イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア;第22話『シャリオとクロワ』感想

点と点が繋がり線となる快楽、クライマックス開始を告げる衝撃の真実の連発、リトルウィッチアカデミア、作品世界がひっくり返る第22話です。
言の葉探しの中でじわじわと煮込まれてきたクロワとシャリオの因縁、そしてアッコとシャリオの運命がババンと明らかになり、これまでの描写や物語が全く別の意味を持ってくる、衝撃の回でした。
落ちこぼれ魔女が唯一手に入れた夢こそが、彼女から魔法を奪った原因だった。
『そらアーシュラ先生も正体言えないわ』という真実が明らかになり、アッコの悲痛な叫びが胸に突き刺さる。
これまでの展開をひっくり返す衝撃がありつつ、同時にこの瞬間のために積み上げてきた描写にも納得してしまう。
非常に巧妙な構成も見事に機能し、青春物語のフィナーレ開幕を告げるに相応しいエピソードとなりました。


今回も色んなことが起きており、物語を背負うキャラクターも、その背景となる作品のムードも、多様な色彩を見せています。
無邪気に魔法を信じていたアッコが残酷な真実を告げられ、強制的に大人にされてしまう話でもあるし、未だ青春時代を引きずりまくってるクロワとシャリオの因縁がさらに明らかになる話でもあるし、今まさに試練にさらされている純粋な夢の力をアンドリューと確認する話でもある。
いろんなキャラクターが同じテーマに向かい合い、それぞれ個別の反応を示す多様性、それがお互いに響き合って新しいものが見えてくる化学反応の面白さは、まさにリトルウィッチアカデミアという漢字がしますね。

やはり一番衝撃的なのは『信じる心が、あなたの魔法』というキーワードの裏にあった、邪悪というか無慈悲というか、ともかく驚愕の真実でしょう。
これまで『悪いこと』とされ、アッコもエピソード中何度も『悪いこと』と言い続けている、クロワの感情玩弄魔術。
それと同じ技術をシャリオも使っていて、あまつさえアッコの魔力と可能性を奪っていた。
夢を与えた張本人が、夢に繋がる可能性を奪ってもいたという構図は、非常に鮮明かつ残忍です。

僕らもこのアニメの無邪気でまっすぐな所、心の底から『信じる心が、あなたの魔法』だったら良いなと思えるところが好きで、22話まで見続けてきたと思います。
アッコが夢を与えられ、僕らも共感したその魔法が、実は搾取と嘘でしかなかったという衝撃は、たしかにアッコのように否定したくなるものです。
シャリオの真実が明らかになることで、ピュアでまっすぐな若さが報われ、劣等生が自分らしく夢を叶えるお伽噺から、夢が夢を、未来が未来を食い殺す現実の残酷さを突きつけられたのは、『オイオイ、話が違うよ』と思わず言ってしまいます。

しかしこのアニメは『現実』の世知辛さを(主眼とはしないまでも、『夢』や『魔法』と対比する中で)しっかり捉えてきました。
衰えゆく魔法、学園の財政危機、政治や経済と隔離されてしまっている魔女界の現状。
クロワがアッコの『悪いことはやめてよ!』という幼い訴えを『無力な夢』と切り捨てるシーンは、これまで描かれてきたシーンの延長線上にあるわけで、急に湧いて出た厳しさではありません。
むしろそういうものがあればこそ、『綺麗な夢があって欲しい』『信じる心が魔法であって欲しい』というアッコ(と僕ら視聴者)の願いはただのお伽噺ではなく、信頼に足りる成長の物語としての強度を持ちうる。
だからここで一回、作品を支えてきた『信じる心が、あなたの魔法』という言の葉をひっくり返しに来るのは、用意されてきた必然の一手であり、作品をより深く掘り下げ心に届けるための妙手でもあるのです。


クロワの『嘘』がアッコを振り回した前回よりも、クロワとシャリオの『真実』のほうがより強く、アッコを傷つけ僕ら視聴者に衝撃を与える。
なかなか皮肉な構図になっていますが、とまれクロワは様々なものを下に見て、操作しています。
群衆の悪感情、アッコの幼い願い、シャリオと自分の過去。
大切で守らなければいけないはずのものをバカにして、下らないと吐き捨てることがおとなになることならば、なるほどクロワは『大人』でしょう。

