Re:CREATORSを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
バトル進行は一旦お休みして、世界のルールとキャラクターの行動指針を地ならししていく回。
ぶっきらぼうな割に知的で話が早い弥勒寺がモチベーションの、理知的で分析的なメテオラが能力ルールの、それぞれ解析役になっていい具合に状況が落ち着いた。
というわけで、弥勒寺先生がバンッバン状況をまとめてくれたおかげで、一気に話が分かりやすくなりました。オラオラしてて話が早くて声が鈴村。二兆点ですね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
軍服ちゃんが押し付けた『神への復讐』というルールに、乗るやつもいれば反るやつもいる。今後どういう衝突があるにしろそれぞれ思いがある
自分たちの世界、創作として捏造された主役との関係性に誇りを持ち、『虫かごは虫かごなりに気に入っている』と言い切れる弥勒寺は、一本心が入っていて気持ちが良いやつだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
手を差し伸べる・話が通じる・飯を食うの三連コンボで、グッと人間味を増してくる演出が好き。
創作物の世界はリアリティの肌理が粗い。解像度が低く、味も素っ気も描かれない限り存在しない。そういう意味で、放っておいても喜びや苦味が出て来るレイヤー:現実とは違う世界だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
しかしそこは創造の世界だからこそ、純化された思いが物語を牽引し、力を与えもする。現実を書き換えうる。
セレジアが颯太に助言するシーンでもそうだけども、被造物(いわば情報で構成されたロボット)であっても、他人に自分の思いを伝えたり、自分の思いを貫いたりする生き様こそが、人間の証明となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
キャラが立つ、というのは多分そういうことだ。何かを動かしうる存在として創造物を認めること。
クレバーに世界のルールをまとめ、伝えつつ、自分の意志をシンプルに貫いた弥勒寺の描写からは、そういうキャラ立ちを感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
タバコは吸うのに顔はそむける。そういう『肌理』の細やかさが力を与えるのは、作品内のルールも、作品を見ているぼくらのルールも変わりはない。
能力モノとしては、メテオラがやってくれたルール確認は大事なところだろう。認知度がパワーに変わるっぽいルールを説明されたことで、今後の展開への期待も上がった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
しかし自分としてはやはり、ドンパチの特別なルールよりももっと平凡で非凡な、思いのルールが作品中どう働いてるのか確認したい
そういう意味で、感情が伝わりにくいメテオラがまりねの真心に微笑んだり、セレジアが『親』である松原と仲良く喧嘩したりしたシーンは、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
現実と創作が行ったり来たりするトンチキなルールに支配されていても、思いが伝わり現実が変化していく人間のルールは、あらゆる場所で有効だ。
傍観者のように見える颯太にも人間のルールは当然適応されていて、創作の人間でもなければ創作者の側にもいない分、彼はそれぞれの岸を乗り越え、変化できる立場にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
ファミレスで創作者と被造物に別れた席次、そこを行き来するタバコ。セレジアの立つベランダに敷居を乗り越えて進む描写。
所持している暴力も、存在規定の方法も違うけれども、人間と被造物は話し合えるし、飯も食える。境界線を行き来できる可能性は、このお話の中で希望として描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
それは多分、創作者になることを望みつつなれない主人公が、創作者の岸へ進む歩みにも重なっているのだろう。
幾重にも重ねられる、創作のプロフェッショナルの仕事。それは境界線を渡っていない颯太の目の前で展開し、しかし遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
かれは現実世界に被造物をブートできる特権に憧れつつ、それを手に入れてはいないからだ。ワナビが足を止めていたら、一生ワナビなのである。
そしてこのお話は、創作する権限は人類全てに拡大されている、ということも、境界線の存在と一緒に幾度も強調している。そのメッセージ性は露骨ですらある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
『冴えない僕も、いつか魔法が使えるように…』という夢/欲望を煽る商売の戦術も当然あろうが、案外ピュアでシンプルなのかなとも思う。
弥勒寺が隣のテーブルからタバコを貰ったように、あるいは自分の意志を的確な言葉で示したように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
メテオラがまりねの名刺を受け取ったように、あるいはセレジアが颯太をベランダに越境させ勇気と真心を与えたように。
思いさえあれば、越境は可能だというメッセージ。
創作と現実の境界線はこのアニメの内側だけではなく、このアニメを見ている/見られている現実の中にもあって、それは越境可能だという、物語を通じた働きかけ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
そこら辺を大事にしているからこそ、今回は境界線と越境を幾度も繰り返し、そこに込められた意思と真心を確認する話になったのかなと思う
主役サイドはそんな塩梅でよくまとまったが、軍服ちゃん組は謎が深まるなぁ…まだ全キャラでてもいないしね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
最後廃墟で語りかけていた時、一人称が『私』だったんで、『余』と『私』の二重存在(もしかすると創作物と作者)なのかもね。ここら辺は追々明かされていく部分化な。
一旦道は離れることになったが、これが物語である以上、メテオラの言うとおり縁はつながっていく。その時は、創作による超常的な暴力がまた荒れ狂うだろう。このアニメのアクション、スタイリッシュで好きなのね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
お話にも馴染んできたので、話が加速してもぐっと爪を立ててついていけそうな感じ。
世界観と連続するアクション、メタ的複層性で視聴者を押し流しがちだった物語がテンポを落として、その素顔をじんわり伝えてくる話だったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
作品のルールも見えてきて、関係性も結構整理されてきた。印象的な演出もあるし、非日常に彩られた日常の空気もいい。さて、こっからどう転がすか。
追記
Re:CREATORS追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
味覚・嗅覚情報の記述が薄い二次元テキストがコーヒーやタバコを『快楽』として受け取ることと、善のみで構成された世界出身の魔法少女が暴力に付随する破壊のノイズを『未知』として拒絶するのは、多分文脈が同じなんだろうな。異物を飲み込めるか、吐き出すか。
今後軍服ちゃん陣営の描写も太ってくると、リアリティ解像度が高いレイヤー:現実の異物感を拒絶する/受け入れるという線引が、陣営の差異になっているかも判る気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年4月23日
分水嶺はそこではないと思うけども。まみかのリアリティアレルギーは彼女の個性(もしくは創作者の悪意/無知)であろう。