ダーリン・イン・ザ・フランキスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
かくして少年少女は男女の別を知り、微笑ましい対立を始める。小学校高学年めいた男女対立あり、人の真似をする鬼あり、パートナーシップの芽生えあり。
明るいようでいて、秘された死に出会い、生存手段としての融和に至る、薄気味悪くて気持ちの悪い話。
というわけで、矢吹健太朗先生原作みたいなエロティック・コメディと、何も与えられていない子供たちが自ずから芽吹く様子と、ガキらしいアホな対立を『コドモらしくない』と切り捨てる世界を同時に描く、尻の座りの悪い回であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
ピカピカな話しされても違和感あるので、薄暗いほうが落ち着くなぁ
お話としては理由なきエロティクスが都合の良い粘液で暴走し、男と女が対立遊びをする回である。ゾロメ-ミク組が小学生剥き出しでガツガツぶつかりあい、それに引っ張られる形で子供たちは分断され、アウトサイダーでありお姉さんでもあるゼロツーは、ガキの遊びには付き合わない、という構図。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
キスの意味も教えられてないのに鼻の下は伸ばすあたり、パラサイトの性意識がどう芽生えているかイマイチ分からん部分もあるが、兎にも角にも少年たちは少女の素裸を不当に略取し、少女たちはそれに怒る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
性の意味も知らないまま、恥じらいの形式だけを手に入れている育成っぷりが、なかなか歪だ。
あの世界において『思春期』は病であり、それを『治療』するAPEのスタンダードから、博士は距離を置いている。実験の名目で子供が子供らしくぶつかりあうことを許容する視線が、温かいのか冷たいのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
なかなか分からんところだが、そんな視線に見守られつつガキどもはプンスカぶつかり合う。
女たちは風呂場を、男たちは食堂をそれぞれ抑える平和な戦争は、ちょっとアリストパネスの”女の平和”っぽいペーソスがあるが、その過程でそれぞれの成熟度が見えるのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
いつものように直結沸騰で、考えなしに本気で怒るゾロメとミク。なんと話に流されるフトシ。言うべきことを言えないココロ
ゴローは乗っかったふりで知恵を貸し、対立を収めるように立ち回る。女たちは下着姿を恥じらい、男たちは堂々と晒す対比が、結構面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
貞淑は女の美徳であり、放蕩は男の甲斐性。荒野は結構、オールドスクールな価値観で立ち回っている。
そんなドタバタを横目で見つつ、ゼロツーはこれまでのシニカルな態度でサークルから距離を置くのではなく、男女の境目を自在に乗りこなしつつ、争いを加速させていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
それは有角の鬼子たる彼女が、自らの知恵とアウトサイダー性を有効活用する歩みだ。
子どもたち的には本気で、俯瞰で見れば遊戯でしかない男女の一線。それをゼロツーは軽やかに超えて、男の食堂、女の風呂に自在に分け入る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
イチゴの『リーダー』らしい呼びかけを跳ね返さず、同じ部屋に入って話を聞き、問題解決への道筋を荒っぽく立てる
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これまで彼女を孤立させていた『ヨソモノ』『怪物』の記号は薄れて、今回の彼女はサークルに接近する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
完全に内側に入れなくても、ダーリンだけがいればいい(を飛び越え、自分だけいればいい)というスタンスを崩して、人に寄り人を演じようとする。
『人間のする喧嘩ってやつを、やってみたかった』と、『らしく』ない行動のワケを話すゼロツー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
その身のこなしは驚異的で、叫竜混じりはつくづく人間ではないことを思い知らされる。流す血は赤くても、生物種としてのスペックが違う。
それでも彼女が、下らないガキどもの反目に混じって、ガキが思いつかない解決策で対立を拡大し、撹拌し、解決していく歩みは、なにかいいものだと思えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
血の色の夕日の中の笑顔は、人間になってみたい怪物の切なさを宿して、今までで一番嘘がなかったように思う。
彼女のダーリンたるヒロも、騒動を経て男たちが部屋に戻ったあと、かつての英雄性を取り戻したかのように『あるべき』パートナーシップについて語る。叡智を意味する書物と翳りによって、子供から切り離されたヒロのレイアウト。ミツルの孤立が面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
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六話の決戦で、血みどろの真実に踏み込んだヒロ。女と獣が同居するゼロツーの真実を抱きしめたことで、ヒロは女を、理解困難な他者をそれでも支えなければいけない、という倫理に目覚め、それを同族に広めていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
