イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルタイムプリパラ:第35話『未知とのミーチル』感想

虹色に輝く夢を探す少女たちの物語、先代主人公チームの三倍の時間をかけ、遂にチーム結成!
……というのはあくまで結果であり、自信と自尊にかけたごくごく平凡な少女・幸田みちるが夢を思い出し、己を抱擁するまでのエピソードでした。
みちるが体現している弱さ、自信の無さ、夢を見つけられない後ろめたさから逃げず、周囲との距離感もしっかり描写した上で、彼女の芯にある強さを思い出し、肯定する。
主役の迷いと決断を力強く描くことで、それを取り巻く一人ひとりの顔もハッキリと見える。
過去回の描写、引っかかっていた部分も軒並み回収しきり、見事に夢の都を再浮上させるエピソードとなりました。


というわけで、今週も色んな事が起きてるアイドルタイム。
軸になっているのはやっぱみちるとミーチルでして、ここまで細かく積み上げてきた叙情性を活かし、分裂した彼女達が統合されるまでを描いていました。
今回の話は非常に志高い描写を描ききったクライマックスなんですが、それを成立させているのはここまでの積み重ねでして。
例えば年上ってことで最初は距離があったゆいらぁにのと段々仲良くなって、私室で個人的な話を膝突き合わせてやれるようになってたりとか。
あろみかの私欲と強引さに巻き込まれて、なかなか本心を言い出せない(けど嫌なだけでもない)関係性とか。
文字通り『もう一人の自分』だったミーチルが、みちるよりみちるのことを見抜き、じっと待っている描写だとか。
過去エピソードに細かく散りばめられた、宝石のような現状と変化の描写があってこそ、今回たどり着いた結末が輝いて見えるのだと思います。

今回みちるが取り戻した夢は、既にミーチルとして目の前にあって、しかもそれはみちる自身の勇気が隠した/忘れた/守った過去でもある。
メーテルリンクの"青い鳥"(あの話の主役はチルチルとミチル)のように、探していた青い鳥は常に目の前にあったわけですが、その正体は細やかに示唆されていました。
そんなみちるを見守りつつ、右肩に縫い止められた過去のゴーストとして、生者であるみちるが自分を取り戻してくれることを待つミーチルは、みちるが過去に置き去りにした子供の自分であり、未来の理想でもあります。
年格好は上で、性的な誘惑すら自由に使いこなす『大人っぽさ』を持っているのに、交流ノートの文字が汚かったのは、幼稚園児時代のまま成長できなかったからだと、今回ようやく気づきました。
『イルカとクジラは、大きさが違うだけ』という言葉の意味とか、正に『全てが繋がってる!』という感じで過去の描写が立ち上がってきて、強い興奮を覚えましたね。

バックに脅かされ、自分の夢を右肩に封じる行動。
それは恐怖からの逃避であり、同時に脆くて弱い存在を体を張って守る英雄(ヒーローアイドル!)的行動でもあります。
人間が生きている以上、何かしらの夢と希望はある。
でもそれは常に脅かされていて、擦り切れたり忘れてしまうもの。
みちるの忘却は、バックやプリパラというファンタジックな道具立てで飾られていますが、とても普遍的で人間的な心の防衛行動を、巧く視野に入れていると思います。

自分の夢を守るために、忘却に逃避する。
それは戦って勝つのと同じくらい意味がある、自分の夢を守り生き延びるための闘争の、一つな形なわけです。
そういう戦いを選び、今もを気づかないまま理想=幼い自分を守り続けている姿勢を指して、ミーチルは「みちるは強いぞよ!」といったのでしょう。

