ダーリン・イン・ザ・フランキスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
破天の空に桜が咲く。やがて散ることを約束された、美しい花。水を吸い上げ生命を啜り、決死に咲き乱れる若き炎よ。
迷妄を抜け光が見えても、定められた死が舞い降りる。青い死神のキスが待ち構える未来へと進む時計。
我らの狂気を生き延びるすべを教えよ。
そんな感じの、第三章開幕である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
おだやかな日常回であり、激戦を生き延びてようやく『まともな人生』を掴みつつある少年少女のスケッチであり、局地戦の勝利が何ら運命を変え得ない冷徹なエピソードでもある。
あの上がり調子から即座に冷水ぶっかけるところが、ダリフラらしいなぁ、と思う。
ぶっちゃけ非常にキツい話であり、満を持して投入された舛成コンテが切れれば切れるほどに、彼らがようやくたどり着いた幸福が活写されるほどに、それが一握の砂のように逃げていく苦しさが加速していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
語り合い、認めあう。その景色を見たかったはずなのに、夢はあっさりと醒めていく。
新OPは赤から青、人類の血から叫竜の体液へと色合いを変える。花びら、魚群、あるいは砂。かき消えるものを、青い青い時代の中に焼き付けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
ゼロツーの背中の隻翼から始まり、彼女が夢と消えたあとヒロが翼を手に入れることで終わる、一連の流動、
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比翼連理を巧くヴィジュアル化したOPは、消失、あるいは流転のイメージが徹底されていく。抱きとめたはずのもの、価値ある成長が老いさらばえ、腐敗し消滅してしまう宿命。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
第15話でピークを迎えた少年たちの変化は、必然的な儚さへ向け舵を切り替える。今回のエピソードは、その縮図だ。
グランクレヴァス攻防戦により、第13プランテーションは崩壊した。頭上を覆う天蓋は壊れ、野生に放り出された少年たちは否応なく、己で己の命をつなぐことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
第13話で示された、衣食住を己の手で掴まなければ生き延びられない変化は、ヒロとゼロツーからそのサークルへ拡大していく。
人工物の天井を失ったミストルティンが、どこか第7話の『街』に似ているのは興味深い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
旧人類が置き去りにし、繁茂する生命に覆われた街。その面影を追うように、子供たちしかいなくなった檻は蔦で覆われる。
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自分たちで食事を用意し、水源を探り、衣服を干す。親元から離れ一人暮らしを始めたガキのような、開放感と面倒くささが同居する日々。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
それは最初、ピクニックのような気軽さ、眩しい光と共に朝始まり、死の宿命と暗示を詰め込んで夕刻へ、そして死と隣合わせの眠りの夜へと進む。
オイディプスへ知恵ある獣が投げかけた問いではないが、朝子供として生まれ、太陽が中点に輝いて盛りを迎え、日が沈み衰えて死んでいく宿命に、今回のエピソードとこれからの子供たちの運命は置かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
当たり前の一日は永遠を反映し、逃れることが出来ない生き死にの檻を映し出す。
第15話の勝利、その後手に入れた思いやりと勇気に満ちた今回の生活が、彼らの盛りなのだろうか。そこまで太陽が登ってしまえば、あとは沈むばかりなのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
この問いかけを、おそらく今後この物語は追うことになる。キツい。正直非常にキツいが、誇り高く咲き、可能ならば生き延びて欲しい。
水道と電力、『大人』の用意したインフラクチャから切り離されたミストルティンは、少年たちに成長を促す。へその緒を切り取られることで自由を手に入れ、成熟と死に向かって時計を刻む始める赤ん坊のように、パパから切り離されたパラサイトは、生き方を変え始める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
その表現は多層に折り重なり、様々な少年少女の肖像画が描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
死に近いもの、恋を知るもの。現れは様々だが、彼らは一様に、戦場を潜り抜けて変化している。
ここら辺の変容に納得があるのは、アガる演出が巧いおかげで、ロボアニメのど真ん中を走る強みだな、と思う。
色んな子供たちが自由と死の中間点にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
コドモ熱、拒食症、白髪。
リミット付きの使い捨て兵器であることが当たり前の、パラサイト達の天人五衰。それもで彼らは食べ、吐き戻しても食べ、土に汚れたものも食べる。その無様さを、嗤う訳にはいかない。
まず、ミツルに注目してみよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
彼はヒロの記憶回復、それをサークルメンバーと共有する対話を経て、過去の自分の歪みを認識し、それを是正しようとあがく
まだ面と向かって語り合えはしないが、それでも水面(変則的な手鏡)を通じて、揺れる心を共有する
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彼はオールバックにまとめていた髪を、ココロに切ってほしいと頼む。歪んでいた自分を吐露し、弱さを他者に預ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
