イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターSideM:第13話『ずっと、ずっと、その先へ』感想

かくして男たちは、星を掴む。
315事務所最後の爆弾を無事解体して迎えた勝負のステージ、SideMアニメ最終話であります。
ここまで積み上げた14話の物語にしっかり目配せし、ステージの振る舞い一つ一つに叙情が漂う『これまで』と、そこを超えて辿り着く『これから』をギュッと濃縮して叩きつける、見事なエンドマークでした。
自分たちが創り上げたもの、その先に見てほしいものをしっかり把握し、アニメーション氷原としてどう伝えるかを考え続けてきたこのアニメらしい、圧倒的な完成度のクライマックスでした。
アイドル達の到達点の高さ、そこから見える景色の尊さだけでなく、それを支え見守るスタッフや観客への慈愛と感謝に満ちていたのが、とても良かった。
ステージを終え『アイドル』でなくなった男たちの表情、一つのピークを超えたその先にある『これから』もしっかり描いて、心地よい未来の余韻に耳を研ぎ澄ますことが出来るような、いい最終回でした。
ありがとう、アイドルマスターSideM


さて、最終回ですが正直、言うことあんまないですッッッ!!!!
出だし大声でハラ見せる態勢になりましたが、ここでなにか新しいことを言うのではなく、自分たちが積み上げてきたものを信頼して『これまで』をまとめ上げ、その先に続く『これから』の詩情で押し切ったこの最終話、『読む』よりも『感じる』ほうが正しい気がします。
一観客として、あるいはプロデューサーとして、愛すべきアイドル達の晴れ舞台をしっかり見守り、そこに込められた綺羅星のような物語を繋ぎ合わせ、自分の胸の中に物語を創り上げて欲しい。
そういう豊かなメッセージに彩られた回は、夾雑物を混ぜ込まないストレートで強い演出力と、それを支えるこれまでの仕上がりにより、『見れば判る』という所まで高まっていました。

アニメは映像表現なんだから『見れば判る』のは当たり前……のはずなんですが、その感慨を組み立てるのはとても難しい。
画面に映るもの一つ一つに気を配り、表面に出てくる分かりやすい記号と、地下に埋まっている複雑な意味のバランスを取り、メッセージとドラマを熱量を込めて届ける。
キャラクターの人生と感情に嘘をつかず、それがぶつかりあって生まれるドラマが最高速で走りきるよう、早すぎて暴走しないようしっかり手綱を握る。
様々な努力が相まってようやくたどり着けるのが『見れば判る』という境地だと、僕は思う。

そしてSideM最終回は圧倒的に『見れば判る』わけで、もはや言葉は不要。
万感の思いを胸に抱きしめて、『良いアニメだった……掛け値なしに……』と鈴木達央声で呟けば十分……って言いたいところなんですが、一応ここアニメ感想ブログだし、感慨に余計な筆を付け加えることで見えてくるものも、またあるかなと思います。
なので蛇足ですが、感じたものを言葉にしていこうかなと思います。
最初に結論を言っておくと、『すっげー良い最終回、良いアニメだったんで、みんな見てください!』です。


今回のお話はライブとその後の二部構成になっておりまして、過去のお話で積んできたテーマや感情を、晴れの舞台で確認し拡大していく作りになっています。
ことここに及んで新しい何かに辿り着くのではなく、未来への予感として画面に埋め込んできた演出をしっかり拾い上げ、『こいつらはこういうやつなんだ!』という分厚いメッセージを常時発信し、確認する。
そういう作りを可能にするだけの蓄積がSideMアニメにはあったし、それを信じているからこその構成でもあります。

例えば冒頭、ファンがライブを心待ちにしている風景は、EoJで765プロライブに足を運んだJupiterが『客』として見た光景です。
あの場所で出会った光景に衝撃を受け、『自分もそこにたどり着かないと……ファンたちをふさわしい舞台に引っ張り上げないと!』と心に誓うことで、JupiterとSideMの物語は幕を上げる。
そしてステージを見に行けと示唆し、実際に手を取って仕事の世話をしてきたプロデューサーと一緒に、Jupiterは過去のあこがれを今の現実に変えた。
そこにはファン、スタッフ、後輩アイドルなど本当に色んな人が乗っかっていて、運命共同体だからこそ到達可能な風景として、二度目の『ステージを待つ時間』は描かれている。
台詞もないさらっとした描写なんですが、だからこそ胸の中で大きく膨らむ豊かさがあって、とてもいいな、と思います。
ずっとそうだったけども、SideMアニメは静止画の使い方、圧力の出し方が異常に巧い。

