イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリンセス・プリンシパル:第6話『case18 Rouge Morgue』感想

華々しき大英王国は、スパイと下層民の死体の上に成り立っているアニメ、ドロシーの過去が墓穴から這い出してくる第6話。
Case18と時間が飛びましたが、虐げられる立場のやるせなさ、世界を回す歯車の厳しさと、その一部たるスパイたちの優しさと危うさを切り取る筆は、衰えることなく苛烈でした。
チームの頼れる最年長として、これまでのエピソードでも魅力を振りまいてきたドロシーの過去と因縁を掘ることで、スチームパンク・ロンドンの歪さと残酷、それを正そうとするプリンセスの野望が照らし出されるお話。
ここまで話を引っ張ってきたアンジェに変わり、父親との因縁、スパイらしからぬ優しさを抱えたベアトを相棒に据えたのも、関係性の裾野が広がって非常に良かったと思います。


というわけで、全国二億人のドロシーファンが待ち望んだ個別回ですが、脳天気にキャッキャウフフとは当然ならず、因縁と残酷に満ちたしんどいお話となりました。
第1話で少し触って以来、スチームパンクロンドンの足元にどういう階層がいて、どれだけ厳しい状況で生きているかということにはあまり触れてこなかったわけですが、ロウアークラスからスパイになったドロシーを触る以上、どん底の生活は描かざるを得ない。
むしろメイドに舞踏会、高等女学校に専用列車と、美しく清潔なものが続いたからこそ、今回カメラが掘っていくロンドンのどぶ板は鮮明でもあります。
コントロールとノルマンディー公がスパイゲームを遊ぶ最上層が垂れ流す下水は、全部あそこに流れ込んで淀み、腐敗し、一番弱い人々を蝕んでいる、と。

第1話のエイミーもそうですが、スチームパンクロンドンを支える工業技術は、沢山の労働者の血を啜って成立しています。
ケイバーライト障害によって萎えた足、あるいは蒸気事故によって失われた腕を保障する社会制度はなく、一度道を間違えたら二度と帰ってこれない、ジャングルのような都会。
第2話で見せたクラス社会や、第5話で見せた外国人差別と同じように、今の社会では当たり前(になるよう、作中の時代以降奮戦を経て『当たり前』になった)な『平等』という価値とシステムは、このアニメのロンドンでは機能はおろか、存在すらしていません。
差別するのが『当たり前』、踏みつけるのが『当たり前』……今でも世界の実相はそういうもんかもしれませんが、少なくとも表通りで堂々吠えれば非難はされるし、種々のシステムによって回避(の努力)されてもいるものが、ここではむき出しになっています。

プリンセスが玉座に野望を見せているのは、そういう『当たり前』を壊し、アンジェ(とプリンシパルの仲間、スパイ活動の中で触れ合った数多の犠牲者)を隔てる社会的・階層的障壁をぶち壊すためかもしれません。
作中一番過去と本音を見せていないキャラなので推測の域を出ませんが、どうもアンジェとの個人的な安楽だけで留まるつもりは、ないように思える。
第3話冒頭でアンジェは『私』の領域にとどまり、多大な労苦を必要とするだろう社会改革に背中を向けて、『カサブランカの白い家』で身を縮めて暮らそう、と提案していました。
その提案を断り『あなたと何の後ろめたさもなく歩くことが出来る世界』を求めたプリンセスは、今回もメインテーマの端っこで、ロンドンを蝕む社会病理に眉をひそめる。
『より善い世界』なんて大きなものには目もくれず、ただ個人的な好みで『公平な世界』を望んでいるのかもしれませんが、重なるエピソードの中で幾度も、華やかなるヴィクトリア朝が踏みつける犠牲を描いてきているのは、何か意図があるのかな、とも感じます。

今回の話はロンドン最下層で起きた不幸な事故により、弱い人間の家庭が崩れ、社会がそれを一切顧みなかった後の物語です。
プリンセスが求める『より善い世界』が社会改革を含むとすれば、障害者行政や保険制度、医療制度といったフェールセーフにより、マクビーン家の崩壊はなかったかもしれない。
現実のロンドンでも、作中描かれる『この時代』の後に様々な運動があり、現実の理不尽と残酷の間で軋みながら、それでも世界は実際少しずつ『善くなった』わけです。
スモッグと死体が満ち溢れたロンドンのどん底をメインに据えることで、プリンセスが秘めた理想の光がどんなものかが、少しずつ見えてきた感じもします。
プリンセスが壊すべき壁は、王国と共和国を隔てる物理的なもの以上に、社会制度を停滞させている不可視の障壁なのかもしれんなぁ……。
まぁ彼女の価値観が伏せ札な以上、僕が見たいものを幻視している可能性は常にあるわけですが。

