イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダムUC RE:0096:第18話『宿命の戦い』感想

欲望と希望をミキサーにかけて星空のキャンバスにぶち撒けた人生絵巻、ついに最終決戦開始の第18話。
『箱』を巡って『袖付き』本体とドンパチに入るネェル・アーガマとバナージに対し、凄まじくカルマ濃厚な顔に育ったリディさんが横殴りをかけてくる展開でした。
連邦はもうちっと通常兵力出してくるかと思ったが、『システム』による制圧隠蔽が主筋になっている以上、アルベルトが横車を押してバンシーを焚きつけるのが精一杯だったって感じかね。
……トライスターはブライトさんに引っ付いて、地上の掃除に向かったのかな?

そんなわけで今回は、たった一隻の独立軍隊と化したネェル・アーガマが、こっちも台所事情が厳しい『袖付き』と頑張って殴りあうがずーっと続きました。
リゲルグだのガザDだのバウだのトンチキ改造されたヤクトだの、動員できるモビルスーツを全部出してくるなりふり構わないっぷりは、ファンサービスを超えて『袖付き』の困窮を伝える、良い演出になってましたね。
まぁ難しい顔でべらべら喋るだけのシーンは散々やったし、そろそろ予算を燃やしてアクション漬けにするタイミングか……べらべら喋るシーン凄く好きだねどね、僕は。

前方に『袖付き』、後方にバンシーをおいて釘付けにされている状態であり、展開されるドラマはあくまで個人レベルでとどまっていました。
艦長がいい感じの演説をかまして成長を見せ、マリーダさんとジンネマン親父が正式にネェル・アーガマに合流、そして最強にエゴを強化されたリディ中尉がいい具合にとち狂う。
バナージと関わりあう中で救われた人あり、人生狂った人もあり、砲弾と絶命が彩る人生模様という塩梅でしたね。

艦長の演説はネェル・アーガマに乗っかった人すべてが、組織を超えた『私』としての倫理を軸に戦うことを確認し、結束を高めるいい演説だったと思います。
あの演説があったからこそ、『袖付き』を離れたガランシェール隊と共同戦線を張る流れもスムーズに展開するし、ジンネマン親父がブリッジに座る展開にも納得がいくし。
何より、事なかれ主義のお飾り艦長だったオットーさんが、この物語で何を手に入れたかがしっかり見えるのが良かったかな。
……まぁ『軍人として、ひとりの大人として』という文句に、いかにもUC的なガノタの欲望充足願望が反映されていないたぁ言わないが、消費者の快楽を充足しない物語はつまらないお話しだし、オットーさんというキャラクターが作中の状況に対し答えた言葉として、『軍人として、ひとりの大人として』はそこまで嘘のある自認だとも思えないしね。


んで、今回メインで大暴れしていたのはリディ中尉ですが、なんというかな、色々苦しそうだった。
バナージもマリーダさんも人間の魂を増幅するサイコミュ兵器には痛い目にあってきて、その経験を経て今のバランスの良い精神状態になっているわけで、バンシーに踊らされるリディの姿は過去の彼らそのものだと、言えなくもない。
物語が終わるタイミングでリディにこの試練がやってきて、それを相手にもがく姿が捉えられているのは、話の中心にい続け、常に豊富な物語的リソースを回され、精神的なケアも分厚かったバナージの対局に位置してしまった不運というか、なんというか。

リディがここまで惨めな状況に追い込まれたのは、当然彼個人の資質や人格、行動の結果ではある。
彼は人と打ち解けないところがあり、真実を前に立ち向かう勇気に欠け、惚れた女を前にして手を伸ばせない意気地の無さがあり、現実を前に『それでも』を言えない情けない男だ。
それはちまちま小さい悩みはしても、過去のガンダムパイロットのような思春期の大暴投はせず、先達の教えをしっかり受け止めて成長するバナージの影として、必要な顔でもあっただろう。

ニュータイプでもなく、自在にNT-Dを発現できない無様さは、主役としてたっぷり経験を積み強くなったバナージの頼もしさと好対照をなし、これから物語に終止符を打つ主役の姿を輝かせる。
非常にいやらしい言い方をすれば、リディという道化がいればこそ、バナージという少年騎士の成長譚は分かりやすく、受け止めやすい形に磨かれているわけだ。
だから今回も、リディが必死に心情を語る言葉は時として背景音にかき消され、まっすぐに描かれることはない。
高ぶった感情そのままにばらまかれる頭部バルカンは無様で、劣等感の対象であるバナージの代わりにマリーダが彼を受け止めることにもなる。


しかし、彼をそこに追い込むべく物語が全力を尽くしえたかというと、ちと悩ましい部分がある。
バナージの青春は、常に受け止める人々がたくさんいる、恵まれた迷い路だった。
実の親父であるカーディアスから始まって、ダグザにバルボアにジンネマンと大量のオヤジたち。
姉として、戦友として、母としてアドバイスをくれるマリーダに、運命的に出会った恋人オードリー。
彼の素直な人格は常に人を引きつけ、その助言を効率的に己の糧として、常に正しい方向に物語を導いてきた。
そのことそれ自体は、矛盾ややりきれない思いをはらみつつ、見ていて心地よい物語としてUCを展開させる最大の原動力であるし、バナージというキャラクターの資質からしても、嘘はないと思う。