過去話とのリフレインは至る所で鳴り響いていて、各ユニットから全体へと繋いでいくセットリストの作り自体が、SideMアニメが大人数を捌くために選び取り、第5話のランニングとか、第8話の合宿とかで見られた構造と同じなわけです。
バラバラな個性をある程度の数にまとめ、それを基礎単位(ユニット)としてまとまりを作りつつ、そこを離れた繋がり、『みんな』であることの意味も語っていく。
あるいはユニットと言えど拾いきれない個性、そこから生まれる意志と尊厳に深く狭く切り込んでいって、一人間としてのアイドルの苦悩や輝きを切り取ってくる。
描写の基礎単位をしっかり定めたことが、SideMアニメが人数に飲み込まれずキャラの魅力を引き出し、それぞれが背負う物語を際だたせることが出来た、大きな理由だと思うわけです。
それがもう一度顔を見せると、輝くステージの背景にある膨大な物語が想起され、『ああ、こんなこともあったなぁ』という思いを強くしてくれます。


一番リフレインが生きているのは”Reason!!”それ自体と、その後に続くMCかな、と思いました。
OPで幾度も見たダンスシーンを、イマジナリーな空間ではなく実際の舞台に乗せる。
形のない憧れでしかなかったあの歌が、今はこれ以上ないほどの実態を持ってファンに、舞台裏のスタッフに、僕らに迫ってくる。
カメラアングルから振り付け、タイミングまでOPに重ねてきた『本編』は、初めて見るもののはずなのに馴染みがあって、知ってるはずなのに新しい顔をしていて。
『ここに辿り着くために、ここまでの物語があったんだ』という実感が胸に湧き上がる、最高の使い方でした。

その後のMCも、各エピソードでそれぞれが背負ったテーマを簡勁にまとめ上げ、決意を込めて語り直していました。
彼らがアイドルに向かう『理由(わけ)』は、様々な色と形を持っている。
そこには挫折と無念だけじゃなくて、河岸を変えても自分の背骨になりうる強烈な体験であり、『アイドル』になってもなお自分を支え、自分自身ですらある。
そういうものとどう向き合うか、色んな切り口から描いた個別エピソードを短く、力強くまとめ上げた言葉がどんどん連なって、合同ライブをまとめ上げる一手になるのは、とても良かったですね。
自分としてはやっぱ、エピソードの切れ味としても世代的共感からしても、S.E.Mが見せた『年老いた自分』と『年若い教え子達』へのエールが、一番刺さるかな……みんなそうだが、特に志が高い。

個別のステージに目を向けると、EoJで『冬馬に会いたい……』と泣いていたエンジェルちゃんが客席にいたのも良かったですね。
MCでもEoJの体験を踏まえた発言をしていたように、Jupiterにとって『自分たちが収まる箱』を用意できなかった体験は強い後悔に彩られているし、視聴者にとっても鮮明。
心に刺さっていた小さな棘を、あの子が画面に幸せそうに写っていることでグッと引っこ抜いてくれる感じで、良いなぁと思いました。

あと全編通して強調され、第8話や第12話で特に目立ったWセンターの構図を、満を持して振り回してきたのも良かったです。
Reason入りのコールは輝が、終わった後のMCは冬馬から入る……『みんな』の頭を担当するのがこの二人なのは、ここまでなにかとWセンターを目立たせ、『みんなそれぞれの輝きと強みがあるが、集団の形を整えるためのヘッドライナーはこいつらなんだ!』と見せてきた動きに連動していて、納得が強かったです。
冬馬はみんなの先輩、Jupiterの真ん中として背中で引っ張り、輝は今まさにアイドルにならんとする315の仲間たちを代表する立場に立ち、しっかりと展開を作ってくれました。
そんな彼らが、この晴れの舞台で頭を張ってくれるのは、『真ん中』の苦労に報いる栄誉を感じることが出来て、フアンとしては嬉しい限りでした。

 

