訂正
あ、からくり感想で『金』と『銀』が全部入れ替わっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
すんません、ミスです。脳内で入れ替えて読んでください。
本編
からくりサーカスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
狂った道化は、人生を嘲笑う。運命は残酷に、愛と未来を奪う。背中の張り付いた双子のように、愛と憎しみはくるくる、くるくる、巡り巡って。
長い回想が終わり、旅が再び始まる。
銀の女と黒髪の男達、繰り返す愛憎の運命の源泉、狂気と渇望の原点を知り、その先へ。
つうわけでプラハ地獄絵図後編! 古川登志夫の怪演が唸りに唸る過去回想である。ワリを食って師匠の出番は減っちゃったけども、金銀フランシーヌ&人形のもつれにもつれたカルマは、色濃く描写されていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
犯人探しをすると『運命』になる辺り、ホントろくでもない回想だったな…。
物語に置ける過去は、現在に繋がるからこそ描写される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
『黒髪で大柄なアジア人』という外見的にも、直情傾向で人形への憎悪の濃い内面的にも、金は鳴海の前世といえる。
彼の妻であるフランシーヌもまた、銀の髪と聖女めいた清潔さ、優しさはしろがねに通じている。最後髪を切るのは、変化の儀礼か。
炎の中で願った『人形のようになって、あなたともう一度出会う。今度は、運命に負けない戦士の顔で』という祈りは、果たして叶うのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
過去の悲劇とはまた違う形で、しろがねと鳴海は激しく運命に揉まれているけども、同じ地獄は繰り返されるのか。それとも、戦士の仮面が何かを変えるのか。
ここら辺の重ね合わせと、人の思いを押し流す運命の強さを再確認するのが、今回の長い回想の大きな仕事だと言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
悲劇の登場人物誰もが、悪意から始まったわけではない。簡単なすれ違い、人間が人間である以上避け得ない小さな間違いが、世界規模の悲劇を加速させていく。
狂いきった銀の道化芝居を、古川登志夫の実力が見事に演じきっていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
ベロを出し、嘲り、自分も他人も世界も嘲笑うことでしか、悲惨な運命を受け入れられなかった弱さ。それは人を愛する強さと同じく、人間にとっての宿痾なのだろう。
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彼に対置される金も、道化の仮面を顔にまとい、愛を押し殺し憎悪に塗りつぶすことでしか、長い復讐の生を走ることが出来なかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
愛から始まったものは、すべて狂っていく。その運命に悲しい終止符しか打てなかった男達の物語は、まだ終わってはいない。
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人を笑顔にするのが、とんでもなくヘタ。仮面で涙を押し殺し、戦いの宿命に身命を賭す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
金銀兄弟の過去は鳴海と強く響き合っているが、しかし彼らは彼らの人生を生き抜いた、ひとりのキャラクターでもある。ここら辺のコクの強さ、描写の分厚さが、アニメの限られた尺では枷にもなるのが皮肉だなぁ…
金は妻を奪った弟に殺意をぶつける時でも、刃を翻している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
銀は迫りくる脅威を前に、白刃をむき出しにしている。
狭い鉄格子越しにフランシーヌを抱きしめる、悲しい夫婦の営み。
狂気の果てに生み出した人形の首を絞める、狂った愛。
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事程左様に、双子の兄弟の魂のあり方は相反し、しかし惹かれ合う。同じ女を愛し、それ故に憎み、己の感情を世界規模に肥大させていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
幼い子供を苛むゾナハ病は、”誰かに笑って欲しい”という感情から生まれた。仲町サーカスの楽しい日常を支える、美しい想いが地獄を生む。
綺麗なものは常に汚い結果と結びついていて、それは簡単には乗り越えられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
金だって自分を井戸に溶かし、同じ被害者である村の生き残りを、人形殺しの人形、自分の憎悪によって駆動する傀儡に変えてしまった。
エゴはエゴを巻き込み、愛を憎しみに変えて、永遠に拡大を続けていく。
銀の凶行を放置すれば、世界は笑わない人形のための、狂った劇場になってしまう。誰かの笑顔を守るため、愛する妻最後の祈りを叶えるために、同じ人形に、憎悪の塊に自分を変えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
そうすることでしか、身勝手な暴力に対抗する手段がない、人の身の悲しさ。そうすれば、暴力に対抗できる強さ。
様々な相反が掘り下げられる回想となった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
矛を止める武を極め、アクア・ウィータエを拒否して死んでいった師匠は、愛憎の輪廻から抜け出した聖者なのか。炎の中で幸福を祈ったフランシーヌのように、人は死ぬことでしかカルマから抜け出すことが出来ないのか。
鳴海としろがね、二人の愛と戦いに重ねる形で描写される過去は、そういう作品の問いかけを、血と涙のインクで色濃く描く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
難しい、とても難しい問題だ。そらー解くまで43巻かかる。まーた出題者の藤田先生が、『世間で答えて言われてるの、ほんとに正解か? 裏がねぇか?』と悩むもんだからね…。
その裏腹で妥協のない掘り下げが、また楽しくお腹痛いわけだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
他人を踏みにじることでしか”笑い”を感じられない銀が、殺戮人形のサーカスを生み出しちゃったところとか、本当に皮肉。
フランシーヌと兄さんと、思い出楽しい謝肉祭。火祭り、玉転がし、綱渡り。心の底から笑おうよ!
