少女終末旅行を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
汝平和を望むなら、戦いに備えよ。銃弾を食う不思議な動物を伴に連れて、少女たちは戦争の輪郭を歩いて行く。滅びきった世界の中では、全ては空想に過ぎない。命も炎も、未来も過去も。それでも、嗤ってはいけない大事な事柄を、貴女の拳が思い出させてくれるから。
あそこのグーパンは死ぬほどチトユーだったと思う。同意が得られるとは思わないが、街をボーボー燃やして笑う女が、自分の大事な人だとは思いたくないから、チーちゃんはユーを殴ったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
叩いて正気に戻る分、まだまだユーも壊れきってはいない。終末世界では、壊れているのが正常か。
今回の話は、既に終わってしまった戦争の輪郭をなぞっていく感じの話だ。ぬこは銃弾を食べ身を養い、ユーの教育によって言葉を覚えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
コミュニケーションが成り立っているような幻覚を見ても、そこにあるものが本当は何なのか、知ってる人はいないし知るすべもない。
ぬこの得体の知れない近さと遠さは、ここまでも随所で切り取られてきた戦争と絶望によく似たものがあって、とても面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
『戦争と文明』と記された書物を、チーちゃんは読むことが出来ない。風力発電の森、破滅のスイッチ。世の中わからないことだらけだ。
別に世界の真実を知らなくても生きていけるし、それは文明が残ってさえいれば到達できる類のものでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
僕らだって真理とやらには程遠い形而下に縛り付けられていて、終わりきった世界に生まれて、終わりきった世界を歩いている彼女達とそう変わらない。『☢』はヤバい記号だと直感できる程度だ。
戦争が既に終わり、文明が寸断され、しかしその残滓が虚しいラジオのように残響し続けている終末世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
チーちゃんとユーが身を置くあの世界は、僕らの居場所と地続きだし、同時に切れてもいる。その遠近感こそがこの作品最大の味だし、武器となる表現として、意識して磨かれてもいる。
『風力発電』という立て看板(事実の示唆)を気に求めず踏み倒して、チーちゃんたちは世界に分け入っていく。人造物と自然の区別が最初からない、滅びきった世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
その乾いた想像力はそこを『森』とみる。破壊を癒やすかのように降り注ぐスプリンクラーは『雨』だ。想像力が遠景と近景を繋ぐ橋だ。
ケッテンクラート(これも元は戦争の道具だ)が先に進む内、奇妙な『森』が露骨に死んでいくのが良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
パイプは倒れ、運動は止まる。終末世界は戦争に洗われて、あらゆるものが残滓だ。過去は想像できないし、未来は存在できない。遠すぎる先のことを考えるのをやめたのは、怖いからかもしれない。
それでも、チーちゃんは本を集め、過去の記憶を内部化し、想像するのを止めない。墓の意味を察して霊を悼み、チトが引き起こした大破壊には本気で怒る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
消失した歴史を見る彼女の理性は、滅びきった世界では意味がないかもしれない。腹に入らないものは用がない。ぬこはリアリストだ。
それでもあそこで殴って、ともすれば動物的な領域に飛び込んでいってしまうユーを、人間的な感傷に繋ぎ止めててくれたことが、僕には嬉しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
モノリスの陵を墓荒らしした時、止めてくれたのと同じ気持ちになった。それもまた、遠いものを近いと思う錯覚で、勝手な感傷だろう。
あそこで『ゴメン』と、多分何故殴られたかの因果も判らないまま言えてしまうことが、ユーにとっての救いであると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
動物であることを、終わった世界は求める。形のない責務や倫理から開放され、ただ目の前の一瞬だけを生き続ける、歴史なき生物こそが終末世界の霊長だ。
ユーはそれに近い。本能で立ち回り、感傷に引きずられず、絶望的な過去と未来を見ない。人類以降(アフターマン)に適合した優秀な動物。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
だが、完全な動物にはならない。チーちゃんの知識と想像力を、あるいはシンプルな好意を縁にして、自分にはない時間的奥行きと倫理を外付けする。
コモン・センスを支えるコモンが存在しない以上、終末世界に常識はない。全てが終わった後では、全てが許されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
だが、チーちゃんは時折凄く真顔で、人類達が愚かに夢見た理想とか、倫理とか、情や哀しみを発掘して見つめ、ユーに押し付ける。そのお仕着せがましい行動が、僕には強く救いだ。
無論チーちゃんも弱々しい生物で、完璧ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
考えすぎ、想像しすぎる彼女の性分が生き死にの危ういところをこすっている瞬間も、動物としてのタフさがない彼女がユーの逞しい腕で引っ張り上げられる場面も、僕らは見てきた。
バカなジョックと、考え過ぎのナード。違うからこそ補い合う。
その隙間に、客人たるぬこが入り込めるのか。聞こえない音楽を受け取り、開かない扉を開ける不思議な生命は、一体どんな正体を隠しているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
少女たちが自分たちなりに背負う人間への残響を、同じように受け止められる生物なのか。そこら辺を謎めかしたまま、話は次週に引き継ぎである。
いくら声がざーさんでも、あの不思議な生き物を信頼し切るのは、僕の中の常識が邪魔をする。それが最初からないユーは仲良く共感しているし、ホコリまみれの理性を抱えたチーちゃんも、憎からず思ってはいるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
一つのピリオドに向かう話の中で、少女と猫がどこに辿り着くのかは、とても楽しみだ
チーちゃんが拳に込めたメッセージを受け取って『ゴメン』と謝ったユーのように、異質だからこそのコミュニケーションがそこに生まれるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
はたまた遠いものは遠いままで、何かが通じ合えたという誤解を残酷に切り離して、もっと遠い場所へ旅立つのか。
どっちに転がっても、とてもこのアニメらしい
モニター越しに発射されたミサイルとビームは、ユーに嘲笑しか与えなかった。業火の中で『何か』が燃えているかもしれないという、想像力が欠けた爆笑。遠い戦争の輪郭に囚われ、今生きてる自分を切り離すニヒル。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
生々しい痛みでそれを止めた時、チーちゃんは何を思い出して欲しかったのだろうか。
時に殴っててでも、自分(達)にとって大事なものを思い出して欲しいほどに、チーちゃんにとってユーは大事なのだ。その思いが一方通行ではないことは、殴られた後のしおらしい態度から判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
心で繋がる貴女と私。暴力は遠い場所の炎ではなく、ジンジンと痛む頬と拳で繋がるのだ。それは愛だなと思う
あのトンチキなやり取りに漂う狂ったユーモアと愛が、なんとも『少女終末旅行』という感じで、僕はとても好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
ああいう繋がり方で少女たちは結びついていて、接続可能ということはそもそも離れている、ということだ。バラバラであることの幸福を、彼女達はよく知っている。
そんな旅路も、一つの果てにたどり着く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
死、永遠、夢、音楽、あるいは星。様々なものに出会い、遠くて近い仮想の旅路を描いてきたアニメが、最後に何を切り取ってくるのか。あのカメラは、どんな現実と夢にシャッターを切るのか。
非常に楽しみだ。きっと、良いものが見れるだろう。