過去を呼び覚まし奥行きを造ると同時に、これまでライトを当てきれなかった部分にも、貪欲に切り込んでいました。
『双子』としての側面が強調され、『アイドル』としてファンの前に立つ姿が第6話では描かれなかったWが、非常にカロリー高いステージを用意されていたのは、とても良かったです。
作中例外的に『プロデューサーに遭遇し、アイドルに出会う瞬間』を主題に選ばれた彼らは、『その先』にあるアイドルとしての活躍が、正直あまり捉えられていなかった。
彼らのライブを描く最後のチャンスで、音楽と踊りのあるステージをしっかり作画し、彼らが『アイドル』としてファンと、社会と接して輝く光を切り取ってくれたのは、本当に良かった。

半ズボンから覗く『足』の執拗なクローズアップは、性的ファンタジーを載せたフェティッシュな味わいと同時に、『足』の故障でサッカー選手の道を諦めた彼らが、それを乗り越えて両足で立っている奇跡も表してたかな。
出だしでボールを観客席に『パス』するのも、彼らの『理由(ワケ)』が健康に躍動するステージをみつけたからこその演出で、凄く良かったですね。
彼らはようやく、みんなを喜ばせる一つの演出として、自分たちが人生かけていた『理由(ワケ)』を観客席に蹴り込める立場、ステージとファンの信頼関係を作れたんだなって感じがしました。

SideMは裏方に使う時間をかなり削り、あくまでアイドルが己に迷い、自分を見つける過程をど真ん中に据えて進んできました。
しかし今回、大きなステージを完成させるために絶対必要な裏方を幾度も映して、感謝を言葉にして、『もう一人の主役』として目立たせてきたのも、これまで投げなかった球筋と言えるでしょう。
これまで見てきたように、315のアイドル達は非常に人間関係の視力が良く、他者に思いやりが持てる仕上がった男たちばかり。
そんな彼らが、プロデューサーや社長、健や名もなきスタッフたちに混じり、一緒にステージを作り上げていくことの喜びと感謝が前面に出ていたのは、凄く良いなと思いました。

久々に声がついた社長がPちゃん褒めて、それをアイドルちゃんへの賞賛に繋げる流れが凄く好きで。
目立たないよう巧妙に操作されてたけども、Pちゃんは歴史の教科書に載るぐらい立派なことをいくつも積み重ね、アイドルがアイドルで有り続けるために必須の仕事を果たしてくれてきた。
その労を上の立場にいる社長がしっかり労いつつ、これまでの控えめな態度そのままに、心から『すごいのはアイドルです』と言い切るPちゃんの人間力、本当に凄いなぁと思います。
凄いのは『すごいのはアイドルです』ってちゃんと言えるアンタだよ、的な。

打ち上げで大人チームが、アイドルとスタッフの垣根を超えて健にお酒を進め、境界線を超えてきてくれたのも嬉しかったですね。
健の立ち位置はアイドルと直接ふれあい、ある程度以上の感情が触れ合っていたPちゃんよりも更に後景に下がってるわけですが、第12話でぶっ倒れた桜庭にリンゴを剥いてくれたような、さり気なくてかけがえない気遣いでアイドルを支えてくれた。
そういう無形の支えを、アイドル達は絶対に見落とさない男なんだと強調する意味でも、あそこは良かった。
『大人』だけが持てる楽しみとしての『飲酒』はこれまで(例えば第5話の家飲み、第8話の縁側ビール)も巧く使われてきましたが、最後で拾い直してきたのも良かったな。


舞台裏にカメラを降り、観客席にクローズアップする。
それはカロリーをバカみたいに消費するライブ作画に開いた呼吸穴であり、アニメ制作のリアルなテクニークであるのは間違いないでしょう。
ただ、そういう実際的な意味を超えた意図が、舞台裏の闇と表舞台の光を行き来するカメラからは読み取れる。

奈落で出番を待ち構えるWの、はるか頭上に輝く光。
あるいは目立たぬ舞台袖から、これまでも、そしてこれからも『アイドル』という光を見守り続けるプロデューサー。
そこにある輝きは、只々華やかな舞台があるから成立しているのではなく、エゴイズムや焦燥、痛みに満ちた過去があればこそ存在しているのだということは、これまで幾度も語られてきました。
そういう場所を前提にして、なお顔を挙げて前に進み、『これから』を掴んでいく。
前職を振り切って『アイドル』になろうとした男たちの、一つのピークを描きつつ、幾度も『この先』を語り続ける話法は、何度も生まれ直す夢の意味と形を、丁寧に語り直してきます。


