ダーリン・イン・ザ・フランクスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
クリスマスに、青い雨が降る。
爆裂する子宮に取り込まれた少年を見捨てろと、世界が告げる時。残忍な手鏡が子供たちの真意を照らし始める。それがたとえ、恋にはならなくても、まごころを君に。そして、僕に。
子供たちの変化と大人の冷淡が、対比をなす回。
というわけで、再び戦いが始まるダリフラである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
冒頭の空疎なクリスマスプレゼントが示すように、少年たちが置かれた社会的状況は何も変わっていない。
空っぽのお礼状に無邪気な感謝を跳ね返すミツルが一番わかり易いが、みな自爆兵器の誉れを脳髄の奥まで刷り込まれ、それが当たり前だと思っている
ヒロが送った手鏡(元カノの私物なのはどーかと思うが)、あるいはゴローの髪飾り(『鳥』なのは彼らが真に求め必要なもの、それを見据えるヒロとの繋がりを感じさせる)。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
子供たち同士で贈与される気持ちと、姿すら表さない”パパ”たちの冷淡。その対比は、ゴローが取り込まれた後の対応で更に目立つ
生命より都市。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
パパたちは『なぜ、守らなければいけないのか』を秘匿したまま、『子供は大人のために死ぬもんだ』というグロテスクな本音を叩きつけてくる。
子供たちは基本、死ぬこと自体には躊躇いがないが、しかし生きていたい理由はたくさんある。仲間を生き残らせたい理由も。
その中間点に、絶対防衛戦(つまりギロチンの綱を離すライン)を背負っての救出作戦がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ゴローの命を助けるのに、フランクス…都市が与える(強要する)子供たちの存在義は、決定打となりえない。剥き出しとなったイチゴの気持ちを、ゴローに届ける。その為の護衛。
子供たちの戦いは、『いざとなったらこれで死ね』と与えられた自爆機構を作動させた上で生き残り、その爆発は都市を揺るがす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
別に硝子の天井が壊れたわけじゃない。でっかい花火が上がって、少し身震いした程度。しかし自分たちに無関心な都市に、サプライズプレゼントくらいにはなったろう。
子供たちは子供だけの小さなサークルの中で、お互いに作用し、あるいは反作用し、ちょっとずつ自分を前に進めている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
その善性は愛おしく、また痛ましく、微細な表情で結びついている。だからこそ、そこに何の手も差し伸べない、顔の見えない大人たちの卑劣さは際立つ。俺は苛立つ。
パパからのプレゼントを無邪気に喜んでいる限り、生命を搾取される構造は変化しない。大人になれなかった『前の13部隊』のように、この世界のあらゆる子供たちのように、使い潰されるだけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
既に魂の根っこまで、巨大なシステムの都合が子供たちを染色している。
それを洗い流し、生まれ直すことが出来るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
露骨に受精と出産のメタファーが援用され、しかし待ち構える女と自在に泳ぐ男の立場を入れ替えたことで、ある種の清潔感を宿した今回は、第2話で見せた乱雑な性意識を、少し整えて変奏してきたように思う。
そう言えば、クリスマスは救世主の誕生日か。
白い衣をまとった衆生の中を、自在に泳ぎ、救いを与える子供時代のヒロ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
彼はおそらく意識して救世主(あるいは洗礼者、その両方)的に描かれていて、そしてそれは失われてしまった。聖なるインポテンスは赤い花嫁との出会いで再起動し、彼は自らの英雄性を再獲得しつつある。
ミツルと同じように、あまりに巨大なカリスマに屈折した視線を向けるゴロー。彼もまた、ヒロの変化、それが波及して起こった13部隊の変化、そしてイレギュラーたるゼロツーの変化に巻き込まれて変化しつつある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
そういうものを共有し、反射させあう共同体の姿は、柔らかくて綺麗だ。
だからこそ、そういう大事なものを保護せずすり潰す顔のないシステムに、苛立ちは募る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
救世主は再び立ち上がり、自分たちが荒野にいることを、人が人、子供が子供足り得る約束の地へ自分の足で進めることを、思い出す日が来るのだろうか。都市を破壊、あるいは革命する瞬間が到来するのか。
そういう大きい見方をついしてしまうが、今は小さな共同体の小さな相互作用、獲得した生存権の光を寿ぐべきなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
