宝石の国を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
修羅を叩き切ってみれば、罪なき犬が煩悩の数だけ生まれる。砕かれて繋がり、目覚めてまた眠る。狗子に還って仏性有りや無しや。
殺し合いばかりしていた月人の新たな側面、それを知りつつ隠す先生への不審。愛と幻想に引き裂かれつつ、宝石の子供は危うい世界を夢見る。
最終話一個前にして、またかき回してきたエピソードであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
言語によるコミュニケーションが不可能でも、ドタバタした触れ合いにより相手に人間性(の幻像)を感じることが出来るというのは、海の種族と接触した第4話・第5話でも証明されたことだ。目の見える相手は殺せない。
『しろ』なる個体識別名を与えられた月人は、108に分割されて畜生となり、再び繋がって修羅に還る。だが問答無用でダイヤを砕いた態度と、再統合後の対応は露骨に異なる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
宝石人とのじゃれ合いは、『飼い主』だろう先生を認識するより速い。
それがどういう意味を持っているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
月人と宝石人、魂と骨は骨肉の争いを延々繰り広げ、切り倒し奪われるだけの関係ではないのか。
コミュニケーションのチャンネルが実は存在していて、相互に理解が可能なのか。翻訳者であるフォスにも、犬の言葉は判らない。謎は深まり、ふわふわした実感が残る。
確信を何一つ残さず、疑念と柔らかな感触だけを残した『しろ』との接触。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
フォス以外の宝石人は無邪気に、ぬいぐるみなどで喜べている(ように見える)。先生は迂闊にも関係をほのめかし、慌てて繕う。そしてフォスは、疑いと冬の記憶に引き裂かれていく。アンタークの次元のように、宝石の国が捻れる
『しろ』が無邪気な犬になれたのは、ダイヤに殺されたからなのだろうか。一旦バラバラにされたものを繋ぎ合わせたものは、一見同じように見えて、実は過去の『それ』とは別のものなのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
犬である『しろ』は何も答えない。だが、無駄に智慧のあるフォス(と僕ら)は色々と勘ぐる。
分割と再統合は、『しろ』と宝石人を繋ぐ大事なモチーフだ。ダイヤも、パパラチアも、フォスも、みな砕かれて繋がり、眠りから覚める。その時、過去の自分と同じだという保証はどこにもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
フォスはシンシャと出会ってなお、最初の願いを思い出せない。パパラチアを覚えていたことに安堵する。
砕かれ繋がれることで変われるのであれば、月人との戦いにも新たな局面があろう。分かり合える喜び、可能性への期待。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
だが、『しろ』は何も答えない。祈りによって彼を成仏させた先生も、隠しきれない因縁を匂わせつつ、全てをさらけ出しはしない。パーツはバラバラのままだ。
フォスが月人と対話し、足りないパーツを埋め合わせようとする運動。『知ろう』と願うのは、もうぬいぐるみではしゃぐ子供ではいられないからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
だがフォスの初期衝動は『子供でいたくない』だったのか。現実の過酷さに粉砕され、そのつどつなぎ直されてきた体から、こぼれ落ちたもの。
その総体を知ることは出来ない。喪失の総量を的確に把握できるのなら、喪失など存在しないのと同じだからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
知らずの内に大事なものは失われ、失われたことすら意識されない。それでも、欠けた部分を埋めようと煩悩がうずく。ルチルの医療技術の源泉。愛を再獲得するための技芸(アルス)。
朗らかなムードの明るい話に見えて、その明るさがフォスの孤独と決意、迷妄を暴く展開であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
みな柔らかな愛情と清廉な魂で、矛盾を飲み込んでいる。何かを隠している(ことを隠しきれない)先生も、月人との戦いの歪さも、当然として飲み込めている。フォスだけが、孤独な岸に取り残される。
自分と仲間を砕き、略奪しようとする月人すらも、生まれ変わったら許してしまえる宝石人の高潔さは、やはり凄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
