有頂天家族を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
風雲急を告げ、疾風に勁草を知る。加速する陰謀、混乱を極める状況のなかで、良い阿呆も悪い阿呆も皆踊る。まさにクライマックスという塩梅の、狸の馬鹿し合いであり、化けの皮の奥の至誠が見える回。
うーむ、見事に化かされてしまった…ここまで綺麗にやられると気持ちがいい。
というわけで、複数軸で陰謀と活劇が展開する今回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
息子の革を被って状況を握り込んでいた早雲が、金曜会への復習も兼ねて矢三郎を鍋に、自分は偽右衛門になろうとあがいて、弾が出ない空気銃を用意した、という感じか。
野望のためなら身内だろうと同族だろうと生贄にするのは、早雲の血であろう。
このアニメのサブ・タイトルは『二代目の帰朝』である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
その名の通り、天狗の二代目が帰還して物語は始まり、狸の二代目が帰還して物語が終わろうとしている。よく出来た題名だなと感じいるが、親世代のゴタゴタと想いをひっかぶりつつ、子供世代が必死に走り回る形となった。
まず長兄たる矢一郎は、物分りの良い大人の皮を脱ぎ捨てて、再び虎へと変わった。しかしそれは、将棋のときのような私憤ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
薄汚い陰謀への怒り、身内を殺されかけている憤り、狸の名を汚す日和見主義への激怒。つまり公憤に矢一郎は虎となった。
義なる怒りを支える妻は、今度は虎にならない
『阿呆にも良い阿呆と悪い阿呆がある』というのは二期では特に強調されているところで、組織のロジックと私益が腹にまとわりつくと、人が死にかけてんのに『私のハワイ…』と寝言を言ったり、金曜倶楽部の凡俗のように極めて無垢に、命を奪ったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
為すべきことを為せないのは、馬鹿のすることだ
矢一郎は父から受け継いだ一族の誇りを、身内への愛を、世間の悪しき風習を黙って飲み込めない阿呆の血を騒がせて、虎となって吠える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
それは誰かがやらなければ、天の道理がひっくり返ってしまう行動だ。そういう義を通すために、長というのはいる。兄貴に負けたナイーブな自我を守るためではない。
夢の中で矢三郎は父と出会い、話をする。それは現実では矢二郎が行った行動であり、それが彼の重荷にもなっているが、矢三郎にとって最後の言葉をもらえなかったことは、父と和解する足かせともなっていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
さんざん阿呆をした結果、矢三郎は父を許す。自分が父の子であることを認める。
『助けてやる』という夢の中の約束、お父さんにやってほしかった願いは、当然そのままでは叶わない。父は死んでいるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
しかしその血と魂を受け継いだ長兄が、万難を排して駆けつけてくれる。仁と義のために、偽りの権威に背中を向けられるか、否か。矢一郎は見事、父の衣鉢を継いだのだ。
兄に父の面影を追いかけている幼い部分があるというのは、第8話での振る舞いを見ても判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
自分を十分に愛することなく死んでしまった、オヤジの代理をやってくれ。三男の残忍な甘えをそのまま飲み込むわけにもいかず、しかしその思いを踏みにじるわけにもいかず。兄貴としてはシンドいところだ。
そんな幼い矢三郎は、夢の中で父と対話することで父を許し、自分を許し、兄を許す。父は死んでしまったのだと認め、兄は父ではないのだと認める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
総一朗のへその緒を健全に断ち切ったことで、兄と弟はより真っ当に向かい合い、為すべきことを為せるようになってきたのだ。
オヤジの代理人はもう一人いて、ぽんぽこ仮面こと淀川教授である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
胸毛が眩しいただのおっさんの姿は、ひどくみっともない。ただの人間相手に取り押さえられ、オナモミに毒が塗ってあると嘘をつき、涙を流して必死に走り回る。
でもその無様な有様が、これ以上ないほど人間的で、僕には綺麗に見えた
教授は本当に、心からたぬきを食った過去を悔いているのだ。風呂の中からずぶ濡れで毛玉を救ったのは、罪深い過去の自分を洗礼する行為であり。産道から新たに生まれ直す行為だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
みっともなくても、情けなくても、為すべきことを為す。己の良心と人道にもとづき、偽りを体を張って正す。
教授の担当パートはコメディだ。トホホって感じの、気の抜けた笑劇だ。かっこいいのは矢一郎担当、話の主役はあくまで矢三郎。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
でもあのダッセェ仮面を付けて、敵地に震えながら乗り込んできたオッサンは、なるほど正義の味方だった。情のある人間だった。涙がでるほどカッコ良かった。
教授だってオヤジじゃないんだから、魔法なんて使えやしない。ドタバタ身の丈になった大暴れをして、状況をかき回して、せいぜい命を助けることくらいしか出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