言えなかったことが言えて、後悔や秘密を胸から取り出して。お互いにプレゼントを送りあう間柄に、13部隊は成りつつある。まごころは、打ち捨てられた存在なけなしのタフさなのだ
全体的にはそんな感じの話だったと思うが、個別のキャラ描写が繊細、かつ相互に影響しあうエピソードでもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
序盤で毒を撒き散らした、孤立したミーイズムの描写。その荒れ野に種がまかれ、水が注がれ、光が届いて芽が出る描写は、見ていてホッとする。
生きているんだな、って感じがする。
今回のお話は贈与の物語であり、自閉と出産の物語であり、反射の物語であったように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ヒロが送った、ナオミのお下がりの手鏡。ゼロツーは初めて、誰かに優しくしてもらう気持ちを、手に握れ、目で見れる形で受け取ったわけだ。
スラットを演じていても、そういう真正なものをオニは求めている。
ニコニコしながら自分の顔を映す彼女は、硬い冷淡と無関心の殻(この世界の『大人』のスタンダード)ではなく、その奥にいる当たり前の人間、当たり前の少女の表情をしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
それを引き出したのは、彼女の真意を間近に感じ取り抱きしめた、ダーリンの贈り物なわけだ。
同時に、自分から何かを投射しなければ反射は置きない。自分の顔は、誰かに照らして初めて見えるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ゼロツーが異物として居心地悪く、しかしヒトの温もりに引き寄せられてそろりそろりと、ダーリン以外の人間にもいろいろ働きかけた結果が、今回多数描写される。
『ゴローを助けたい!』という強い気持ちだけがあって、具体的な方策を差し出せない子供に、大人は冷淡だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
『文句言うなら実案出せ、そうじゃねぇなら黙ってろ』
超兵器のパイロットじゃなくても、よく聞く言葉、よくある状況。
これを打破する知恵は、システムに取り込まれた子供側からは出ない。
アウトサイダーであること。無邪気な未来を信じていないこと。強制的に大人を演じる場所に追い込まれたこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ゼロツーを孤立させていた様々な要素が、ゴローの生命を助けるための作戦を唯一立案する特権を、彼女に与える。外側にいるからこそ、客観的に見れるもの。脱出口は空いているのだ。
今回もゼロツーは、子供たちのサークルに巧く入れない描写が多い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
しかしガキ達が思いつかなかった現実的な救命策を提案し、掌の上に剥き出しのイチゴを乗せ、『信じているよ』という言葉を受けたこと…その真心に対し、操縦で応えてみせたことは、赤鬼の子供が人間の子供の仲間に成りつつある証拠だ
メインの描写も良かったが、赤いアウトサイダーの微細な変化、彼女が白無垢の奥に隠している脈動を感じ取れる回だったのが、とても良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
それもまた、新たなる残忍の足場にはなると思うが、それでもあの子が『みんな』になりたくて、『みんな』が応えようとしているのは無意味じゃない。
他にも、過去の描写からヒロが失った(そしておそらく、再獲得するべき)英雄性が見えたり、いっとう無邪気なミツルの痛ましさが際立ったり、エピソードの主役以外の描写は、とても細やかで良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
戦闘も『戦って殺して死ぬ』以外の意味、『救助、救済』という側面が強く出され、希望があった。
無論そこら辺の枝葉の豊かさは、幹がしっかりしているからこそ見えるものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
いいヤツゴローと、わがままイチゴ。
凸凹噛み合わないようでお互いをよく見ていて、でもやっぱりすれ違う二人の描写は、繊細で濃厚だった。
ゴローは『いいヤツ』でつまりは『都合のいいヤツ』だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
子供たちのサークルの緩衝材、調整役として機能しつつ、委員長ぶって締め付けるわけでもない。エロいムードが必要ならそれに乗っかり、好きな子が好きな子の唇を陵辱しても、寝取られ亭主ヅラで微笑んでいる。
それが大ッ嫌いだった。
今回ゴローは、モノローグの特権をヒロから奪い去って、ようやく内面を見せる。親友の溢れる才覚、どうしても好きな子が自分を向いてくれない哀しさに、ちゃんと傷ついているんだぞ、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
それでも『みんな』が大事だから抱え込んで、『いいヤツ』でいることを自分に任じながら、前に進んでるぞ、と。
