神撃のバハムート Virgin Soulを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
運命、偶然、拒絶、慈愛、裏切り。衝突を経て平和が訪れ、平穏を打ち破るように短剣が牙を剥く。愛された子供たち、道を見誤るものたち。
Cパートの衝撃が非常に大きかったが、それ以前の段階でも様々なものが無言のうちに語られたエピソード。
というわけで舞踏会作戦が失敗に終わり、港での決戦を経てムガロ里帰り…と思わせて大波乱、という回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
激しく動く状況の中で、各キャラクターの情熱や信念、陰りが密度の濃い映像言語で語られ、内容の濃いエピソードとなった。咀嚼するのに、非常に顎の力のいるアニメだな。美味しい。
『目は口ほどに物を言う』という言葉があるが、今回は非常に目のアップが多かった。刃を眼にしたニーナ、ムガロ。二枚舌で釣り上げた時、あるいはそのスタイルを貫通して想いでを踏まれた時のファバロ。バイザーを下ろした漆黒兵隊長。彼に暗殺を告げられた皇帝の、氷のように揺るがない瞳。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
様々な人の様々な想いが、瞳を窓にしてこちらに伝わる。そこには幼さがあり、覚悟があり、恐怖があり、愛情がある。同じものを共有しつつ、別の結論に至る理由がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
己の使命を果たしたい。何者かであることを証明したい。その思いは同じなのに、ムガロとアレサンドロの道はああいう形で交わる。
ムガロとニーナ。主役サイドの子供たちは、苛烈な運命に洗われつつ、同時に正しき大人たちにしっかり守られている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
愛ではなく怒りによって変身したニーナは、今回無力だ。これまで作中一番大きな暴力だった赤い竜は、傭兵が変化した三本角の龍と比べると、非常に小さい。弱々しい子供でしかない。
龍という巨大な暴力で暴力を制するニーナの試みは、無残に失敗する。怒りに任せて壁を蹴りつけた反動で、ゴロンと転がってしまうのと同じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
それは有効な手段だが、有益な結果をもたらしてはくれない。それ以外の方法を見つけるには、心の傷が深い。ニーナは理不尽に直面し続ける。
これまでは無防備に晒していた裸身を隠すのは、恥じらいを知ったからだ。皇帝とのキスは禁断の果実であり、その結果無欠の幼少期からニーナは追放される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
憎しみがあり、裏切りがあり、殺意がある世界に素裸で放り出されたニーナに、ファバロはマントをかける。彼女の理不尽のために怒る。
暴力に押さえられつつ、ファバロは得意の口八丁で敵を釣る。その時の『シメた!』という表情から、ニーナの瞳に流れる涙を見て過去を思い出し、『らしく』ないど根性攻撃に出る時の変化。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
『らしさ』を捨てさせるほど、理不尽に振り回される純朴な涙は、ファバロにとって致命傷なのだ。
ファバロとカイザルが手を取り合い、往年のコンビネーションで巨大な的に立ち向かう。修羅場の中でも、ファバロは裸のニーナに布をかけ、プライドを守ってやる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
そういうちっぽけな人間だからこそ、巨大な龍との戦いようもある。サイズ差を迫力満点でかける作画力が、アクションに意味を通す。
ニーナが蹂躙された『小さい弱さ』は、GENESISコンビの軽妙不屈な立ち回り、天魔合一の必殺攻撃で『小さい強さ』に代わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
アザゼルが与えた致命打が『喰われることで、内側から引き裂く』というものなのは、力の使い方こそが重要な事を教えてくれる。やっぱアザゼルさんかっけえよ…。
龍VS龍の激闘は、巨大な力で己を焼きつつ、巨大な世界を背負おう(そしてその為に小さな幸せを踏みつけにしよう)というシャリオスの戦いを暗示もしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
このままでは、ニーナの恋人はニーナのように、力の前に負けるだろう。己の小ささを肯定した戦い方を、死ぬ前に皇帝は見つけられるのか?
