※訂正 いくつかの場所で、『第13話』と言おうとして『第12話』と書いています。
ダーリン・イン・ザ・フランキスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
過去を思い出したところで、現在は動かない。幾重にも積み重なった、誤解と独善の隔壁。赤心のラビリンスを抜けるアリアドネの糸は、幾重にももつれ絡み合う。比翼の鳥は、かくして堕ちた。
アゲムードに綺麗に水をぶっかける、360°すれ違い展開大爆走。
というわけで、先週確認した原点からキレーに遠ざかっていく、ストレスフルなお話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
過去ヒロが発揮した行動力は、結局『外側』へ脱出することなく二人は拘束された。同じように、イチゴもヒロもゼロツーも己の善意と欲望に従って動き、それが状況を悪化させていく。つーかゴローに謝れお前ら。
先週あんだけアゲておいて、地獄みたいなギスギスに投げ込むところがなんともこのアニメらしいが、このもつれた糸を解くのに残りの話数を使うのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それとも、早めに解いて個人と個人の関係性を越えた先まで描くのか。未だなかなか読ませない。逆に、そこが良いところな気もしてきた。
先の話はさておき、マインドリンクによって共有されたダーリンとハニーの過去は、ストレリチアの外には共有されない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
あの世界の子供は、自分の内部に閉じこもっているものを世界や『オトナ』に共有された経験がないので、そのことに臆病になるし、内面をメッセージにする技術も拙い。
例えば、ヒロがゼロツーとの甘い馴れ初めをうまくノロケられたら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
あるいは、ゼロツーがもうちょい踏み込んで自分の事情を喋れたら。
(比較的)恵まれた岸から、岡目八目でコミュニケーション指南するのは簡単だが、僕らが思いつくその方策は、彼らにとっては極端に遠い。
肌と肌が触れ合う距離での、あるいは小さなサークルが機能するレベルでの、場当たり主義なコミュニケーションは繕えても、それ全体を支える巨大な概念(もしかしたら倫理)を言語化/原則化し、共有する土台がない以上、『フツーに話し合う』ことは彼らにとって、怪物殺すよりも遥かに難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
そしてその困難は対岸の火事ではなく、人間と人間が摩擦する僕らの岸でも数多発生し、イライラとズキズキを加速させている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
『まぁ、よくあることだよ』と思いつつも、ガキどもの不器用で身勝手な感情の振り回し合いはもどかしく、痛ましく、見てて辛い。
どーにかなんないの!?(なりません)
色んな場所にすれ違いと侵入が発生しているが、その渦中にいるのはヒロ…ではなくイチゴであろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
9αという『外部』から注入された情報(狭い視界の中では、それは『真実』と同義だ)に背中を押され、イチゴはゼロツーを怪物にして詐欺師と罵る。不誠実だと。
彼女のリーダーシップは非常に悪い使われ方をして、主語は基本『私達』に肥大化し、個人のエゴは集団の原則へとすり替わっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
子供が、兵団として機能されることを常に要求される歪みを『リーダー』として背負った結果、イチゴは個人的感情と集団的目標を意図せず(そして意図して)混同していく
ゼロツーを少しでも仲間だと思おうとした、サークルの内側に入れようとした動き。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それはイチゴが『リーダー』だから育まれた、優しい幻想なわけだが、ヒロの負傷と9αの横槍によって、その公益性は反転する。サークルからはじき出す圧力として、『みんな』を私的に濫用し始める。
今回は(今回も)境界線とその越境が、心理を反映するレイアウトが冴える。白の中で孤立する赤を前に、子供たちは壁の向こう側、顔と言葉を持たない存在だ。しかしイチゴのリーダーシップと嫉心と愛は、ないまぜのニトロとなって壁を超えさせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/h8CD52Rjlj
ゴーイング・マイ・ウェイしようとするゼロツーに、イチゴは回り込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
『事件はストレリチアで起こってんじゃない…共同体で起こってんだ!』と言わんばかりだが、『みんなのヒロ』を振りかざすその本音は、届かない『わたしのヒロ』へのエゴイズムでもある。なんとも厄介だな…。
厄介なのは、ゼロツーがイチゴが提示してくれた『みんな』への参入可能性に、強い魅力を感じていることだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ダーリンの前にいる、個人的に受容された『わたし』。それと同じくらい、『みんな』に受容された『わたし』をも、ゼロツーは『なりたい人間像』に含めている。
最終的に暴力によって破綻させてしまうが、この段階でのゼロツーはいちごの折れた腕を気遣い、斜行してでも傷ついていない方の腕を取りに行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
義憤と私益に芽を隠されたイチゴは、当然それに気づかない。気遣いをしているゼロツー自身が気づけないように
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/QLyPuu12Yf