そういう身勝手な都合の悪さは、キャラクターが個別のいのちとして生きていると思わせたいなら、凄く大事なことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
お話の進行に都合よく『いいヤツ』役を演じ続けるのではなく、それが屈折と痛みの果に自分で選び取ったスタイルなのだと、でもやっぱ辛いのだと、ちゃんと描写すること。
それはやっぱり、大事なことだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ヒロもイチゴも皆も好きな善人は、和を乱さないよう、好きな人達を傷つけないよう自分の心をしまいこんだ。
それは尊いことなのだが、でもそんなに物分りよくなくても良い。決意を込めて自爆なんてしなくても、敵は倒せるのだ。
鳥の背中に乗せて、ゴローはようやく幼い時代の躊躇いを手渡す。イチゴはまだ、それを受け止める準備が出来ていないけども、そこで答えを焦らない『大人っぽさ』も、ゴローには備わっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
亜音速で死亡フラグを立てて、Aパートで回収する死に芸にヒヤヒヤしたが、良いところに収まってよかった。
ゴローの靭やかなコミュニケーション能力、人と人の間を取り持つ柔軟性は、イチゴに欠けているものを補っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ミクが指摘したように、ことさら『リーダー』を振り回すイチゴはその実感情的で、『公』の領域と『私』の領域を簡単に切り崩す。ゼロツーいわく『えらそう』なわけだ。
『リーダーで”なければいけない”』という義務感は、子供たちの共同体が自律するのに任せ、必要な補助を行わない社会の欠損を補うべく、イチゴが選び取ったスタイルなのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
向いていなかろうが、共同体にはアタマがいる。誰もやらないなら、じぶんが『リーダーで”なければいけない”』という殻。
ゼロツーが自分を覆う(そして彼女の本質でもあろう)ミーイズムの殻に対し、イチゴは過剰な公益性の殻をまとっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ゴローがいないと気付いた時の激おこぷんぷん丸、飾らない言葉づかいをした剥き出しの少女を、巧く公開できないでいる。あの街の子供は、みんなそうだろう。
その事実をミクが指摘できたということは、また一つの反射なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
押し付けられた幸福だけが流通する共同体は、ゼロツーという異物が混入し、死にたいだったヒロが再生する物語に乗っかって、複雑な乱反射を始めている。
自分の本音を言って、それが相手にぶつかることで、剥き出しのものが見えてくる
それはただ『言った、言われた』という段階では止まらない。真意を認識することは、変化を生み出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
『お前は『リーダー』たり得てない』と言われたイチゴは、反省して少しやり方を変えるだろう。
『お前が『リーダー』じゃなくても好きだよ』と言えたゴローは、鏡に映る自分を別の目で見るだろう。
その芽が出るか、荒野で朽ち果てていくかは、先の読めない未来にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
しかしまぁ、外側からの補助もなく子ども自身が生み出したこの変化は、可能であれば良い方向に転がっていって欲しい、と思う。
その先陣を、主人公とヒロインが『みんな』を引っ張りながら歩けているのは、多分良いことだ。
今回は身長差が巧く使われていて、肩を並べて殴り合えた子供時代から、背丈を追い越し恋を知った少年時代への、イチゴとゴローの変化が『絵』になっていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
世界の実相、性の意味、恋の躍動。大人が何も教えなくても、手足は伸びる。体は子供を産む準備を始める。グロテスクで身勝手な、生命の自律。
凸凹なパートナーシップ、真実の自分を掴み取れていない未熟を表すためにも、『身の丈』は巧く使われている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ミクがイチゴを指弾するシーン、作戦室でプンプンするシーンでは、イチゴは一番小さい存在として、徹底的に演出される。壁の赤いラインが、人格成熟度の計測を助けてくれる。
己を知らないこと。本音を覆い隠すこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ゴローとイチゴには共通する天井があって、それが伸びようとする『身の丈』の邪魔をする。ゼロツーのアシストがあって、イチゴは『受け止める客体』ではなく『切り開く主体』として、状況を打破する。
『アタシは守られるお姫様じゃねぇ、戦士なんだ』と。
毎回毎回、バックからズコズコごっこでロボットを操縦する最悪の絵面を見せられていたせいか、『女』が問題解決の主体となる今回の戦闘(しかも、ロボット抜き)は、不思議なカタルシスがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