敵を退けたものの、隊長が伝えた皇帝の真意(とかどうかはさておき、そう受け取られてしまうもの)に、ニーナは傷つけられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
それはニーナがこれまで身を浸してきた完璧な世界、呑気で優しく、己の不満が常に満たされた幼少期との別離だ。へその緒を切り落とされる痛みに、ニーナは泣く。
『嘘つき野郎ッ!』と吠えたのは、青春の荒野へ飛び出したニーナの産声なのかもしれない。皆そうやって、無情な荒野に身を晒した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
覇道で世界を背負うと決めたシャリオスも、天界から落ちたバッカスも、仲間を己の無策で失ったアザゼルも、みなそこを経て『大人』になったのだ。
ニーナの身を焼いている個人的で小さな炎は、しかし非常に普遍的な痛みでもある。だからファバロはリタに嘘をついてでも、皇帝とのロマンスを隠した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
それが暴かれてしまえば、本当の意味でニーナは素裸になってしまう。今、秘密とプライドを守ってやることが少女に必要だと、ファバロは判断したのだ
その決断もまた、過去の痛みから生まれている。謀略と運命によって母と引き裂かれ、涙するしかなかった小さな女の子を守りきれなかった哀しみが、ニーナの青春を存分に暴れさせてやろうというファバロの度量に繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
子供のために仮面を被ってやれるのは、大人の特権であり義務だ。
激情に身を焦がしつつも、ムガロと向き合うときは涙を隠し、笑顔をかぶったニーナもまた、少しだけ『大人』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
どれだけ憎んでも、あの時抱き合った温もり、唇に残る優しさが消えないのと同じように、子供は全て、身勝手さと激情と無邪気で構成されているわけではない。大人にそれがないわけでもない
今回アザゼルは、殆どセリフを喋らない。無言でムガロを見つめ、眼で伝え、背中で語る。それは失われた母を再獲得できる幸福に、ムガロを送り出してやりたいが故だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
路上に叩き潰され、赤い染みになってしまった己の無垢を、せめてムガロには残してやりたい。ファバロとは違う形だが、それも愛だ。
そんな彼も『ムガロという名前を覚えておいてくれ』とだけ言葉にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
記憶も、因縁も、過去もなかった出会いに、優しさで書き込んだ名前。それは嘘偽りであるが、そこに込められた思いが消えるわけではない。ムガロという名前を覚えておいてくれれば、アザゼルの優しさは消えない。
そういう願いを込めて、アザゼルはムガロを送り出したのではないかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
苛烈なテロリストであったことは、世界を変えなかった。自分の中の優しさを殺すことが、仲間を悲惨な運命に追いやった。無言のまま、アザゼルさんは己を見返し、己の中の『子供』を大事にする方法を学んでいる気がする。
無言のオヤジ力を発揮するアザゼルに対し、バッカスは我慢できずに吐き出しちゃうタイプのオヤジである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
ソフィエルに見つからないようコソコソ隠れていたのに、ムガロくんが自分を大切に出来ない状況に我慢できず、飛び出して吠える。『母に甘えろ、幸せになれ、理屈じゃねぇ!』と。
それは飲んだくれのバカヤローオヤジであるバッカスにしか言えない暴論であり、真実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
子供には幸せになる権利がある。どんだけ世界が厳しくても、優しく明日を夢見ることが出来ると信じればこそ、希望が生まれる。そういう根本的な信念が揺らぐと、ニヒリズムと弱肉強食が世界を食いつぶしてしまう
ファバロが『らしく』ない熱血攻撃を仕掛けたように、ムガロの幸福はバッカスにとって(そしてあの場の全員にとって)譲ってはいけない一線だったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
そこを超えてくる(ように見える)から、皇帝の真意は確認しなければいけない。彼が見ている別の形の幸福を、確認しなければいけないのだ。
使命を果たす。己がひと角の存在であると世界に突き立てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
身の丈が伸びて、ニーナと同衾するのをためらうようになったエルの願いは、凄く健全なものだ。今のエルなら、思い上がって命を踏みつけにはしないだろう。
それでも、この荒野から下がり、幸福な家に帰って欲しいと、バッカスは願ったのだ
そして、覚悟を示し己が無用の存在ではないと示したいのは、アレサンドロも同じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
ムガロは愛されていることを実感できたから、立志の欲望を抑え『子供』でい続けることを納得できた。だが選ばれた神の子ではなく、鉄火場に飛んでいく翼もないアレサンドロは、『子供』でい続けることに納得できない
その思いがナイフとなり、『幸福な子供』たるムガロの胸を刺すのは、なんともやりきれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
カイザルやディアスがくすぶりを受け止めていればよかったのか? 隊長がもうちょっと道を示せば? 疑問は渦を巻くが、それが不当な暴力であり、身勝手な理不尽であることは刺されるエルの目が教えてくれる
ファバロが影から見守って、怒りを発露する場を用意してくれたおかげで、ニーナは愛別離苦・怨憎会苦の不条理を前に己を爆発させるチャンスを手に入れられた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
しかし影から急に襲いかかられたエルには、そんな機会もない。理不尽を前に戸惑い、怯え、そのまま命を地面に垂れ流すしかない。
そこに至るまでの理由があったとしても。それが様々な人に共通するものだったとしても。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
