イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

月がきれい:第8話『ヰタ・セクスアリス』感想

あまりにも純粋に青い恋が、俺達の荒んだ心に牙立てるアニメ、今週は夏の終わり。
先週ぐうの音も出ないほど恋人同士となった主人公たちが、優しい世界に後押しされつつキスまで行く話でした。
作画ちょっと息切れしていたけども、見つめ合う二人の距離感、そんな二人を優しく後押しする世界が巧く切り取られ、落ち着きとときめきが同居するエピソードでした。
手順を丁寧に踏んで、理想化された思春期の恋愛を一段も飛ばさず追体験(というには眩しすぎるが)させるアニメらしい、どっしりとした歩調でしたね。

前回比良くんと千夏ちゃんをラブラブでなぎ倒し、誰にはばかることなく恋人となった二人。
今回の話は二人がデートして関係を深める話でもあるのですが、私的な行為であると同時に公的な行為として衆目に晒された二人の恋が、社会でどういう扱いを受けるか、という回でもありました。
二人の恋愛を見守る創作者の視線と同じく、少しだけ気恥ずかしいけどもみんな優しくて、小さな真心を込めて後押ししてくれる。
そういう思いがリレーされていくのを見るのは、有機的で面白い光景でした。

恋愛関係を社会へ公開することで、小太郎くん達の世界がどこにあるかを再確認できます。
今回の舞台になっているのは共有されてる学校、茜ちゃんの部活、小太郎くんの神社。
これに加えて各家庭というのが、15歳の小さな社会を構成するシーンになります。
キスという私的な行為を達成するお祭りは私的な空間であり、前回邪魔をした幼女は画面の外に追いやられてますね。

小太郎くんが神社に茜ちゃんを連れてきて、『舞』という形で地域社会に繋がる自分を見せたこと、それが社会の構成員によって祝福されるのは、実りを感じるシーンでした。
おまんじゅうのやり取りでもほのめかされているんですが、小太郎くんは川越に足場を置く地元の子であり、茜ちゃんは転勤を繰り返す外部の子。
その二人が恋によって近づいてきて、小太郎くんの個人的な社会だった『祭りの準備』に茜ちゃんが顔を出し、持っていなかった地域性を借り受ける形になってます。
そういうふうに、人間が背負っているものが変化していくキッカケとしても恋を描くのは、風通しが良くてなんか良いですね。
茜ちゃんを自分の領域に向かい入れることで、茜ちゃんの世界を広げるだけではなく、小太郎くん自身の世界もちょっと変わっているところが、平等な感じがして好きです。

茜ちゃんが『祭りの準備』に受け入れられた証明として、座布団が出てきてデート代千円くれるのも、このアニメらしい地道で繊細な描写でした。
第3話で『500円の賽銭』を画面に写したことで、このアニメは作品内部の経済感覚を見事に切り取ることに成功しました。
大人にとってはちょっとした気遣いでも、小太郎くんたちにとってはとんでもなくありがたいものだし、そういう金銭感覚が明瞭なので、茜ちゃんのプレゼントがどういう意味合いを持っているかも判る。
お金を真心のアイコンとして聖化することに成功していること含めて、面白いアイテムで面白い肌触りを作品に宿したな、と思えるシーンでした。

二人の恋を優しく受け止めてくれるのは、大輔兄さんや名前も知らないおじさんだけではありません。
学校という場も、色々ざわめきつつ二人の恋を見守り、応援してくれる。
女子グループはちょっと踏み込み過ぎな感じもあるけども、まぁ女の子の集団ってそういうもんだろうし、あの距離感があってこそ、『一緒にいると安心できる』小太郎との間合いも際立つわけで。
ろまんと大地のアホバカ仲間も相変わらずアホバカで、優しい子ばっかりだなぁと、しみじみ思いました。

告白もできないまま完敗を悟らされた千夏ちゃんですが、傷ついただろう心をうまく制御し、小太郎と茜をいい距離から見守る形に。
もうひと波乱あるかもしれませんが、失恋してなお『恋って良いな』と思える善良さは、やっぱ千夏ちゃんの良いところです。
むしろ、今回一切顔を見せなかった比良くんがどうなってるか気になるところだ、さてはて。


恋人たちの周辺で周知され、リレーされていた優しさと恋は、デートが始まると私的な空間に密閉され、二人の間でも共有されていきます。
学校の友達が、地域の人々がしてくれたように、茜ちゃんは小太郎くんの誕生日を祝い、小太郎くんは茜ちゃんの靴ずれを治してあげる。
恋人たちがお互いに思いやる姿は個人的な特別さと、それを縁取る社会の優しさ・善良さ、両方を宿しています。

