サクラクエストを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
地域の終わり、一人の老人の終わり。死に向かう中で何かを残そうとする人たちの遺志と、先端技術が交錯するとき、薄闇の中を智慧の梟が希望を背負って飛ぶ。
国王PTが地域の『内側』に入り、目の前のことを一手ずつ真摯に解決しながら、実のある答えにたどり着くお話。
2クール目の1stエピソード(15/16話は後半のライン引きと、丑松・千登勢の掘り下げメインで、前進はしてない)といえる今回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
ヨソモノ集団として地域の『内』に切り込めず、空回りしていた1クール目と舵を変えて、『外』から来たからこそ出来ることを活かしつつ、何かを為す話となった。
教授という英明なキャラクターを補助に使いつつ、国王達は作られた対立構造のなかを泳ぐ。蕨矢集落の構成員と同じ目線で、生活を共にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
飯を作って一緒に食べて、風呂に入って車を運転する。当たり前の生活が積み上がる描写が、PTに足らない部分を埋めていく。
そういう生活感はPT固有の領地と言えるログハウスの中では、第1話から既に漂っていたものだ。クルー感というか、当たり前の毎日を共有する掛け替えのない仲間の空気。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
建国祭の『失敗といえない失敗』を経て、国王はヨソモノ集うログハウスを開け放ち、間野山番外地・蕨矢集落に馴染むことにした。
そこに居続ける理由を「初めて必要とされた」といっているのは、サラッと演出されたが大事なところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
吉乃はこれまで半年の奮戦を、必要とされるだけの結果を出しているとは見ていない。愛されるだけの資格を、自分が手に入れたという実感はないのだ。気楽そうに見えて、相当根が深い。
仲良く見えるPTの仲間とも、心の根っこから分かり合えているわけではない。『必要とされている』という実感を、ほんとうの意味では共有していない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
ヨソモノ集団は地域だけではなく、個人単位の繋がりにおいてもまだ、ヨソモノなのだ。融和の中で隔意を描くのは、対比が効いていて面白い。
今後解決するべき大きな問題の片鱗に触れつつ、事態はまったり進む。共和国と王国の対立は教授の描いた絵の内、作られた不和だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
飛び地とはいえ、蕨矢と間野山は地縁で繋がっている。麻雀もすればバスも通るし、声はネットで入ってくる。外面的には対立しているが、内部では融和している状態。
それでも教授が内/外を切り分けたのは、そうしなければ届かない声があるから、見えないものがあるからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
滅びに向かう集落の中で、出来る限りのあがきを見せる。ヨソモノとして根を下ろす覚悟を持った男、最後の矜持がそれを鮮明にしていく。巻き込まれたPTはご愁傷様だが、いい講義だったと思う
集落固有の文化をデジタル・アーカイブする行為は、集落単位の終活とも言える。消えるにしても、何もなく消えたくはないという気持ちは、人個人だけではなく土地にもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
それをすくい上げるべく奮戦する早苗ちゃんは、ITと交通をつなぐアプリを開発することで、エピソードを陽性の終わりに導く。
『何故、間野山なのか』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
教授は早苗ちゃんに問い続ける。偏屈者のヨソモノインテリゲンチャとして、教授の衣鉢を継ぐのは早苗ちゃんになるだろう。
教授がアナログなノートに記帳し続けた『間野山』を、早苗ちゃんはデジタルに保存し続ける。形式は変わりつつ継承される意志、時代への適合。
今回のサブタイトルは『ミネルヴァの盃』だが、ミネルヴァはローマの知恵の女神だ。教授が主役ならば、それは男神(ユピテルかな。父性存在だし)の盃になるはず。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
今回のお話の主役は、去っていく知恵の神の盃を受け、引き継いだ早苗ちゃんなのだろう。過去があって、現在があって、未来がある。
井伏鱒二は『この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ』と歌い、寺山修司は『さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう』と返した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
桜は散って、また咲く。教授の叡智と意志は、早苗ちゃんが継いで根を下ろし、花を咲かすだろう。
教授を死なせたのは、こんだけの強キャラが板に残ると作品への影響がデカすぎるという、実務的計算の結果だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
それと同時に、終わりを見据えて進んできた今回のエピソードにしっかり死の影を落とし、終わるとはどういうことなのか、吉乃と視聴者に見せる意味もあったと思う。
去りゆく者たちの矜持。終わると判っていても、一縷の希望を引き寄せる努力。それはなかなか険しい道で、いつでも急に終わってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
そういう世知辛さを教授の死に載せることで、IT大臣の本領を発揮した早苗ちゃん、矜持を取り戻した高見沢さんの成功も、地面に根っこを張る。
ニヒルな現実主義者と思われていた高見沢さんが、一運転手の立場に甘んじず、会社にコミュニティバスの原案を出していたと解ったシーンは、なかなか良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
現実に押しつぶされつつ、元王子だって夢を見る。かつては叶わなかったことも、ヨソモノが持ち込む新しい技術でうまくいくかもしれない。
夢っぽくなりすぎず、でもどこかに夢の色を残して。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
死と終わりを扱いつつ、暗くなりすぎないように。
前回と合わせて、なかなかにバランスが良く、前向きながら歩みの確かなエピソードだったと思う。教授のキャラが強烈で、それを柱にしっかり立たせた感じだったな。面白かった。
地域を巻き込んだ明るい饗宴に見送られて、教授は死んでいく。死人のかんかんのうのような、前を向いたまま未来に続いていく終わり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
蕨矢集落と教授という、エピソード単位の狭いモデルケースは、おそらく間野山と作品全体に投射されている。否定し得ない終わりをに据えつつ、光の方へ進んでいく歩み
教授の盃を受けた早苗ちゃんが、今後仲間をどう支え導いていくかも含めて、終りと始まりが巧く繋がったエピソードでした。エピソード単位のまとまりと、作品全体への広がりが両立していたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
こういう地道な方向で成功を積み上げ、良い嘘をつくのは、すごくこのアニメらしいと思う。来週も楽しみ
追記 エンディングについて
サクラクエスト追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
『とにかく目の前のことを一生懸命やって、トロフィーが後からついてくる』という剣鉾の扱い方、非常に良かったと思う。
1クール目では形ばっかり追いかけてきた国王達が、実質を先にとって形に追いつかせる方向に変化してきたのを、巧く表現していた。
物語である以上、何か分かりやすい形でクエストをクリアした証明は欲しい。剣鉾や祭りはそういうトロフィーなのだが、それを手に入れること自体が目的ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
では、何が本当の目的なのか。これに答えられるようになった時、吉乃の物語は終わるのだろう。分かりやすいビルディングロマンスだ。
本質だけ追いかけすぎると、生身の実感が薄くなっていく。手に触れられる形で『自分たちはここまでやったんだ』という証が残ると、エピソードが浮遊しなくていい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年8月2日
そういう意味でも、PTと教授で手に入れたコミュニティバスに剣鉾を乗せてログハウスに帰還する終わりは、手触りと象徴性が両立してた