かくしてお互いの心は交錯して交わり、全てのボタンが外れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
元々サークルから遠い場所に自分をおいていたゼロツーだが、今回は決定的に背中を向け、『みんな』を見ず、見られない位置にポジションする。ご丁寧にスクリーンが、一つかかってもいる
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/SUB3EoFhMf
地獄の学級会めいた状況で、イチゴの主語は拡大していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ゼロツーの所持する、『世界なんて関係ないね』と嘯くミーイズム。イチゴの公益主義は一見それと正反対に見えるが、その根っこには『ヒロに選ばれたい』という切なる願いが、マグマのように熱を持っている。
似た者同士なのだ、みんな。
環に入る。部屋に入る。あるいは部屋から出ていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
これまでも印象的に使われた、心理的なイン・アウトの描写が、今回は数多く使われる。
『個室』であるヒロの病棟に足を踏み入れることは、個として個と向かい合う(ことに失敗する)心理的な描写なのだろう。
ヒロの部屋の前、あるいはゼロツーの部屋の前で、歩哨の真似事をする子供たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
その歪さは素朴な仲間への愛情を秘めていて、なおかつ不格好だ。それに彼らは、社会や歴史の支援なしで形を与えなければいけない。キツい戦いは当然負け戦で、ピケ線は簡単に破綻していく。
イチゴはリーダーとしてヒロの部屋に入り、個人として出ていく。りんご(知恵と罪の果実!)を剥き、幼い笑顔を見せ、公私が混同する危うい立場を無防備にさらす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
救世主気質のヒロが、イチゴと正面で向き合うきっかけが『傷』というのはなかなか皮肉だ。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/DnOoREBGvm
噛み合わない視線。混じり合わない体液。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ヒロはゼロツーの青い血はノータイムで舐めたのに、イチゴの指には絆創膏を貼るだけだ。
『お前の体、俺専用に変わっちまってるぜ…』っていうドミネーションの言説が、『男』であるヒロに乗っかってるのはなかなか面白い倒錯だと思う。
それでも、傷を受けケアされる指は、ヒロとゼロツーを抑え込むために折れた方の指なのである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
イチゴの行動には、善き公と悪しき公、善き私と悪しき私が、常に混ざり合い続けている。人間の営みが常にそうで、他の子供達の行いもまたそうであるように。
ヒロの気持ちはどうしようもなく運命に引き寄せられているし、人間以外に変質しつつある身体も、そのこころを引張る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
兎(怯えて逃げ足が速い生き物)を模したりんごを見ても、イチゴではなくゼロツーの角を思い出すくらい、彼の心はハニーでいっぱいだ。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/4DSX3YiAQB
ゼロツーは第12話に帰還したように、爪を噛み鏡を割る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
暴れて傷つけるのは、分かって欲しいからこそ。でもそのやり方を世界は当然教えないし、拒絶され苛まれた経験は彼女のコミュニケーション能力を弱らせる。
スラットな仮面が剥がれ、剥き出しの弱さをギリギリ繕っている現状。戸松がマジ巧すぎる
割れる鏡、ひび割れた硝子。本当に壊すべきものを見損ない、ゴローはふっとばされて傷つく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ゼロツーの自己像を反射してくれるはずの世界は、ゼロツー自身の暴力によって当然ぶっ壊れていく。それでも、ゼロツーの側を向こうとするゴローの人格が哀しい。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/AfXIO3ONsm
かつてヒロが見せた英雄性に、必死に追いつこうと善性を内面化しているゴロー。その『善き公』の眼差しと、助け舟を出したココロの思いは、ちょっとすれ違っている気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ズルくても、好きな人と話したい。ふれあいたい。ココロが共鳴しているのはむしろ『私』の領域だ。
ダリフラを貫通する心理主義のレイアウトは、誰と誰が目線を合わせ、隠蔽され、あるいは共有されているかを大事にしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
イケナイことでも、ダーリンと一緒にいたい。その叫びにココロが共鳴する時、隣りにいるのはミツルなのだ。第11話が活きてる。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/SlgpaDGB47
そんなミツルは、今回ほぼ唯一といっていいポジティブな交流を、ヒロと果たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
英雄だった過去、裏切ってしまった事実を思い出したヒロは、言葉を適切に使い、過去を謝罪する。捻じくれてしまったミツルは、その思いをまっすぐは受け止められない。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/G45K1DPKt0
