イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

orange:第10話感想

生への希求と死への欲求がナイーブな心のなかで綱引きするアニメ、今週は体育祭後編。
高校生のビッグイベントに合わせて、菜穂率いる『翔のメンタルケアし隊』全員が翔と向かい合い、『リレーに勝つ!』という判りやすい結果をもぎ取ってくる話でした。
マットを持つシーンが象徴しているものも、バトンと一緒に渡されているものも非常に分かりやすく、直球の勝負回を巧く描いたなと思いました。

今週はそんなにたくさんイベントがあるわけではなく、翔の隠している傷が明らかになり、みんなで翔の重荷を一緒に背負う姿勢を見せ、翔とみんなで一つのゴールに向かって走り切るという、かなりストレートな構成。
細かいイベントの合間合間に、翔がどんだけ死にたいか見せてストレス貯めるのは前回やったので、それを開放してカタルシスを得る回だったといます。
すべてが終わった後、菜穂と翔が二人で甘酸っぱい青春を堪能するシーンが、タイトル通り夕日のオレンジ色に染まっていたのが、綺麗で好き。

今回のエピソードは具象的な事件と必ずセットで内面的なものが描写される話で、隠している『足の傷』はそのまま『心のなかのトラウマ』に、一緒に『マットを持つ』行為は『トラウマを共有する』意思に、バトンを受け渡しながら『リレーに勝つ』ことは『翔を死から遠ざける』こととイコールなわけです。
ベタっちゃあベタな演出なんだけども、具体的で物質的なアイテムやイベントを通じて、内面的で形のないものをどう扱うべきなのか見せるのはやっぱり有効な演出法で、うまい感じに手紙同盟が結成されて以降の状況がまとめられていたと思います。
第7話までは菜穂単独での戦いを描いてきたので、ここで『みんな』一緒の戦いがどういう形なのか、どういう勝ち方をするのか描ききって、一つの区切りをつける、ということですね。


隠しているものを露わにし、重荷を共有し、エールを届けて一緒に走る。
翔を支配している罪悪感と抗鬱症状に対し、善意と『手紙』しか武器がない高校生が出来る精一杯は、今回見せた一連のシーケンスでよくまとまっていたと思います。
同時に前回から引き続きで、何をやっても死にたくなっちゃう翔の深刻さは継続されているわけで、菜穂とちゅーして『全部吹っ切った! さらば母さん、俺は彼女と添い遂げる!!』ってわけにはいかないことも、残り話数とどこか暗さを残した演出から見えてきます。
どれだけ楽しい思いをしても、どれだけ他人を信じようと願っても、『死』と『家族』が翔を引き寄せるうねりのしつこさ、強さを前にして、『生きている他人』が出来ることは少ない。
しかし同時に、今回手紙同盟が見せた必死で泥臭くて、青春力満載の真心は今彼らが出来る精一杯ではあって、それが翔を『生』の河岸に引き寄せられるかどうかってのは、もう翔自身の気持ちと、ある種の天命に関わる問題な気もします。

翔はリレーを走り切ることで、モノクロの世界の顔のない少年を追い抜いて、笑顔でもあった過去を思い出していました。
それは母を死に追い込んでしまったという罪悪感を少し乗り越えて、『死』に支配された現在に塗りつぶされた記憶から、『生』や笑いも存在していた過去を発掘できた、ということだと思います。
それは菜穂たちが精一杯やれるだけやった結果の、掛け替えのないタイムカプセルなのであり、これを翔がどう使うのかは、もう翔に任せるしかない部分だと思います。