ココロがミツルをダーリンと見定め、己のズルさを肯定できたように。そんな信頼と恋情はパートナーへと反射し、今の自分を鮮明に照らしていく。
髪をざんばらに切ったミツルが、子供時代の彼に帰還しているのは面白い。(ホモ)セクシュアリティの形すら見えないまま抱いていた、崇拝と敬愛の入り混じった感情。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
それが黄血球注射(死神のキス)へ飛び込む勇気へと繋がっていた時代へ、ミツルは帰還する。そのことが、現在を肯定させる。
ココロとミツルの逢瀬は、やはり温室の中で行われる。パパたちの支援がなくても、まだ咲き誇る百万の花。ハイビスカスが見守る秘密の花園で、ココロは思わずキスをする。形式だけをなぞりお互いを傷つける、これまでの形とは明らかに違う性的接触。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
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赤いハイビスカスの花言葉は『繊細な美』『新しい恋』『勇敢』である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
第11話でヒロへの、あるいはフトシへの恋(に似た感情)をまとっていた二人は、自分の弱さをありのままパートナーに預け、それを心と体で受け止める変化を経て、より自分らしい愛の表現にたどり着きつつある。
眼の前の弱々しい男が、あまりにも愛おしくて、気づけば体が動いていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
『女』としての、あるいは『母』としての本能…と類型的に切り捨てしまうには、このシーンで交流している感情はあまりに暖かく、柔らかい。
ズルくなろうと決意したときのように、ココロの心はあるがままに弾み、口づけする。
『恋に敗れて髪を切る』という仕草は、大概の場合『女』の属性がつくと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
第9話の妊娠・出産のモチーフ、あるいは今回フトシが見せた『拒食症』のように、このアニメは時に仕草の性的固定観念を、計画的に撹乱してくる。
その女々しさや弱さは、隠されるべきものではないのだ。
フランクスを運用するだけが、アイデンティティとして用意された世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
密室の中でセックスの真似事を演じ、その意味もわからないままにキスを重ねていた時代から、少し時が過ぎて、少年たちは『オトコノコ』たる自分たちを離れ、自分に帰還しつつあるのかもしれない。
そういう脆さ、あるがままの飾りのなさを至近距離で叩きつけられれば、思わず手を差し伸べる。触れ合いたいと願う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
それは押し付けられた知識や義務ではなく、心の底から湧き上がる瑞々しい泉だ。時に飲めないほどに濁るが、清めようと努力することで飲める。
今回、子どもたちは『泉』を追い求める。
ミツココを祝福する花がハイビスカスなら、ヒロゼロの象徴花は桜だ。花言葉は”精神の美”あるいは”優れた教育”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
それは武家社会の勃興と共に地位を上げ、咲くことよりも潔く散ることに価値を見出された、盛りの短い花だ。
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ゼロツーの髪色と同じ、ピンクの花。未だ蕾の桜花は、ようやくスラットな外形を脱ぎ捨てることが出来たゼロツーと、つくづくよく似ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
彼女は今回、遠巻きに見ていたサークルの中に入り込み、その一員としてリーダーシップを発揮する。サークルもまた、『イイコ』になりたかった彼女を許容する。
物語の開始段階では、ゼロツーのほうが強く求めていた身体接触を、ヒロが素直な形で迫っているのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
性的に奔放である己を演じることで、自己防衛を続けてきたゼロツーは、『マモノと王子』の物語を再獲得することで、プリンセスめいた貞淑を、己の個性として発現し始める。
相手に触れたいと願う、ヒロのエロティシズムもまた、序盤で自分と相手を傷つけてきたセックスの真似事とは、大きく形を変えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
ココロがミツルの髪に、唇に、傷に思わず触れたように、ヒロもまた繋がった心を追いかけるように、体に触れたいと願う
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ひな鳥の睦み合いのような、穏やかで自然な、焦りのない接触。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
黒い密室の中で強要されるセックスの真似事、パラサイトでいるアイデンティティから一ヶ月離れたことで、二人の性的パートナーシップは力みのないものへと変化しつつある。
世界が、そういう自然さを許してくれるかは別の話として。
手を差し伸べ、髪を撫でる。恋人たちの仕草が、同性のサークル内部でも展開しているのは、僕にはとても眩しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
ミツルの髪を切ったココロ。ゼロツーを受け入れた仲間たち。ヒロの代言を受け入れ、手を差し伸べるイチゴ。
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心と体が触れ合い、入り交じる特権は、男女の交流に限定されず、女たち(あるいは男たち)でも自然と発生する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