年齢とともに刻まれた痛み、あるいは現在進行系の青春の衝突。
ピカピカのステージには似合わない陰りを、舞台裏に漂う闇に託しつつ見せることで、明暗合い混じって強く光る星(スタァ)のあり方、影の中で星を輝かせる裏方のプライドが、より鮮明になっていたと思います。
文句なしのクライマックスをしっかり持ち上げつつ、そういう影の意味合いにも目を配る繊細さが、SideMアニメを成功させた、大きな力だったのでしょう。

SideMの圧倒的な完成度、話のフレームにしっかり収まるだけのストレスと感情をきっちり盛り込む『巧さ』は、確かに作品独自の武器であり、気持ちのいい物語を僕らに届けてくれる強みでした。
ただ、あまりによく出来た人格と物語に収まりの良さと同時に、物語の都合をしっかり飲み込む賢さ、ある種の窮屈さを感じなかったかと言えば、それは嘘になる。
彼らが精一杯己を貫き、その結果として他者を思いやる善を為していることは体感できても、どこかに薄皮一つ、よく出来すぎた嘘くささが匂う、というか。

しかし最終回、ここまで描けなかった足下の暗闇を幾度も映し、そこに感謝するアイドルを見たことで、それが自分の中から蒸発していくような感覚を覚えました。
彼らの心には凄く分厚い『感謝』があって、それはスタッフやファン、自分を『アイドル』に導いてくれた運命の流れ、自分を構成するあらゆる『理由(ワケ)』、そして今同じステージを共有する仲間全てに及んでいる。
そういう『感謝』を忘れず、言葉や態度や歌や踊りにして伝えることが出来るからこそ、彼らは『アイドル』たり得ているのではないかという実感が、今回の最終話を見て、スッと胸に浮かんできました。
最後の最後でそういう実感を、理屈ではなく皮膚感覚として受け取ることが出来たのは、凄くありがたかったなぁ、と思います。

それを可能にしているのはバックステージや観客席をしっかり写す演出理念であると同時に、それを具体的な映像に変える表現力でもあって。
ステージでの圧力のある音と、バックステージや楽屋に響く音が如実に違う音響の演出力とか、闇から見る光がとても綺麗に見える撮影の魔力とか、使える道具総動員して『みんなで造るステージ』を届けてくれていました。
こういう油断のない演出あってこそ、アイドルの根本にある圧倒的な『感謝』の誠実さ、それでステージが進んでいく道徳的な空気が、存在感を持って立ち上がってくる。
『感謝あってこそのアイドル』って、ともすれば凄く空疎な看板にもなりかねない当たり前の倫理だと思うんですが、そこにアニメーションの全力を費やして実感を産むことで、SideMだけの答えになってるのは、ほんと凄いなぁと思います。

SideMアニメに感じていた風通しの良さ、ジメジメしていない雰囲気というのは、僕がこの亜に目を好きになる上で凄く大事なものでした。
ステージをメインターゲットである成人女性で埋めきらず、オッサンや子供も『アイドル』に触れていくのだとちゃんと描いてくれること。
そういう広い場所に接触していくことは、『アイドル』にとっても良いことなのだと積み上げていくこと。
それぞれの『理由(ワケ)』を背負いつつ、『一人』にとどまらず『みんな』に為っていくことの意味と強さと喜び。
そういう道徳性を、嫌味なく話の背骨にしっかり据えて、前向きに前向きに人生を肯定してくれたことが、僕を作品世界に引き込んでくれたのだなと、心の底から良い奴らなアイドル達を見せてくれた最終回で、分厚く確認できました。


『感謝』はWと同じくらい分厚く時間を取られた、SideMアニメのメインユニットDRAMATIC STARSでもしっかり描かれていました。
第11話ラストで『君は必要ない』という爆弾を投げかけた桜庭が、『君をトップアイドルの担当にしてみせる』という決意を伝え、Pちゃんの夢自身になる最大の恩返しを宣言するところとか、頭蓋が痺れるほどに良かった。
自分を見失って投げかけた爆弾でも、死ぬほど気にして抱え続けて、最高のステージをやり遂げてから『ゴメン』と回収にかかる所が、まぁ『桜庭薫』だな、って感じでしたね。
翼も輝も自分の言葉で感謝を伝え、それが呼び水の形になってラスト前、青いステージに赴くアイドル達がプロデューサーに向ける視線が生まれてもいる。
一番目立つユニットとして、話の中心で物語を背負い続けた彼ららしいまとめだなぁと思いました。

