イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

刀剣乱舞 花丸:第11話『沖田譲りの、冴えた一撃』感想

春夏秋冬を慈しみつつ過ごしてきた本丸の一年も、そろそろお仕舞い、花丸ラスト一個前でございます。
第1話に埋めた敗戦をしっかり掘り返し、フルメンバーとなった新撰組チーム&坂本龍馬の佩刀で池田屋リベンジ……の前編。
このお話が何を大事に進んできたのか、色んなフェティシュを巧く使って確認しつつ、安定の沖田コンプレックスを丁寧に掘り下げていくエピソードとなりました。

というわけで残り二話となった今回、お話をまとめるのに相応しい丁寧な運びで、話が進んでいきます。
明確に回を跨いだのは今回が初ですが、元々話数を越えて思いを繋ぐのが上手いアニメですので、過去回で活躍した色んなアイテムがシナリオに乗っかって、話の分厚さを増していきます。
万葉桜の短冊、花の髪留め、主から託されたお守り。
意思を持たないはずの物品は印象的なエピソードにより複雑な意味合いを手に入れ、池田屋に向かう安定たちの未来を照らすフェティッシュになるわけですが、こういう小道具の使い方それ自体が『特別な物品』である刀剣男子の生き方と呼応しているのが、なかなか好きなところです。

モノである彼らはかつての使い手達の逸話や生き様を背負って意思を持ち、長曽祢は近藤勇の真っ直ぐな刀術をあくまで信じ(最初型稽古してたのは龍尾剣ですかね)、陸奥守は一見自己否定にも見える坂本龍馬式の銃刀自在の戦法で戦う。
彼らに戦う力を与えているのは過去の思い出であり、同時に今の審神者に現臨されたという縁の繋がりでもあります。
過去、現在、未来と流れる時間の中で、様々な人と出会い、守り戦う力を手に入れたヒーローたちと、これまでのエピソードを彩った様々なアイテムは、その形質が非常に似通っている。
お話が終わるこのタイミングで、安定が本丸を巡って過去の思い出を取り返し、物質に込められた思い出を確認していく展開を見せたのは、なかなかにメタ・フィクショナルであり豊かな重ね合わせでもあると、僕は思います。

逆に言うと、アイテムに圧縮して自分たちが何をやってきたのか、ちゃんと思い出せるように歯ごたえのある物語を展開してきたわけで、ここでフェティッシュが思い出の象徴として機能するのは、ほんわかの合間にシリアスを挟み、刀剣男子の在り方を細かく掘り下げてきた展開あってのことです。
これまで10話積み上げてきた物語が、トンチキとゆるふわで美味しく頂ける喉越し爽やかなお話であると同時に、最後の決戦にちゃんと繋がる骨太な物語であればこそ、クライマックスはクライマックスとして機能する。
そういう骨組みを確認する意味でも、道具に託して想いを視る構成は、ラスト一個前という構成に相応しい展開でした。


口では『僕は第1話の僕とは違う。沖田くんの思い出は整理して、審神者LOVEだからマジ!』というものの、実際に沖田に出逢えば揺れる、僕らの不安定くん。
悲しい思い出を変えられるかもしれないという願いは、例えば第9話の今剣くんとか、第2話の信長佩刀であるとか、過去のエピソードでも刀剣男子たちが悩んだ問題です。
タイムパトロールとしての倫理観を失い、過去の思いにとらわれて道を踏み外せば、今戦っている時間遡行軍と同じ怪物になってしまうという危うさは、これまでも、そして今回も刀剣男子に付きまとう倫理的ジレンマなわけです。
それは安定だけではなく、古式の付喪神であり、宿った想いがあればこそ刀からイケメンに変身できる刀剣男子の、ある意味宿痾と言えます。

なぜ彼らは超越的な力をほしいままにして、過去を変えてしまわないのか。
それへの答えも過去のエピソードの中で、そして今回の物語の中で幾度も描かれています。
今目の前にある戦いの同志(導師)である審神者への思いや、穏やかな本丸の日常。
そして刀剣男子としての仲間との繋がりが、与えられた使命を彼らに守らせ、人の理を守る刀剣男子たらしめる、一番大切なもの。
今回ラストは揺らぐ安定くんで終わっていましたが、彼が戻ってこられる理由をこれだけ分厚く描いていると、危うさよりもむしろ人間らしさというか、弱さを乗り越え正しい行いを選び取る強さを描くための、しっかりとした前フリとして受け止められます。

安定の危うさと絆を描くと同時に、刀剣男子が何に支えられているかをもう一度刻むためのカンバスとして、長曽根が選ばれています。
史実では殺し合う中だった坂本龍馬近藤勇の佩刀は、時間を超越し本丸に集った今と為っては、背中を預け合う仲間。
ときに言い合いをすることはあっても、大いなる使命の前に団結し、力を合わせる関係を築けているわけです。

