神曲"においては地獄の最下層でもあります。
『嘆きの川』を渡る決断は、頭イカれた武闘派と組み、仇の仲間となって血まみれの殺し合いに身を投じる未来につながっており、それは第1話で描かれた暖かな家庭とは遥かに隔たれた、一方通行の地獄行なわけです。

今回は様々な一線を越える『決断』のエピソードなわけですが、ろくでもない運命に落ち込んでいく未来を嘆くように、コルテオに『今なら引き返せる、復讐なんてやめろ』と引き止めさせるシーンがしっかり入ることで、『決断』の意味もより堅牢になっています。
地獄に通じる復讐の一本道は実は、かつてアンジェロが腐り果てていたように、もしくは『放っておいても仇は死ぬんだから、自分が復讐する必要はない』と割りきって立ち去ることも出来る、前と後ろに通じた道なわけです。
しかしアヴィリオは覚悟を込めて煙草を受け取り、川を渡り、『復讐がなくなれば、俺の生きている意味は無い』と思い込んで、地獄に向かって一直線に落ちていく。
その重たさは、『後ろに進む道も、未だある』と確認するシーンにあえて時間を裂き、主人公の断固たる覚悟で否定させることで、より強くなるわけです。


今回のエピソードをピカレスク・ロマンとして見ると、復讐の意志を隠しつつネロとファンゴの間を取り持ち、存在しない『オルコ拉致計画』で反目する者たちの同盟を成し遂げたアヴィリオの知略が光ります。
『ファミリー』から離れた立場にいたからこそ、メンツに拘らず実利を取る選択肢を掴むことが出来ましたが、しかしそれは全てを焼きつくす復讐のための事前準備でしかない。
事情を知らないネロが一家を預ける足場の危うさ、それを企むアヴィリオの危うさ、あまりにエキセントリックなファンゴの狂的な危うさ。
様々な危うさがギリギリのバランスを取りつつ、『武装共闘』という一つの結論に雪崩れ込んでいく展開には、強いカタルシスがありました。

とりあえず『オルコ拉致計画』を空論から現実に変えるのが直近の目的となりましたが、その先にニトログリセリンのような危険人物・ファンゴとの同盟を組むのか。
『家族』との決定的離反を意味する『決断』に、踏み込んでいく勇気がネロにはあるのか。
ロナルドも義弟であるフラテを真実『家族』として扱っているわけがないし、全ての陣営が危うい足場に体を預け、どこに落ちていくのかわからない状況です。
そして主人公アヴィリオは、ロウレスの家族史から距離をおいたアウトサイダーであり、それ故状況をかき回す自由度を手に入れたジョーカーであり、アンジェロとしての過去を隠した復讐者でもある。
様々な勢力が離散と集合を繰り返す状況の鍵を、しっかり主人公が握り続けているのは見応えあっていいよね、やっぱ。


というわけでのんきな旅は終わり、一線を越える『決断』に満ちた、法無き街の血なまぐさい日常が回り始める回でした。
暴力を伴う政治劇としての面白さもあるし、そこに濃厚な『家族』への情と、それを押し通せない現実の冷たさが絡み合っているのが、非常に温度の高い劇作を可能にしている。
やっぱおもしれぇなぁこのアニメ……古典への引用含めて、セリフ周りがビシっと整っているのが好き。

とりあえず来週は『オルコ拉致計画』を実行に移し、ファンゴとの交渉ラインを作るお話しかなぁ。
交渉の足場を作っても狂人がいつひっくり返すか、というか交渉のテーブルで銃を抜いて打ちかねない怖さがあるわけですが、ネロ一味は毒蛇を飲み込めるのか。
変化していく状況の中で、ネロとアヴィリオは『家族』への複雑すぎる感情とどう向き合っていくのか。
楽しさがどんどん増加し加速するピカレスク・ロマン、ほんとうに面白いな。