しかし、アッコとクロワの胎児の前にわざわざアンドリューとの交流が挟まれていることからも、クロワの成長は否定……というよりは是正されるべき歪んだ適応として、この作品では描かれています。
『悪いこと』はしたくない、みんなを笑顔にしたい、憧れと夢を追いかけたい。
アッコがキラキラした眼で訴える幼い夢を、アンドリューは嘲笑わない。
理想論だと認めた上で、それが実現したらどんなに良いことだろうと、自分も少し瞳を輝かせます。

アッコとクロワが夢と魔法の角度から向き合うフーリガン問題に、アンドリューは政治と現実の角度から向き合っています。
父に保護されながらも、『大人』の一員として議場に登院することを許された彼は、ガキっぽいアッコがたどり着けない場所に、既にたどり着いている。
しかしそんな彼もまだまだ理想論を抱え込んだ『子供』であり、無理くり現実を飲み込んで自分の思いを捻じ曲げれる『大人』にはなりきれません。
ハンブリッジ伯爵との静かな衝突は、アンドリューが抱える『子供』と父が望む『大人』との衝突であり、彼の中の『子供』の存在を教えてくれたのは、アッコという異質な鏡に向かい合ったからなのです。

大きなシロクマ相手に駆け回ったこと。
ホレホレ蜂に振り回され、ピアノを披露したこと。
学園に潜入してきたアッコを助け、自分の領域で公平に振る舞ったこと。
アンドリューがアッコと一緒に体験した(そして僕らが楽しませてもらった)数々の冒険が、彼を現実に屈服し理想を忘れる形ではなく、自分の中の『子供』を大切に守りつつ現実に影響を及ぼせる形での『大人』への道を照らしてくれています。
そんな彼の、青春の道を半歩先ゆく姿勢が、アッコにとっても眩しく、清廉で、鏡となりうるのは間違いありません。

アッコに助けられて自分を見つめ直したアンドリューが、アッコを助け、アッコが見失った自分を再獲得する助けになる。
そういう合わせ鏡の助け合いが、年若い少年と少女の間にあることは、凄くロマンティックで健やかで、喜ばしいことだと思います。
青春を最悪の形で拗らせ、お互いの歪んだ影から一切抜け出せない面倒くさい三十路女たちの姿を見ていると、余計に。

アンドリューはアッコと年相応に笑いあった後、『シャリオに憧れて始めた道でも、それは君が選んだ道だ』『みんなを笑顔にする魔法は、君自身の心から生まれなければいけない』と教えます。
それは爽やかな青春の交流を彩る『今』の言葉であると同時に、シャリオへの憧れを踏みにじられ、胸の魔法を信じられなくなってしまう『未来』を守るための言葉でもある。
アッコがアッコとして手に入れた夢は、シャリオと出会わなければ芽生えず、育たず、守れない夢だった。
たとえシャリオ自身に夢と魔法を奪われていたとしても、アッコが荒れ果てた魔法の辺境から自力で立ち上がり、ルーナノヴァへとたどり着いたことには、誰にも踏みにじれない尊厳がある。
そしてそこへとアッコを導いたシャリオとの出会いは、それがどんなに残酷で無慈悲な真実を含んでいるとしても、やっぱり意味があることだった。
アンドリューのアドバイスは、そういう力強い予言でもあると思います。

アンドリューはダイアナと同じくらい賢い子供なので、アッコに投げかけた言葉が自分に還ることも知っています。
父に憧れ、ハンブリッジ家の歴史を誇りに思いつつも、その重責に迷い、自分で生き方を決めきれない自分。
憧れと現実、夢と諦めの間に立たされている孤独な子供は、アッコだけではないわけです。
そして一見ただ否定されるべきとも取れる『現実』を、自分が愛していることもアンドリューは知っている。
家を、父を尊敬し愛しているからこそ、アンドリューは政治の領域に若くして飛び込み、ハンブリッジの重責を自ら選び取って背負おうとしているわけです。

物語の渦は勢いを増し、魔女たちの感情、魔女界の運命を背負ったクライマックスは加速しつつあります。
一般人であるアンドリューは、魔法を巡る大活劇の中でそこまで大きな役割を持てないでしょうし、持ってはいけないでしょう。
しかしそれを理解した上で、己の変化や決断の意味、それをもたらしてくれた友人や家族との出会いの尊さを知る賢い少年が、どこにたどり着いたかはしっかりと見せて欲しいなと、彼が大好きな僕は強く思います。
それを絶対描いてくれるだろうという信頼も、このアニメに抱いています。
あのハンサムボーイがこの物語にいてくれて最高に良かったし、その思いは今後、アンドリューを描く筆の中でより鮮明に、強くなっていくでしょう。
期待というより、確信を以て今後を待ちます。