浜崎演出が人間の陰影を巧くかけ過ぎるからか、これまでも『いや、これは乗り越えられるだろ、お話的に!?』というドラマでも引き上げられないことが重なったからか、今回なんかキラっとした終わり方をしても正直、『いや、未だあるなコレ……』という気持ちは拭えない。
翔にとって母の『死』につきまとう罪悪感がそれほど強いのであれば、必要なのは友情と青春ではなく、適切なカウンセリングと投薬な気もしますが、まぁこのアニメ鬱病患者の闘病記じゃなくて、青春時空SFだもんな。
切れるカードが青春と『手紙』である以上、高校生たちは身に余る『死』の重たさとどうにかして素手で戦って、自分たちで親友を『生』の岸に引っ張りあげなきゃならんのだ。
思えば『死』の淵から人を引っ張り上げるというのは、そういう重たさ、どうしようも無さを根本的に含んでいるものであり、この『いや、これは乗り越えられるだろ、お話的に!?』という玉を投げては翔が跳ね返す流れも、作品が捉えている『死』の重たさの表現、ということかもしれませんね。


翔を引っ張り上げるための体育祭の奮戦でしたが、副産物的に『手紙』と菜穂の距離が適切化したのは、なかなか面白かったです。
最初は他人事だった『手紙』が現実を言い当てたことで、菜穂はそこに記されたこと、託された祈りを己のものとして受け止め、それを頼りに未来を変えるべく動き出した。
そしてその運動自体が、未来を記した『手紙』の記述から現在が離れ始め、頼り切れなくなるという状況を生みました。

頼れたはずのものが頼れなくなり、菜穂は『手紙』とどう付き合えば良いのか軽い迷いの中にいたわけですが、手紙同盟の仲間と秘密を共有し、『リレーに勝つ!』という共通の目標を完遂したことで、やはり『手紙』を頼っても良いという実感を得る。
それは同時に、『手紙』には記載されていない、自分自身が考え選び抜いた結論なわけです。
頼りになる導きがあって初めて己の望みは実現するし、『手紙』がどれだけ身近に感じられても、運命を切り開くのは自分自身。
矛盾のようでもあり、相補的な関係でもある『手紙』との関係を的確に位置づけられたからこそ、菜穂は自分の言葉で『手紙』とのあるべき距離感を今回語れたのでしょう。

『周囲の助けなしでは克服できないが、克服するのは自分自身』という構図は、翔と『死』の関係にも共通するところです。
どんだけ周囲がエールを送っても、一緒に重荷を背負っても、死にたいと願う心を乗り越えて、母のいる彼岸から菜穂たちが住む此岸へと歩みを進めるには、翔自身の決断が必要なわけです。
手紙同盟が出来ることは精一杯やっているので、あとは翔の心にクリティカルな変化が訪れるか否かなんですが……話数的にはまだなんだよねぇ……。
青春が『生』に引っ張り上げる力も、後悔が『死』に引きずり込む力も巧く描けているので、2つの岸どちらに翔が向かうかというサスペンスは、かなりスンナリ飲み込めるのが上手いところだ。


つうわけで、『みんな』で翔に向かい合う体育祭は、未来を一つ切り替えて終わりました。
この結末が翔を『死』から遠ざける勝利に繋がってくれればいいんだけど、ナイーブなシャイボーイはそうそう簡単にリア充してくれそうもねぇからなぁ……。
ここに来て、まるで少女漫画の主人公みたいに恋愛踏切線の前で行ったり来たりしてる菜穂の臆病さが、ウィークポイントとして効いてきてる気もする。
コレもじっくり丁寧に内面を描写しているので、『はよう恋人同士になって命の側にピン留めシておけや! でもそう簡単にもやれねぇか……』という、もどかしい気持ちを上手く作っておるね。

秘密を共有したことで『みんな』のシーンが増えて、萩田とあずちゃんのキャイキャイが堪能できたのも体育祭編は良かったですね。
キャラクターそれぞれにイキイキとした魅力があって、『ああ、こいつら良い人生を送って欲しいもんだな』と素直に思えるのは、この真っ向勝負青春物語においては大事なところだと思います。
そんな仲間に囲まれ、必死の真心を受け取る翔は己のタナトスを振りきり、未来を変えられるのか。
終盤戦が見えてきたorangeがどう駆け抜けるのか、僕も興味津々で見守りたいです。