夢を脅かす存在に真正面から殴り合いを挑む、にののような女の子もいれば、忘れることで守る戦いを、他人はおろか自分すら知らぬ間に果たしているみちるもいる。
抱え込んだ夢が周囲に受け入れられない妄想でしかなく、ずっと孤独に戦ってきたゆいもいる。
夢をかなえることが社会の中で肯定され、憧れをインフラ化したプリパラに最初から飛び込めたらぁらのような存在もいる。
みんな自分のやり方で夢を持っていて、それを脅かされ、試され、戦っている。
それはパステルカラーの夢物語であると同時に、凄くありふれて当たり前の、大事な人生の物語だと思うわけです。
そういう普遍的な問題を、キャラクターそれぞれの個性に合わせて掘り下げ、色んな答えを肯定しながら進んでいけているのは、プリパラの志の高さであり、強さでもあるでしょう。


みちるは今回、みちるとミーチルに分裂した自分を対話させ、裂け目を乗り越えて新しい自分を手に入れます。
この時、他者と自分の境界線だけではなく、時間と因果の境界線も混ざり合っているのが、とても味わい深い。
みちるとミーチルが対話するまでの物語を追うことで、時間が一般的に思われているほど整然と並んでおらず、過去が未来を夢見て、未来が現在に支えられている入り組んだ関係性の意義もまた、見えてくる気がします。

ミーチルは幼稚園児のみちるが夢見た『なりたい未来の自分』の投影であり、大人の女性です。
同時にバックに殺されかけた幼いみちる自身であり、決定的に切り離されてしまった『過去の迷子』でもある。
ミーチルから見たみちるは、守り導かなければいけない幼子であり、夢を忘れてしまったなりに必死に生き残って成長したお姉さんであり、統合の鍵を握る主体でもある。
二人の関係性は非常に複雑なものが絡み合っていて、同時に『幸田みちる』という主体/身体にシンプルにまとめ上げられもする。
結局みちる(そしてプリパラが描く全ての女の子)の物語は、常に『自分の物語』であったわけです。

こうして話がまとまってみると、ミーチルが歌っていた"GOスト♭コースター"の歌詞が、みちるへのラブ・コールだったことも見えます。
バックに象徴される困難が『ユメ キボウ Gかかって』叩き潰してくる、人生というコースター。
その起伏に負けず、時間を飛び越えて『誰にも見せないわたしに 逢いにきてね』と、ミーチルは歌ってきました。
『誰にも見せない』のは、真実自分を知ることが出来るのは、(ミーチルにとってのみちるがそうであるように)自分だけだからでしょう。
『アイ(I)シテほしいって言えない』のも、『知っているのは』過去に封じられた『ゴーストだけ』だから。
自分の意志と決断で、過去を思い出し理想を抱擁する道のりを超えて、もう一度わたしに逢いにきてほしいと願う、もう一人の自分の恋歌。
それをずっと身近で聞いていて、ようやくその意味に気付かされる辺りも『青い鳥』っぽいなぁ。


また、何故みちるがプリパラ内部での記憶、ミーチルトしての主体性を維持できなかったかも良くわかります。
過去に置き去りにされたミーチルは(その尊大な態度とは真逆に)あくまでサブシステムであり、肉体を持って幸田みちるの人生を切り開いていく主導権は、みちるにある。
しかしここまでのみちるは過去の自分も、隠した夢も忘却してしまっていて、全っき状態ではない。
自分自身が夢を選べた過去を欠損している彼女は、『アイドルなる』という夢が叶う(既に叶っている)プリパラへも、誰かに手を引っ張られて入っていた。
その状況では、ミーチルと合一してアイドルになる=過去と現在の幸田みちるを統合する=『お姫様みたいな気高いアイドル』という夢を叶えることは不可能です。

今回みちるは、自発的に『ユニットを組まない』『プリパラに行かない』という選択をします。
流されるばかりだった彼女が、仲間たちのおせっかいな好意と支え、みちる個人の尊厳への理解、バックと対峙する恐怖、それによって呼び覚まされた記憶によって、自分を再獲得する。
この時、肯定や助力といったプラスのアクションを担当する側と、強迫や強制、否定されるための問いかけと言ったマイナスのアクションを担当する側がはっきり別れているのは、とても面白いです。
前者はゆい、らぁら、にの、後者はバックや(前者であることを前提とした)あろまですね。
キリスト教において悪魔は人間を試し、真実の聖性に到達するための試練を用意する役割をもっているわけで、今回あろまが『プリチケ返せ! 契約守れ!』と圧力をかけて、みちるの本当の願いを試してくるのは悪魔キャラを良く研究してる彼女らしい立ち回りだと思います。