そこでは、全てをさらけ出して全裸で『いない』ことすら許容される。制服を着たままのイクノ、あるいは白髪化を隠すミク。
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己の衰えを隠し、プライドを守りたいと願ったミクの強がりを、ゼロツーがちゃんと気づいて笑いとともに守ってあげたのが、僕にはとても嬉しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
そういうふうに成長した、というよりは、もともと持っていたそういう資質が、記憶の回復と自己肯定により再獲得されたから、彼女は今優しいのだろう。
特権的に、灰色の衣をまとうイクノ。そのクローゼットも、優しく暴かれて欲しいと僕は思う。EDでスキャンダラスに強調されている、非-ストレートとしての彼女の性自認。あるいは、ココロの性的積極性。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
そういう戯画はあくまで番外に、他の子供達と同じような素直さで、灰色の衣の奥を描いて欲しい。
子供たちしかいないサークルの中で、記憶を取り戻したヒロはリーダーであり、ゼロツーはそのパートナーとして気高く振る舞う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
『フランクスに乗る以外の生き方が、僕たちにはある』
それは実験動物としての番号ではなく、かけがえない自分の名前を与えるのと同じ、真実の共有、それによる救済行為だ。
ヒロは常に子供たちの視線が向かう先…未来や希望にポジションする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
英雄として、混迷を切り裂いて真実を見つけ、それを告げるものとしての自分を思い出し、まずパートナーと己自身に施したヒロは、その福音をサークル全体へと拡大しつつある
そんな彼の隣りにいることで、ゼロツーもサークルに馴染む
家の中で、あるいは外での食事で。ゼロツーはこれまでのように、遠い場所にぽつねんと腰掛け、羨ましそうに外から見つめはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
サークルもまた外部に向かって開け放たれ、おずおずと伸ばされた少女の手を取る。その喜ばしい姿は、しかし危うくもある。
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子供たち全てに待つ、死の宿命。日が陰り、夜が近づくにつれて、子供たちを包んでいた明るい光は消えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
ゾロメはフトシの欺瞞を剥ぎ取り、フトシはそれでも健常な自分を演じようとする。『食う』というフトシの個性が、消失しかかる瞬間の残忍。
その後、死乃宿命を共有するコドモたちは、別々の場所を睨みながら共通の会話をする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
生き続けたいという願い、死んでしまうという事実、この世に生きる上でとても大事なことを共有し、親に捨てられた哀しみを分かち合うサークルの形は、第7話と似通っていて異なる。
当然のものとして幾度も刷り込まれた、オトナになれないコドモたち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
叫竜の姫たるゼロツーは、その『当たり前』を共有できない。彼女は乗り、殺し、生き延びる。只人は乗り、殺し、死ぬ。
薄暗い死のサークルの中に、ゼロツーはいないのだ。
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そんな宿業を共有できなくても、ゼロツーはサークル内部での痛みの共有を、どれだけ『そういうものだ』と教え込まれても吠える生存への欲求を、愛おしく見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
形が違くても、あり方が離れていても。もっと根源からの光で、ヒトとして繋がっていると。
ゼロツーが露骨なセックスを焦らなくなったのは、(第13話の遠い過去、第15話の近い過去)ヒロが与え、自分が受け取った事実が、その確信を強めてくれるからだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
肌を重ねなくても、心は繋がる。肌を重ねることが、心を繋げる。そのどちらも意味があると思えるなら、焦る必要はない。
夜闇の中、それでも希望の灯火が照らす場所で、ヒロとゼロツーは語り合う。人間の条件、お互いが与えあったものについて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
二人を隔てるものは柔らかく越境され、傷ついた壁は修復されている。全てが元のままにはならないが、良くは為る。
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そんな可塑性や変質への柔らかな眼差しが、死せる子供たちの運命をなんらか書き換えるか、新しい意味を見つける助けになってほしいと、僕は願っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
クソみたいな筋立て蹴っ飛ばして生きて生きて生き続けるか、死せる自分に別の名前を与えるか。どういう形でも、必死に生きてる彼らに報いて欲しい
最後に、ゾロメ坊やの話をする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
第10話で『街』と『親』への強い執着を見せたゾロメは、やはりパパたちにこだわる。
どうして、僕たちを助けてくれないのですか。
あなた達は、僕たちを愛していないのですか。
戯けた仕草で隠しつつ、しかし深く傷をつけるメッセージは、ゾロメの本音だ。
ゾロメは最初、食料確保に乗り気ではない。パパたちが与えてくれた生活様式を守ることは、つまりパパに愛されている自分たちの生存を確認することだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
