クジラの子らは砂上に歌う を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
そして、舟は行く。
抑圧された真実を公開し、ファレナ社会制度の抜本改革を行ったスオウ。
瓦解した思い出の国から出て、カリスマとして自分の言葉を発したオウニ。
歴史のうねりを、虚心に記録しようと務めるチャクロ。
それぞれの結節点を描いて、物語は続く。
原作未完結のアニメによくあることだが、このアニメもまた『まだまだお話は続く!』という所で終わってしまって、なかなか評価が難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
特に砂の大河を渡っていく、国家社会という船を主役にしたこの物語は、善と思っていたものが悪に裏返り、忌避していたものを生存の為握りしめる話だ。
なので、この段階で何かを判別しても、それが最終的にどこに行き着くかが曖昧である。そういう状況で、見ていたものに判断を下し、『これはこうである』と断定するのは、どだい無理な行為だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
そこら辺の難しさを捏ねくり回しているうちに時間が立ってしまったが、『これはこうだと思う』なら書けよう
なので、いつもの如く『僕はこう思った』をかいていく。それが(物語の内部でも、また外部でも)正解なのかは、気にはなるが本筋ではなかろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
長い前置きになったが、ズレてても一個人の感想なので勘弁してください。(言い訳人間、最終局面に降臨)
さて、今回も前回同様、帝国とファレナ、二つの場所が並列して描写される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
すっかり道化が板についたリョダリを引き連れ、オルカはやりたい放題し放題。暗殺者をカッコよく撃退し、速水超えの特権階級の懐に飛び込み、お嫁さんまでゲットだ! 狂鯨立志伝って感じだな。
最終回らしく、主役が自分の道を確認する今回。そこで示された『起こった事実を、虚飾なく書き記していく』というスタンスと、事実を自分の都合のいいように物語化していくオルカの姿勢が正反対であることは、前回述べた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
歴史と物語、事実とイデオロギーの衝突が見たくもあったが、まぁしょうがねぇ
あれだけ嫌っていた道化の服が、リョダリにすっかり似合っているのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
生来の狂気を宿した彼は、道化というアウトサイダー、反社会的であることが職能ですらある仕事について、ようやく無理をしなくて良くなったのではないか。ありのままの自分でいても、一切問題ない居場所を、彼も手に入れた
道化の言葉は真面目に受け取られない代わりに、罰も受けない。人殺しの瞬間しか生の実感を受けられない、感情に溢れすぎた異端者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
その末路としては、殺人ピエロは似合いの場所だ。もう一個『墓地』という居場所があったが、まぁ生き残っちゃったからね。
ファレナ再侵攻、それに伴う虐殺を、リョダリを走らせる人参としてぶら下げていることからも、オルカが『デモナスの居城たるファレナを殲滅する』という物語を(少なくとも対外的には)押し通すつもりなのは、良く分かる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
彼は彼なりに帝国で地歩を築き、舵を握って再び鯨を襲うだろう。
金属的な喘鳴が目立つ軍団長との対話も、その一環だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
ファレナに『長命なる無印』という、システムからの超越者がいたように。感情剥奪を国家の基盤とする帝国にも、ヌースを喰らって感情を保護される特権階級がある。人間が創るシステム、どこにでも抜け穴はあるし、そこから欲望は漏れる。
そのギャップは当然のものとして社会に縫い止められ、いつか暴露されて社会自体を食い破る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
ファレナが生命エンジンシステムの真実を全構成員に公開し、印/無印の政治権力ギャップを埋める決断をしたのは、その内破を避けるための舵取りだ。
では、帝国は?
