イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第9話『ブライトンベリーアンデッド紀行』感想

過ぎゆく青春の瞬きを鮮やかに切り取るアニメ、今週は時を巻き戻す魔法の物語。
大地丙太郎をコンテに迎え、テンポの良いドタバタゾンビギャグでグイグイ引っ張りつつ、行き過ぎた時に思いを馳せる、しっとりとしたいい話に落ち着くエピソード
ロッテが大暴れした第4話では桜井弘明がコンテをやっていて、学園の『外』に出る話ではガイナックス-トリガー系列からちょっと離れた実力者がコンテを担当するのは、面白い重ね合わせですね。

というわけで、街を走り回りながら笑いと人情、不思議な魔法を堪能できる今回。
第4話と似ているのは『外』に出て、世界観の広がりを胸いっぱいに吸い込ませてくれる展開だけではありません。
いつもは暴走超特急として話を引っ張っているアッコが早々に振り回される側を担当し、話を切り取る角度が普段とズレる(その結果、物語の多角性がよく見えてくる)のも同じでした。
まぁ話の出だしはアッコがいつものように粗忽に魔法を使い、ぶっ壊した墓石ではなく死体を修復してしまうところから始まるんですが、そっからはゾンビおじさんのボケボケ暴走絵巻に巻き込まれっぱなしですからね。
おじさんが復活するまでOP含めて五分かからないスピード感は、コメディパートでも健在でして、状況がドタバタ転がっていくスラップスティックな楽しさがてんこ盛りでした。

今回のお話は"ドン・キホーテ"的といいますか、『時代遅れのレッドジャケットが復讐に蘇ったら、実はその相手は『過去の自分』という、二重に勝てない相手だった』という、なんとも世知辛いお話でもあります。
時間は巻き戻らないし、既に死んでいる自分を殺すことも出来ない以上、問題を解決するには『魔法』が必要になります。
それは死者蘇生という奇跡/禁忌であると同時に、校長がまだ少女であり、ゾンビが良き父親だった時代を巻き戻す、希望のための魔法でもあります。
"クレイジー・ダイヤモンド"よろしく、修復魔法が飛べないアッコを飛翔させ、問題が解決する場所まで連れて行ってくれる事も含めて、アッコがアーシュラ先生に教わった『魔法』はモノを直すことには失敗しても、時間や後悔を治すことには成功しているわけです。

校長の言葉(『信じる心』という『本当の魔法』)が亡霊の後悔を切り落とした後、第2話のパピリオディアの復活を思わせる金色の景色の中で、枯れ葉(≒『死んだ』植物)は舞い上がり、父母の愛をロマンティックに歌い上げ、消えていきます。
それは魔法黄金時代、最後の残照を浴び、『魔法は人類の宝、疑いようもなく良いもの』と即答できた時代が、一瞬だけ修復された、ということでもあります。
ビジュアル的にも、黄金色の夕焼けが非常に美しいシーンですが、科学技術に取って代わられ、黄金時代の輝きを失ってしまった魔法が真実復活すると、ああいう美しいものが見れる。
冒頭でバドコック先生が告げた『魔法を使わないこと』という禁忌は破っても、『魔女の誇りを裏切らないこと』という注意には、アッコたちもホルフブルック校長もアーシュラ先生も、反してはいないわけです。


おじさんに振り回されつつ、アッコ達は小狡いちびっこギャングっぷりと、魂の根っこにある純真無垢さを輝かせていきます。
おじさんの昔語りが路上演劇になったり、ゴミ箱を撒き散らす迷惑行為がボケ老人の宝探しになったり、酒場での大暴れが酩酊が生み出した喜劇になったり。
トンチで場をやり過ごす楽しさ、表が裏にひっくり返る面白さが弾んでいて、楽しい進行でした。(三人組がそれぞれ、自分らしいやり方で窮地をひっくり返しているのが、バランス良くてグッド)
『私が復活させたんだから、言うこと聞け!』という身勝手さが、おじさんの悲しさを知るうちに『私が復活させたんだから、悲しい結末にさせない!』という真っ直ぐな願いになる所は、非常にアッコっぽいなぁと思います。