シンデレラガールズが好きなアニメオタクとしては、翼がステージを『夢みたいに綺麗』と言ったのがちょっと刺さって。
それってデレアニED"夕映えプレゼント"のファーストノートじゃないですか。
泣けるほど楽しい想い出は、素敵な出来事の花束のように過去と未来で出来ていて、明日も明後日もその次の日も、明るい空には一筋の星が輝き続けるわけじゃないですか。
そういう景色を、今物語に一つのピリオドを打つ男たちも、かつて一つの伝説を終えた少女たちも共有していて、それぞれの夢は続いていく。
そういう広大な広がりがあの台詞一つからガーッて脳裏に広がって、なんか凄く良かったです。

それぞれの物語を秘めて一つのステージになっていく"DRAMATIC NONFICTION"も素晴らしく、『これまで』と『これから』の中間点にある最高の今を、鮮烈に結晶化させていました。
バックステージの代わりにPV的な空想に作画力を逃して、ユニットラストに相応しい感慨を盛り上げてくるところとか、凄く良い演出だった。
色んなことがあって『アイドル』を目指し、『アイドル』に為ってからも色々あった彼らの物語が、あのステージを通じてファンに、そして僕らに伝わる。
そういう奇跡が静かに熱く燃えていて、良いステージだなとしみじみ感じ入りました。

ステージ上では表情を崩さず、『アイドル』として完成された姿を見せていたDRAMATIC STARSが、舞台裏の陰りに潜んだ瞬間汗塗れの『人間』になるのも良くて。
そういう強がり、何かを汗だくで探し求め賭けていく必死さあってこその輝きだろうし、それを完全に隠しきるではなく、体重を預けられる仲間にはちゃんと見せられる関係も、三人とプロデューサーの間にはある。
そういう安らぎがないと、第11話・第12話の桜庭のように頑なさに支配され、自分も他人も見えなくなって、優しく強く生きることが難しくなる。
『外』への強さと、『中』への優しさ両方を大事に進めてきたこのアニメらしい変化があのステージ終わりにはあって、凄く良かったですね。


聞き慣れた"Reason"から新曲"GLORIOUS RO@D"(@曲!)に繋げ、『これまで』への感慨に浸っていた心を『これから』に向けてステージが終わるのも、とても良かったです。
この1クールの物語がとても大事な始まりであり、現在進行系の人生の物語であり、同時に『その先』に続いていく足場でもあるという視点は、過去の話数でも幾度も繰り返されてきました。
第8話、あるいは第9話で『合同ライブ』という夢のカタチを見定め、冬馬と輝のWセンターによって幾度も確かめられてきた『ここで終わりじゃない』という意志。
『もう一度、何度でも始めて、輝くことが出来る』という歌詞は、『理由(ワケ)』を背負ってこのステージにたどり着いたアイドルの現在と、この到達点からさらに高く飛ぼうという健全な野心を、しっかり刻み込んでいます。

美しい過去はとても大事で、それがあったからこそ今の輝きがある。
でも、そこに縛られ時間を巻き戻すのではなく、あくまで前に前に進んで、挫折や間違いがあったとしてもそれすら飲み込んで進み続けようというのが、人生に挫折した男たちが『アイドル」に出会って生き直すSideMの、基本にあると思います。
ライブの締めに披露した"GLORIOUS RO@D"が、315事務所に集った『みんな』に共通していることを、この14話使って描いてきたアニメに相応しいことは、彼らを見守ってきた僕らが、一番良く知っているでしょう。
いい曲、良い終わりでした。

そっから打ち上げに繋がる流れは、DRAMATIC STARSが見せた『ステージとバックステージの共存』をリフレインしている感じで、暖かく優しかったですね。
SideMは『アイドル』としてのカリスマ性や輝きと同時に、生活を持ち心が傷を流す『人間』としての彼らの魅力を、しっかりぶっとく描いてきました。
私服に着替え、仲間と砕けた関係で成功を称え合う姿で物語をクールダウンさせ(あるいは交流される人情で心をウォームアップさせ)終わるのは、気の利いたまとめ方だと思いました。