プリンセスの秘めた過去の奥に何があるかはさておき、『当たり前』をぶっ壊して『公平な世界』を望むプリンセスたちの願いは、激しい抵抗が予想される闇の中の灯火でしかありません。
彼女たちが二人きり、スパイの世界では『当たり前』の嘘を引剥して本音を口にするシーンは、眩しい太陽の光ではなく、闇の中で揺らめく灯火に見守られている。
王国を欺き、コントロールを偽りつつ少女たちが育む友情と同じように、プリンセスが願う『公』の変化は、ひどく危うく、しかし闇に負けずに輝く願いなのでしょうね。


そういう『公』の領域への眼差しは、萌え萌え美少女アニメが大概触らない危うい部分であり、この作品の独自性と言えます。
身体的障害の描写もこのアニメ独特で、第1話のケルバーライト障害、ベアトの喉、今回の親父の腕におっさんの足と、『当たり前』の身体からは機能としても外見としても大きく損壊/変質してしまったものが、むき出しで切り取られます。
傷ついた異質な身体を補填してくれる優しさや可塑性は、蒸気に満ちたロンドンのジャングルには存在しないわけです。
ぷにぷにな黒星デザインとは異質な要素ですが、そこにフィルターを掛けないことで必要な緊張感をもたせ、シビアな作品世界に嘘をつかない足場にもなっているので、なかなか強力な使い方だと思います。

ベアトの喉は強力なキャラ記号であり、見ている視聴者は皆、あるいは笑いあるいは真剣に、それに注目せざるを得ない要素です。
先週も十兵衛の魔剣から命を守った、歪なる父親の愛の結晶は、今回ベアトが『絶対に触られてほしくないもの』……変質した性器として描かれることで、ダニーがどれだけ壊れてしまったかを表現する物差しになる。
一番守ってほしかった肉親の手で、強制的に変質させられてしまった身体を、異常なほど無遠慮に踏みつけにするところまで堕ちてしまった父。
あのシーンがあることで、逆にそれでも見捨てきれないドロシーの情の深さ、家族というカルマの濃さが強調されます。

やっぱ『家族(特に男親との)関係)』は作品全体を貫く強力な芯として存在しており、今回のお話もドロシーと父親の物語になりました。
あるいは肉体を機械によって蹂躙され、あるいは己の手で殺し、あるいは殴られ泣かれ謝られる。
マトモな親子関係など望むべきもない女たちが、鳩のように身を寄せ合う宿木としてプリンシパルがあるわけだけども、それがぶら下がっているスパイという巨木は、信頼関係を許してくれるほど甘くはない。
作品最大の伏せ札である『アンジェとプリンセスの過去』『10年前の王国分裂の真実』にも、父親との断絶と愛着……ファーザー・コンプレックスが深く横たわっているんだろうなぁ。

今回のエピソードは職業差別の話でもあって、人生に食い詰めたものは死体を洗うか、死体を作る職業になるしかないという、ロンドンのどん底を二人は歩きます。
モルグとスパイの集会所、デイジーとドロシーが身を置く2つの職場はどっちがマシという話ではなく、どっちらも最悪です。
『死体の歯を抜き取る』という、ちょっとダハウやアウシュビッツを思わせる描写を入れることで、ドロシーが流れ着いた地獄が良く見えるのは面白い。
そこで切り捨てて終わるのではなく、どん底にはどん底なりの誇りや楽しさ、小さな救いがないわけではないとも描いてくるのが、この作品のタフで誠実な部分ですが。

貴族の娘だったベアトが、スパイの運命に流されていなければけして立ち寄るはずもない下層だというのは、なかなか面白い描写ですね。
上層と下層が分裂し、垂れ流すクソを上は一切気づかないまま、グレートロンドンは繁栄を謳歌しているわけだ。
文脈としてはポップなオタク文化よりも、ディケンズの"オリヴァー・トゥイスト"やシンクレアの"ジャングル"、あるいは細井和喜蔵の"女工哀史"に近いエピソードな気もする。

スパイになることでベアトは(そしておそらくプリンセスとアンジェも)『壁』を乗り越え、ドロシーと肩を並べて歩くことになります。
恥辱の象徴でしかない喉の機械も、オヤジの声を真似てドロシーに笑顔を届ける魔法に変わり、パブには明るい声が響く。
その裏でオヤジは物言わぬ死体に変わり、『ストリートを歩くものの半分は帰ってこない』というドロシーの予言は、彼女の知らない所で成就する。
下層民のタフさと明るさを感じさせる曲の使い方といい、皮肉で物悲しいエンドシーンでした。

