イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

正解するカド:第10話『トワノサキワ'』感想

ファーストコンタクトSFから異世界人の恋の鞘当てを経て、さてどこにぶっ飛んでいくのかこのアニメな、カド第10話であります。
宇宙開闢以前からの徭沙羅花の履歴書を総ざらいし、ザシュニナとの超絶ヤンデレバトルを経て、主人公コンビは箱の中の箱への退却、ザシュニナはコピーと一緒に箱の外へ。
正直最初に想像していたラインとは全く違う道を歩き始めていますが、これはこれで面白い展開になってきたと思います。
ザシュニナという箱が空いて、価値観のズレが明確になったというか、落とし所は見えてきた気もする。
そしてそこを更にすっ飛ばして、とんでもないところにぶっ飛ぶ可能性にも少し期待してしまう……面白いな、このアニメ。


さてはてというわけで、ここまで人類に問題を課してきたザシュニナと、彼の側にい続けた真道さんが道を違える展開となりました。
願望も込めて、人類が独力で異方にまで上り詰めるのを見守ってくれる存在だと思いたかったのですが、ザシュニナにとってこの宇宙は不完全で取るに足らない場所。
異方こそが『正解』の世界であり、三次元はそれに劣る子供……もしくは単純生物みたいな扱いなのでしょう。
まぁ異方が扱える領域のデカさを考えると、それも無理はないかな。

一方徭さんはくまになったりくりになったり、儚く生死を繰り返すこの宇宙の宿命、瞬きのような命の点滅をこよなく愛する三次元ガチ勢。
生まれて死んでいく宿命を前提として価値観を組み上げてきた普通の人間(僕ら視聴者含む)としては、親しみを感じる立ち位置です。
ザシュニナが異方存在としての『正解』を大事にしているのに対し、徭さんは人間の『正解』を大事にしている感じかな。

過去回想の中で徭さんは、熊になって自分自身が狩り殺されてみたり、徭沙羅花として普通に人類やってみたり、三次元世界に体を預けた生き方をしています。
熊や人間の意識は個別にありつつ、そこに『異方存在・ワ』が覆い重なる感じか。
それは痛みや儚さを孕んだ実感であり、ロジックで全てが切り分けられる理論ではないのでしょう。
熊や徭沙羅花の人生は、異方存在のもとで繰り返される物語であると同時に、たった一回しかない命の物語でもある。
『異方存在・ワ』という統一性がある時点で、人間の一般的な生き方とは異なるかもしれないですが、少なくとも生命の明滅に寄り添い、異方の永遠性から離れようという努力ではあると思います。

徭最初の思い出にはいたお母さんは、迷子の彼女を探しにお父さんが走り回っているときには、もういません。
沙羅双樹の花が散るように、命が消えるのは人の宿命。
お父さんが予言のように呟いていた言葉は、配偶者の死という形で現実となり、それを受け入れて娘を育てている姿が、あのシーンなんだと思います。
ここらへんをセリフで一切説明せず、視聴者の読み取り能力に任せる不親切さ(もしくは信頼感)が、カドだなぁと思う。

お父さんが必死になって探し回ってくれたこと、もしくはお母さんが儚くなったこと。
徭さんの人生に刻まれた唯一無二の思い出たちは、『異方存在・ワ』が生命(もしくは生命以外)を繰り返す中で蓄積され、彼女を『この宇宙最大のファン』にしたのでしょう。
物理を超越する異方の力を持ちつつ、制限された三次元宇宙の宿命と、それに支配された命の決死な努力をこそ慈しむ。
徭さんのスタンスは、一度何かが起こったら逆行はしない、取り返しがつかないこの世界のルールを肯定する立場だと言えます。

無論、世界には復元力というものがあって、真道さんの傷も徭さんのケアで治療されるわけですが。
時間は逆には戻らないけども、元に戻ろうとする力が同時に存在しているのもまた、この宇宙の宿命。
生と死のせめぎあい両方……というかそのぶつかり合い、流転の中に意味を見出すのが、『異方存在・ワ』が能力の大半を失いつつ選び取った価値観軸なのでしょう。