周りの人達が優しかったから、あの子達が素直に恋人を思いやれる青年に育ったのか。
彼らの善性は、あくまで彼ら個人のものなのか。
社会と個人は相互に影響し合うわけで、対立したり排他したりするものではないというのが、この柔らかい物語の結論なのかもしれません。
おじさんから貰った千円を、期せずして重なった想いを言葉として残すために使うところが、なんともロマン主義的で好きです。

先週のグループデートから、二人きりでの逍遥へ。
周囲と繋がる意味合いを捉えつつも、そこから切り離されて個人的な特別さと向き合う視線があるのは、恋の話としては当然のことです。
閉じた場所だからこそ高まる感情の熱気、他ならぬ『あなた』だけに向ける特別さをちゃんと描くからこそ、キャラクターの感情も共有しやすくなるし、開けた場所の描写からも余所余所しさがなくなる。

風鈴のヴィジュアルと音が心地よい、当たり前の日常のはずなのにあまりにファンタジックな景色の中で、二人の距離は近づき、優しく気遣ってくれる思いやりを感じ取ります。
その結果として唇が触れ合って、茜ちゃんは物語冒頭では『判んない』だった小太郎くんの良さをはっきりと認識するし、小太郎くんは茜ちゃんを名前呼びするか、否かでもだえなくなるわけです。
『祭りの準備』という自分の領域に茜ちゃんを入れたように、デートを通じて相手の心に触れ、唇と唇を接触させた結果、よく分からなかった自分の気持ちが鮮明になり、小さな足踏みを脱して前に進んでいく。
それはひどくちっぽけな、誰にも起こりうる変化なのですが、だからこそ慎重に丁寧に描ききらなければいけない普遍的な物語だし、キラキラと輝き、憧れたくなるお話でもあります。
ホントなー、羨ましいから頑張れ!


節子が過剰なセックスに悩み、清廉な心の交流を求めてウダウダやってる中で、茜ちゃんと小太郎くんは二人でいるだけでドキドキして、何気ない気遣いが嬉しくて、お互いの目を見ながら恋を進めていく。
あくまでキスで止まる手順の踏み方、お互いを尊重し焦らない歩き方はひどく古風ですが、現実にはありえないほど純粋だからこそ憧れ、応援したくもなる。
今回のサブタイトルになっている森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』は、明治という時代の風を反映してか、性を扱いつつ観念的で、清潔なお話です。(その清潔さが、逆に消毒された汚濁を感じさせるという読みは横に置くとして)
白雪に一歩ずつ足跡を残すような、穏やかな歩調で恋と性を歩いてきた二人がキスをする回のサブタイトルとして、ぴったりだなぁと思います。

閉じたものと開けたもののバランスは主役二人だけではなく、物語の形式でも巧く担保されています。
毎回挟まるCパートは、本筋では添え物でしかない各キャラがそれぞれ個別の青春、個別の価値観、個別の意志を持っていて、色んな人がいる世界をうまく支えています。
まぁ、ド直球青春恋愛劇をやり続けるスタッフがパンクしないよう、気恥ずかしさを置いてくる場所でもあるんでしょうが。
でもやっぱ、あそこで色んな人の人生がスケッチされていることで、話が主役に寄せ過ぎず、ファンタジーになりすぎないよう調整できてると思う。

小さい断片がいくつも積み重なることで独特のテンポが生まれ、キャラが不思議に好きになっていく効果もありますね。
思いの外涼子先生がまろんガチ勢であり、シャンパン直飲みするくらいダメダメなのは、あくまで『いい大人』『いい先生』でいることが求められる本筋では、描写しにくいシーンだからなぁ。
先週のトイレでの小言シーンが、今週の茜ちゃん問い詰めにつながってたりと、本筋にも巧く活用しているところも面白いですね。


というわけで、あまりにもピュアな少年少女の性の目覚めと、それを見守る人々のエピソードでした。
中から外へ、外から中へ、緩やかな交流をゆっくり切り取りつつ、そこでやり取りされる優しさが連鎖していく様子を描いていく筆は、あくまで穏やか。
このアニメらしいエピソードでした。

今回は茜ちゃんが小太郎くんの領域を共有していましたが、来週は『陸上大会』という茜ちゃんの領域に、小太郎くんが踏み込んでいくようです。
第3話では神社から祈りを送るだけだった関係も、心と体の接触を丁寧に積み重ね、大きく変化してきました。
秋まで到達した時間の流れの中で、何が変わり何が変わっていないのかを楽しみに、来週を待ちたいと思います。