イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルタイムプリパラ:第7話『そふぃがやってクール!』感想

ゼロから始めるアイドル伝説、今回は北条そふぃの帰還。
アイドルタイムの泥臭い路線そのままに、ドッタンバッタンの必死さが笑いを誘うガッツストーリー……なんですが、正直それで終わらない引っかかりを感じました。
一週間いろいろ考えてたんですが、このまま引っかかり続けてるとおそらくアイドルタイムの感想を書かなくなるので、強制的に言語化し公表します。
ネガティブな要素、個人的な思い込みを結構含む感想になると思うので、そういうの気にかかる方はご容赦を。


今回の話はプリパラらしい話でした。
賑やかで、元気で、不条理で、アホらしく、必死。
劣っている部分や行儀の悪い部分もひっくるめて、人間の定義を極限的に広げながら肯定していくのがプリパライズムだとすれば、ダメダメながらみんなで頑張る今回は、とてもプリパラらしい。

アイドルタイムになって、キャラクターの能力は一旦リセットされ、白紙から物語が始まりました。
すでに在るものを拡大し、世界の命運を左右しうる『神』まで到達する路線は無印でかなり煮詰めてしまったので、マイナスをゼロにし、ゼロからプラスにしていく方向性に軸を切り替えるのは、僕は正しい判断だと思っています。
新しい物語をやるために主人公を刷新し、舞台を入れ替え、世界のルールを書き換えたのは、英断だと思う。
そうやって新陳代謝しなければ、物語は窒息死するだけだからです。

その上で、アイドルタイムはプリパラの看板を下ろさず、一部を継続する方針を取りました。
らぁらは能力を剥奪され、アイドルとしての影響力をリセットされてパパラ宿にやってくる。
今回とにかくらぁらがダメダメなのは、パパラ宿のフロンティア路線を考えればむしろ当然。
無印で到達した『神』の影響力を行使してしまえば、白紙のパパラ宿にアイドルを刻んでいく物語はすぐさま破綻してしまうわけで、『神』としての影響力を行使できるのはみれぃやそふぃなど、一話限りの来訪神だけです。

パパラ宿で主役を張る限り、らぁらは『神』に戻れないし、逆に言うとらぁらが『神』に戻ったときは、彼女が主役から元主役に変わる瞬間になるでしょう。
既に物語を終えたらぁらが、物語(そして売上)の介助役として居座り続ける歪さすらもネタにして、笑いを作るタフさ。
ソラミの二人を『来て、恵みを与え、去る』存在として描くことで、らぁらの退場(無印色の穏当な払底)まで線を引く周到さ。
いろんなものが幻視できる構図であり、『新規コンテンツのカンフル剤』として旧作を使う戦術は、実は無印プリパラがオールスターセレクションで選び取ったものと同じだったりします。


旧作と繋がりつつ、お話のテーマ・構造は別物なアイドルタイム。
今回登場となったそふぃもまた、過去作の資産を活用し、アイドルタイムを輝かせるために選ばれた『神』です。
そしてその描き方が、自分にはどうしても納得できなかった。

北条そふぃは『レッドフラッシュを使えばカリスマアイドル』『使わなければ虚弱な無能力者』という二面性を、キャラクターの芯に据えたアイドルです。
カリスマアイドルとして、ウサギや親衛隊や姉が求める虚像を維持するために(おそらく意図的にドラッグと被らせる描写をいれた)レッドフラッシュを使い、自分のものではない輝きを乱用していた彼女は、らぁらと出会うことで徐々に徐々に、レッドフラッシュから離れたキャラになっていきました。
薬理によって強化された自己イメージではなく、弱くて何も出来ない自分を自分自身が、そして周囲の人々が認め、成長でも変質でもなく『適応』していく物語。
それが、二年九ヶ月かけて北条そふぃが作ってきたストーリーだと思います。

レッドフラッシュを使わなければ何も出来ない天才クラゲ娘は、ヘニャヘニャな自分のまま走り込みをして、なんにでも噛み付く非才の権化と向き合ってみたり、緑髪の赤ん坊を育ててみたりした。
魔法のように社会に対する有用性を獲得するのではなく、弱点をあくまで『個性』として削り取らないまま、どうにか自分が自分のまま、弱々しい自力で社会に向かい合い、社会から受け入れられる方法を模索してきた。
その結果として、トーナメントで疲労困憊してもレッドフラッシュに頼らず、神に立ち向かった第138話があり、そこに至るまでの悪戦苦闘があります。


そんなそふぃは今回、割と初期型の『レッドフラッシュを使えばカリスマアイドル』『使わなければ虚弱な無能力者』として描かれました。
ダメダメな状況を解決するのは『レッドフラッシュによって覚醒した北条そふぃ』であり、らぁらの粘り腰とか、にのちゃんの手助けとかを受けつつも、『神』の圧倒的な実力で視聴率はうなぎ登りとなる。
みれいに引き続き、目の前に『神』がいると気づけ無い未熟さ、それでも自分の利益より目の前の弱者を選ぶ主人公の資質と、ゆい周辺の描写は輝いていたと思います。
そういう非才をさんざんネタにしているからこそ、そふぃ(≒神アイドル)の圧倒的な才は強調されるし、その落差が物語的カタルシスを産んで話がオチもする。

