クジラの子らは砂上に歌う を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
幕を変えつつ、殺戮劇はまだまだ続く。クジラの心臓で絡み合う軽蔑と殺意。草原で混じり合う倦怠と狂気。母なる少女は踊り狂い、抱擁の手を伸ばす。罪在るものも無いものも、みな母なる暗黒に抱かれよ。
この戦争終わってもろくでもなさが持続すると、確信させる回
複数主人公を活かし、今回も色んな所で話が同時進行。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
敵の急所に滑り込んで、罠であらかた食い破られたチャクロ&リコス&オウニ班と、狂気の世界に馴染めなかった殺戮者と対峙するスオウ&シュアン班に別れる感じ。
その合間に写される死体のざっくりした描写が、殺伐とした砂景色に際立つ。
戦争の只中にいてなお、死体を見たら祈りの姿勢を取り、感情を制御しようと試みてしまうチャクロに、慣習という社会装置が深く根付いているのを感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
繰り返される葬儀が人間の尊厳を保つ儀礼だったように、あの祈りは脆いチャクロが自分を保つためのシステムの一部なのだ。
戦争に適応し良心を鈍麻させている他のキャラに比べ、チャクロはずっと共感を維持している。他者の物語に共感する記録者・作家という職の特質であり、優しく愚かな彼自身の性格でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
殺戮のカルマを極力遠ざけてきたファレナでは、それがスタンダード。なのだが、あっという間に風化しつつある
一方的な殺しを楽しむ生粋の殺人鬼相手でも、共存と慈悲と対話を探してしまうスオウもまた、クジラの子であることを捨てきれないでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
その柔らかな感性が良いことなのか、悪いことなのか。その判断をするにも、心を消して人殺しに適応し、生き残る必要がある。なんともやな感じだ。
ファレナは慣習という形で感情を制御していたが、帝国は具体的な装置で感情を吸い取る。だが、吸い取りきれないアウトサイダーもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
リョダリの回想からは、感情剥奪を誉れとし、内的慣習として当然視…装置化している社会が透けて見える。心を殺す、帝国のスタンダード。
ヌースが感情を吸う装置であるように、特定の規範を当然視し、それに従えない異物を排除する慣習のシステムも、個人と集団の生き方を規定する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
クジラは僕らの世界にはないけども、慣習や倫理といったもう一つの装置は共通で、砂の世界でも力を持っているわけだ。それは優しいばかりではない。
無論、優しくない世界にはじき出されたから、殺戮を楽しんで良い訳がない。一方的に殺しを楽しんで、自分は殺されたくない不均衡が許されるわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
さんざんハイテンションになった挙句ボッコボコにのされて、無様に貫かれて砂に落ちる末路は、リョダリに似合いだ。死んでねーなアレ…。
声に出る感情は凄く起伏があるのに、内面を語るモノローグは冷え切っているギャップは、かなり面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
ヌースによる感情剥奪からはじき出された彼は、吸い上げられる感情がそもそもなくて、冷たい内面こそが根底にあるってことなのかしら。凍りついた心を繋ぐ手段として、殺傷を選んでいたのか?
そんなリョダリと対峙する団長は、ヌースのない世界の異分子であり、共感と生の実感が極端に薄い。帝国なら生粋の戦士として、巧く馴染めていたんだろうが、優しいクジラの胎内では異物にならざるをえない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
リョダリの真似をして嬲ってみても、あんま面白くなさそうだったなぁ…そっちのほうが良いが
目の見える相手は殺せない。スオウが共に生きる道をリョダリに示したのも、その優しさを切り捨て団長が正しくぶっ殺しに行ったのも、共感というややこしい能力が、戦争の中でどう機能するのかの描写だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
差し伸べられた手を払いのけるリョダリは、その不在がどう機能するかの描写か。
戦場においては時に邪魔になる、共感という機能/器官。それは平時においては共同の足場となり、社会の基盤にもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
それを殺して成り立つ帝国の『平時』がどうなってるのか気になるなぁ。感情残した上流階層が、下から搾取するのを当然化して成立してんのかな。あと戦争ばっかしてそう。
牙の抜け落ちた共感で人々を繋ぎ、そこからはみ出した連中は胎内送りにして成り立ってたファレナ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
バタバタ人が死んで、クソみたいな仲間割れの予感が漂いつつ、戦争はまだまだ続く。この激変を経て、ファレナという社会はどう変わるのか。変わるという贅沢を甘受する余力が残るのか。
『オッス、俺ら戦争が終わった後の厄介事です!』と額に描いて出てきた双子も、オウニのカリスマに共感したからこそ、その行動に反発している。愛は厄介なことばかり生み出すなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
ファレナのアウトロー層がオウニのカリスマで一本化されてたからこそ、彼の自発的恭順が火種になるってのも皮肉だな
共感と拒絶を様々な色彩で迸らせる子供たちは、戦場で生きたり死んだりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
母なるクジラのアバターたるエマが、一切空気読まずに踊り狂っていたのは、最高に気持ち悪くて素晴らしかった。世界を置い尽くす透明な腕と合わせて、得体の知れない嫌悪感を巧く演出できていたと思う。
彼女は何故手を差し伸べて、自分と他人の境界が薄くなる状況を作ったんだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
リョダリが感情あるものの殺戮を通してしか自己を実感できなかったように、エマも愛し子が生きて死ぬ感情の火花の中にしか価値を見いだせないとしたら、ファレナもまた悍ましい側面を持っていることになる。
現在進行系の戦争も、そこを超えて帰還するべきクジラの中の日常も、薄暗く湿った異質な色彩を秘めている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月28日
リョダリが耐えきれず狂ったその真実を、他人の目を見て共感してしまえるマトモな、あるいはそこを乗り越えて殺せる子供たちはどう受け止めるのか。そこら辺が気になる、殺戮道中の回でした。