ベアトは『壁』を越えてドロシーと『本当の友達』になったことを喜ぶけども、クラスが交わったのはスパイという最悪の職業に二人が流されたから。
貴族の娘、あるいはパン屋の看板娘として、お互いの小さな世界で幸せに暮す『当たり前』から飛び出さないことは、けして不幸ではなかったはずです。
それは願っても叶わない幽き夢で、その儚さはベアトとドロシーが微笑みながら共有する絆にも言える。
スパイが嘘をつく職業、人を殺す職業である以上、人間として『当たり前』の情や優しさ、他者を信じ魂を預ける脆さは、命取りの弱点にもなり得る。
幸福と不幸が泥まみれの世界で同居し、その境界線がくるくると入れ替わる儚さ、恐ろしさが、切ない展開の中で強調されていたと思います。
プリンセスが取り戻したいのは、そういう『当たり前』なのかもしれん。


なんともやるせないのは親父の描写も同じで、娘を殴り飛ばすゴミクズでありながら、奇跡の再会を永遠にするべく足掻く輝きも持っている。
金だけを求めるクズだったら生き延びたかもしれないのに、娘への情で欲をかいた結果、斧で頭を真っ二つに割られる悲惨な死を迎える。
優しさとエゴイズム、暴力と庇護、輝く思い出とゴミのような現実が交錯しながら、惨めな赤鼻の小男に集約しているのは、なかなか味わいある生々しさでした。

感情のコントロールを失った(ドロシーの所属組織を考えると、皮肉な表現ですが)父親は、失われた妻の姿を娘に見、頭を抱えて泣きじゃくります。
ドロシー=デイジーは幼い子供であり続けることを許されず、父の横暴を許す妻となり、あるいは子供を抱きかかえる母にならざるを得ない。
10年前の革命ですべてを失ったアンジェ、入れ替わりを強要されたプリンセス、父を不倶戴天の仇敵に定めたちせ、その父の手で機械人間に変えられたベアト。
プリンシパルの構成員は皆、『子供で居続けることを許されなかった』という共通点を持ち、最年長のドロシーが一番、子供が『当たり前』に子供として守られる世界、輝ける幼年期を望んでいたというのは、哀しい皮肉です。
あるいはだからこそ、幼く純真に見えるプリンセスが美しき『白』であることを、嘘と知りつつ願うしかないのか。

殴っては謝り、飲んで正気をなくしてまた殴る。
貧困と家庭内暴力とアルコールが作る地獄の車輪が、もしかしたらちょっといい方向に行くかもな、と思った所で残酷に切り落とす。
ガゼルが投げつけるスパイの現実と、それだけ酷い目にあっても情を切り落とせないドロシー、蒸気ハンマーに腕と夢を潰されても愛を壊しきれないダニーも、エピソードを貫く対比の上にあります。
これでガゼルとドロシーに不倶戴天の因縁が出来たわけだけども、それが表面化する時は確実にドロシーが死ぬので、使われない伏線だといいなぁ、と思います。
このよく考えられたアニメが、アレだけ分かりやすいネタ使わないわけがないんだけども。

親父の人生を壊したアルコールを商うパブが、家族再生の夢を見る揺り籠になるあたりも、ラストシーンの残酷さを強調しています。
プリンシパルで唯一成人しているドロシーは、過去エピソードでもワインを飲んでいるわけですが、それは父の人生を狂わした悪魔の水であり、潰れた腕と未来の痛みを麻痺させた癒やしでもあり、略奪された父を取り戻す幻の源でもあった。
美しい友情、明るい明日、家族再生の甘い夢。
クソ以下の人生を明るく楽しく過ごすのに必要な一炊の夢を孕んでパブは歌い、揺れ、そこに父は帰らない。
Case19以降のドロシーがこの残酷な現実をどう受け入れ、あるいは壊されてしまうのか、心配になる終わり方でした。


というわけで、『当たり前』の夢が一瞬輝き、儚く散っていくドロシーの個別回でした。
死体とスモッグに塗れた都市の最下層を舞台にしているのに、そこで煌めく家族の情愛、仲間との友誼には本物の輝きが宿り、そしてそれは悲しくなるほどに無力です。
綺麗は汚い、汚いは綺麗。
スチームパンクロンドンでもおそらく、朗々と響き渡るだろう"マクベス"の一節を思い出させる、苦味と切なさに満ちたお話でした。

これでプリンシパルの結成と各キャラクターのオリジン、個別回での掘り下げを一応終え、クールも折り返し。
細部にまで気を配った世界構築、『家族』や『嘘』といったキータームを活かしたドラマの作り込み、黒星デザインとのミスマッチまで活用した苦味の強調。
色々強い部分があるアニメが、後半をどう折り返し、加速していくか。
来週もとても楽しみです。

追記