第3話で明言され物語を貫通してきた『運命共同体を完成させるための、儀式としての食事』を最後に回収してくるのも、一貫性のある演出でしたね。
祝祭の食事に相応しく、ピザや唐揚げやドーナツ、色んな食事が色とりどりに並んで、皆がそれを食べている様子が、個性の集う315事務所によくマッチしていました。
『星のようにそれぞれの色でいい』のは、アイドルや夢という高い場所にあるものだけではなく、食事という当たり前の、だからこそあらゆる人間に共通する普遍的な行為でも同じなのでしょう。
タバスコをかけたり、好物を覚えてもらったり、ピザを食べる行為に過去を思い出したり。
デカくてエモい演出を叩きつけるだけではなく、さりげない日常の行為に意味をかぶせて、じんわり味合わせる筆もまた、SideMの強さだったのだなぁと思えました。


そして暖かな屋根のある事務所を抜け、様々なドラマを彩ってきた『屋上』へとDRAMATIC STARSが向かいます。
ここはオープンエア、『外』に触れるシーンを『中』の後に配置してくる作りで、SideMが幾度も描いてきた構図でした。
輝が幾度も口にし、作品を導く指標になった『アイドルの一番星』が見える場所だというのも大きいんでしょうが、冷たい冬気に満ちた『外』にあえて身を置くことで、ライブ大成功の熱気を覚まし、これからも厳しく正しい道のりが彼らの前に続いていくことを、しっかり示したかったのかな、と思いました。
そういう公平さは、315の仲間たちの暖かさ、ユニットの絆に比べればそんなに大きくは描かれなかったけども、ひっそりと周到に画面の中に埋め込まれてきた。
『アイドル』という特別な存在を主役に据えつつ、その『外』にいる当たり前の人々を特別さの引き立て役に貶めなかった視点が、最後の最後で顔を出したかな、という印象ですね。

感動のステージをしっかり描き、波風乗り越え太い絆で結ばれたDRAMATIC STARSを描きつつ、遙かなる高みにある『星』を目指し続ける。
歩みを止めず、過去を忘れず、未来を諦めない姿勢が最高の今を連れてくるというまとめ方は、凄くSideMらしかったと思います。
あれはDRAMATIC STARS内部の言葉なんだけども、それを飛び越えて全ユニット、全アイドル、視聴者含めてそれを見守る全ての人々にも言える、決意とエールなんだろうな、と。
そういう大きいものに実感がこもっていて、心の底から『そうだな』と頷ける物語を積み上げ、そう思えるシチュエーションを選び取って最後に据えてくる眼の良さ、腕前の良さは、やっぱ凄いね。
何回でもいうけど凄い。

これまでも冴え渡っていたEDの静止画は相変わらず的確で、あのステージを終えた『これから』がちょっとずつ見せられ、色んなお仕事をこなして成長していくアイドル達の勇姿が、短い時間でしっかり描かれていました。
ああいう短い時間で、圧縮率の高い情報をエモく叩きつけれる所が、SideMアニメの静止画演出の妙味だなぁ。
僕はゲーム外からの視聴者なので確信はもてませんが、アレはゲームで展開された『過去の仕事』をアニメに取り込んだ感じなのかなぁ。
3次元のライブを強く飲み込んでいく貪欲な姿勢といい、他メディアの強い物語要素を全部飲み込んで『アニメ』に活かせる消化能力の高さ、リスペクトの濃さが、別次元の表現力を産んでた感じもありますね。

 

というわけで、SideMアニメ終わりました。
言い訳気味に『言うことないっす』って書いたワリに、相変わらずナゲーなオイ。
まぁそういうものを引っ張り出されるアニメだった、ということですハイ!

本当に良いアニメでした……素晴らしかった。
1クールという限られた時間で多くのキャラクターを扱うために、考え抜かれたエピソードの配置、キャラの仕事。
圧縮率が高いのに飲み込みやすく、過剰な読解を必要としないのに詩情が伝わる演出力。
過去や現実にしっかり目配せし、リスペクトを込めて『アニメ』に取り込みつつも、あくまで独自の物語を骨太に展開していく独立独歩の姿勢。
自分たちが何を作り、何を伝え、そのためには何を用意すれば良いのかを、徹底的に突き詰めたアニメだと思いました。

