イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

甘々と稲妻:第6話『おともだちとギョーザパーティー』感想

食事を通じて人生を輝かせていくライフプラニング・フード・アニメ、今週は来襲出来る組。
小鳥のクラスメイト、コミュ力オバケのしのぶちゃんの開けた社交性を描くことで、三人の閉じた聖域がどれだけ大事か確認する回でした。
公益性に対して考える時も、答えが一つしかない上から目線の説教ではなく、個人個人の気持ちに踏み込んだ適切な答えを探すところが、非常にこのアニメらしい。
『開けていくことも、閉じていく運動も、両方良くって両方素晴らしい』というキレイ事に実感を込める展開が、見ていてとても気持ちよかったです。

今回はしのぶちゃんの人間力が物語をグイグイと牽引していく話であり、彼女の明るく捌けた性格、ホスピタリティに溢れた優しさ、大雑把に見えて繊細な気遣いと、彼女の美徳が良く見えるエピソードになりました。
考えてみれば、前回のチラ見せ段階からしてわざわざ隣のクラスから小鳥ちゃんを気にかけてくれてたわけで、行動力と優しさを兼ね備えた一流のコミュニケーション戦士としての描写は、一貫性のあるものです。
つむぎとのファーストコンタクトも完璧にこなし、初対面の八木ちゃんとも即座に打ち解けてしまう的確さは、どちらかと言えば人間関係に不器用なことりやおとさんにはない強さです。
みんなが幸せになれる場所を直感的かつ理性的に認識し、的確なコミュニケーションで引っ張っていく『巧さ』は、不器用な三人の物語にはなかった立て板に水の気持ちよさがありました。

普段から弟に接している経験値を活かして、小鳥より半歩的確な対応をするしのぶの『巧さ』は、『餡』を理解できないつむぎに『具』という少し難しい言葉を使ってしまう小鳥と、『中身』というよりシンプルな言い換えを使いこなすしのぶの対比などに、スマートに織り込まれています。
八木&しのぶの『圧倒的にできる班』と犬塚&小鳥の『なかなかうまく出来ない班』の差も、餃子を作るスピードやアレンジの巧さという形で、明確に描かれている。
個人の性格や好み、能力に起因する差異は、優しいこの世界にも確かに存在します。

しかしこのお話しは『出来る/出来ない』の違いを価値に直結させず、『出来ない』の中にある価値をゆっくり探り当ててきました。
今回のお話でも、一見ガサツに思えるしのぶはすごく繊細な観察眼を持っていて、不器用な三人がゆっくりと料理に親しんでいく過程、他人が料理を通じてお互いを満たしていく経緯を大事にする。
彼女が見つけた『出来ない』の中に隠されている美徳というのは、失った父をゆっくり再獲得している親友の気持ちであり、視聴者がこれまで5話の中で『ああ、いいなぁ』としみじみ思い続けたこの作品の良さでもある。
鍛え上げたコミュニケーションの『巧さ』を振り回すだけではなく、一番大事にしてほしい部分をしっかり見落とさず、小鳥ちゃんのプライドを大事にしてプライベートな空間で心を確かめてくれる気配りまで兼ね備えているしのぶちゃんは、とても気持ちの良い女の子でした。

これだけのコミュ力一騎当千があの空間にいると、今三人が形成している不器用でもどかしい歩み寄りが、過程すっ飛ばしてワープで解決してしまう可能性があります。
なので、親友の気持ちを尊重して『進行が滞ったら呼んでくれ。基本的には脇役でいい』というポジションに自分自身を収める物分りの良さは、彼女らしさを強調するナイスな行動であると同時に、物語上必要な動きでもある。
ここまで物語全体の進行を見据えた動きなのに、お話の都合で動いている感じがほぼなく、キャラクターが自分らしさを貫いた印象で収まっているのは、見事な物語さばきだなぁと関心しますね。


この話は閉じた空間を大事にしつつ、常に開かれた場所にアプローチし続けていました。
人数が増え手際も良くなる今回の展開が受け入れられるのも、そこに描かれている公益性への接触が、これまでのエピソードの中で目配せを効かせられ続けた、実は馴染みのあるテーマだからでしょう。
これまでの展開が『閉じて私的な空間から、開いて公的な空間』へとアプローチする姿勢だったのに対し、しのぶを真ん中に据えた今回は『開いて公的なキャラクターから、閉じて私的な空間』を見つめなおす構造に反転している、ってところかな。
逆さまにしても大事なものが取りこぼされていないので、視点を変えて新しく見つめなおす利点だけが物語に取り込まれ、むしろ新しい魅力が再発見される展開になっていて、良い味付けだなと思います。