プリパラからの撤退はみちる自身の決断に見えるし、彼女の自主性を重んじるらぁゆいにのはそれも受け入れてしまう感じだけども、獲得した自主性のさらに奥、記憶と結びついた真実の願いは『アイドルになりたい』なわけです。
ガァルマゲドンとして、自分自身もその願いを共有するあろまは、パシリのような家族のようななんとも言い難い関係を共有する中で、薄っすらとそんな真実に気づいていて、だから悪役を任じて本音を引き出した気がします。
伝わりにくい優しさですが、そこら辺はみかんが翻訳してくれるので大丈夫ですね。
『隠された知』を意味するオカルトが趣味のあろまが、みちるの隠された真実を掘り返す仕事を担当するのは、ちょっと面白い配役ですね。
正負両面からの助力を受けて、自分で考え自分で決める主導権を再獲得したからこそ、みちるとミーチルは合一され、プリパラ内外で分裂していた意識は融和される。
非常にロジカルで、説得力があり、詩情と優しさに溢れる結論でした。

かくして『断れる自分』『選べる自分』を手に入れ、夢と自分が一番近くに合ったことに気づいた/手に入れたみちるですが、相変わらず不幸で弱気な彼女を写して今回は終わります。
プリパラは欠点をすぐさま克服させ、別の色で個性を塗り直す展開にはしない、ということでしょう。
ミーチルと合一してなお、なかなか良い方向に舵を切り直せない『みちるらしさ』とは、今後どっしり付き合うことになりそうです。
それは今まで通りドタバタ賑やかで、色々大変で、愛と優しさに満ちた楽しい道だと思います。
他の全てのアイドルたちと同じように、皆自分という厄介で愛おしい荷物を抱えたまま、より強く輝くための方法を探していく物語。
アイドルタイムプリパラですね。


みちるが骨太な自己探求のクエストに挑む姿を、どっしりと捉える今回。
主柱がしっかりしているので、脇のキャラクターの描写も非常に切れ味が鋭かったです。
例えば『ヒーローアイドル』という理想を手に入れたにのが、『守るべき弱い者』であるみちるを気にかけ、謝り、体を張って戦っている描写。
わざわざ窓開けて前宙で飛び込んでくるシュールさが可笑しかったですが、あれは自分で獲得した『ヒーロー』という夢を、プリパラの外でも実践している姿です。
過剰に勝ちにこだわっていた時代だったら、にのは『チームを組まなくても、みちる先輩はトモダチっす』とは言えなかっただろうし、自分の物語が終わってもなお続く意志と変化の尊さが、細かく積み上げられていると感じました。
にのは心も体もナチュラルに強い、いわゆるリア充なんだけども、夢がないことに悩んで苦しむ経験を経て、自分の強さを他人に押し付ける危うさに気づいてる感じがあります。
それはつまり『優しい』ってことで、これと持ち前の『強さ』が融和していることが、『ヒーローアイドル』ってことなんだと思います。

サブの描写としては、ゆいらぁの寝室描写がマジ凄くて。
夜(ガァララの領域!)の静かな空気に包まれて、夢を押し付けてしまう暴力性に悩む……けど答えにたどり着けないゆいと、静かに自分の答えを告げるらぁら。
いつも仲良しだけど、今正に自分の物語を突っ走ってる現主人公と、哀しみも含めて自分の物語を終えている前主人公の違いが、優しく交錯するシーンでした。