僕はアニメからの門外漢として、このアニメに触れ、楽しみました。
だからここまで作品を盛り立て、物語に寄り添い、様々な支援によってアニメ化という晴れ舞台を盛り立ててきたプロデューサーとは、違う場所にいます。
そういう人間にも深く深く、このベーシックでチャーミングなアイドル青春物語は刺さったし、外野席から見ても、ファンとコンテンツへのリスペクトがしっかり篭った作品だということは分かりました。
そういう誠意は、直接僕に向かって投げられないとしても、青く清潔な『余波』みたいな感情を生み出して、グッと作品に惹き付けてくるわけです。

人間の真っ赤な血潮が滾る、夢への歩みを真ん中に据えつつ、男同士のロマンチックな誘惑をスパイスとしてきっちり効かせていたのも、凄く巧かったですね。
ロマンスを剽窃して雰囲気だけ切り取ってくるのではなく、恋と見分けがつかないほど濃厚な感情がその場に漂っている証明として、男と男の視線が絡む。
出会ってしまった運命がうねり、愛と想いが火花を上げてぶつかり合う瞬間を印象深く切り取ってくることで、ドラマとキャラ描写に熱量が生まれていました。
そういうズルくて賢い使い方で、視聴者の欲望に答えてくる技量とサービス精神、ほんと凄かった。

色んな物を望まれ、沢山のキャラがいて、『アイマス』の長い歴史がある。
バランス取りが非常に難しい作品を、とても巧妙な場所に刻み込んだ作品でした。
キャラのエゴと優しさ、物語全体への貢献と自分個人の感情のバランスを、的確に取り続ける眼の良さ。
スケールの中に収まるだけの波乱をきっちり測りきり、なおかつ物語に都合の良い嘘ではなく、虚構の中に生きる一人間の人生なのだとしっかり思わせてくる熱量を入れる。
凄く難しいコントロールと、軽やかを装ってやりきってくれる見事な歩調は、最後まで乱れることはありませんでした。

色んな個性がひしめき合うことが魅力の315事務所に相応しく、色んなエピソード、色んな切り口でお話が展開していったのも、とても良かったです。
バラエティ豊かな物語は見ていて飽きることなく、根っこの部分では共通しているものが強くあって、個性と全体が上手く調和していました。
担当エピソードだけではなく、細かく細かく出番を作って印象づけることで、アレだけの人数で『消えてる』キャラがいなかったのは、本当に凄い。

多様なお話を扱いつつ、DRAMATIC STARSを真ん中に据え、太い芯を一本ちゃんと入れていたのも良かったです。
『先を征くもの』としてのJupiterの使い方と言い、キャラ個人の感情に嘘をつかない展開を作りつつ、全体を見据えた構成も非常にしっかりしていて、見ていて迷うことがなかった。
それは掛け替えのない『みんな』のなかで、あえて特別なユニットを選び取る決断が、あってこそだと思います。

普遍的な夢や挑戦を熱量高く扱いつつ、『アイドル』という題材の特殊性、ファンと向かい合うことの意味をちゃんとやったのも、文句なく素晴らしかった。
これはEoJをプロローグとして配置した妙味の一つで、あそこで『アイドルが全力でファンに向かい合うために、絶対必要なバックアップ』としての事務所とプロデューサー、ファンとの関係性を掘り下げたからこそ、それが光として道を照らしていた。
Jupiterが思い悩んだ、プロの表現者としての苦しみや喜び。
アイドルなりたての仲間はまだそこから遠いんだけども、その道は繋がっていて、Jupiterが見ている景色にようやく追いつきかけた場所として、合同ライブがクライマックスに配置されている。
仲間がいること、ファンがいることの意味と意義を噛み締められる『アイドル』に、315の理由(ワケ)あり共が成長したという意味でも、いい最終回だったなぁ。


そんな風に、良いところが山ほどあるアニメでした。
作画クオリティ、研ぎ澄まされた構図、程よい『抜き』の気持ちよさ。
『アイドル』という題材に説得力を持たす劇伴の切れ味、ステージ作画のリッチさ。
アニメーションに動員できる全ての要素で、しっかりとまとまった物語を組み立て、届けてくれるアニメでした。

アニメーションという形で『その先』が見れるかは分かりませんが、是非にも見たい。
そう思わされる見事なアニメでした。
でも今は、感謝を込めて『ありがとう』と『お疲れ様』を。
本当に良いアニメでした。
アイドルマスターSideM、14話楽しませてくれて本当にありがとう!