イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

小林さんちのメイドラゴン:第13話『終焉帝、来る!(気がつけば最終回です)』感想

人間とドラゴンの奇妙な共同生活日記もついに最終回、別れと出会い、決断と離別が交錯するラストエピソードです。
トールの父、終焉帝到来のフラグ管理だけではなく、笑ったりほっこりしたりシリアスだったり、色んなことがあった小林さんちの一年間全てが意味を持って立ち上がる、見事な総まとめでした。
龍と人が出会って何が生まれ、何が変わり、何を信じられるようになったのか。
どっしり腰を落としてトールのいる世界、いない世界、帰ってきた世界を描く筆が、このアニメがどんなものだったかをしっかり思い出させてくれる、馥郁たる終幕だったと思います。
良いアニメ、素晴らしいアニメでした。


今回のお話はシリアスな空気に包まれていますが、それは急にやってきたものではありません。
このアニメはいきなりドラゴンでメイドさんが押しかけてくる荒唐無稽なお話ですが、今回取り上げられた真剣な主題は、時に生活描写の中に無言で隠して、時に堂々と台詞と芝居で取り上げて、幾度も描かれました。
例えば親との関係に関しては第7話で、小林さんとトールの寿命差に関しては第5話で、それぞれ主題に据えてどっしりと答えを出しています。
なので、新キャラである終焉帝がやってきてトールを奪い去り、状況が一時的な変化を迎える今回は、これまでの一年間と繋がったお話だといえます。

冒頭、出社・登校前の一連のシーケンスは、小林さん達が手に入れたもののスケッチであり、これから奪われるものの値段を確認する場面と言えます。
人数で揃った第9話あたりからそういうシーンが多数あったわけですが、今回はトールがいなくなった後の生活と対比を作ることで、喪失の大きさを強調もしています。

トールにお願いすれば、とびきり美味しいご飯が出てきた時間は残酷に終わり、せいぜい頑張ってどんぶり飯に唐揚げを食べるしかない現実が突きつけられる。
非常に正確な描写で描かれたコーヒードリップ(利き腕側に取っ手を向ける心配り付き)を真似しようとしても、マトモに牛乳を温めることも出来ず、出来上がりも美味しくない。
だんだんゴミと洗濯物が放置されるようになる『家』の風景は、そのまま小林さんの心から潤いが奪われていく描写であり、同時に時間がトールがいなかった時代に戻っていってしまっている適応の描写でもある。

このアニメが凄く特殊な目を持っているんだな、と最後に思い知らされたのは、トールがいなくなったと知らされたときの小林の反応と、その後の成長描写です。
なんでもクールにクレバーに、目の前にいきなりドラゴンが現れたときですら取り乱さなかった小林さんが、トールの喪失をカンナから告げられた時は非常に生々しくショックを受ける。
大きすぎるものが奪われた時人間は、その大きさを理解できないまま硬直し、それでもなんとかそれを理解しようと努力するのだということが、非常にじっくりと切り取られます。
その鮮明さが、凄くこのアニメらしいな、と思いました。

トールがいない生活の中で、小林とカンナは"クレイマー・クレイマー"よろしく家事に失敗し続け、それでもご飯を炊けるようになったり、不味いコーヒーを淹れられるようになります。
気づけば、自分の中でとても大きな存在に育っていたものが突然奪われても、人間は生きていけるし、前向きに成長すら出来てしまう。
そういう残忍な適応能力を横目に見つつ、家は荒れていくし、カンナは健気に辛い顔を抑えつつも、計算ドリルにトールの落書きをし、才川の胸の中で眠る。
日常が持つ残酷なたくましさと、それと並立する喪失感を無言で描いていて、良い描写だと感じました。

その奮闘を見守るように、弱りながら咲き続けるなずなの花言葉は『あなたに私のすべてを捧げます』です。
最初にその花を摘んだ才川は適度にボヘって重い空気を抜きつつ、忙しい小林に甘えられない優しいカンナと、ぬくもりを共有してくれます。
滝谷くんは小林さんの変調を目ざとく見つけ、彼なりの距離感で救いの手を差し伸べてくれる。
今回のお話はとにかく小林-トール-カンナ三人で進みますが、彼女たちを見守ってくれる存在がたくさんいること、見守ってくれるだけの優しさを彼らが世界に投げかけてきたことを、このアニメは忘れません。
最後のトールの言葉がなずなの花言葉にかかること含めて、やっぱ視野の広さが武器のアニメだなと思います。


小林たちの寂しさに共感すればこそ、トールの帰還は僕らにとっても嬉しい。
先週過去になされた大切な『決断』が描写されたわけですが、トールは一回父親の長い手に包まれて故郷に帰り、しかし小林のもとに帰ってくる『決断』を選び取ったわけです。
この後も、傷を負わされてでもトールの事情に割り込む小林の『決断』、父と戦うトールの『決断』、その戦いを止める小林の『決断』と、様々な『決断』がトールの帰還の後に連なっていくわけですが、その最初ですね。