アッコに重たい真実を打ち明けるか躊躇っている間に、雪崩を打つように最悪のタイミングで情報が公開されてしまったアーシュラ先生。
『なぜ、アーシュラ先生はシャリオであることを隠すのか』
『あれだけの才を封じて、冴えない眼鏡教師のペルソナを被り続けるのか』
作品を見る中で深まっていった疑問に満額回答が与えられ、『ああ、そらこうなるな……』と頷くしかない展開でした。

アーシュラ先生にとってシャリオであった過去は失敗であり、恥であり、無邪気な子供たちから可能性を略奪する魔法的暴力ですらあった。
それに罪悪感を覚えるのは、根本的にアーシュラ先生が善人であり、クラウ・ソラスにかつて誓った『みんなを笑顔にしたい』という想いが(擦れて歪んだとはいえ)消え去っていないことを示しています。
前回アッコをかばって飛び込んだワガンディアの花粉は、箒に乗って飛ぶ能力をアーシュラ先生から奪っています。
これがかつて、ドリームヒューエルスピリットを略奪してアッコの飛行能力を奪った行為とかぶるのがなんとも皮肉ですが、それでもやはり、アーシュラ先生が支払った犠牲、贖罪のための痛みには尊さがあると思います。
それで報いきれる失敗なのかどうかは、判断が非常に難しいですが。

ドリームヒューエルスピリットの真実が皮肉なのは、それが100万人のアッコとダイアナの可能性を奪い、婉曲的に魔法界を衰退に導いていることです。
アッコは世界一のシャリキチでど根性小娘だったので、歯を食いしばってルーナノヴァまでたどり着き、変身魔法も使えるようになりました。
ダイアナも魔法を奪われてなお、家の重みと魔法界への誇りを胸に立ち上がり、ルーナノヴァ最高の魔女になりました。
でも、彼女たちほど心の強さに恵まれなかったものたち、物語の主役として選ばれなかった魔女候補生達が、あのステージにはいたわけです。

僕らはこれまで、魔法界の外側にいるアウトサイダーだからこそアッコが引き起こせる、いろんな奇跡を見てきました。
魔法界の常識、家の重み、現実への諦めに縛られた人たちを前に、アッコのちっぽけで大切な魔法がどんな光を放ってきたかを、22話分共有してきた。
アーシュラ先生はそういう可能性がより多く、より強く、より多様に魔法界に入り込み、混乱と活気を取り戻すチャンスを自らの手で摘んでしまったわけです。

クラウ・ソラスに選ばれつつ、シャリオはどっちかと言えばアッコよりというか、魔法界全体という大きなものよりも自分の願いを大事にする、個人主義的傾向があります。
それでも、魔法を愛し、衰退を憂い、どうにかしたいという気持ちがあったから、言の葉を集めたことには違いがない。
目の前の奇跡よりもおそらくは大切な、遠い未来の可能性を自らの夢で摘み取ってしまう残酷さは、アッコだけではなくシャリオもまた、大きく傷つけたのでしょう。
それに報いる手段を思いつけないからこそ、アーシュラ先生はシャリオの輝きをけしてまとおうとはしないし、過去の自分の良い側面にも目を向けられません。

シャリオ時代の光が、実は深い闇に立脚していたことが分かる今回。
アッコの長い長い、切ない回想シーンは『嘘だッ!』と否定されるために演出されるわけですが、でもやっぱりそれは、意味のあることだったと思います。
憧れと知らないまま寄り添い、二人三脚で成長してきた時間。
ときに教師として、ときに母として、ときに姉として、アッコを見守り育ててきた時間。
その裏に残酷な真実が隠されていたとしても、自分勝手な贖罪の一貫だったとしても、やっぱアッコとアーシュラ先生の交流に心を暖められた視聴者としては、全部が全部嘘だったとは思えないし、思いたくない。

シャリオとアーシュラ先生が持っている真実の残酷さを認めた上で、そこに宿っていた輝きと魔法をもう一度見つめ、認め直すことが出来るのか。
これはとても難しい問題です。
起きてしまったことはかなり大きな被害をもたらしているし、事情はありつつここまで真実を隠してしまっていたことも裏目
アッコの憧れを引き裂いた真実をアッコが、そして当事者であるアーシュラ先生が認め、許すためには、事実の様々な側面を虚心で見つめる賢さと、大きな人格的成長が必要になると思います。