しかしそこには、思いが歪められずに届く尊さ、ありがたさがちゃんと宿っている。(第12話全体を支配し、強いパワーを生み出していた源泉だ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
忘れられていなかったこと。愛されていたという事実。再獲得された過去と、ミツルの間には距離がある。だがそれは、いつか埋まるものなのだろう。
今回色んな人の表情が切り取られ、あるいは切り取られないことで、複雑な内面(と、それが投射される外界)が活写されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
苦しく捻れたゼロツーの表情。『リーダー』の仮面を濫用するイチゴ。感情を表にだす女たちに対し、少年たちの瞳は隠蔽される。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/O0s2ukWtVj
ヒロに背中を向けつつ、ミツルは笑っていたのか、怒っていたのか、泣いていたのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
そのどれでもなく、どれでもある内面を想像させるべくあえて描かないのは、ダリフラらしい良い演出だと思う。この屈折加減が、魅力でもありややこしくもあるのよねぇ…。
すれ違いの中に希望を見せた少年たちに対し、少女は赤く吠え続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ゼロツーはヒロの『私室』に入り込む特権を、多重の条件付きで『みんな』から許容される。しかしそこにヒロはいない。再獲得された王子力は、会うべき時にそこにいない最悪の間の悪さとなって、『みんな』とゼロツーを傷つけていく
個人的にはここが、一番素直じゃないところだな、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
あんだけアガる過去を、『真実』を見せておきながら、むしろそれ自体が凶悪に状況をかき乱す。
気づいただけじゃ、残酷な世界に勝つことは出来ないし、クソみたいな閉塞も、グチャグチャなすれ違いも解消しない。そういう意味で反心理主義だ
イチゴから奪ったナイフは、人を傷つけるためではなく、脱出するためのツールとして使われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ヒロはゼロツーと心を通わせたことで、過去の救世主性を取り戻した。武器を武器として使うのではなく、自分の意味で塗り替えていく主導権を再獲得している
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/pTV5LVC4cn
闇夜にひっそりと、脱出口へつなぎ合わされたナイフ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それは心なき兵器でしかない『コドモ』の暗喩であり、その生き様を変化しうる可能性が、ヒロを中心に残っているというメッセージである…と、僕は楽観的に思いたい。
ただ、ヒロは再獲得した救世主性を、まだ的確には使えていない。
自分の気持を、あるべき姿を見つけ、そこに導いていく可能性。ヒロ自身には答えが見えていて、それに素直に『正解』を積み上げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
だが、他の連中はなかなか素直に相手を見れず、捻じくれた爪でガンガン傷つけていく。ヒロ自身も、己の行動力を的確には使えない。
雪野原に撒かれた真心の種は、なかなか芽吹かない。枯れてしまうかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
今はそういう厳しさを、じっとり追いかけるフェイズなのだろう…が、やっぱ空回りとすれ違いは、見ててキチーわ。表現力が高いのならなおさら。どーにかなんないの!?(なりません)
ヒロは『あるべき居場所』を抜け出して、ゼロツーの『私室』に踏み込む。傷だらけで、何もかもが壊れた部屋。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それがゼロツーの、スラットな態度の奥に隠した内面であることは、かなり明瞭だろう。ヒロはようやく、ハニーの痛みに出会ったわけだ。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/QiTAGrUw2a
刻まれた傷が軒並みかしいだ十字なのは、『DARLING in the FRAN”XX”』というタイトルを考えると、なかなか図象学的で面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
XX遺伝子、あるは裏切りのダブルクロス。あるいは十字架。色々読めるが、何よりもこれはゼロツーの心理表面、その具現なのだろう。
傷だらけで、光が遠くにある。
しかしそこにある傷と光を考える間もなく、あれだけ求めた『みんな』に(これまでと同じように)裏切られたと感じたゼロツーは、ついに爪を振り上げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
イチゴとの身長差を強調していた演出が、ゼロツーリフトで持ち上げる時に逆転するのが、なかなか面白い。その高みは、暴力で買った偽りの玉座だ。
もうちょと『マトモ』なら、決定的に他者(自己像を投射歯反射する手鏡)を傷つける前に、色々手立てがあるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
オトナが仲裁するとか、教育なり家庭なりが外部システムとして機能するとか。
しかし何度も言うが、そういう常識こそがコドモたちには、なによりの贅沢品なのだ。
補助無しで地獄を滑り落ちていく、キツめの直滑降。自分も他人もズタズタにしながら、なんとか望ましい自分を探していく無力な努力が、いかにも痛ましい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
しかしまぁ、もう彼らにはそういう道しかないってことくらいは、1クール付き合えば納得もしている。しんどいけどな色々!!