翻ってリディは孤独で、弱くて、素直ではない。
父とも分かり合えず、恐怖や孤独を共有してくれる戦友もおらず、惚れた女には手ひどい三行半を突きつけられ、そのことが惨めさとバナージへの憎悪をさらに増幅していく。
どうも僕には、バナージに向けられた世界の都合の良さと同じくらいか、もしくはそれ以上に強烈な形で、リディを孤立させ魂を捻じ曲げさせるバイアスが目立っていたように、思えてならないのだ。

無論、キャラクターとして描かれた彼の物語が褒められたもんじゃないのは、ようよう分かっている。
マーセナス家という『公』と連邦軍人リディという『私』に巧く折り合えを付けられず、手に入れた『箱』の真実に押しつぶされ、一応手を差し伸べてくれたブライトさんにも心を開かず、オードリーを前にしても格好悪いところしかなかった。
しかしその上で、彼の歩いている道は特別滑りやすくて、ころんだ後の痛みを共有してくれる人は狙いすまして少なくて、彼がねじ曲がっていくように、バナージとは正反対の道を行くように、過剰に整備されている気がしてならないわけだ。

特別に選ばれた者の物語を語るのであれば、当然MS戦闘や大人数の群像劇を捌く難しさがあるとしても、選ばれず特別でもない者にも平等に語るべきだと、僕は思う。
バナージに関わる『特別ではない人』は、例えばギルボアさんの小さな家庭の小さな幸せだったり、ジンネマン親父が怨念返しを乗り越える過程だったり、かなり細やかな説得力に満ちていたと、僕は感じています。
だからこそ、バナージの影として無様で、情けなく、勇気も真実も手に入れられないもう一人の青年をなぜ、同じような細やかさで描けなかったのだろうかという疑問も、自然と湧いてしまうのだ。
限られた時間の中で、オールドファンへのファンサービスとしてのMS戦や、富野ガンダムへのアンサーとしての長セリフ、多様なキャラクターの人生模様を織り込まなければいけない苦労を踏まえてなお、無様でみっともない普通の男だからこそ、リディにはもう少し、物語的役割以上の描写を与えても良かったのではないかと、今回強く思った。

リディはバナージの影なので、バナージが持ち得た素直さや直感力には縁遠いし、彼がたどり着いた『真実』をまっすぐ叩きつけられても、素直には受け入れられないだろう。
しかしだからこそ、バナージのあまりに真っ直ぐな『真実』に反感を覚える視聴者の代弁者としても機能しているし、彼が憎々しげに『お前みたいな子供がニュータイプだとおだてられて、事態を引っ掻き回して、許せないんだよ!』とあえぐ言葉には、マシーンに憎悪を増幅された無様さ以上の重さがある気がする。
優等生で在り続けることがキャラクターそのものであるバナージが、けして出来ない仕事をリディは果たし、その結果としてあの無様なバルカン乱射があるのなら、僕は道化をけして笑えない。
……むしろあの生々しい無様さこそが、リディというキャラクターに製作者側が返し得た精一杯の誠実さなのかもしれないが、それはちょっと寂しすぎる結論だろう。

バンシーのマッチアップに傷だらけのクシャトリヤが来た以上、バナージはより物語の中心に近い場所に進み、アンジェロなりフル=フロンタルなりと対峙するのだろう。
マリーダとの対話がどのように進むにせよ、もはや『主役』はリディの前に帰ってこない。
無様で身勝手で醜い道化にはそれくらいがお似合い、ということなのかもしれないが、バナージにとってリディは『お前を倒さなきゃ、一歩も進めない』ような重たさを持ち得なかった、という事実が、今回の対戦相手入れ替えには漂っていた気がする。
殺し合いすらまともに受けてもらえない、寂しい人だと思うと、笑うのも憎むのもなかなか難しいなぁ、リディには。

そしてマリーダさんは多分、この戦いを生きて終えられないと思う。
身体も期待もぼろぼろで、まともに戦える状態ではないし、それでも戦う(そして散る)理由があるということは、今回じっくりと演出されたとおりだ。
いわゆる『死亡フラグが立った』状態であり、こっから逆転の布石があると思うほど、僕も初なアニメ視聴者ではない。
リディぶっ殺して生存ってルートもなくはないが、まぁマリーダさんにそれは出来んよな……あの人優しいから。
……って描くことで、ぜってー見たくもない未来に対し備えている部分は当然あるんだけどさ。

僕の読みでは、まぁマリーダはリディに殺されて死ぬ。
その読みが外れてくれて、マリーダさんが美味しいアイスを食べるエンディングが見られるなら万々歳ではあるが、せめてマリーダさんの死が、ねじ曲がった(もしくはねじ曲がらされた)リディの魂を解き、『主役の影』『無様な道化』という彼の役割を開放するきっかけになってくれればいいかなと、僕は思っている。
死体が他人の役に立って何になると思わなくもないけど、このアニメは戦争の話ではあって、彼女は戦士で、戦士が死ぬべき要素はこれ以上ないほど拾い上げちゃってるからね……。

最終決戦にふさわしく、政治的状況も個人の物語も、熱く泡立って煮詰まってきた。
憎悪をマシーンに増幅されてこんな所まで来てしまったリディも、憎しみもトラウマも乗り越えて戦場に赴いたマリーダさんも、その物語に終止符を打つ瞬間が近づきつつある。
主役として物語全体を背負うバナージ、『箱』の真実を受けて公的見解を示さなければいけないミネバの物語は、もう少し決着までかかるだろう。
僕がこれまで見守らさせてもらった物語がどこに行き着き、そこで生きてきた人々がどういう結末を選ぶのか。
さてはて、UCという大河はどこに流れ着くのか、楽しみですね。