アッコには心を繋げた親友たちがいるんでどうにかなりそうなんですが、アーシュラ先生はシャリオであることに失敗して以来、社会との線を切ってしまっているきらいがある。
自分の心の重荷を預けられる仲間がいたなら、ここまで真実を抱え込んで重たくすることもなかっただろうし、アッコとの裂け目と痛みも強くならなかったと思います。
親友だった女はすべてを最高に拗らせて闇の救世主街道まっしぐらだし、自分自身もかつての友情を全く割り切れていないわけだしなぁ。
実はシャリオの真実を肯定するまでの道のりは、アッコよりもアーシュラ先生のほうがハードそうだなぁ、と思います。

アッコがシャリオの真実と向かい合う物語の中で、アーシュラ先生もまた自分の過去、かつての親友、傷つけた可能性、そして自分自身の心と向かい合わなければいけないと思います。
誰かを笑顔にしたいと無邪気に信じた思いは、いつしかねじ曲がり、百万のアッコになれなかった子供たちを生み出してしまった。
それでも、アーシュラ先生の胸にある『あなただけの魔法』には輝きがあったし、輝く時代を打ち捨てて選んだ教師の生き方の中で、アッコに与えた優しさには価値があったと、僕は思います。
加速する状況の中で、そういうものに目線をやる余裕は正直全然ないと思うけども。
アーシュラ先生もまた、かつてあった輝きに、そしてそれが切り開くより善い未来に、真っ直ぐ向き合えればいいなぁと願っています。

 

夢の略奪者シャリオの親友であり、共犯者であり、継承者でもあるクロワ先生は、『大人』と『子供』を拗らせまくった感情の怪物として、まさに絶好調でした。
愛と憎悪と嫉妬と羨望を時間で煮込んだけっか、シャリオめいた派手な衣装を着て、シャリオが打ち捨てた感情玩弄魔術を使い、シャリオが使った杖の歪なレプリカを持って、シャリオが成し得なかった救世を求める。
あまりにもシャリオが好きすぎて頭がおかしくなった女過ぎて、感情の総量に押し流されそうになりました。

クロワはアッコよりダイアナ的といいますか、個人的な欲求よりもより大きなものの再起を優先する、広範な社会性を持っています。
しかしダイアナが的確に伝統社会と自分との距離を見据え、他者を尊重し『癒やし』ながら道を歩いてきたのとは正反対に、クロワは一般人の感情を弄び、不要な憎悪を煽り立てて力を略奪する、誤った道を歩いています。
一般人は、魔法になんて興味を持たないから。
使用されない資源は、それを扱えるエリートが活用しないと無駄だから。
そういう決めつけが魂を踏みつけにする感情魔法からは透けて見えるわけで、クロワ先生は改革者に見えて、非常に悪い意味でインサイダーですね。

ここらへんは、クラウ・ソラスに選ばれなかった事実をどう扱ったかでも、まったくもって正反対です。
選ばれなかった自分もまた自分であり、そこから始めなければならないと気高く歩み直したダイアナ。
一度は選ばれなかった事実を受け入れたはずなのに、消しきれない嫉妬に支配され引きずるクロワ。
過去と現在の優等生と劣等生の対比は、より複雑に拗らせた過去サイドと、素直で真っ直ぐな現在サイドで、結構綺麗に別れている感じですね。

まぁ教師二人は正しい選択を行えなかったからこそここまで拗らせているし、その因縁が現在の二人の物語を産んでもいるわけで、早々かんたんに『悪いこと』をやめられないのが、年増チームの業でもあります。
二人だけで向かい合っていると一生感情を拗らせ続け、負のエネルギーを溜め込んで心中するだけなので、子供たちが持つ光の可能性が彼女たちに届くことで、彼女たちの生き方が変わるルートを期待するしかない感じ。
あまりにも時間が経ちすぎ、込められた感情と現実での挫折が重たすぎるので、大人たちはもうどこにも行けない(と思いこんでしまっている)よなぁ。

『大人』になって言葉の使い方、『嘘』の付き方(もしくはより残酷な『真実』の暴露の仕方)を学んだことは、クロワの願いを現実に変える大きな助けになっています。
魔法界の改革者、気のいい話せる先生、『悪いこと』なんてしない信頼できる『大人』。
そういう『嘘』を演じることで、クロワは人造救世主として過去を贖う野望にどんどん近づいたわけですが、その口の巧さが一番大事なものを覆い隠してしまっているのは、非常に皮肉です。