さておき、ヒロは傷つけられた『みんな』をみて、ゼロツーの怪物性を指摘する。実際被害者がいる以上、それはどうにも否定しようのない事実なのだが、「今のキミは、怪物だ」という条件付きの言い回しに、ヒロの目の良さ、嘘のつけなさがにじむ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
『今のキミ』という付帯条件は、つまり『過去のキミ』あるいは『未来のキミ』はそうではない、という理想(あるいは事実)を指摘していけども、それを受け止められるほど、ゼロツーに余裕はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ハニーから突きつけられた絶縁状は、手鏡をさらに壊す
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/2wIJEyBDcY
そこに鏡の欠片が残っていることに、希望を抱けばいいのか。どうしようもないほど壊れてしまった他者/自己像を嘆けばいいのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
なかなか複雑な状況だが、取り敢えずしたり顔のジェネリックカヲル君は殴る。
あのヤローマジよー…一言で綺麗に切り崩しやがったなぁ…。
置き去りにされた世界の中で、イチゴはようやく獲得したダーリンに喜び、ダーリンを独占する自分を満たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
第2話で蹂躙された唇の痛みを、そのまま反射する因果応報のキス。やられてキツさがわかったかねヒロくん…俺は全く嬉しくない。
自分にされたことの意味、その時の感覚を思い出せないまま、暴力的に愛と性を振り回す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
イチゴのキスは本当に、第2話のヒロを綺麗に反射していて、イヤーな説得力があった。それが未熟な暴走であることを、片足立ちの背伸びがよく教えている。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/hZVTC8k8ST
キスしていてすら、お互いは直交しない。視線の先にあるのはガラスの天井、離れていく比翼の鳥、ハニーとのキスの思い出。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
好意を告げられたなお、ヒロの視界は曖昧な苦しみに満ちている。ホント持ってねぇなイチゴ…。
©ダーリン・イン・ザ・フランキス製作委員会 pic.twitter.com/R7Oo1hX8if
その視界の奥の闇では、ゴローが決定的な瞬間を目撃している。英雄時代のヒロに魅せられ、そこに『なりたい自分』の反射を見つけた男に対して、最悪の裏切りである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ほんとモー、お前らの個人的グジャグジャは一旦横において、全員ゴローに謝れよほんとよー!!
ここまで手ひどく裏切られて、ゴローはまだヒロとイチゴを、受け止めようとしたゼロツーを好きでいられるんだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
…いられるんだろうなぁ…。劇作的な意味でも魂的な意味でも、ゴローは『いいヤツ』で『都合のいいヤツ』である。その善性に、とっとと報いてやって欲しいと思う。
露悪的にエゴイズムとコミュニケーション不全が爆走し、全てがすれ違っていくエピソードでした。理解と行動に満ちた第12話を綺麗に裏返す作りで、本当に性格悪いと思います。素晴らしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
お伽噺を思い出したからといって、アポカリプス以降のセックスイン・ザ・シティが解決するわけじゃないんだよ!
とは言うものの、第12話で『正解』を見せてしまった以上、物語はそこに帰還するしかなく。これは個人的な好みの話でもあるし、物語の『圧』が持ってる自然な帰結の話でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ハッピーエンドの可能性を魅せたなら、そこに近づく責務はあるでしょ、やっぱ。
しかし相互理解への道のりは遠く険しいし、青春地獄道を歩いていくコドモたちは人生がヘッタクソだということを、今回確認しもした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
最悪のミスコミュニケーションが綾織となった、極悪のタピストリー。描かれたこれをどう破いて、素朴で柔らかな真実に辿り着くか。あるいはたどり着かないか。
そこら辺の危ういロードマップを、鮮明かつ残酷に描く第3部開始となりました。はー、地獄地獄マジ地獄。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
どーしようもないガキどもと、それを一切支えも教えもしない社会の共犯。絡み合った糸をどうほぐしていくか、はたまた更に絡まるか。来週も楽しみですね。
追記 灯明としての文学。古臭く揺るがないナラトロジーに、作品自体が帰還してくれるかという甘っちょろい願い。
ダリフラ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
全員為すべきことが心の中にあるのに、それを適切に行えない。やり方がわからない。第14話の混迷は、第13話の決断と強い対比をなしている。
状況自体は変わりがない、というか第13話の人体実験の『圧』の方が高い気がするのに、行動の方向付けは過去の方が上手く行っているように見える。
母の残してくれた『童話』、あるいはヒロの『名付け』。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
混沌として形のない現実を前に、自分と世界と他人ががどんな形で、何を信じて何を為すべきかの目鼻を付けてくれる『物語』の有無が、二つの話数における行動の差異に繋がっているとも思える。