それは変化ではなく再帰であり、番号を人の名前に変えた過去が再生しつつあるのだろう
一方女たちを揺らすのは高いポジションを特権的に取るゼロツー…ではなく、ミツルとの対話によって『集団からはみ出すこと』への震えを抑え、言うべきことを口に出来るようになったココロである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
第5話で密会場所として選ばれた温室は、再びパートナー外の男女が関係を深める揺りかごになる。
興奮と意固地に踊らされるバカガキから距離を取り、花に包まれるミツル。ココロは期せずして彼と再開し、第7話で回収した性と愛の真実を見埋める。
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第5話では巧く持ち運べなかった潤いは、適切な容器に詰め込まれて、様々な思いを込めた花を潤す。
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ここの繊細な明暗は、性を制限された(ことに気づく自発性すら制限された)少女たちが、男女の交わり、そこから生まれ出るものを手に入れてしまう危うさもまた、照らしているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
今回の物語は適切に調整された衝突、真実の発見、それに基づく小さな成長と変化に満ちている。
だがその光は、常に遮られて危うい。自分たちが光を遮り、自然と湧き出る変化を阻害していることすら、パパたちは隠蔽する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
前任者の死すら隠蔽していた社会は、『男と女は別の生き物で、だからこそ助け合える』という当たり前に、子供が自力でたどり着くことを寿ぐのだろうか?
そんな危うさを予感してか、ココロは『街』の異物、世界の真実を教えてくれた可愛らしい書物を、みんなの目に触れないように隠蔽する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
忘れ去られ埃にまみれていた本が、丁寧に拭われているところに、ココロがそこから学んだ真実をどう受け止めているかが、良く分かる。
だがそれは、性を隠蔽し、子供に交配の姿勢でロボットを操縦させる社会においては、『知ってはいけないこと』なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
差異を知ること、それを尊ぶこと。謝罪し、手を握り、生き延びるために力を合わせ、愛を育んで子を為すこと。それはナナいわく、『コドモ』らしくないことなのだ。
そんな禁忌を、ココロはミツルには隠さない。一緒に出会ったものだし、彼女はただ優しいだけのフトシより、危険でサークルに入り交わらない(けど、常にヒロを見つめている)ミツルに引き寄せられている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
自分の大切なお花に込められた意味を教え、共有しようとすらする。
男女和合の真理、それによって生まれるシャクティを言葉にした時、ココロの頭にあったのは誰だろう。システムが与えてくれたパートナーか、そこから離れた温室で、『街』で交流した少年か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
ここの三角関係に漂う不穏さは、恋の鞘当て以上にグロテスクでリアルなものに、接近する切断面かもしれない。
ココロが例外的に所持する、男女の裸の真実。それがいつ、どのように共有されるのか『コドモらしくないコドモ』を抑圧する手が伸びてくるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
”神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」 創世記3:11”
ヒロがたどり着き男たちと共有したパートナーシップの先似、性交があり生殖がある。それは喜ばしいこと…のように僕らには思えるけども、あのクソみたいな世界がどういうシステムで維持され、パパたち『オトナ』は何を甘受しているのかというベーシックが見えないと、どうにも判別はしにくい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
愛とか正義とか公平とか、『こっち』では当然視されているものが死ぬほど大事にされていないんだろうなってこと、それでも子供たちは『マトモ』に、世界から学び知恵を芽吹かせてしまうのだなということが、今回ようやくある程度の保証を得た気がする。同時に、不安も加速する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
ココロが性/生に、ヒロが愛に、ゼロツーが友に接近するように、ミクは死に接触する。枯れたラベンダーが彩る封地には、もういない人たちの残影が伸びている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
自分たちと同じように、写真と思い出とぬいぐるみを残して未機関となったコドモたち。明日は我が身、使い潰されたくなければ自衛するしかない
剥き出しの死を前にブルブル震えるミクを抱きしめるのが、ゾロメではなくココロなのが興味深く、頼もしく、切ないなぁ、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
『バーカ、ミクなんか好きじゃねぇし!』と言っちゃいそうなゾロメはまだ、パートナーの背中を土壇場で抱いてあげる決意は固まらない。恥ずかしいのだ。