こだわりのない子供のような、あるいは全ての罪業を滅却した高徳の修行者のような境涯。それもまた、フォスには遠い。夜の眠りにも、『しろ』の柔らかい食感にも、体重を預けきれない。
意を決し先生にぶち当たろうとした瞬間、アンタークの亡霊が世界を捻じ曲げながら出てくるシーンの幻想は、非常に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
アンタークがいる場所とフォスがいる場所は、地続きでありながら90度ネジレている。現実にはありえない、垂直と水平の交錯。縦が横になり、横が縦に変わる世界に、彼はいる。
それはフォスの心象であり、掬いきれなかった無念、刻まれた呪いでしかない。だが同時に、何よりも(シンシャとの最初の約束よりも!)強くフォスを規定する、強烈なアンカーでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
あのネジレた騙し絵こそが、フォスが身を置く分断そのものなのだろう。それをつなぎ合わせようと願うのは、自然だ
冷静で、的確で、客観的。先生にボルツとの任務を報告するときのフォスは、努めてアンターク的であろうとし続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
だが、死すら優しい沈黙の中に秘めて去っていった潔さは、バカな末っ子には程遠い。心を繋ぎ合わせても、他人は他人だ。インクルージョンは容易に適合しない。
そのズレ…欠落を認識しつつ納得出来ないからこそ、フォスは己の身体を寄り代に、消えてしまった冬を魂振りしようとしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
皆が微笑んで生きている浄土に、煩悩の嵐を吹かせようという大それた望み。それは嵐の予感をまずフォスの体内に吹かせ、彼は内側から内破し、再び繋ぎ合わされる。
真実を知りたい。失ったものをもう一度手にしたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
そう願うフォスの体から、一番最初の願いは消える。消えることはもはや、フォスにとって日常である。パパラチアのデータを再確認し、喪失の不在を喜ぶ姿から、それが判る。
そんな痛くて寂しい場所まで、あのアホな子供は来てしまったのだ。
数多の呪いと傷に引き裂かれ、また不完全に繋ぎ合わされながら、フォスは呪いのような生を歩いて、呪いを振りまく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
『月人に聞かなきゃならない』
そんな妄念に突き動かされ立ち続ける彼に、蝶が依る。新緑と見間違えたか、修羅に慰みを与えようと思ったか。畜生は答えない。そのための言語がない。
残り一話。フォスがたどり着いてしまった妄念が宝石の国をどこに連れて行くか、アニメで結末を見るには時間が足りない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
非常に気になるが、それは長くかかる物語だろう。うねりに巻き込まれ、砕かれ地金を晒す宝石それぞれの輝きも、書かねばならないし。原作は多分、そういうもので満ちているだろう
それを遠目に見つめつつも、何よりもこのアニメがどう閉じるのか…バラバラのものが一応に繋ぎ合わされるかが、とても楽しみだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
そこで生まれるもの、失われるもの、喪失それ自体を喪失したもの。
宝石の欠片のように綺麗な物語を繋ぎ合わせてきたこのアニメが。どう終わるか。とても楽しみだ。
追記 おもしろうて やがて哀しき
宝石の国追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
フォスが合金で囮を作って失敗するシーンは、ムードとしてはコメディなのだがどうにも笑いきれず、愛おしいやら哀しいやらな、いい場面であった。
砕かれ変わってしまったフォスは、相変わらず無力で無様で無用だ。でも、みんなを助けようと相変わらずあがいている。バカで優しい。
そこで恐怖にすくまない精神、(偽物でも)己を捧げて運命を切り開く勇気が見えることは、確実に善なる方向への身じろぎであるし、己を砕いてフォスを活かしたアンタークを再獲得する、虚しい蠕動でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
好きだから、より近くなりたい。ミメーシスは宝石人にとっても、情動の根幹だ。
そんな英雄主義はあくまで模倣でしかなく、フォスの失敗は笑い事で収まる。アンタークが砕かれた重たいシリアスとは遠い場所で、フォスの自己犠牲は浮遊する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月16日
その無様さと必死さに、これ以上ないほどの『人間』を感じて、なんだか少し哀しくなってしまった。同じくらい愛おしい。コメディは強い。