やはりアレサンドロの凶行は是認できないし、それが致命打にならないためにも、エルには命をつないで欲しい。リタが医者属性持っているのが最後の希望だ…マジたのんます母ちゃん…。
アレサンドロの行動は隊長の言葉が大きな引き金となっているが、その実態は大きく転倒している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
目指すべき理想のために、己の命含めて全てを犠牲にする覚悟を固めた隊長と、人を殺せば覚悟が示せると誤解したアレサンドロは、完全に逆の方向を向いているのだ。アレサンドロは、漆黒兵にはなれない。
ここに来て隊長は凄まじく重要なキャラクターになってきていて、とても面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
バイザーを跳ね上げ、ニーナの目を見ながら言葉を伝えたのは、あるいは素顔でカイザルと向き合い、その行動に釘を差したのは、彼もまた信念と覚悟を持つ一人間であると、視聴者に示すためだろう。
皇帝に告げた『お前の恋人を殺しました』という嘘。それがファバロがリタについた嘘のように、何かを守るためのプロテクトなのか。はたまた皇帝の真意を確認するためのカマかけなのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
未だ判別はつきかねるが、シャリオスの瞳は見事に動かなかった。彼もまた、仮面を被ることに決めた『大人』なのだ
去っていくカイザルの背中を、隊長がじっと見つめていたカットが興味深い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
ニーナ達が背負えない何かを、古代兵器と契約した戦士たちは背負っていて、それは主役たちの『正義』と一部通じつつ、譲り合えない強度を持っている。
あの目を見ていると、そういう気持ちが強くなった。
カイザルと言えば、大罪人になってもなおシャリオスを『陛下』と呼び、王国の古い伝統である神への敬意を忘れず、ソフィエルと巧く交流していたのが面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
お前は正しい。その正しさと強さがアレサンドロに伝わらなかったとしても、それは彼の咎ではない…んだが確実に気に病むなアイツ。
大きく傷つけられた『子供』への対応を通して、愛されることの具体形をしっかり感じることの出来る回だった。それが愛を実感できないアレサンドロの暴走で終わるのは、衝撃的かつ必然的な展開だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
いやまぁ、これでムガロちゃん死んだらぜってぇ許さねぇけど。ほんま頼みますリタ母ちゃん…。
仮面に表情を固め、己の中の『子供』を押し殺す『大人』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
自分を育んだ柔らかき想い出を、力と優しさに変えて進む『大人』
『大人』の理不尽に傷つけられつつ、必死に『大人』の仮面をかぶる『子供』
『大人』の仮面を捨て、愛の中に身を投げだした『子供』
『大人』になろうと刃を握った『子供』
様々なキャラクターの生き様が、瞳と言葉、立ち居振る舞いとアクションを通してよく見えてくる、非常に骨の太いエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
来週のサブタイトルは"vengeance"。ニーナの奪われた青春か、ムガロを貫いた刃か。復讐の矛先がどこへ向かうのか、目が離せない。死ぬほど楽しみである。
追記 Amira my Love
VS追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
ここ三話ほどでファバロの存在感がとんでもないことになっているが、その根底にアーミラがいてくれていることに、変な話一種の救いみたいなものを感じている。
立派なオトナになったファバロが、未だアーミラへの恋慕に縛り付けられていることが、ある意味贖いになっているというか。
アーミラはホント運命に翻弄された只の子供で、GENESIS終盤は正直楽しみつつも腹の底がフツフツ煮えたぎるという、不思議な視聴体験で見続けていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
スペクタクルも判るし、キャラは十分以上に理不尽に怒り、涙し、立ち向かってくれている。のだが、アーミラマジなんも悪い事してないやんけ!
ムチムチボディが強調されるほどに、本当に無垢で純粋なアーミラの子供らしさは光っていた。それがあの冒険の旅を照らして、ファバロを引きつけ、物語を牽引していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
しかしそれは報われることなく、悲しい結末で終わってしまった。必然なのは判る。判るのだが。
そこら辺のやり切れなさが、ファバロの立ち回りを見てスッと収まった感じを、少し覚えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
アイツは子供を守れる凄くカッコイイ大人になって、新しい幸せを探しても良さそうなのに、消えてしまったアーミラにとんでもなく操を捧げている。その慎みが、アイツの力になっている。
そういう供養もあるのかなぁと、ファバロの包容力で救われているニーナを見ていると思う。どんだけニーナに優しくしても、アーミラは帰ってこない。そんなことはファバロも分かりつつ、アーミラとよく似た別人を守るべく、鉄火場に飛び込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
それはやっぱり、愛しているからこそ可能なのだ。
少なくともファバロの中では、世界と運命という大きなものにすり潰された、お母さんとファバロが好きなだけの小さな女の子は永遠だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
どれだけクソみたいな悪魔が陰謀を張り巡らせても、死んでしまったとしても、ファバロの行いがアーミラの正しさを証明してくれる。
それで全部が贖われるわけじゃないが、死と理不尽を乗り越えていくにはそういう方法がとても(もしかすると唯一)有効なのだろうなぁ、と思わされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月3日
…死を超えてなお続く愛をファバロで描くのは、ニーナ-シャリオスのラインでそれが必要になるから、かなぁ。VSはとにかく周到だからなぁ…。