オルカとチャクロが鏡合わせで描かれているように、帝国とファレナもまた、似通って別のものとして描かれ続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
ファレナが理想主義的に、ある種の気持ちの悪い都合の良さで乗りこなした、政治装置が生む表層と深層のギャップは、いつか帝国でも炸裂する。その時オルカは、どこに立っているのか
なかなか気になるが、アニメではその先を見ることが(少なくとも現状)出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
オルカの物語が帝国を侵食していく過程では、それなりの困難もあろう。そこをどう塗りつぶして立志していくか、なかなか面白そうであり、だからこそ見れなくて残念でもある。
一方ファレナでは、マソウさんが死んでいた。葬礼で始まった物語は、葬礼で終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
マソウさんが戦争ではなく、日常の中で死んでいったのは意外でもあり、納得もする。ああいう当たり前の死を幾重にも積み重ねて、ファレナの歴史と被差別構造は維持されてきた。
しかしファレナはリコスと接触し、戦争を経験し、真実を暴露された。自由意志で武器を取り、舵を定める実力を手に入れた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
物語が始まったときのパストラルは、今は遠い。響き渡るのは政治のシュプレヒコールと、勇壮なマーチと、相も変わらず感情に湿ったレクイエムばかりだ。
生命を吸い取って鯨が動く。それも印持ちだけを優先的に略奪し、無印に特権と哀しみを押し付けつつ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
不都合な真実が民衆に公開されるタイミングで、マソウさんの当たり前の死を配置したのは、結構良かったと思う。あれが犠牲であり、否定しようのない現行のシステムなのだ。
それを維持したまま改善していくのか、破壊して書き換えるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
双子の掲げた旗は稀代のカリスマ・オウニの圧倒的なパワーの前にあっという間にへし折られ、器じゃないと見せつけられる。
露骨な噛ませ犬、オウニが反社会と社会に橋を架ける英雄だと示すための補色であるが、まぁ凡人そんなもんだ。
帝国(外部の尺度)からは世界を乱すデモナスと畏怖され、クジラ(内部の尺度)からはアウトサイダーと爪弾きにされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
そんなオウニが、クジラが無欠で舵を切り替えるために大事な仕事をするのは、なかなか面白い。彼は少数派だが、背負った恨みや疎外感、システムへの反感は普遍的なものだからだ。
徹底的な善意によってクジラを切り盛りするスオウが、その潔癖さ故に切り離してしまうもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
それおw泥の中から、廃墟の帝国から、個人的な思い出から引っ張り出し、体に塗りたくって舳先に立つ存在。それがこの物語における、オウニの仕事かな、と思う。アマテラスとスサノオみたいだな。
社会に受け入れられず、鬱屈した反感を溜め込む体内モグラ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
双子の演説が曲りなりとも動揺を引き起こしたのは、羊のようにシステムに飼いならされている一般市民のなかに、彼らに相通じる黒い感情があるからだ。
それは白い髪が綺麗なスオウでは、実感も代表も出来ない真実の闇だ。
なので、スオウに欠けた圧倒的な武力を持ち、生来アウトサイダーとして生きてきたオウニが舞台に立って、それを代弁する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
かれは生まれつき雄弁であり、自分が失ったもの、それでも残るものについて嘘なく語る。詩人の資質は、英雄の必須条件だ。
今後オウニは、本物の王国を手に入れるだろう。
でもそれは、失われてしまったあの廃墟、崩れた壁が国境を為す小さな心の領域を、代返するものではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
チャクロとスオウから(あとオレから)サミが略奪されたように、スオウもまた、黄金時代を奪われた。致命傷を受けた思い出と社会は、もう元の形には整復しない。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
スオウもまた → オウニもまた
それでも、生き残ってしまった人々は現世に取り残され、不格好な代用品を追い求めて、歩みをすすめる。薄暗い反社会から、脚光を浴びる表舞台へ、望まぬまま押し流されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