そこからの逸脱は、見捨てられた自分、死にゆく親友を肯定するようで、とても嫌だったのだろう。
それでも前に進むしかなく、少年少女は魚を捕らえ、パンを焼く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
”七つのパンと魚とを取り、感謝してこれをさき、弟子たちにわたされ、弟子たちはこれを群衆にわけた。
一同の者は食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七つのかごにいっぱいになった。” マタイ 15:36-37
あの晩餐が見た目通りのものではなく、ある種の宗教的聖性を備えた象徴であるのは、おそらく間違いない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
ヒロはパンと魚、己達が何者であるかを名付ける知恵によって、子供たちが生き延びる術を教えていく。彼の救世主性は、記憶の回復により急速に加速しつつある。
ヒロが魚を捕まえられなかったこと、また命をつなぐために命を奪うシーンが省略されたことには、大きな意味があると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
敵を殺す機械以外の生き方が、僕らにはある。そう吠えたヒロは、命を奪うカルマから遠い場所に、必然的に保護されてしまう。それでも、命を取らなけれれば、生命は続かない。
あれだけ食べたいと願い続けたフトシは、今回食べれない。それを見ているのも、それに怒って泣いてやるゾロメを見るのも、背中を擦るヒロを見ているのも、とても苦しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
彼らの決死や優しさが報われない辛さが、世界に満ちているようで、とても辛い。
それでもコドモたちはタフに、笑って泣いて、地面に落ちた魚を食べる。汚れた水を浄化し、文明の残滓が刻まれた本を読んで学ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
ゼロツーは相変わらず、お祈りをせず食事に蜂蜜をかける。でもそれには、これまでのような見せつける過剰さがない。
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パパたちに強く結びついていたゾロメも、積極的にお祈りを止める。己達の上を、口を開けて親鳥が満たしてくれるのを祈るのではなく、自分たちで満たす道へと踏み出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
そこに、ゼロツーの孤独な強さ、身勝手な美しさが反射しているのが、僕には嬉しく思えたのだ。
食べるという個性を、もう発露できないフトシ。身勝手に食べる個性を、巧く制御することでサークルに溶け込むゼロツー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
生き延びるものと死すべきものの断絶が、たしかにそこに横たわっていても。過去ゼロツーの反抗がヒロを勇気づけたように、『お祈りをしない』慣習はゼロツーからサークルへ広がる
そういう拒絶と融和が複雑に折り畳まれた、暖かくて痛ましいエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
とにもかくにも、コドモたちは必死に生きようとして、しかし社会も世界も彼らの身に刻まれた宿命も、それを許してはくれない。散りゆく桜の定めを前提として、いかに花の美しさを愛でるか。花を繋ぐか。
そういう話だったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
遠巻きに監視し、加速する死を冷徹に見つめるフランクス博士。それと対話するハチナナもまた、コドモからオトナになった瞬間を忘却している。通信途絶の瞬間、顕になる『☓』の拒絶。
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地下で蠢く叫竜の姫、あるいはコドモたちの食卓にすら存在してしまう断絶。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
暖かなムードで子供たちの連帯、パートナーとの愛を見守りつつ、そういう残忍さを情け容赦なく配置する手際の良さが、今後の物語を照らしていたように感じました。
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二つの柱がすっぱりと切り取り、『死ね』と告げる冷酷なレイアウト。それはたしかに、沈みゆく夕日の中の真実の形。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
だが同時に、『当たり前』である宿業をどうにか乗り越え、理解と接触、永遠と喜びに満ちた場所へと脱出していく魂の吠え声が、荒野の四阿に共鳴している。
その無力な歌が、同じ無力さを共有する子供たちのサークルの中で、そこを飛び越えて広い場所へたどり着いてくれるといいなぁと、つくづく思うお話でした。空飛ぶ猿のクソ秩序(コスモス)なんぞ、地べたに落ちればいいのに…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
ほんと全く安心できねぇアニメで、強く安心する。来週も楽しみですね。
あ、心が作ってたのが『花のサラダ』なのは、露骨に妊娠を暗喩されている彼女らしいなぁ、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
これまで愛でるものだった花は、自分で世話するもの、食べて命をつなぐものに変化しつつある。生と死を己の腕で実感することで、『女』は賢くなり、成熟していく。
そしてココロが、『鑑賞』『育成』『食事』に続く花の4つ目のフォルム…『外性器』に気づいた時、ココロとミツルのパートナーシップ、それを内包する子供たちのサークルは大きく変化するのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年5月7日
見て楽しいお花は、食べると美味しかったです。いい勉強になったじゃないの、ココロちゃん。