そういう方向に転がしていくつもりなら、悪趣味な暗喩の濫用も、なんとか食える…と思う。確信はない。
ゴローの自己犠牲は、やっぱり尊い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
大事な子に何も言わず、何やら満足して『男』の死に様に飛び込もうとするのは、第6話のヒロとそっくりだ。憧れの背中をずっと追っている少年は、マチズモにおいても同じ道を歩く。
でもそれは、ベストな答えじゃない。
『お前は生きろ。俺は死ぬ』という想いが、ありがた迷惑ってわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
でも、ロボットアニメの主人公みたいにかっこよく死なれて、生き残ってしまった側は、その喪失にどう向き合えば良いんだろう。
あがいて、暴れて、吠えて。無様でも生命を掴み取る戦いを、一緒に果たしたい。
産道を遡りし、青い子宮で特攻の夢に微睡んでいたゴローを殴りつけに来たイチゴは、そういう思いを抱えて生身で戦った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
それは恋ではない。まだ恋にならないのか、やっぱり恋じゃなかったのか。それを確かめることができそうなのも、生きてこそだ。
イチゴを残してフランクスでぶち破れば、叫竜はなんとかなった。ゴローは『俺がイチゴを守って”やんないと”』という義務感に縛り付けられ、パートナーに体重を預けることを忘れていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
そうすると、イチゴの特別ではない自分を思い知らされてしまって、とてもしんどかったのだろうし。
それでも、イチゴはゴローと一緒に戦いたいし、ゴローはイチゴを守りたい。キスをしたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
そういう気持ちに気づけたこと、それを言葉にして送りあえたことは、二人にとってとても良いことだったと思う。今回の経験は、二人を良き『リーダー』にしていくだろう。
そう、願いたい。
迷わず身を捨てて守るほどイチゴが好きなのに、ヒロから獲っちゃえとならないあたり、ゴローは善人であるし、ヒロのことも好き過ぎである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ミツルもそうだが、女より男にぶっ刺さってるよなぁ、過去の英雄・ヒロ。己を無用と切り捨て、孤独に自虐していたけどオメー、存外愛され系やぞ。
ここら辺の英雄コンプレックスも、そのうちヒロに到達して、ヒロ自身の顔を照らすことになるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
人の良いガキ達のサークル内部では、その思いを邪魔するものは実質ないんだが、荒野に飛び出した時どうなるか。
サークルの『外側』の冷たさと、『内側』の熱量は、かなり相容れない予感がある。
子供たちの世界は、思いさえあればなんとか回る。ネジ曲がり、覆い隠された気持ちを表に出すことは、いつだって難しいけど、仲間の助けと素直な心があれば、なんとかなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
しかしその無邪気な楽園は、経済と政治が複雑に絡み合う大人たちの世界に常に取り囲まれてある。
今カメラは、子供たちの心の原理をじっくり追っている。その外側はあくまで輪郭で、設定も開示されず、表情もない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
しかし、その無邪気で尊い自足は常に、外部の存在故に成り立っている。赤子から生命を吸い取る邪悪な臍の緒は、気づかずとも子供たちから街に繋がっているのだ。
今後物語のフォーカスが変化して、その残酷な構図を語り始めるのか。はたまた、子供のサークルに成長の苦労と責任を押し付けて進み続けるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
まぁ、ここまで輪郭線を濃く書いて『な、ガキども健気だけど、世界クソだよな?』と言ってる以上、そこには踏み込むのだろうけども。
そこら辺の予感をほぼ出さず、視聴者のメタ読み含めた読解にかなりの部分を預けているのは、不親切な作りだなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
しかしイライラしつつここまで見てきて、その不親切さ、不気味さが一種の味でもあろう、とも思うようになっている。細かく心理を描く筆の巧さは、確かにあるわけで。
それを世界全体に拡大しないのは、『外部』と出会って子供たちが受けるショックへのシンクロ率を、極力上げたいからかな、とか推測もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
子供たちは何も知らない。だから、子供たちだけを描く今の世界は、幼い多幸感と充実感、大人への信頼に満ちている。グロテスクに無邪気だ。
だが、それが真実でも何でもないことをゼロツーは知っていて、彼女の視点が小さなのぞき穴となって、世界の歪さをチラホラと見せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
