クジラの子らは砂上に歌う を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
砂塵の嵐が戦争を連れてくる。パズズの末裔達が詩を歌う前の、一瞬の日常。死の予感と笑顔。カルネウェレ・メメント・モリ。
戦争という最大の非日常を前に、人間の拠り所を確認する人々のスケッチを積むエピソード。露骨に死にそうな人の、最後の光が儚く眩しい。
正直すぐさま戦争するのかなぁと思っていたが、社会成立時から暴力を剥奪してきた社会が、いきなり生の殺戮に飛び込めるわけでなし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
おままごとのような戦争準備でも、あるいはそれでも続けられる祝祭の風習でも。殺し合いに備えて、気持ちの準備をする時間が必要なのだろう。
冒頭、ガキ共が異能力を殺人性能に組み替えて、バスバス殺してバスバス死ぬ準備しているシーンの無邪気さが、なんとも痛い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
来週には、拙い言葉で弓引いてたガキもバスバス死ぬのだろう。羊のように虐殺されてなお、感情と暴力を遠ざけるファレナの教育装置は機能し続ける。子どもたちは長閑で元気だ
サイミアに最適化された世界では、戦士の資格は年齢ではなく、異能力の有無になる。必然的に兵士が少年ばかりになる現実を、年若い指導者層は口に苦い薬として飲み込…めているのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
頭では判っていても、彼らは戦えないし、戦わない。復讐心を他人に委ねて、子供を武器として使い潰す生存術。
そこら辺指摘してくるイヤな大人が、すでに指導者としての資質を失っていて、嫌味を言う以外何も出来ないのは、なかなか皮肉な光景だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
綺麗に死のうという夢が砕けた後、老人たちの物分りが良いのも、暴力を社会装置によって封じてきたファレナの牧歌性だろうか。でもま、あれは誰かが言わないとね。
実際に戦争が始まって、サミと同じ年頃の、サミではない子どもたちが目の前で死んだり殺したりするリアルが押し寄せた時、スオウはどう思うのだろう。人のいい彼を壁にして、船の実権を運営している若年エリート層は?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
そこら辺の乖離と変化が、約束された闘争で気になるところだ。
社会のあらゆる階層が、分け隔てなく一体となる砂かけ祭り。これから殺し合いするのに呑気なもんだが、そういう風に麻酔しないと、ファレナは戦争に飛び込めないのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
リコスの可愛い衣装もそうだが、非日常を前に日常を再獲得し、なんとか人間らしくあろうという足掻きが目立った。
祝祭は世界のはみ出し者として生まれ、居場所を見つけられなかったオウニ達も取り入れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
オウニの脱出願望が、彼自身の渇望というよりは、ニビに受け止められ借り受けた理想だったというのは、結構面白い描写だった。才能もカリスマもあるのに、かなり虚無的なんだな。
泥クジラの秩序は、血族も起源もないオウニをどこに配置すればいいか判らなかった。社会からはじき出された彼を、アウトサイダーであるニビが広い、方向づけることでカリスマが生まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
でも、ニビ自身はカリスマではない。見栄っ張りで弱々しい、ただの気のいいアンチャンだ。
ボロボロの壁に取り囲まれた、オウニの心的領域。彼の『国』の一番薄暗い部分を共有するニビは、『はい、そろそろ死にます』と額に描いてあるレベルで死相が漂っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
カリスマを突き動かす脱出衝動は、その起源と切り離されることで本物になる。なら、ニビは死ぬことで役目を完遂するだろう。
チャクロが記録者/傍観者として配置されているのに対し、子供を死に駆り立てる重さを予言されたスオウや、借り物の理想の起源と喪失を暗喩されたオウニは、未来/現在のリーダーとして描かれているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
英雄は血と罪悪感、憎悪と呪いで錬鉄される。指導者は、生の岸に取り残されるだろう。
反逆のカリスマ、清廉な指導者が立ち入れない『真実』に、ボーッとした記録者はアクセス権限を持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
露骨に『悪いロリです』と顔に描いて登場したエマ。言葉裏を読めば、ヌース・ファレナが用意した少女形端末の、戦争を好む側って感じなのかな。
全てを見守り受け止める、清廉な地母神としての白いネリ。戦争を乗り越えるべき試練として、子どもたちを血の海に投げ込む黒いエマ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
母の二つの顔が分かりやすく分割されていて、『ああ、マジロクでもねぇなこのロリ…』と警戒度が上がる。褒美として明かされる『真実』もヒデェんだろうな、多分。
襲撃で流れた血は、ファレナを無邪気な黄金時代から切断した。毎年やっていた祝祭を再演しても、彼岸を超えて死者にあっても、死という穢と衝撃は消えはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
それでも『私たちは変わっていない』と思い込みたい愚かさを、嘲笑えば良いのか、微笑めば良いのか。どちらにしても、戦争がやってくる。
そんな感じの、一瞬の平和、そこに渦を巻く予兆をスケッチしていく回でした。つーかシュアン団長、既婚者だったのかよ…まぁ管理社会がチョンガー許してくれるわけ無いか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
奥さんに『美しい死』押し付けてるあたり、長老会のタナトシズムを継承する、最後の一人って感じだな団長。
砂嵐と一緒にやってきた戦いの中で、誰が死ぬかという賭けレースを予想する気はあんまなくて。どう死んで、あるいはどう殺して、どう変わるかが気になっているところです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月14日
その前段階をじっくり追う今回は、静けさと優しさと少しの悪趣味が入り混じって、なかなか面白い色でした。来週どうなるかなぁ