そこら辺の不可逆性と復元力をもいじれてしまうのが、異方の超常たる由縁。
真道さんのコピーとも、形を変えたオリジナルとも言える『三時間前の真道幸路郎』を選んだザシュニナは、道理を曲げて全てをやり直しにかかります。
徭さんのスタンスはあくまで宿命を書き換える手立てがない時唯一絶対の真理であり、それを実際に変化可能なザシュニナを前にすると『意見の一つ』になっちゃうんですよね。

物理法則をいじり、生死の唯一性を書き換え、因果関係と時間すらも意のままにするザシュニナ。
そらリセットボタンも押したくなるし、自分の中の答えを唯一絶対の正解としたくなる所ですが、ザシュニナもまた人類(そして真道さん)とコンタクトして、大きく変わっています。

理論では『三時間前の真道幸路朗』と『真道幸路朗』には違いがないはずなのに、自らの暴力で彼を傷つけ、代理として選び取った『三時間前の真道さん』を己の望む方向に誘導しながら、彼はひどくつまらなそうな顔をしています。
真道さんの腹から盛れた赤い血……死に向かう命は、計算よりも暖かかったのか、冷たかったのか。
異方存在として血を流さないザシュニナ(その切断面は常に、カドと同じように幾何学的で安全でした)ですが、真道さんと触れ合い、消え行く命を己の実感として経験することは、想定外の出来事だったようです。

サンサ編終了以降、お話の潮目は大きく変わって、よく理解できない異物/神/モンスターだったザシュニナの内面はクリアになりました。
箱の中身を見てしまえば、良くも悪くもそこに何が入っていたかは固定されてしまい、それが不透明であることを前提に進んでいた物語とは、大きく進み方が変わってきます。
ザシュニナが用意していた答えはひどく傲慢で、『人類は異方に向上するべきだ』という自分だけの答えを、真道さん(そして人類全体)に押し付けるものです。

ザシュニナの力を持ってしても、三次元宇宙から異方へのコンバーションは奇跡のようなもので、それを成し遂げるためには多大な喪失が生まれます。
そこで失われる意識は、その完全なコピーを作ったとしても尊厳のない死なのではないか。
いくら複製が可能といっても、失われてはいけないものはこの宇宙の中にあるのではないか。
そういう疑問をザシュニナはロジカルに切り捨て、真道さんも切り捨ててしまいました。
ここら辺に一種の残念感というか、小物化というか、『お前完璧じゃないんかい!』というツッコミを入れたくなるのは、まぁしょうがないでしょうね。
そこが可愛くもあるのだが。


ザシュニナはこの宇宙に介入することを決めた時の志をそのまま維持して、真道さんをコピーし、ナノミスハインを世界に拡散させ、異方への旅を加速させ続けています。
最終的な望みが『異方』に固定されている以上、ザシュニナから与えられる恩恵もまた加速の方向に固定され、減速を視野に入れた多様性というのは担保されない。
カドの出現から始まった交渉と技術供与は、最初から結論ありきの不公平なものだったと、ザシュニナの内面が明らかになることで見えてきました。

これは生死と有限の宿命に支配された視聴者、それを肯定する徭さんにとっては、あまり好ましくないものです。
ザシュニナが神の如き力を持っていても、実際に宇宙創生にすら関わる異方存在だったとしても、私の命は私のもので、唯一絶対のものとして尊重して欲しい。
人間のあり方について一番根本的な部分を、ザシュニナの『正解』は殴りつけています。
そしてザシュニナ自身も、無意識的にそれに気づいているきらいがある。

徭さんが命のサイクルに身を投じ、経験を価値観として蓄積したように、ザシュニナも真道さんと出会い、彼の外見をスキャンし、対話を通じて三次元宇宙の宿命を学ぶうちに、儚い有限の中に尊さを見つつあるのではないか。
人間に恋してしまった神様は、その結果として完璧ではなくなってきているのではないか。
そういう感覚を、ここまでの話運びとザシュニナの表情から、僕は感じました。

まぁ僕ザシュニナのこと好きなので、色眼鏡かかってるわけだけど。
排除するべき『間違い』ではなく、受け入れるべき多様な『正解』としてお話を収める方向に、どうにか収まって欲しいなぁと思うから、言葉で明言されない表情の中にそういうサインを見つけているのかも知れん。
しかしまぁ、『異方と出会った事自体が全部間違いで、人類は人類としての宿命に一切逆らわず、この出会いと変化をなかったコトにして、これまでと同じ生き方を続けなさい』って終わりじゃあ、あんまりにも寂しいと思うのね。


