『書くことについて(スティーヴン・キング著、田村義進訳、小学館文庫)』読了。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
英字タイトルは『On writhing:A memoir of the craft』であり、モダンホラーの巨人が率直に作家としての回想と執筆法についてまとめた本。
構成としては生誕から30代後半まで、身を立てアルコールとドラッグの海から帰還するまでを、ショートショート集風味に語った『履歴書』と、小説の書き方について過去作や他作家の分析などを交えつつ書く『書くこととは』、そして執筆時の作者を襲った奇妙な悲劇についての『後書き』で構成されている
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
これら三つはそれぞれ独自の味わいを持ちつつ、不思議と連関しながらお互いを引き立て合い、この創作論とも実用書とも自伝ともつかない不思議な本に、濃厚な陰影を付けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
語り口はどれもざっくりとして率直。作中称揚するスタイルそのままに、誠実で嘘がないようにみえる。いい意味で米文学的だ
母子家庭に生まれ、才覚の片鱗を見せつつも居場所を見つけられない少年時代。貧困の中で妻に出会い、書き続ける日々。腐敗しかけの病院のシーツを洗い、片田舎の高校教師を続ける鬱屈。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
『履歴書』に綴られるキング史は、生臭くもどこか超現実的、自分のことを語っているのにキングの創作に通じている
”キャリー”のペーパーバック権が40万ドルで売れ、どん底から一気に這い上がる瞬間には、泥まみれのアメリカンドリームが確かにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
職業作家になってから、ドラッグとアルコールに溺れ、そこから抜け出す下りは自虐的で湿っていながらどこか乾いていて、ちょっとウィリアム・バロウズっぽい。
『まぁオレ、こういう経緯でアメリカンモダンホラーの巨人になったわけだけども。そろそろデカいこと言ってもいいかな?』という塩梅で、文字通りの『履歴書』を見せる第1章。そこには、短く切れ味の良い、シニカルで知的な楽しさがみっしり詰まっていて、引き込まれるように読まされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
キング史を隣で聞いて、読者の脳内で構築された『キング性』みたいなものは、第2部で具体的なメソッド、心構え、あるいは哲学を並べていく際に、大きな仕事をする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
キングはあくまで『オレはこうだよ』というところから出ない。文体にしても、小説技法にしても、デカすぎることは言わない。
自分が良いと思うもの。それを信じ、アメリカどころか世界中にファンを作り、山盛りの賞賛と札束、罵倒と批判を生み出した信念を、率直に語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
説得力を乗せてそれを受け取るためには、『なるほど、スティーヴン・キングはこういう男なんだな』という像を、読者の中に作っておく必要がある。
少年時代から作家として羽ばたき、アルコールで撃墜されて立ち直るまでを事前に語っておくことで、小説を読んでいるだけでは見えてこない、傷も追えばバカなこともして、それ以上にタフに尊厳を持って生き続けている一人間、スティーヴン・キングの言葉は素直に飲める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
『なるほど、キングがそういうならね』という親しみが、率直で論理的な『オレはこうするよ』を素直に飲み込む、糖衣みたいな仕事をするのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
この工夫(なのか偶然の一致なのかは分からないが)が、巧く主張の客観性と主観性のバランスを取り、非常にいいバランスで論を受け取る足場を作る。
文章は極力シンプルに。初稿はとにかく自分の中の衝動に従って、改稿は読者を強く意識し客観的に。テーマや構図ありきでは物語は生きないが、書き上がったものに統一性と活力を生み出すのは抽象的なヴィジョン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
語法からエージェントの探し方まで、キングの指南は具体的で率直だ。
デカすぎることは言わない。『小説はおしなべて、オレが書かないものも引っくるめてそういうものだ』とは言っていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
ラブクラフトからドゥーリングまで、他の作家もガンガン引用するが、一番引用しているのは自作だ。自分の信じるままに、自分の腕で書ききって世に出したものについてキングは書く
”ミザリー”が、”ザ・スタンド”が、どういう迷い路を経て脳みそから文字に宿ったかを、苦労も霊感も引っくるめてザクザクと語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
その(おそらくは高度に計算された)率直さは、非常に読みやすいし風通しが良い。キングの小説指南にあるように『何を書いてもいいが、自分には嘘をつかない』のだ。
この本に収められた文章それ自体が、ノンフィクションのはずなのに創作的な味わいを持ち、記述されているメソッドと哲学をけして裏切らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
題目を語る言葉それ自体が、方法論の降下を実証し続けるという入れ子構造が、不思議なめまいと説得力を生んでいて、読んでいて気持ちがいい。
それは多分、キングが(人嫌いと頑固さをそこかしこに匂わせつつ)髪の向こうにいる読者をじっと見て、届くように語りかけているからでもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
キングは具体的なメソッドや心構えの合間に言い続ける。書け。読め。この本を手に取った以上、お前も書くことが好きなんだろう? だから書け、と。
そのためのツールとか体験談とかは、必要な分今並べているから、ガンガンやれ。書くことは良い。キツいこともあるけど、俺はそれを杖にして歩いてきて、お前の前で今書いてる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
そういう素裸の語りかけを幻視するような、ポジティブなメッセージが本全体に漂っている。
この本の後書きは非常に長い。一種の闘病記だ。ほかならぬこの本を執筆し、行き詰まり、長く寝かせた後また取り上げ、行き詰まって散歩に出た所で青いヴァンに轢かれて死にかけたあと、また書き直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
そういう現在進行系の自分史について、最後にキングは帰って来る。
膝から下だけで九箇所骨折。下腿が『おはじきの詰まった靴下』のようになる大事故で生死の境を彷徨った筆者は、車椅子を押して急ごしらえの書斎に進み、書く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
突き放した乾きと自己憐憫の湿り気を交えながら、リハビリを続けつつ執筆することについて、過去と同じように率直に書き続ける。
後書き…というか終章のタイトルは『生きることについて』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
全身を継ぎ接ぎだらけにし、這いずりながらペンを取って書くなかで、キングはドラッグとアルコールの海から生還したときのように、執筆が自分を引っ張り上げる感覚を覚える。書くことは人生ではないが、人生の多くにつながっているのだ。
『ものを書くのは(中略)読むものの人生を豊かにし、同時に書くものの人生も豊かにするためだ。立ち上がり、力を付け、乗り越えるためだ。幸せになるためだ』とキングは言う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
色々あって作家になって、作家になってからも色々あった。その中で見つけた結論が、この本とその次の本を書かせる。
過去の歴編と事故の経験で挟み込むことで、キングの創作論はただのロジックを超えて、個人的な体温と痛み、憐憫とタフさを宿し始める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
凄く個人的で、だからこそ実感があるのだけども、そこを乗り越えてなにか普遍的なモノにたどり着いてしまっているような、不思議な叙述。
その鼓動を感じて読み終わるのは、とてもいい体験だった。キングの個人史としても、技法書としても、闘病記としても、一風変わったアメリカ小説としても読める、ヘンテコでチャーミングな本だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
書くことと生きることが完全に癒着してしまった男の告白録でもあり、読み応えは十二分だ。
最後にもう一つ、本文から引用する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年7月8日
『あなたは書けるし、書くべきである。最初の一歩を踏み出す勇気があれば、書いていける。書くということは魔法であり、すべての創造的な言葉同様、命の水である。その水に値札はついていない。飲み放題だ
腹いっぱい飲めばいい。』
いいなぁ、と思う。