イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

91Days:第12話『汚れた空をかいくぐり』感想

そして全ては、波に消え隠れていく。
『家族』のために生きた男と、『家族』のために死んでしまいたかった男、二人の男の運命の交錯点もついに最終回です。
復讐劇としてのピークは先週見事に超えたので、今回はとにかくしっとりとゆっくりと、二人の主人公の心根を掘り下げていくお話となりました。
全てを奪い合うしかない『マフィア』の因業の果てに、青年たちの心には何があったのか。
ここまで付き合った視聴者の余韻をかき消さない静かな波の音が、作品への手向けに聞こえる、馥郁たる終わりだったと思います。

ぼくはかつて第4話『敗けて勝って、その後で』の感想で 

『腕相撲に負けて殺し屋に勝って、その後に馬車で旅立つ』という現在の話であると同時に『家族を殺されて、殺した相手を殺し返して、その後でどうする?』という未来を見つめた話でもあるような、穏やかで楽しい逃亡の旅でした。

91Days:第4話『敗けて勝って、その後で』感想 - イマワノキワ

と書いたわけですが、作中数少ない『街』の外での出来事をなぞるように二人が旅路に出る今回は、あの時幻視した未来が現実になる瞬間です。
あのときは復讐心を秘めて相棒を演じていたアヴィリオは、もはや復讐を成し遂げて『ファミリー』を演じる必要もない。
あのときは『家族』に追い立てられていたネロは、その『家族』を殺してまで守ろうとした『ファミリー』の頂点に立ち、他でもないアヴィリオの手によって全てを奪われた。

はやのんきに逃亡劇を楽しめる立場ではなくなってしまった二人には、しかしまだ、あの時見せたユーモアと情愛がたっぷりと残っている。
ストレーガに囲われていた時には何も口に入れなかったアヴィリオが、ネロと二人で過ごすときはタバコを口にし、食事を取るのは、『すべてがむだごと』でしかなかった虚しい復讐劇のあとにも、人生は理由なく続いてしまう事実を一部受け入れているからでしょう。
それを生み出したのは、復讐のための演技だった『ファミリー』がアンジェロにもしっかり突き刺さっていて、『お前を殺したくないからだ』と遺言のように言い残せるほどの、二人の心の繋がりでしょう。

そして同時に今回の旅は、復讐鬼に全てを奪われたネロが復讐鬼となるか、己に問う旅でもある。
アヴィリオが復讐を完遂するために積み上げた死体の山、悪行の数々は否定しようなく目の前に広がっていて、その憎悪の手触りは二人を繋ぐ情愛と同じように確かなものです。
ネロ自身、己の中にある絡み合った愛憎に名前を付けられなかったからこそ、無様に生き延びてまで『兄弟』と出会い、決定的につながりを得た町の外の旅路を有る基直したのでしょう。
しかしその先にあるのは、コルテオとアヴィリオがいつか夢見たフロリダの陽光ではなく、どこまでも重くのしかかる『汚れた空』であり、ガラッシアの追撃はもはや『ファミリー』を持たないネロを必ず捕まえることが暗示されてもいます。


最初から虚しいと分かっていた復讐を走りきり、想像通りになんにもなかった空疎にたどり着いてなお、ネロへの思いだけを残したアヴィリオ。
全てを奪われてもなお、食い、飲み、殺し、『ファミリー』を信じる、バイタリティに溢れた『マフィア』としての生き様を完遂できるネロ。
この二人以外の余計ごとを前回一気に切り捨てたことが、今回の旅をシンプルに、ディープに描ける大きな理由なわけで、見事に話を運んだなぁと感心します。

二人きりで旅路を共にする中で、アヴィリオは悟った表情をついに捨てて、『あの時死んでしまいたかった』『お前を殺したくなかった』という感情を吐露します。
それは物語を牽引してきた復讐の暗い炎すら鎮火してしまった、お話が終わった後にも残る彼の根本です。
『家族』を愛すればこそ復讐に身を投じた男は、『すべてがむだごと』であることを知りながら復讐以外に道を見つけることも出来ず、コルテオという最後の『家族』を『マフィア』に取り入るための道具として使い潰し、自分の手で殺してしまった。
どんどん狂っていく歯車を自覚しつつも、もうそういうやり方でしか己を表現することができなかった男が本当に願っていたのは、温かい黄金時代を取り戻し『生きる』ことですが、時間はさかしまに戻らず死人は蘇らない。
だから本当は、七年前に死んでしまいたかったけども、自分で自分を終わらせることも出来なければ、ネロによって終わらせてもらうことも出来なかった。
『生』を望めばこそ『死』を希求した男の名が、『死の天使(Angelo)』なのはなかなかの皮肉です。

これに対し、ネロはあくまで生きようとします。
弟をその手で殺しても、守るべき『ファミリー』が焼き尽くされたとしても、彼は食事を摂ることを諦めないし、軽口も叩くし、必要なら人も殺すでしょう。
コルテオやラチェットと同じように、『マフィア』の方法論が心底嫌いだったアヴィリオとは正反対に、ネロは生まれついて『マフィア』として生き、死ぬように出来ている男です。
アヴィリオは生きる意味も死ぬ理由も奪われてしまった虚無に身を預けますが、ネロにとって『生きることに理由はいらない』わけで、そういう意味でも正反対の兄弟だったのだと、今回二人だけのラスト・エピソードが展開する中で、くっきりと見えてきます。