アッコはバカで慌てん坊でズルっ子で、やることなす事トラブルだらけの問題児なんだけども、心の根っこは凄く無垢な子で、ドタバタ大暴れした後は必ずそこに戻ってくる。
魔法が問題を解決するドラマの流れと、アッコが倫理の荒野から楽園に帰還する心情の流れが一致しているのは、『信じる心が、あなたの魔法』というキーフレイズにしっかり一致していて、構造的な強さがありますね。(ズルのために使った魔法が、望む結果を呼び込まないこと含めて)
そこら辺の情を汲み取りつつ、『多すぎだろ!』という箒の『量』でしっかり罰を与え、大暴走のツケを払わせるオチもとっても良かったなぁ。
死者蘇生に風紀紊乱、器物破損というルール破りの数え役満をなんとか身内で収めたあたり、校長はお父さんと話せて凄く嬉しかったんだろうなぁ。

アバンで校長は『返ってくるべきホーム』として学園を形容しています。
古臭く問題も多いけど、学友という姉妹、先生という母(祖母)に見守られて暮らすルーナノヴァは、そういう場所であって欲しいという願いを校長は持っているわけです。
アミュレットに導かれ、鐘にへばりついてアッコたちが飛翔する展開もまた『家への帰還』なわけですが、その前段階、ロッテがおじさんを『おじいちゃん』と言い繕うところも、ホームとしてのルーナノヴァと響き合っていると感じました。

あれはその場を取り繕う嘘なわけなんだけど、真相が明らかになってみるとゾンビは校長のお父さんであり、ルーナノヴァというホームを同じくする魂の血縁でもあった。
ガミガミやかましい(けど、今回言っているのは正論)なバドコック母さんを抑えて、孫世代の生徒たちの『大切なもの』を愛おしそうに見せてもらう、みんなのおばあちゃんとしての校長。
アバンで抜け目なくこういう描写を入れてきたからこそ、ロッテが言い繕った嘘が真実を言い当て、規則違反で復活させた行きずりのゾンビが校長の血縁であり、大暴走の復讐劇が取り返せないはずの後悔を魔法に変える修復劇が、奥行きを持って響くのだと思います。

ノスタルジアと修復の魔法に満ちた今回のお話が、『かつて魔法は万能であり、世界中の希望だった』という世界設定を横に広げ、それを現役の魔女たちがどう思っているかという未来への投射にもなっているのは、とても面白いと思います。
箒の修復をしながら、スーシィが『魔女が何でもやるのは面倒くさい』と負の側面をあげ、アッコが無垢な/バカな憧れに目をキラキラさせ、『普通』なロッテが『科学時代は便利だからいいけど、魔法にしか出来ないことも今だってあるよ』という『優等生』な答えを出す場面は、各員のキャラが輝いているいいシーンでした。(修復し終えた箒が、それぞれの優秀さに比例して細かく違うところがグッド)
ポラリスの泉がシャリオの真実を教えたように、今回アッコが目を輝かせた黄金時代も多分良いことばっかりじゃなくて、そういう世知辛さを三人で最も成熟したスーシィは見抜いている。
こういう成熟のギャップはこれまでも大切に演出されてきたし、今後も物語の中心に捉えられて、一歩ずつ変化していくポイントなのでしょう。

成熟の描写という意味では、アッコがだんだん魔法が出来るようになっている描写も、このアニメ非常に丁寧です。
第3話ではぴょんこぴょんこ地面を這うしかできなかったけど、今回は(修復魔法の応用だし、乗ってるのは箒じゃなくて鐘だけど)自力で飛べるようになっています。
第7話では何にもできなかったけれど、第6話から続くアーシュラ先生の薫陶により、修復魔法は一応使えるようになった。
『何かとモノをぶっ壊すので、まずは修復から!』というのは、お転婆シャリオだった自身の経験から生まれてるんでしょうかねぇ。
アッコは気持ちだけあって何にもできないところから始まって、だんだん小さく何かが出来るようになっていくという、成長のドラマを背負っています。
その骨組みに小さく着実に、成長の血肉を毎回宿していってくれる描写の確かさは、学園物語・青春物語としてのこのアニメに魂を宿す、大事な要素だと思いました。