ゆいの視野の狭さはずーっと描写されてきて、彼女はまだ世界に夢がない人がいて、夢を見ることが無条件に幸福に繋がらない時があることを想像できない。
『優しさ』を学びつつあるにのが独力でみちるの部屋に思いを告げに行ったのに対し、ゆいはらぁらに助けてもらうまで真実にたどり着けないわけです。
そういう未熟さが、彼女とこの物語の推進力になっていることは、みちるが自分の答えにたどり着いた時、ゆいと同じ虹色目になっていることからも分かる。
ゆいの身体に溢れる夢は、強力で凶暴で価値のある特別な力で、皆が持っていると同時に忘れてしまうものでもある。
そういう危ういものに手綱を付けて、より善い形で使いこなせるようになるまでが、夢川ゆいの物語(つまりアイドルタイムプリパラそれ自体)なんだろうなぁ。

らぁらが『そのままのみちるさんが好きだから』と言った時、僕は凄く寂しい気持ちになりました。
これは一切明言されてない僕の勝手な思い入れだけど、無力で身勝手な他者が自分の利益にならなくても愛する姿勢は、一年間ジュルルを育ててきた母としての経験が言わせているものだと思ったから。
勝手に出歩いて、ゲップして、ご飯も自分でできない赤ん坊が『そのまま好き』だったからこそ、らぁらはドタバタ走り回りながらあの一年、子育てしてきたわけです。
女児アニフィルターを掛けられた死を経験して、プリパラの聖霊となったあの子にらぁらは普通の方法ではもう会えないけども、だからこそいつでも、多分ジュルルに会ってる。
『不都合な他者を受け入れよう。存在それ自体と、意志による決断を愛そう』という真理は、らぁらが主人公で優等生だから言ったわけではなく、後悔と愛惜を込めた実感が言わせた言葉なんだと、ちょっと思わったわけです。

主人公をやってた間、真中らぁらは主人公として時に過剰な『正しさ』を背負い、また永遠の小学六年生として、生病老死の宿命に理解を示しきれない描写がありました。
例えば一年目のファルルの死、あるいは二年目ひびきが見せた自死=脱出=浄化願望に理解を示すには、らぁらはあまりに多くのものを背負いすぎていて、『私は認めない!』と叫ぶ以外に道はなかった。
現実世界でも答えがで無い難しい問題に切り込んでいたら、のんちゃんが『難しすぎたね!』と茶目っ気たっぷりに言えばなんとか収まる領域を超えて、話は複雑化していたでしょう。
世界が持っている理不尽や、死すらも一つの救済になる人間の複雑さを受け止め切るには、らぁらは子供過ぎたし主役過ぎたし正しすぎた。
今回の夜の会話は、そんな彼女が、『チームにならなくていい。みちるさんに夢がなくていい』と、物語が是とする価値観に背を向けれる自由を手に入れられたってことを、はっきり示してくれたと思います。
そうやって背中を向けることすら『みんなトモダチ、みんなアイドル』という理想には内包されているんだよ、と。
そう言えるようになった真中らぁらも、そう言わせれるようになった夢川ゆいも、両方凄いなぁと思います。


そして陰日向にみちるを導き、支えてきたガァルマゲドンの描写。
相変わらず開けっぴろげにみちると交流するガァルルの無邪気さにほっこりしますが、彼女らの回収が今回一番凄まじかった部分だと思います。
嘘で騙し、良いようにパシリに使ってきたあろまのヤダ味って自分の中で結構なもんだったんですが、その身勝手さが一つの救いであり、嘘は真実を射抜いてもいたというまとめ方になったおかげで、過去に遡って描写の意味が書き換えられるんですよね。
これを狙って積んだのか、はたまたまとめるにあたって新しい意味を付与したかは分かりませんが、結果として凄くスマートに物語を整える形になっていました。