そして長曽根を『贋作』と罵り、普段の気のいい表情を歪めていた蜂須賀も、命の掛かった出陣を前に一言、短いが強い思いを託す。
歴史が様々な因縁を刀剣男子に与えたとしても、本丸でゆるっと過ごす平和な日々が、戦いの中で鍛えられる新たな絆が、別の生き方を与えてくれる。
この描き方は第9話で、『写し』へのコンプレックスを乗り越え今剣くんを救った山姥切くんと、通じるところがあります。

心の強さ弱さ、過去への執着度合い、様々な自分らしさ。
刀剣男子はそれぞれの特性を抱えつつも、過去の思いを糧に変え、それに縛られずに前向きに未来を切り開いていく存在として、常に描かれていました。
クライマックス前夜である今回もまた、彼らは過去の因縁を巧く飲み込んで、仲間と定めと時の理を守るために活き方を変えていく、可塑性と可能性に満ちた『人間』として描かれています。
そういうポジティブで広範なヒューマニティを常に忘れず、お話の中に埋め込んで何回も繰り返してきたのは、花丸がとても優れたヒーロー物語である証明な気がするのです。

過去に支えられ、未来に向かって変化できる自分自身と仲間、守るべき人々を常に信じ、難局に諦めず、理不尽に折れず、希望に向かって歩き続ける。
そういう生き方をしっかり試していたからこそ、このアニメは原作を全く知らない、メインターゲットでもないだろう僕にしっかり届く、いいアニメと受け止められたのではないか。
作風を写して試練はそこまでハードではなかったけども、同時に怠けて甘えた試練ではなく、各々の刀剣男子の魂に見合った真剣なものだったからこそ、それをくぐり抜けた彼らを、もしくは今まさにくぐり抜けようとしている安定を、信じられるのではないか。
後1話残して、そういう気がしているのです。


ホワッとした作風は、受け止めきれないほどハードコアな試練から刀剣男子から守るシェルターとしてだけではなく、彼らがなぜヒーローの生き様を選択するのか、その答えにもなっていたと思います。
飯作ったりわーぎゃー騒いだり、仲間を歓待したり着飾ったり。
穏やかな本丸の日々は、けして声高にその価値を主張しないけれども、戦いという『非日常』にわざわざ飛び込み守りたい陽溜まりとして、暖かい肌触りを伝えてくれました。
みんなが仲良く、楽しく、時々騒がしく活き続けている『花丸な本丸』があればこそ、戦士は戦士で居続けることが出来る。
このこともまた、シリアスな物語の箸休めとして配置されているようにみえるエピソードの中で、細やかに表現されていました。

今回のお話もまた、変えるべき場所としての本丸を安定の背中にしっかり配置し、花と酒と宴の準備をじっくりと進めていました。
次郎太刀たちが浮かれている宴が、戦場で血を流し生きて返ってくるための『糧』、生きる価値を秘めた『善いもの』であると、第4話の時点ですでに描けているのは、まぁ構成の強いところです。
あの時の楽しかった思い出に、もう一度帰ってくる。
運命を捻じ曲げず、刀剣男子の倫理からはみ出さないまま、食べ、飲み、着飾り、眠り、語り、わかり合う『人』としての喜びに戻ってくる理由として、『宴会が楽しそうだし、また帰ってこよう』というじんわりした感情は、大げさでないからこそ体温を宿しているように思います。
その身近さはやはり、ゆるふわ日常アニメとしてもとても優れていたこのアニメの強みが、戦士としての刀剣男子の生き様を裏から支えている、一番の証明なのでしょう。

やはりこのアニメは、桃花源の物語としてとても優れていると、個人的に思えます。
人間ではないからこそ人間であり続けようと願い、人間よりも人間らしい生き方を演じ続けている刀の妖精たちはとても好きになれるし、信頼が置ける。
それは彼らが何も感じず、揺れも泣きもしない『武器』ではなく、思いを宿しそれを共有し、弱さも引っくるめて繋がり合う『人間』として、ちゃんと描かれているからです。
同時に、時間を超越し、器物として誰かに使われなければ生きていけない『怪物』として、深淵に飲まれた己の似姿に立ち向かう『戦士』として、ちゃんと描かれているからです。
そういう『ゆるふわ』と『シリアス』、両面をけして怠けなかったからこそ、揺れる安定にハラハラしつつも、彼が本丸に帰ってきて、物語が気持ちよくまとまってくれるという信頼感が、今僕の心にあるんだと思います。


過去から受け継がれたもの、今隣り合う仲間たち、そして手に入れるべき未来。
このアニメが常に描いてきたものを、しっかりと語り直し、その価値を打ち直すようなエピソードとなりました。
ラスト一個前にこういう話がしっかり来て、シリアスに決着付けて尺が余る状況に為ってるのは、非常に強い。

お話の司会進行役だった沖田組のうち、今回は安定がメインの話でした。
もう一人の『沖田の佩刀』である加州くんが、来週どんな活躍を見せるのか。
そして、きっちり決着がついた後どんな暖かい日常を、最後の名残として届けてくれるのか。
期待は高まります。
花丸最終回、非常に楽しみです。