そしてそれが、誰かの黄金時代を守る砦にもなるだろう。たとえ、それがオウニ自身の幸せではなくても。
同じように特権的な暴力を持ち、一足先に『大人』になってすべてを諦めた(ふりをし続けている)シュアンとも、オウニは対比されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
空疎を演じて心を守り、一番大事だったはずのものを自分の不手際で失っても、それと向かい合えないハンパな大人。
その不格好さを置き去りにして、少年は駆け出す
死にひんしても子供たちに尊厳と勇気を伝え、それを削る汚れを死の国に持っていこうと頑張ったマソウさんとも、シュアンは対比されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
カッコイイまま死んじゃったマソウさんに、大きく水を開けられた形だけども、今後『大人』であることを示すチャンスが、彼に用意されているのかなぁ。
白と黒、二人の英雄が時代の舳先に立つ中で、チャクロはただ全体が見える後景に下がり、事実を記載する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
かつてチャクロと同じ立場だったものが、無心に記した事実。それがスオウの決断を後押しし、答えにたどり着かせたように。一本のペンを己に任じ、只々事実を描いていく。地味な仕事だ。
三貴神になぞらえればツクヨミみたいなチャクロを、わざわざ主役に据える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
話が地味になる覚悟でそれを選んだのは、事実の蓄積、歪みのない歴史がどれだけ、人の生き方を支え、滾らせるかを作者が重視しているからだと思う。
人生の物語を創るにしても、素材はなきゃならない。それは透明な方がいい。
無論透明な記述など世界にはあり得なくて、チャクロは豊かな感情を持つ。泣き、笑い、恋をする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
だからこそ、美醜愛憎入り交じる人間の様相を飲み込んで、何かを特権化することなく事実を描けるし、描こうと務めることが出来る。
その地道なスタンスは、英雄のようには舵を切り替えないだろう。
だが、そういう語り部がいない社会がどういう舵取りをされるかは、エゴイスティックな物語で帝国を染め上げつつある扇動家オルカの歩みを見ていれば、容易に想像はつく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
そしてそれは、別に帝国の特権ではない。人のある所、あらゆる場所で勝手な物語は生まれるのだ。
双子の言説が一旦へし折られつつ、彼らが生存したこと。それは彼らが背負うルサンチマンの物語がもう一度顕在化し、今度は血が流れるかもしれない予感なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
それが当たるか外れるか、見きれないのはつくづく残念だ。
他のキャラクターたちが自分のあり方を定めたように、客神たるリコスも行き続けることを決める。再獲得した感情を抱きしめ、母なる死に飲み込まれるのを拒絶する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
男の子の社会的活動に比べると、随分インナーな決断だ。それが社会装置のうねりとつながる瞬間も、そのうち来るだろう。
そして気持ちの悪い歌を歌って、ファレナは舵を定める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
第7話のエマダンスにしても、あるいはファレナ全体に宿るディストピア感にしても、生理的な気持ち悪さというのは、このアニメで大事にされてきた感覚だと思う。
最後にそれがまた出てきて、しかし判断保留で漕ぎ出して終わってしまう。
それが、僕にとって一番困ったところだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
肌レベルで気持ち悪い、拒絶したくなる異物感。
それは全滅戦争が終わり、感情が物理的システムの中で略奪され、歪な形で社会が維持されている『遠い世界の話(ファンタジー)』として、凄い強みだったと思う。
リコスとの接触と戦争があって、ファレナは望まぬ船出に飛び出す。当たり前の国家として、平等を導入し、真実を公開し、近代国家に正しく接近していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
だが、それは歪さを生み出した世界という土台に、急に接合された新参者だ。ファレナの根っこは粘液と触手にまみれた、クジラの胎にまだ残っている
それは土着的で、身体的で、なかなかに否定し得ないものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
羊のように生きて死ぬ。それが当たり前だった世界を改革し、感情があり差別がない『当たり前の世界』へと繋がっていく。
それは好ましく正しいことだが、同時に作品を切り取る筆の鋭さ自体が、それが簡単ではないことを要求してくる。
