終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか? を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
第1話で予見されていた破局に向かって、レールの上を運命が走る。気合の入ったアクションといい感じのBGMでお送りする、物語と恋の終わり。
起きていることはしんどいが、エピローグの仕上がりで飲み込んでしまった
というわけで、レプラカーンが空を飛び、ザックザクと獣を切り伏せる回。疾走感のあるアクションに興奮もしたくなるが、悲壮感が先に立ってそれどころじゃないのは、なかなかいい塩梅だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
局地戦で勝てて、総力戦で詰んでる。あの世界の状況と同じであるなぁ。
クトリとヴィレムの死に様に関しては、まぁ既定路線というか、あるべき道をしっかり踏んで進んだというか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
裏切りのない茶番…ともまた違う、スゲー嫌だけどキャラの心情としても、世界設定としても、ジャンルとしても、物語全体の必然としてもここに行き着くしかないうねりがある終わりだった。
クトリとヴィレムの相互モノローグ(思いが通じ合うダイアログではないのが冷静)だけだと、泣きゲー特有のムードに吹き上がった惨殺心中に落ちてしまいかねないわけだが、ノフトがその気持を代弁することで、巧く視点が複層化していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
相互モノローグ擁護派のネフレンを置くことで、さらにいい具合
生き残ったノフトとネフレンの対話は、そのまま視聴者の立場を言語化してもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
このお話にどういう感想を抱くかをキャラクターに先回りさせることで、視聴者のやりばのない感情を誘導し、着陸地点を示す批評的技法。
これが最後の最後にコンパクトに挿入されたのは、巧いなぁと思う。
勝手に満足して、勝手に死んで、ふざけんじゃねェぞという気持ち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
それはクトリとヴィレムの幸せで、彼ら自身のものだから、外野がとやかく言うもんじゃないという気持ち。
2つを抱えながら、僕もノフトとネフレンのように無力に横たわり、物語が終わった後の世界で傍観するしかない。
クトリとヴィレムの、つがいとして正しく閉じて自己満足的な終わりと同時に、それに置いてけぼりにされる生存者の物語を素直に切り取って映したことは、このアニメにとって凄く大きいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
置いてけぼりにされている感じがないというか、気持ちの置き場を作ってもらえた。それも2つ。
あ、ネフレンじゃねぇやラーンだ。訂正。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
『空から落ちてきた弱いものを、下に入って拾う』という特権を最後の最後でひっくり返すクトリの死に方も、結構好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
今回も再演してたけど、空から落ちるかわいそうなヒロインをカバーするのは、いつでもヴィレムの仕事であり、特権だった。救済者としての男性類型。
それは『死にゆくもの、かわいそうな存在』としての女を前提とし、固定化する結構ヤダ味のある役割分担だったわけだが、最後の最後でクトリが『すくい上げるもの』になることで、巧く壊せたかな、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
まぁ壊したところで、ヒロインも主人公も死んじゃうわけだが。
露骨な転生を果たしたクトリはまぁ死んでいるわけだが、大賢者に『王大人死亡確認!』されてたヴィレムは、何もつかめない修羅の生に帰ってきたのか、はたまたカルマを燃やし尽くして死んだのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
前者じゃないかなぁ、という気はする。何度も救済を手から溢れ落とすのが、世界最後の人間の仕事かなぁ
ヴィレムくんは戦いしか出来ない自分の生き方を悲観していたが、妖精たちがいうように、彼の奮闘は彼女らの精神と、妖精とこ汚い獣人のオッサン達の命も救っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
それじゃ満足できないから、勇者になろうとしたんだろうけども。美醜で生存が決まらないのは地味に好き。
あとクールで軽薄なアイセアの仮面が最後の最後でベリッと剥がれ、魂の底から泣けたのは非常に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
いや、大切な人が死んでの涙だから良くはねぇんだが、それでも泣けないよりは良い。あの子の強がりは、フォローされないで終わるとちょっと痛ましすぎる。そういうところもエピローグが良かった
総じて、ゾンビの話だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
神様の死骸を練って作られ、破滅を約束されたレプラカーンも。
世界を救えないまま、修羅の宿命を抱えて生きる実感を求める最後の人間も。
対話のないぶっ殺し合いの中で、それでも不自然に生きようとする世界自体も。
みな半死人であり、半生者だった。
重力のように、虚無の方向に傾いた世界に引っ張られつつ、恋をしたり、戦ったり、守ったり、日常を送ったり。死にたくないけど死にかけて、なんとか生きようとする普通の人の気持ちが、典型的泣きゲーの外装に独自の風味を与えていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
最後の戦い(まぁそれは世界の命運をかけた最終決戦ではなく、たった1つの局地戦なんだけども)で、妖精たちは顔のキレイな主役だけではなく、なんでもねぇこ汚い獣人のオッサンたちを守るために、血まみれになって頑張る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
オッサンたちも必死に自分の命を守り、妖精を助けようとする。
ともすれば兵器庫の閉じて暖かい『家族』の空気で終われてしまう物語を、あえて遠い地上の、見知らぬ人たちとの偶発的共闘で終わらせたのは、なんか凄く良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
妖精も、ヴィレムも、もはや世界の『普通』となってしまった獣人たちも、死にかけの世界でなんとか生きようとしている。
そういうスタンダードがあるからこそ、妖精やヴィレムの特権的でキラキラした、キレイな人生(そしてキレイな死に方)も過剰に装飾されることなく、一つの物語の終わりとしてじんわり、イヤーな腹痛を伴って飲み込めるんじゃないかなぁと、僕は思ったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
無論それは、ヴィレムとクトリが運命的に出会って、恋に落ちて、死にたくないのに死んでいく過程をちゃんと描いたからこそだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
主軸が太いからこそ、風景が広がる瞬間に驚きとさわやかさがある。ジャンルのお約束に淫するように見えて、かなり真剣なお話だったと思う。
クトリは自称の通り、世界一幸せな女の子だったのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
そんな女の子をお嫁さんに貰ったヴィレムくんは、幸せだったのか。
作品で提示されたキャラクターの感情をどう受け止め、評価するかは視聴者に委ねられた権利だ。その自由を奪うことも、創作は出来る
『今見たものだけが、この世界の真実だ』と
しかし、二人のつがいの主観的真実をちゃんと掘り下げつつ、獣と獣人が殺し合い生き延びようとする世界の決死さとか、置いてけぼりにされる妖精たちの涙とかを切り取って、そこから離れていく努力を、このアニメはしてくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
それは倫理的アリバイでもあるし、背筋を正した誠実さでもあろう。
ジャンルへの思い入れ、キャラクターへの愛情、作り出した世界への想いを大事にしつつ、視聴者の感想を描き込む余白を、作品に残してくれたこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
それを泣きゲーとしての仕上がり、主役たちの物語の熱量と並立してくれたのは、この趣味の悪い話を最後まで見た時、なんか救いだなと思った。
作品が用意してくれた白紙に、どういう判断をサインするべきなのか。というか、僕はクトリとヴィレムの死に様をどう評価するのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
さっぱりわからないし、分からない気持ちで今いることが、良いなと思う。
生き死にを割り切れないところまで、キャラクターが胸の中にいるのって、まぁ凄いじゃん。
アニメが最終回を迎えても、このモヤッとした白紙はどこかに残って、半日亜とか半年先か10年後か、ふとした瞬間僕は、この作品のことを思い出すだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
面白かったな、可愛かったな、いい話だったな、でも納得は行かねぇな。
ああ、好きだな、と。
いいアニメでした。ありがとうございました。