そういう男たちが出会い、奪い合い、惹かれ合い、二人だけになっていくお話。
このアニメは多分、そういうアニメだったのだと思います。
たとえ完遂しても死者は蘇らないという、復讐が抱える矛盾。
『家族』を生贄にしてでも『ファミリー』を活かさなければいけない、『マフィア』の矛盾。
色んな矛盾を背負って、何もない海の果てにたどり着いてしまった二人は、生と死の矛盾、殺意と愛情の間に立たされ、砂浜に足跡をつけていく。
あのラストシーンに辿り着くためには、7年前の虐殺からヴァネッティの崩壊に至る、物語のすべてが必要だったのだと、それが終息した今となっては断言できます。

あの時アヴィリオの心臓を狙ったネロの銃弾は、果たしてその命を奪ったのか。
その答えは、いくら考えても答えが出ない謎として、そして最後までこの物語を見守った視聴者一人ひとりが望む結末を手に入れられる白紙として、僕らに預けられています。
そこにどういう結末を書き込むかは、これまでの描写を頼りに『アヴィリオはどういう音子であるか』『ネロはどういう男であるか』『このアニメにおいて『復讐(もしくは『マフィア』『家族』『暴力』『希望』『憎悪』『愛情』、無限になんでも良し)』とはどのようなものだったのか』という答えをどう導くか、このアニメを僕らがどう読んだのかという、最後の答え合わせのようなものだと思います。

それが可能になっているのは、数多の矛盾を孕んで複雑な人間と、それが織りなす人生の悲劇(もしくは喜劇)を幾重にも描ききった、この物語の豊かさの証明だと思います。
『復讐心』と『兄弟愛』、『マフィア』と『真っ当な暮らし』、『ファミリー』と『家族』、『生』と『死』
最後に立っていたアヴィリオとネロだけではなく、全てのキャラクターたちが一筋縄ではいかない人生の複雑さをしっかり背負い、体現し、生きて死んでいく話として、このアニメは非常に良くできていました。
そういう複雑なアニメを的確に伝えられたからこそ、アヴィリオの(そして刺客に狙われ続けるネロの)生死を視聴者に預ける終わり方が無責任ではなく、永遠に記憶の中で響くこだまとして感じられるのだと、僕は思います。

このお話を最後まで見守った一人として、僕自身の解釈を記しておくと、アヴィリオは死んでいると思います。
それは、彼がアンジェロではないからです。
時間はさかしまに戻らず、一度人の命を奪う『マフィア』の生き方に染まった少年が天使に戻ることはない。
同じように、七年前は『マフィア』の流儀である『殺し』を完遂できなかったネロも、父に胸を張るために去勢を続け、立派に生き延び殺す『マフィア』へと成長した。
その結実として、『マフィア』の弾丸は死を運んできたのだと、僕は理解しました。

フラテの命を奪ったリボルバーが、もう一人の『兄弟』の心臓を貫かないことには、コルテオという『兄弟』を殺したアヴィリオとの釣り合いが取れないだろうという、ラチェットのような気持ちもありますが。
もうネロは、銃弾を当てることが出来る男になってしまっていて、それは情愛を確かめたとしてもさかしまには戻らない、作品が作品であるためには譲るべきではない宿命なのだと思います。
たっぷり人が死んだこのお話は、逆説的な意味でも、凄く素直に物語を読んだ上でも、とても倫理的な物語なわけですし。

死の川に隣接した海に背中を向けて、生者の世界に帰っていくネロは、憎悪と虚無感に捉えられていた旅路の中では見せなかった笑顔を浮かべていました。
それは憎い仇を奪った獰猛な笑みでも、『ファミリー』の復讐を果たして満足感を得た『マフィア』の顔でもなく、愛憎と死体をたっぷり飲み込んで今まさに終わりかけている人生という物語が、けして『むだごと』ではなかったと確認できたからこその笑みであり、あの瞬間ネロはヴィンセントのニヒリズムを超越し、父を克服できた唯一の存在になり得たのだと思いました。
それが『ファミリー』を殺す『むだごと』だったとしても、生粋の『マフィア』にとっては意味のあるものだと。
『死』によって奪われるとしても、過ごした日々に込められた記憶と感情はあくまで消え去りはしないのだと、強く確信できるヴァイタリティ。
アヴィリオがついに手に入れられなかった生の実感を、生き延びた男が噛み締め飲み込んだからこそのあの表情ではないかと、僕は思います。

ネロにかかった追っ手が、ガラッシアファミリーのメンツにかけても彼を捉え、殺すことは今回色濃く暗示されていました。
兄弟のために死地に帰還したコルテオや、復讐の虚無に食われたアヴィリオだけではなく、無様に生にしがみつくネロの命もまた、波間の足あとのように消さっていきます。
しかしそこには潮騒にも似た感情のざわめきが確かにあって、彼らが成し遂げた一つの生き様、一つの死に方があった。
あまりにも虚しい物語の果てに何を見出すか、視聴者に預けてくれる芳醇があった。
それを可能にする的確な語り口と明瞭な組み立て、抑えたトーンの中で輝く欲望と感情の色合いが、確かにあった。
美しい波間と永遠の疑問だけが残るラストカットは、僕にとってはそういう意味合いがあります。

そして、そういうことが出来るアニメってのは、なかなか見れるもんじゃないです。
91Days、素晴らしいアニメでした。
このアニメを見られて、本当に良かった。
面白くて、苦しくて、痛くて、辛くて、悲しくて、楽しかった。
いいアニメでした、おつかれさま、ありがとう。