さておき、ザシュニナは自分の『正解』を抱え込み、交渉の場であるカド内部から去りました。
面白いのは、ザシュニナや徭さんの真実、異方存在の内面が明らかになった物語は全て、介入不能な密室での出来事だった、ということです。
その外側にいた浅野さんや夏目さん、花森や品輪さんにとって、ザシュニナという箱は閉じられたままで、その奥にどんな思いがあったかは解らない。
それを知り得る真道さんは『三時間前の真道幸路朗』としてセーブ&ロードされて、中で起きたことはザシュニナ以外知り得ない物語、なかったことになったわけです。

ここら辺、神の目で物語を見て『超常存在の痴話喧嘩』という側面を体験した視聴者=『内部』と、『ポリティカル・サスペンス・ファースト・コンタクトSF』を継続中のキャラクター=『外部』の対比がメタ的に存在してて、結構面白い。
その中間地点に『内部』を知り得る真道さんたちが結界を作り、いわば『内部の内部』として物語から切り離され/保護されているので、そこから『外部』に出てきた時状況は動くんだろうな。
僕らは箱の中を見たけど、キャラの大半は見てないというギャップをどこでどう埋めるのかは、結構大事な要素だと思います。

ザシュニナや徭さんが人類と接触して変化したように、真道さんもまた、ザシュニナと触れ合う中で変化してきました。
ぶっちゃけて言えば、世界で最もリベラルな交渉官である真道さんは異方への前進に好意的だし、ザシュニナの『正解』も保留は付けつつ同意する物も多いと思います。
そうじゃないと、ワムやサンサを人類に供与する交渉のテーブルにつかないし、ザシュニナとわかり合おうともしないでしょう。
真道さんがザシュニナの『正解』への答えを出し渋ったのも、より良い『交渉』をまとめ、ザシュニナの『正解』を否定しないための選択なんだと思います。
まぁザシュニナくんはそれを『嘘』だと思って、拒絶してしまったわけだけど……ここらへんも相互理解の拒絶だよなぁ。

一方人類ガチ勢の徭さんは自分から歩み寄って生きてきたので、真道さんと密室で事後まで一直線、と。
このままザシュニナと没交渉のまま事態が進展し、『内部』でのスキャンダルが伝わらないまま変化が加速し続けるのも一つの道でしょうが、それもどうかなぁ、と思います。
ザシュニナと真道さんがもたらした変化は実際に起きてしまっているわけで、もう人類は異方以前には戻ることが出来ない。
あるがままを大事にする徭さんの自然主義から見ても、ザシュニナの意図は別として、それがもたらしたものにどう対処するべきなのかは、ちゃんと答えが出たほうが面白いと思います。

その時、ザシュニナの加速主義を徭さんの自然主義に巧く取り込み、相互理解・相互利益を生み出すことが出来たら。
このアニメの『交渉』の描き方に惹かれていた身としては、そういう方向に進んでくれるといいなぁ、と思っています。
今は『内部』で展開した人間スケール(に異方存在を当てはめ、理解していく)の物語に重点が移ってますが、カドがもたらしたものに向かい合わざるをえない『交渉』に移ることで、人類以上のスケールをもう一度捉え直すことにもなるだろうしね。
カド来訪からのスケールのデカイ話も面白かったので、そっちも大事に進めてほしいわけよブッチャケ。


というわけで、期待混じりの予測を交えつつ、お話の『内部』と『外部』が分離していくエピソードを考えてみました。
いきなりコズミックフロントみたいな壮大な映像が始まって、『ほんとスゲェなこのアニメ……』ってなったわ。
なお、真道さんをめぐる異方存在恋鞘当も含めて嫌いじゃない……ていうか好きです僕は。
振り幅すげーから、ポジションを確認しながらじゃないとぶっ飛ばされるってだけで。

正直どこに着地するのかさっぱり読めず、落とし所が楽しみなような、不安なような。
これまでこの物語が描いてきたものは全体的にビカビカギラギラと、異様な存在感と魅力を放っています。
マクロからミクロまで、色んな感情や描写をまとめ上げ、この作品だけが描けるクライマックスに熱を込めることができるのか。
稀代の怪作がどこに走っていくのか、目が離せないし楽しみでもあります。
変なアニメだなぁほんと……好きだな。