あまりにも剥き出しで、社会を成り立たせる巨大な概念(あるいは虚構)が消滅してしまう、物語のない世界。個人を飲み込んで無意味化していってしまう白い雪。名前を剥奪された収容所。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
そこにも『物語』は息づいていたが、今は何処かに消えた。第12話でゼロツーが探した絵本は『見つから無い』のだ。
逆に言えば、適切に組み立てられたフィクションは時に、指針なく『現実』をさまよう人に現状把握のヒントを与え、より自分が望む方向に自分を導かせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
仮想の物語の中で示された価値だからこそ、その存在を許さないような厳しさでも真実が息をつなぐことは多々ある。
オレンジ色の虚栄のために、ただただ生きて死ね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
『オトナ』はそんな非・物語を子供に押し付けてくるが、彼らの心臓はそういうニヒリズムに、知らず反していく。私というキャラクター、貴方との関係性が何らかの意味を持ちうる、目鼻のついた物語を求めていく。
それは必ずしもポジティブな結果だけを連れてくるわけではなく、『お姫様にはなれなかった』という結末を飲み込めないからこそ、イチゴは自分に都合のいい物語を求め、あるいは『みんなのためのリーダー』という収まりのいい物語を振り回して、色んなものを傷つけている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
それでも、番号で呼ばれて使い潰され、笑いも泣きもしない道具になってしまう規範と戦う時、『物語』は強力な武器となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
いかに優秀なストーリーテラーとして、混沌とした人間関係、価値判断基準、行動規範を整理し、周囲にメッセージを伝えていくか。その技法が、今後も厳しく問われることになる。
生存のための仮想構築。贅沢品ではなく、必需品としての『物語』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
ここら辺ちょっと収容所文学、戦争文学、あるいはホロコースト文学っぽくもあり、過去これらのジャンルが見据えた広いレンジまで語りの幅が広がると、個人的には面白いと思っている。どうなることやら。
更に言うと、ヒロたちにとっての『物語』の作用を、ダリフラ自身が視聴者に何らかもたらしうるか、という部分も気にはなっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
ひどくいびつで極端で、普遍的な人間疎外に置かれた少年少女と、僕らは全く似ていなくて、完璧そっくりだ。そんな彼らの写し絵として、僕らも『物語』を欲している。
自分と世界を照らす『物語』を欲しつつ、常にそれを揺るがせている人々に、最終的に”ダーリン・イン・ザ・フランキス”は誠実に、フィクションであるがゆえの真理(の欠片)を、何か語りうるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
それは作品だけでなく、それを受け取る読者の姿勢にも、大きく依存する。読む行為は双方向だ。
極力、『物語』が語ってくるものをしっかり受け止めたいと思いつつ、無能力と偏見によって様々なものが取りこぼされ、失われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
不確実であるがゆえに『物語』を欲するのに、それを受け止める皿も穴だらけだ。それでも、可能な限り『読みたい』とは思っている。(実際出来ているかは別の話だが)
継ぎ接ぎだらけの皿で、不完全な雫を受け止めるような覚束なさが、イマージュを受け取り自分のものにしていく行為にはつきまとう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
そういう不完全な人間だからこそ、『物語』を次々求めることをやめられないのかもしれない。割れ鍋に綴じ蓋、グダグダめんどくさい人にダリフラ。そういうマッチング?
とまれ、ヒロ達がいかに『物語』を再獲得して、それに失敗していくかは、今後も物語を支える大きな支柱となるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
その軌跡を追うことが、またこの作品自体が僕にとって『物語』足り得るかどうかを、一つずつ問うことにもなる。こういう姿勢で向き合ってしまった以上、評価は最終話まで定まらない
一つのほころびから全体が崩壊することもあるし、たった一つの納得が全てを許容もしうる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
そういうアンバランスさもまた、『物語』を読む不可思議だ。いつ、どこから何が飛び出してくるかなんて、神様でもない僕にはさっぱりわからない。
それが、読むことの楽しさでもあるわけで。
ヒロたちは今後『まものと王子様』のような、幸福な意味での物語的サプライズに、もう一度出会えるのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
第13話であそこまで完成度の高い『正解』を見せた以上、いかにして黄金期に帰還しうるか、『物語』を再獲得するかが、大事になるとは思う。しかしその道のりは、感情と阻害で混濁している
ゴールと現在地の遠い距離、険しい道程。それを明瞭に整理することも、『物語』を語る上では大事だ。第14話はそういうエピソードでもあったかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月17日
迷路の途中で死ぬのか、なんとか抜けて大団円か。後者を望むが、さっぱり確信はできない。上手く惹きつけられているのだろう。