時間の残忍さと、それを乗り越える美しいものについて語る今回は、今まさに最も美しい時間の真ん中にいるアッコの『外』を切り取る話でもありました。
かつて生徒でありシャリオだったアーシュラ先生は、おそらく教師として彼女を見守っただろう校長と昔を懐かしみ、その校長もとうの昔に死した父のまえで、少女に戻る。
先週あまりにも鮮烈に思春期の輝きを切り取ったこのアニメですが、その光を失ったようにみえる大人もまた、黄金時代を取り戻す『魔法』が使えるのだということ、そのための助けは少女たちの真摯な気持ちからやってくるのだという視座があるのは、すごく良いと思います。
普段は主役になれなくても、『魔法』は皆のこころの中にあって、それは肉体年齢や経験不足(という名前の無垢さ)を条件に発動するわけではないわけです。

同時に、かつて少女であり、今は少女でないからこそ色んな物を知り、色んな物を守れる強さ、優しさというものもあります。
少女たちがそれぞれアミュレットとしておいていった、取るに足らない美しいもの達。
その一つ一つをしっかり拾い上げ、愛おしそうに丁寧に並べてくれるアーシュラ先生と、かつての劣等生にして反逆者が道に迷った末、そういう強さを手に入れたことを見守る校長の姿は、青春が遠くになってしまったからこそ出来る仕事を丁寧に切り取っていました。

『無垢』という意味では、脳みそが腐りきって現状を把握できなくなっているゾンビおじさんも同じで、『アタシが蘇らせたんだから、言う事聞いてよ!』と叫ぶ小狡いアッコより、イノセントな存在かもしれません。
それは死んで記憶を失ったからこそ生まれてくる純粋さで、話が進むに連れて記憶を取り戻すことで、おじさんは自分が娘を虐げるひどい男、無垢とは遠い場所にいる『復讐相手』だったことを思い出します。
死人が蘇る因果の逆転でも取り返せない後悔はしかし、鐘(生前のおじさんの仕事)がアミュレット(おじさんの真心そのもの)に帰還し、校長が『無垢』なる少女時代の想いを告げることで修復される。
今回の話は時間の話であり、イノセンスの喪失と回復を幾度も繰り返す話だったのかもしれません。

『話が進むに連れて記憶を取り戻す』は正確に言うと、『記憶を取り戻すことで話が進む』です。
おじさんは色んな場所で騒動を巻き起こす暴走機関車なんですが、必要十分なだけ場をかき回すと記憶を一部取り戻し、情報が開示されてドラマが次の段階に進むよう、今回の段取りは組まれています。
ドタバタやりつつ進行が暴走しすぎないのは、物語のトリガーをおじさん一人がしっかり握り込み、いいタイミングで話を先に進める『繊細な豪腕』のおかげでしょう。


そんなわけで、とんでもないドタバタに巻き込まれつつ、『信じる心』という『本当の魔法』できっちり収める、見事なハートウォーミング・コメディでした。
ツッコミ不在であっという間に状況が転がっていく様子、その勢いが殺されないまま、気づけば人間の柔らかさにしっかりたどり着いている不思議な暖かさは、大地監督の"十兵衛ちゃん"をちょっと思い出したり。
『おもしろうてやがてかなしき』という世の常を捉えつつも、物寂しいルールを一瞬ひっくり返す『魔法』の輝きがたっぷり詰まっていて、ゾンビの使い方としても冴えていましたね。

これで校長も『厳しい世間の波を掻い潜れない日和見主義者』とは違う側面が見えたわけですが、だからといってルーナノヴァと魔法を取り巻く厳しい世界が変わったわけではありません。
黄金の夕焼けはあくまでも一瞬の幻、風が吹けば枯れ葉はもとの葉っぱの死骸に戻ってしまいます。
でも、あの一瞬胸に宿った灯火も、美しい景色も、明日を切り開く道標に必ずなってくれるはず。
このアニメのこれからが、更に楽しみになるエピソードでした。