ヒロが六話で特権的に踏み越えた、全てがむき出しになった赤い世界。そこで素裸のゼロツーを抱きしめて、己の体温を基準点に人間に引き戻したことが、今回の衝突と和解、知識と融和に繋がっている感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
ゾロメもそこに行けるのか、その前に殺されるのか。全く油断はできない。
そういう不穏さと変化の中で、イクノのは相変わらず冷淡で、奇妙な熱を秘めていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
白いテープによって現れた、女だけの共同体。イクノはそれを『悪くない』と許容する。それはそこにイチゴがいて、ヒロもゴローもいないからか。彼女の願いは、なかなかに見えにくい。
花言葉は国、花の色によって、無数の意味を持つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
紫色のライラックには『友情』『想い出』『若さ』に付け加えて『恋の芽生え』『純潔』がある。
あの弔花は名も知らぬ先任だけでなく、今を必死に生きる13部隊にも送られているのだろう。
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今回子供たちは、とても大事なものに沢山であって、それを共有できた。異性が理解困難であること、でも手を取ったほうが善いこと、死は近いこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
その発見と変化を、あの悪趣味で残忍な世界が許してくれるのか。簡単に安心するなよ、と。様々な演出が告げている。その方が僕は、見てて気楽だ。
ゼロツーは相変わらず赤い制服だが、パイロットスーツは白くなった。『みんな』の一員であることを静かに告げる、ユニティの表象。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
それを着込むことを自分に許し、子供が不器用に創る社会から許されたことが、オニがひっそり憧れるヒトになれるかの分水嶺を、静かに定めている気がする。
エロバカ展開に設定開示を隙なく盛り込んでくるのがなかなかうまい脚本であったが、フランクス戦闘におけるダメージが『女』に独占される設定は、生理と出産の不公平生(特権でもあろうが)に通じるものかな、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
それは『男』には分からない。体験もできない。
だが共にある仲間として、不明ながらも手を伸ばし、支えてやらなければ(文字通り)生きていけないものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
ヒロはそういう場所に、手を伸ばしたいと思った。あの世界の『コドモ』である彼にとって、それは『ロボットを巧く動かして、生き延びる』ことに繋がっている。
『コドモらしいコドモ』は、パパの生存のための装置になって死に、過去を封印されるのがベーシックだ。ヒロはそこからはみ出た、身体が当たり前に要求する生存、その先にある(かもしれない)生殖を、理解できないまま望み始めたようにみえる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
その発見は、楽園を追放される禁断の果実なのか。
今回の微笑ましい対立、『死』の発見、友愛の確認は、常にそういう危うさと繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
生きて、愛し、生き続ける。そういう『当たり前』を許してくれない世界で、彼らは安いエロティックコメディと、決死の学習を重ねていく。その先に、何が待つか。来週がかなり楽しみである。
あ、ED映像はモロに蜷川実花監督のAKB48”ヘビーローテーション”PVって感じでしたね。色彩はモノトーンだったけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
ほんとEDのアイドルオマージュが、どういう角度で差し込まれてるかは難しいなぁ…何らかの確信が手に入れば、ザクッと決まりそうな部分でもあるのだが。
追記 欺瞞戦術としてのサーヴィス。基底材を猛り狂わせる。
ダリフラ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
肌色多めに展開する今回(女の子の裸体だけではなく、男のケツもバリバリ写すのは非常に良い。区別も差別もなしにエロティズムを搾取しろ)は、サービスを装いつつ彼らの身体的成熟を見せる意味合いあったのかな、と少し思う。
豊かな胸、しっかりとした骨格、丸みを帯びたライン。男女の体は彼らが『思春期』…性成熟を果たし子供を次代に残すことが可能な『大人』に接近しつつあることを教える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
だが、やってることは小学校高学年、異性を意識したてのガキがやるバリアーごっこだ。
そのアンバランスは面白うて、やがて哀しい。彼らの未成熟は彼らの自己責任ではなく、成熟を後押しし未来を繋ぐ社会が、彼らを無知なまま略奪していることから生まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
いい体をしたバカガキ達が、自分に備わったオプションの使用法すら知らないまま死ぬのが、あの世界のスタンダードだ。
裸体を前にしての微笑ましいケロヨン投げかけと、その外側の(幸運にして)『マトモ』な僕らの世界との、一方的かつ結構暴力的な視線のギャップ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月4日
それを笑いと興奮の中で差し込んでくるために、今回肌色だったとしたら。それはなかなかやるやんけ、となる。確信は一切ないが。