それを認めた上で、二年九ヶ月の物語を積んだそふぃは、レッドフラッシュを使ってステージはせず、フニャフニャでも自力で立てはする女の子なんじゃないかなと、僕は思いました。
濃口のキャラ属性としては、確かにぷしゅぷしゅしまくった挙句一発キメて、流し目一閃で女を転がすスーパークールアイドルではある。
それが分かりやすく、扱いやすいネタだということも、頭では理解している……こんな文章書いてる時点で、してないか。

とまれ、『レッドフラッシュがなければ何も出来ない北条そふぃ』という描写は、そふぃがこれまで歩いてきた物語と、欠落を『個性』として受け入れてきたプリパライズムに、あまりそぐわない印象を受けてしまいました。
ウサギから離れ、ソラミの手を取り、レッドフラッシュを使わない選択をしたことから始まって、同仕様もなく張り付いてくる虚弱さと悪戦苦闘しつつ、少しずつ何かが出来るようになった子供。
北条そふぃは、少なくとも僕の理解の中では、そういう女の子でした。


今回そふぃが背負う役割は『神』なので、地道に一歩一歩積み上げ、自然体のまま輝けるようになったアイドルという描き方では、パンチが足らないのかもしれません。
そういう泥臭さは、らぁとらゆいが今背負う『白紙の開拓地をアイドルで染め上げる物語』にこそふさわしいのであって、将来たどり着くだろう完成形として『神』になることを期待されている今回は、レッドフラッシュで即座に『神』になる必要があったのでしょう。
そういうお話の安定性、展開のスムーズさを認めた上で、やっぱり僕はそふぃにレッドフラッシュを使わせて欲しくなかった。
『使わない』という選択が、姉の愛情や周囲の期待に流されるばかりだった彼女が自分で立つことを決めた一番最初で一番大事な決断だったから。

プリパラの看板を背負わない単発のお話としては、ダメ人間共がドタバタ大騒ぎした後、レッドフラッシュがキマってスパッと解決する今回の流れのほうが、スマートでスムーズだと思います。
そふぃは物語を蓄積させていく主人公ではなく、一話限りのゲストでしか無く、役割としても経験値を稼ぐのではなく、主役たちの問題を解決する特権を持った『神』ですので。
しかし実際問題、アイドルタイムはプリパラの新シリーズで、らぁらは続投し、たとえ一話限りでもそふぃは彼女自身の物語と歴史を背負って、画面に姿を現す。

自分がクッソ面倒くさい老害になっていることを自覚しつつも、やっぱりプリパラが積み上げてきた価値、実践してきた描写を信頼しているからこそアイドルタイムに期待を寄せる身としては、初期状態の北条そふぃではなく、そこから自分の足で抜け出ることを選び、実際一歩ずつ前に進んで『神』にたどり着いた北条そふぃを、難しくても描いて欲しかった。
そうすることが、形は違えどプリパラの志、世界観を継承し、その新たな可能性を描く作品の、過去へのリスペクトを表明できたんじゃないかなと感じてしまいます。
こんだけグダグダ、いろいろ勝手に悩んだのは、やっぱ自分にとって北条そふぃはプリパラの根本にいるキャラで、その描かれ方にこそプリパラのアティチュードが表明されていると、僕が強く思っているからなんだろうなぁ。


ここで『アイドルタイムはプリパラを分かってない! 汚した! 最悪! プリパラじゃない!』と拒絶してしまうのは、とても楽だと思います。
そうした方が自分の中の大事なプリパラを守れるし、偽物というレッテルを張ってしまえばこれ以上の接触と影響を避けることが可能だからです。
でも、アイドルタイムのこれまでの描写は、形を変えてもプリパラと同じ目線で世界を見て、同じテーマを別角度から描き、おんなじような知性と意地の悪さで笑いを作っていくこと、間違いなく『プリパラ』であることを教えてくれています。

なので、そふぃの今回の描かれ方にかなり強い違和感を感じつつも、それで全てを拒絶するのは非論理的だし、僕がアイドルタイムから/を受け取る感覚にも反しています。
今回の書き方を一つの違和感としてちゃんと抱えつつ、あんまこだわりすぎずにアイドルタイム独自の物語を見させてもらおうと、高慢ながら思いました。
まぁ結局一個人が勝手に受け取った印象が、オフィシャルの出力とそりが合わなかったからグダグダ言ってるだけなんだけども、一ファンの立場としてはそういう個人的なものが最終的には全てだと思うので、WebLogに書き残しておこうと思う。

気づけばタツノコアニメ最長となったプリパラは、アイドルタイムと名前を変えて続いていきます。
そこで変化するもの、受け継がれていくもの、変えるべきもの、変えてはいけないもの。
色んなものがあり、それは受け取る人の立場や価値観、嗜好によって当然形を変えるでしょう。
そういう多様性を尊重しつつも、その中のたった一つの自分の感覚もまた、素直に書き記せたらいいなぁと思った、アイドルタイム第7話でした。

 

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