やがて来る世界の真実、搾取の現実、『自分たちが愛されていない』ことへの衝撃は、静かに世界に埋め込まれて、言及されることなく予感され続ける。
それが作中の価値観では当然だから、良いも悪いも判断しない。当たり前に子供は大人のために死ぬもので、子供たちもそれに疑問は抱かない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ただ、生命は無目的に、生きることを望む。死にたくないわけじゃないけど、生きてはいたい。世界を支配する『当たり前』は、そんな願いすらも踏み潰す類だ。
愛するパパたちが『死ね』と言ってる事実に気づいた時、幼さに傷つけられつつ必死に伸びようとしている子供たちは、どうなるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
その瞬間に怯えつつ、『とっととホントの事言ってよ~』とカタルシスを待ちわびる気持ちもある。嘘ばっか言われて、ガキどもが可哀想だよマジで。
『その瞬間』が来るのか来ないのか、いつ来るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
それはやっぱり判らないながらも、生き延びるためのプレゼントを送りあい、自分と他人の中の真心に気づけた子供たちは、健気で必死でした。
ホント子供たちのサークルは、必死に『人間』し続けてる。懸命に愚かで、全力で未熟だ。愛おしい。
そこに『大事なもんを支えず、守らず、教えない世界の残酷さは、実はパラサイトだけを取り巻いてねぇぞ』という同時代的メッセージが埋め込まれているかどうかは、正直わかんない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
今週のエヴァ第16話&第23話同人誌っぷりをみてると、どーしても文脈に耽溺して終わる危惧で身を引いちゃうのね…。
まぁメッセージなんて、受け取った側が勝手に読み取って、反射していくもんでしかないわけだけども。それでも投げかけらた光の質によって、受け取る意味も、跳ね返す声も変わっては来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
俺はこのアニメから何を受け取って、何を返すべきか。贈与と反射は、ヒロたちだけの問題ではないのかもね。
やっぱ熱血ど真ん中でドカーンとアゲられるより、ウジウジ屈折した感情を暗喩に詰め込み展開してくれる方が、僕好みで食べやすい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
ロボアニメ史的ウジウジとドカーンの語り直し(を完遂しきれない、割り切れないオタク自意識)という意味では、やっぱ”グレンラガン”の後に来るアニメなのだろう。
一生引用されてるエヴァにしても、その前にも後にもある無数のロボアニメにしても、ウジウジとドカーンのバランスを自分なりに探り、捕まえ(そこない)ながら作品を世に問うてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
徹底して子供の視座にカメラを据えて、なかなか答えを出さない語り口も、そこに新たに切り込んでいく武器…なのかな
まぁそこら辺の見取り図は、話が進んで子供らが世界の真実を知り、『大人』になるときまで確定できない。出会わず、変化しない可能性だってあるし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月13日
今回子供たちが見つけ、送りあったプレゼントがどう生かされるか。芽生えはどこに伸びていくか。来週も楽しみですね。
追記 『身の丈』を比べるシーンで画面を水平に横切る線は、つまりどっちが精神的・社会的に優位かを測定する『柱の傷』なわけだ。
ダリフラ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月14日
というか書き忘れ。
イチゴの未熟、ゴローの変化、二人の欺瞞。身長差が印象的に使われる今回だが、激闘を経て自分の真意を見つけ、相手と照らし合わせた戦闘後のシーンでは、お互い膝を曲げてフラットな高さになったり、『戦う主体』だったイチゴのほうが大きくなっている。
斜面や姿勢を駆使し、縦軸の身の丈を操作して画面に意味を盛り込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月14日
アニメーション(のみならず『絵』の物語)では常道だが、今回かなりスマートに、キャラクター個人、そして相互の『身の丈』を見せる指標として機能していたように思う。
常にヒロを見守っているばかりで(だからこそ、か)、自分がゴローに見守られていることに気づかなかったイチゴは、身を賭して守られ置き去りにされ、そこから這い出して『戦士』になることで、ようやくゴローの身の丈に追いつき、一瞬追い越す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月14日
今回見つけたものを糧にして、ゴローの身の丈もまた伸びて、イチゴを追い抜き返すだろう。想像の中で絶対に超えられない、自分を救済してくれたヒロも抜けるかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年3月14日
それまで、硝子の温室が彼らを愛してくれるなら、だが。
あのガキどもほんま、一人も死んでほしくない。死にそうだけどクソッ。