死んでしまった総一朗だって、やっぱそうだったのだ。どこから見てもスーパーマンじゃないが、だからといってダメじゃない。
二人の親父代理(早雲の陰謀を晴らす決定打を持ってきた次男を加えれば三人か)と向かい合い、その限界と至誠を確認することで、矢三郎はようやく親離れが出来たのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
そういうことを考える回だった。夢を見て檻に囚われているだけなんだが、人格形成においては決定的。面白い立ち回りだ。
親超えは呉一郎と二代目、二人の息子もしっかりやってのける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
卑賤な狸の事情なんぞ知ったことではない。そういうスカした表情を崩さないまま、『この鉄砲はおもちゃだ。人は殺せない』と見抜いて下鴨一家のアリバイを証明してくれた二代目は、天狗の傲慢と身勝手から巧く身をかわしている。
愛人可愛さで矢三郎を破門し、状況がここまでこじれる理由を作ったオヤジとは違った道を、二代目は歩いてきているのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
それは冷淡さの現れではあるが、あるべき公平さ、力あるものの義務を適切に果たしている。彼もまた、為すべきことを為して親を超えにかかっている。
早雲の正体を指摘した呉一郎もまた、同じ線上にいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
例え親でも、不義を為したものは糾弾しなければいけない。それは人でも狸でもない怪物になるべく、かつて兄を殺し、甥を殺しかけ、今娘を生贄にして身内を罠にかけつつある早雲の身内食いとは、全く異なる行動だ。
真・呉一郎の婆娑羅坊主のナリを見ていると、矢一郎の義憤とはまた違う、侠客のような『スジの通らなさ』から父を撃った気はする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
阿呆のように踊らされ、謀略の片棒を担がされている金角・銀角はともかく、海星まで的にかけてきたなら黙ってられない。そういうところかもしれないが。
とまれ、破邪顕正の金剛杖がうなり、外道の正体見たり夷川早雲。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
切れ長の瞳がスッと冷え、巨悪の気配が偽・呉一郎の表情に滲む瞬間は、見事に見栄の効いた作画であった。ここでキッチリケレンを付けて、義が為される瞬間の快楽を絵に塗り込めてくれるのが、非常に嬉しい。
早雲がどういうからくりで状況を操っていたかは来週明らかになるところだろうが、ヤツの陰謀は二人の二代目の正しい行いによりひっくり返された。彼らもへその緒を切ったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
流されるまま、坊主にもなれば消防士にもなる金角・銀角とは大違いだ。銀角は兄貴と離れることで、少し自分を出してたが。
男たちの大立ち回りの中で、玉蘭以外の女は少々存在感が薄い。しっかし良い嫁さん貰ったな矢一郎、おめでとう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
ここで出番をタメてるということは、弁天と海星、主人公の周囲をふわふわと漂う不思議な女が舞台に上がり、己を主張するときこそが、お話の収まる瞬間にもなるのだろう。
弁天も淀川教授のように泣いていたが、その涙は贖罪の水なのか、はたまた思い通りにならない状況を嘆いてのことか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
安易に心の中を見せない大天狗であるが、弁天の心の中もまた、来週見えて欲しいところだ。赤玉オヤジに反発しつつ影響受け過ぎで、あの女マジめんどくさすぎんよー。
それにしたって、早雲の化け術には見事に乗っけられてしまった。『オメーに流した涙返せ!』とは言わないが、アレだけいろいろな感情を込めて殺してこう使うのは、非常に面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
手腕があまりに見事なので、騙されてた憤りより、綺麗に転がされてた嬉しさのほうが先に立つ。いい展開だなぁ。
死んでも死なない生き汚さは、大ピンチから(オヤジ代理たちの助けも借りつつ)逆転した矢三郎と同じだったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
阿呆さと同じように、様々な特性も人次第、状況次第で良くもなれば悪くもなる。偉大な偽右衛門の血を同じように引きつつ、怪物となった総運と、仁義のために走る息子たち。
親子という縦軸をぶっとく貫通させつつ、様々なキャラクターの成長と阿呆さ、生き汚さと陰謀が見え隠れする、まさに群像劇の最終盤という回でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
テーマ性がしっかりあるので、横幅広く描写しても全てがまとまって感じられるのだなぁ。非常に面白い。回跨ぎも仕掛けも見事に機能してるし。
オヤジの思いを受け継ぎ、あるいは跳ね除けて、子供たちは己の道をひた走る。死んだオヤジは生き返らず、死んだはずの怪物は帰ってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月18日
未だ動きを見せない女たちも引っくるめて、来週どんな絵を見せてくれるのか。それが混ざりあってどういう結末に落ち着くのか。いやはや、非常に楽しみだ。