元々あろまは繊細で情が深く、周囲をよく見て、その上で好き勝手に暴れる子供です。
みちるを仲間に引き込んだのも、良いように使えるパシリを求める我欲から始まってるんですが、なんだかんだ交流が深まってくると、便利に使う以上の優しさが出てくる。
そこでみちるの自主性を重んじない所が、らぁらの優等生っぷりを補うちびっこギャングの面目躍如って感じですが、ガァルマゲドンを繋げている絆と同じものが、みちるにも伸びていたのは間違いない。

でもその情は危ういものであるし、我欲は我欲だし、あろまは全て正しいものを見つけられるほど賢い子供でもない。
『プー大陸はでっち上げ!』とぶっちゃけてしまったのは、出口を見つけられない状況を転がそうと彼女なりに考えた結果なんだろうけども、それが実在するかしないかは、ミーチルにとっては重要ではなかった。
実在はしない夢が、夢のまま静かに眠っていて、発見されることを待っている状況こそが大事だった。
ここら辺の構図にあろまが気付かないのは、ガキの浅知恵で痛い目見てきた彼女らしい描写だなぁと思いました。
なんだかんだ善人なんで、嘘つき続けてる状況に耐えられなかったからかもしれんが。

『嘘が真実にもなる』という転倒は、ミーチルという存在それ自体にも言えて。
あろまが適当にでっち上げた『右肩の幽霊(ゴースト)』は、実は本当にみちるが封じた地縛霊/理想/トラウマであって、これを解消することが彼女を縛り付ける枷の破壊にも繋がっていた。
そのためにはみちる以上にみちるをよく知り、彼女の理想を先取りして叶える『青い鳥』たるミーチルが形を保つ必要があった。
プリパラという場所、ミーチルというイマジネーションが偶然/幸運にも巡り合ったことで、運命が転がりだして今回の変化に繋がっているわけです。

あろまは良いことしようとして、みちるに嘘をついてパシリにしたわけじゃない。
泥の中から蓮が芽吹くように、ドロドロした欲望から真実と幸福が実を結ぶことだってある。
でもそのためには、泥が豊かな人間性に満ちて、花を枯らさない優しさを持っていないといけない。
綺麗なものと汚いものの境界線も混じり合い、複雑な価値観が現出する回だったと思います。
ここら辺はポジティブな真実担当する主役勢だけだとやりきれない部分で、悪ガキとして好きに暴れまわってるガァルマゲだからこそ担当できる、いい仕事でした。

意地悪な悪魔を演じて、みちるをプリパラに向かい合わせ、自分の手を切らせる。
悪魔キャラを最後まで演じ続けるあろまは、ちびっ子で年下なのに妙に賢くて、とても格好良かったです。
あの子賢いんで、内心『やっぱパシリはやべーな……』とも思っていて、この機会に関係精算してフラットな状態から作り直したほうが善いって判断したんじゃないかなぁ。
契約が破棄されたからと言って、年齢を乗り越えたガァルマゲドン&みちるの関係、一緒に笑ってた時間が無になるわけでもないしね。


そんなわけで、みちるが自分と夢を取り戻すエピソードでした。
非常に抽象的で広いテーマを扱いつつ、みちる個人のドラマにしっかり彫り込めていたし、その確かさが他のキャラを際立たせる足場にもなっていた。
アイドルタイムプリパラがどのような物語なのか、そして幸田みちるが何を手に入れたかを、過去のエピソードを輝かせながら見事に展開させていました。
非常に素晴らしい、決断と回帰の物語だったと思います。

ユニット結成はノルマだったと思うんですが、そこにあえて全力で背中を向けて、みちる個人の葛藤を突破し切ることで必然に仕上げてきたのも、本当に素晴らしい。
自分たちなりのやり方で夢を取り戻し、己の意思で『ユニットを組みたい』と思えた彼女達ですが、まだまだ一つになるには道が険しそうです。
まぁ『なんで私なんですか!?』ってみちるに問われた時、小学生組答えられてねぇからな。
『あの子じゃなきゃダメ』な理由を更に積み上げるべく、