変化しているのは人数や公益性への視座だけではなく、料理描写もこれまで見せなかった領域に踏み込んでいます。
軽やかに手早く操られる包丁、凄まじい手際で量産される自家製の皮、的確に加えられるアレンジ。
『圧倒的にできる班』の説得力と気持ちよさが、実はこれまで積み上げられてきた細やかな『出来ない描写』、おとさんとつむぎのすれ違いであるとか、不器用な包丁さばきであるとかに乗っかっているのは、エピソードの積み上げに成功している証左でしょうね。
ここで別角度から気持ちよさを補充することで、このアニメが捉えている『出来ない良さ』に飽きることなく見つめ続けることが出来るわけで、ここで変化球を投げてきたのはストライクが取れる配球だと思います。

視点の変化は物理的な場所の変化にも繋がっていて、五人に増えた人数を収めるべく『和室』という広くて新しい空間が描写されています。
『調理場とカウンター』という馴染みのある狭い場所と地続きでありながら、そことは異質の強みを持っている空間が登場する展開には強い絵的な説得力があって、料理以外の美術設定がストーリーを補強し加速させる、いい仕事をしていると感じました。
しのぶが小鳥を呼び出すバックヤードにしても、空間が持っている物語的意味をしっかり演出して、今ストーリーが何を追いかけているかをキャラクター以外に広げていく腕前は、このアニメの武器の一つですね。


しのぶの人間的タフネスが目立つ回でしたが、メイン三人の描写も相変わらず切れていて、非常に魅力的でした。
小さなパーリーピーポーとして、高速で吹き上がるつむぎの可愛らしさ。
そんな彼女の暴走に向かい合い、間違ってはいないけど正しくもない招待状をどこに収めるのか、一緒に考える犬塚先生の姿。
人間が生きている以上必ず生まれる小さな衝突を、笑いながら楽しみながら乗り越えていく犬塚親子の姿は、やっぱり見ていて最高に心が潤う。
つむぎが振り回す幼児アーツの切れ味と、おとさんの気持ちを受け取って収めるべきところはちゃんと収める物分りの良さとのバランスが、ホント見てて気持ちいいのよね。

幼稚園児の領分を超えて招待状を出したつむぎを頭ごなしに怒るのではなく、そこに込められた楽しかった過去への願いに思い至って、自分に出来る形で叶えてあげようとする犬塚先生は、やっぱ立派だなぁと思う。
同時に二度と帰らない暖かい日々にどれだけ心を奪われているかもよく伝わって、見ていて痛いシーンでもあったな。
喪った時間を手際よく思い切って、正しく生きていくだけが価値ではないとも思うので、奥さん(母親)を失った世界で犬塚親子がどう生きていくかは、今後もじわじわ追いかけて欲しいポイントです。

親友の優しい侵入をありがたく思いつつ、三人だけの聖域に未練を残す小鳥ちゃんの描写も、情念があってとても良かったです。
あの子の抱えているものが喪った父を再獲得しようとするあがきなのか、教師と生徒の関係を超えた慕情なのかは明言されていないし、おそらく不可分であいまいな気持ちだとは思うけど、柔らかく繊細なその気持は、しのぶが感じたのと同じように大事にしたいものですね。
しかしおとさん、学校では『窓の内側/外側』という境界線を絶対にはみ出さない描写を徹底してるからなぁ……小鳥ちゃんがおとさんの気持ちに滑り込んでいく道のりは、長く険しくなりそうだ。


そんなわけで、しのぶという異分子から見た三人の世界を、綺麗に優しく描写する回でした。
クールもだいたい折り返しにさしかかり、このアニメの良さがなんのなのか視聴者にも身にしみたタイミングで、別角度から作品を照らすエピソードを入れる。
見事なシリーズ捌きであり、同時に小鹿しのぶという女の子の魅力もまっすぐに伝わる、楽しいエピソードだったと思います。
やっぱ変化球でストライク取るには直球が刺さらないと無理だし、直球の良さを掘り下げるには変化球が大事なんだなぁ……。

来週はどんな料理を使って、どんな人生の喜びを描いてくれるのか。
非常に楽しみであります。
一見ゆるふわで何も起きていないように見えて、人間関係や人格形成がリセットされることなく蓄積し、料理のスキルも着実に上がっているという成長物語としての確かさがあるのは、先が見たくなる大きな魅力になってますな。