トールの帰還は、小林が直接関係せず、これまで培ったものが背中を後押しした『決断』です。
ドラゴンならぬ小林は世界渡りの魔法は使えず、ただただトールを喪失した世界でなんとか生き延びることしかできなかったわけですが、一年間『家』の中で積み上げてきた時間が、トールを引き戻します。
今の自分と直接関係ない自分の行いを引き受け、責任を持って『決断』していくことの意味は先週確認されたわけですが、小林が直接連れ戻さずにトールが戻ってきたこの展開は、その変形と言えるかもしれません。
トールの思い出の中の小林さんが輝いていたからこそ、彼女は父親の軛を捨て去り、もう一度『ドラゴンという生き方』から決別することにしたのでしょう。

そういう『遠い決断』と同時に、今回は傷を帯び痛みがある『近い決断』も描かれていました。
小林さんは終焉帝の脅しで眼鏡を壊され、眦に傷を負います。
顔は死の恐怖に青ざめ、足は震えているけども、それでも小林さんは家族と生死の一線を踏み越えて、トールの手をもう一回取る。
そのことには、あまりにも大きな意味がある。

ドラゴンの暴力の前ではあまりに無力な、あくまで下等で愚かな人間として恐怖に向かい合った小林さんは、人間である自分自身、ドラゴンであることをやめられないトールを肯定し、二人の間にある断絶を認めた上で乗り越える『決断』を果たしたわけです。
こういう具体的な行動が前にあるからこそ、終焉帝を説得し、物語のテーマを簡勁にまとめ上げる台詞に分厚さと納得があるのだと思います。
逆に台詞でまっすぐに主題を描かないと、無言の行動の意味は伝わりにくくなってしまうかもしれない。
今回もシリーズ全体でも、ここら辺のバランスが非常に良く、かつレイアウトや色彩、モチーフに込めた意味合い、『絵』の強さを信じた演出が奥行きを出していたと思います。

第1話とリフレインする『手を取る』演出もそうですが、トールが踏み出そうとして後ずさりした一線を、小林がグイグイ超えていく足元の語り口は、まさに真骨頂というべきで。
そこで描かれているのは物理的な足踏みであり、同時に戸惑いと父親への敬意を乗り越えられないトールの心理、『決断』の後にトールを引っ張って前に進んでいく小林の勇気そのものなわけです。
終焉帝が説得される時、小林の目元を見るのも、そこにガムテープで補修された眼鏡と傷跡があるのも、具象に抽象を、風景に心理を乗っける演出法であり、京都アニメーションの得意技が冴えています。
こういうのをたっぷり食えると、『ああ、京都アニメーションが作った"小林さんちのメイドラゴン"を視ているんだな』という実感が、みっしり心に降り積もる。


壊された眼鏡が治っていたのは、凄く象徴的な絵だなぁと思います。
暴力によって眼鏡という防護具を奪われ、生きるか死ぬか、素裸ギリギリのところでの選択を小林さんが強いられたって意味でもあるし、そういう生死の選択すら、修復され取り返しがつくものになる瞬間がある、ってことでもある。
『混沌勢』であるトールの本性は『破壊』であり、掃除をするにも物を消滅させるしかなかったわけですが、それは常に修復魔法で『取り返しがつく』形に収められていた。
認識阻害の魔法、人間への変身と合わせて、『修復』はドラゴンが人間の中で生きていくお伽噺にとって、凄く大事なものとして描かれ続けてきました。

そして今回、そんなドラゴンを守り導いてくれた人間が『修復』を行うのは、凄く大きな意味があると感じました。
トールも小林さんも、『こうでなければならない』『自分はこういうものなんだ』という観念を壊し、別の形に修復したから、帰還し手を繋ぐ『決断』が今回できた。
それはドラゴンだけの特権でも、ヒトだけの能力でもなく、意思と尊厳を持って歩いて行く人間なら皆が持っている、小さな魔法なわけです。

終焉帝が最後牙を収めて去っていったのは、娘の決意もあるのでしょうが、小林さんが傷にひるまず前に出てきたこと、その傷を『修復』できるタフさを認めたことが、大きな理由な気がします。
だから、彼が小林さんの眦に視線を向けるカットが差し込まれる。
その時終焉帝は、定命の人間が持っている可能性、娘が生き様を変える最も大きな理由に目を向け、納得したのではないか。
治って変わることが出来る、可塑性と可能性に満ちた存在としての人とドラゴンの番を、祝福する気持ちになったのではないか。
そういう気がするのです。