あの踊りの、あの歌の、あの建物の、あの生活様式の。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
丁寧に描かれた異質なるファレナの描写自体が、『この人達は結構気持ち悪い存在で、なかなかふつーにはなれませんよ、苦労するから価値も意味もありますよ』というサインを出してる。
それを裏切ることなく、このアニメはあの気持ち悪い歌で終わる
だが、気持ち悪いものが気持ち悪いままなのは、どうにも始末が悪い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
新しく導入された近代的価値(僕らに近い価値)が、ファレナの湿った大地に分け入り、反発を押さえつけながら根っこを生やす所まで、小ノアに目の尺は用意されなかったわけだ。
その萌芽を見せつつ、まだ樹立には至らない終わり。
ファレナの前近代性、身体的な気持ちの悪さを冷静に、嘘なく描く。そのスタンスに拍手しつつも、もう一つ何か、決定的な『予感』みたいなものが欲しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
それは原作でも示されていないものなのだろうし、そもそも追いかけていないのかもしれないが。クジラの行き着く先を見たかった。
異質な世界の異質な生活を想起し、国家社会システムを思弁するSFとして、僕はこのアニメがけっこう好きだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
異質な世界は土の匂いがして、人間が生きてる場所って感じがした。そこで培われる異常な価値観は、その気持ち悪さも含めて丁寧に描写された。なかなか好きになれるキャラと世界だった。
だからこそ、それが(作中様々な形で予感されているように)『僕らの世界』に寄っていく様に、最後の確信を持って見終わりたかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
あのラストが描いているのは『続く』までだ。あの世界のキャラがこれからも生きて死んで、戦って政治する以上、それは正しい。とても正しい。
だが、そこまでちゃんと描いたことを寿ぎつつも、僕は『続いて、いつか終わる』という絵まで、なんとかたどり着いてほしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
それがとても困難な創作だということは判る。判るのだが、この作品を書いてきた筆と目の良さなら、そこまで言ってくれんものかなと、欲張りにもなってしまうのだ。
というわけで、アニメ・クジラの子らは砂上に歌う は終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
ところどころ構成が歪というか、長く尺を取りすぎている部分があったとは思う。だが、異質な社会で生きる、どこか僕らに似た人たちの生き死には、かなりよく描けていたと思う。
戦争シーンのターン制っぷり、ゴツゴツしたバロックな感じは、その異質な世界、異質な価値観を際立たせ、そこから何かが生まれ根付いていく様子を描くため…だと思っていたのだが、そこに辿り着く前に紙幅が尽きてしまった感じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
それでも、異質さ自体が妙に気持ちよくて、僕は好きだった。
クジラと砂の海というSFIDA的な道具立てで、国家社会システムの骨格を浮き彫りにし、仮想の物語の中で人間社会を描いていく試みも、なかなか刺激的だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
妙にいろんなことを思い直させるというか、考え直させるのよね。生権力にまつわる議論をもう一度考え直せたのは、自分の中で収穫。
新たな国へと旅立った彼らの旅路が、どこへ行き着くか。それをアニメで再び見れるかは判らないけど、見てみたいなと思える作品でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
独特の塗りと色彩感覚が切り取ってくる、異世界の酩酊は凄く気持ちが良かった。アニメじゃないと出来んことだなぁ。
スオウ、チャクロ、オウニ。主人公を三人(オルカも入れれば四人か)知立てて、それぞれが国家と歴史と社会の別側面を背負う形で展開していたのも、なかなか強い構図だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
そういうボーンだけでなく、キャラの痛みや涙がちゃんと描かれていて、ドラマが有ったのも良い。
自分なりの英雄への道を、最終話で一歩踏みだし。その導に乗って壮年とクジラは進んでいくのでしょう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年12月27日
それはたぶん苦難と感情に満ちた、真実の物語。そういう信頼を預けて、一旦お話とお別れできるのは幸せだと思います。
良いアニメでした、ありがとう、お疲れ様でした。