クロワが推し進めている計画は、未来に繋がるものではなく、失敗した過去を取り戻す意匠に満ちています。
シャリオがやろうとして失敗した世界改変を、より現実的に、より自分らしく、より残酷に再演することに意識がいっているのは、そらもう、どうしようもないほどクロワ先生の心がシャリオで満杯だからでしょう。
シャリオを乗り越えたいし、アーシュラ先生を否定したいけども、自分が憧れたシャリオの炎に蘇ってほしいし、自分がシャリオになりたいし、シャリオになりたくない。
あまりにも複雑な感情複合体(コンプレックス)の源泉、クロワ先生の『あなただけの魔法』はやっぱり、『シャリオのことが好き』ってことなんだと思います。

そうじゃなきゃ、こんなにシャリオへの復讐と復活のために、自分(と他人)を粗末にできないでしょう。
クロワ先生はいつでも一人で、美味しくなさそうなカップラーメンを啜っていました。
『かつて成し得なかったシャリオのスタイルで、救世主としての自分を確立する』という目的……過去の再獲得のためには、現在と未来はどれだけ粗末にしてもかまわないという心象が、食事に反映された演出です。
そこで見つめられている自分は、肥大化したクロワ・メリディエスであると同時に、かつて共にあり、そして離れていったシャリオ・デュノールなわけです。

自分の中にいるシャリオを真っ直ぐに見つめられないからこそ、見つめるわけにはいかないからこそ、シャリオ最後の夢であるアッコを当てつけのように壊したがる。
シャリオの残り火としてのアーシュラ先生を否定し、自分の中で黒い太陽のように輝くシャリオを、失われた過去の中で共有されていた美しい友情を取り戻す。
それが本心だと思い込む物分りの良さも、クロワ先生の『大人』の部分なのかもしれません。

でもそれはやっぱり自己欺瞞であり、もっと大きな世界の真実にも背いている。
過去が輝きを放つのは、今と未来に接合し、厳しい道を歩くための糧として憧れを与えてくれた時。
憧れだけで終わらせないために、美しい思い出の残酷な真実も含めて向かい合うことでしか、死せる過去は生きる現在として蘇らない。
そういう道にアッコとダイアナ、アンドリューという『子供たち』は向かい合う定めにあるし、かつて『子供』であり、『大人』のフリをしつつ全くもって『子供』の自分と向かい合えていないクロワ先生とアーシュラ先生も、そこに立ち返らなければいけないと思います。
それは社会的な義務とか、道徳的な規範とかではなくて、そうやって自分をケアし、本当の気持と向かい合わないと、幸せにはなれないという感覚……温もりの問題です。


強すぎる光は人をひきつけ、翼を焼いて地面に叩き落とす。
EDでアッコがイカロスの翼を手に入れているのは、今回示された残酷な構図を先取りしていたのでしょう。
クロワもまた、シャリオとの強烈に過ぎる過去に縛られ、世界や他者を巻き込んで無謀な飛行を続けている。
夢を失い、シャリオであることをやめたアーシュラ先生だって、最後の夢をアッコに託し、自分がなしえなかった言の葉探しを託している。
ダイアナもまた、憧れて見上げたシャリオのステージで力を奪われ、歯を食いしばって今の位置まで戻ってきました。

過去と現在、複雑に別れた魔女たちは皆、『あなただけの魔法』を胸に秘め、強い光にそれを助けられ、また憧れの翼をへし折られ、現実の痛みを知りました。
それでも、心を殺して飛ぶことをやめれるものは、一人もいません。
女たちのもがきを描く中に、『どれだけ傷ついても人の背中を押し続ける魔力こそが、魔法を魔法足らしめているのだ』というメッセージが込められているとしたら、やっぱりこのアニメは非常にクレバーで、残酷でもあると思います。

そしてこのアニメは、残酷であるだけでは終わらないし、その公平な視線をより前に、温もりのある方に向け続けてくれます。
今回現実の冷たさ、夢の凶悪な熱気を正面から浴びたアッコは、とても傷つきました。
でも、夢という透明な翼は自己治癒力を持っているし、それが再び羽ばたけるように後押ししてくれる仲間たちのかけがえなさは、これまで幾度も描かれてきた。
どんだけ間違えてもへこたれない、悪びれない、諦めないアッコのバカで元気で頼もしい姿も、何度も見てきた。
だから、ここで終わるはずがないし、実際終わりはしないのです。

アッコの再起に、仲間たちはどういう助けを与えるのか。
間違えてしまったと思い込み、過去を否定し、あるいは歪な復活を望む女たちは、己の心とどう向かい合うのか。
様々なものが明らかになった今回、整理された道と同じくらい(もしくはそれ以上に)、クライマックスへと繋がる太く力強い道程が見えてきました。
リトルウィッチアカデミア、最終盤。
非常に楽しみです。