これまでトールのイメージの中で描かれてきた終焉帝は、強圧的で『強い』存在でしたが、実際にあってみると結構理性的で、視野が広く、娘のことを考えている『優しい』父親でした。
『混沌勢』のトップのはずなのに秩序を重んじ、娘に世の理を説きはしても、力ずくで引っ張っていくことはしない。
ドラゴンパワーをぶつけ合うしかない局面になっても、周囲の被害を考えて場所を移すあたり、トールの尊敬に値する立派な人物でした。
そういうキャラが描けているからこそ、一線を踏み越えられないトールの気持ちも、手を引いて一緒に突破していく小林さんのパワーも強調されるわけで、巧い描写だったと思いました。
分かりやすく『間違ってる敵役』にしても良いんだけど、そうしちゃうと『なんでそんなゴミにトールは従ってたの? 家族という名前の檻なの?』っていうヤダ味出てくるからね、素直に好きになれるキャラなのはグッド。


かくして断絶を認めた上で、そこを乗り越えて手をつなぎ続けられるという小林さんとトールの信頼は、終焉帝に届きました。
人間世界に降り立ったドラゴンたちの平和な日常を描きつつ、小林さんちのみんなは電車に乗って、小林さんの実家に帰っていきます。
ドラゴンと人間が同居する不思議なお伽噺を許してくれた、優しい揺り籠から、魔法や翼ではなく自分の足で、ドラゴンたちが歩いて出ていく。
その開放性を最後に見せるのは、お話が未来につながっていく感じが強く出て、凄く良いなと思います。
カンナちゃんかわいいし。

小林さんと家族の関係が、非常に『普通』な感じで希薄なことは、これまでも描写されていました。
『まぁ、普通の大人ならそんなもんじゃないの?』という距離感で繋がり、『行事には来ないのが当たり前だった』幼少期を共有している小林さんと家族が、再び顔を合わせるところでこのアニメは終わります。
彼女が『ただいま』と言って帰還したのは、当然のことながら物理的な『ハウス』ではなく、精神的な『ホーム』でしょう。
そこに帰ろうと思えたのは、トールやカンナと『家』を共有し、一年という時間の中で思い出と優しさとぬくもりをたっぷり詰め込み、大切な人と隣り合う価値を再確認できたからこそ……これまでの物語があったからこそだと思います。
ドラゴンとヒトの共同生活で変わったのは、ドラゴンだけはないわけです。

トールは父の影響から抜け出し、小林さんは両親の待つ『家』に帰還する。
この対比も面白いですが、派手な京アニアクション作画でドンパチやって関係を乗り越えたと~ると、すっげー『普通』に疎遠になって、トールとの共同生活の中でぬくもりを噛み締め、『ああ、帰ってもいいかな』としみじみ思えるようになった小林さんの旅路の照応は、凄く面白いなと思います。
トールと終焉帝の派手な道のりは『ドラゴン的』で、小林さんの地味ーな心の旅路は『ヒト的』というか。
そういうふたつが衝突して、なにか新しいものが生まれて、相互に影響しあって。
そういうふうに進んできたアニメの終わりとして、凄く良いものを切り取ったなと、僕はあの『ただいま』で思ったのです。


こうして、赤いドラゴンの形をした波風が吹き荒れ、それに試され耐えうる心の光を確認して、メイドラゴンは一応の幕を迎えました。
良いアニメでした。
京都アニメーションのリッチな画作りが上滑りせず、視聴者に伝えたいテーマ、ムードとがっちり噛み合っていました。
コメディとしての弾む楽しさ、異物達が自分たちなりに家族を見つけていく過程の喜びが、作品を輝かせてくれました。
『モンスター娘との同居生活!』というキッチュな題材でも、断絶と受容、決断と変化という大真面目なテーマ性を入れ込まざるをえない強張りが、作品の誠実さにつながっていました。
笑いと真剣さのバランスが、非常に巧く取られていました。
良いところのたくさんあるアニメでした。

キャラクターを好きになれるアニメでした。
トールはクッソ面倒くさいくせにお軽いキャラを頑張って維持していて、いじましい奴でした。
カンナちゃんはとにかく可愛くて、健気で、画面に映るたび楽しい気持ちにしてくれました。
他のドラゴンたちも一癖ありつつ気持ちの良いやつで、お話を賑やかにしてくれました。

そして圧倒的な正しさと強さを持ちつつ、それに飲み込まれない脆さも兼ね備えた小林さんは、あまりにも信頼できる主人公だった。
彼女の広い視野、適切な行動力、穏やかで優しい対応、他人を変えるだけではなく自分が変わることにも開けたスタンスは、作品の背骨としてしっかり機能してくれました。
あの人がいれば、大丈夫。
そういう信頼感を寄せられるキャラクターが話しの真ん中にいたことは、とても幸せなことでした。

本当に、良いアニメだった。
沢山笑ったし、心が暖かくなったし、いろんなことを考えたし、感じもした。
制作集団が持っている本能的な強張りを巧く制御して、気楽に楽しめもするし、真剣に向かい合うことも出来る、素晴らしいエンターテインメントとしてしっかり仕上げてもらえました。
このアニメが見れて、本当に良かったと思っています。
ありがとう、お疲れ様でした。
素晴らしかったです。