人肉の綱、肉塊の玉で演目を造った時、銀は大真面目にそういう気持ちだったんだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
どれだけ歪んでも、どれだけ憎んでも、黄金のような思い出が人を縛り、愛ゆえに人を殺す。序章三人で過ごした日々を追い求め届かない、しろがねと鳴海にも通じる、愛おしさという名前の呪い。
フランシーヌを不貞による火刑に処した村人と、その復讐にやってきた銀がまーったくおんなじことやってるのが、皮肉に過ぎる。(というか、村人は金銀には手を出してはいない。共同体を、平和な日常と家族を守るための予防処置として焼いている)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
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やられた理不尽をそのまま叩きつけてこその復讐であろうし、『仕方がない』は焚刑の言い訳にはならないわけだが、銀はやられてやり返すループに、積極的に踏み込んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
暴力の再演は狂気をはらみ、より強く、無差別に、残酷に加速していく。
いや銀くん、それ笑えないよマジ…。
ひっそりとフランシーヌへの性暴力、それを経験なキリスト教徒であり、夫への愛を神に誓ってしまった彼女が”死ぬほど”気に病んでいた様子も挿入されていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
読んだ当時は分かんなかったけども、結構ダイレクトに語ってたな。大事なことだからな。
愛する女が自分を愛してくれない時、愛を叩きつけて犯すことでしか、自分を表せない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
想いが生まれる根源だけでなく、その表現の仕方こそが大事だというのは、『サーカス』という芸事を真ん中に据えたこのアニメでは、とても大事だ。
いや銀くん、それ笑えないよマジ…。
銀に罵倒され犯されるたびに、フランシーヌはここにたどり着いてしまった運命の皮肉、たどり着かせてしまった自分の無力を嘆いたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
一緒に笑って欲しい、愛して欲しいという銀の思いは、むき出しの刃になってフランシーヌの胎に突き刺さる。その冷たい痛みは、直接書かれないから酷い。
性の尊厳、神聖なる誓い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
カトリック教徒であり女性であるフランシーヌ独自の個性を尊重できず、自分のエゴで塗り重ねようとする銀の醜さ、酷さを強調する意味でも、性暴力への一瞬の言及は、かなり大事なことだと思う。
イヤほんと童貞拗らせるとひでーな…世界も好きな人も泥まみれじゃねーか。
長い髪は男を誘惑するものとされ、古今東西を問わず女の花であり、家庭(=男の支配下)に入れば秘されるものであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
それを切り捨て、来世を希うことでしか救済が訪れないフランシーヌの最期は、髪を切った戦士たるしろがねに重なるだけでなく、彼女自身の悲哀、女の哀しさを色濃く宿していた。
無論九年の時を飛び越え、出会った頃の髪型に戻す、という意味もあるのだろうが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
愛ゆえに出会い、愛ゆえにすれ違い傷つけあった時間が、まるで嘘のようにかき消えてくれたら良いと。己の身を削りながら、フランシーヌは幽き祈りを積み重ねる。
それは夢、儚いもの。それでも、人は祈る。
その清浄な祈りを受け止めきれず、全世界を巻き込んだぶっ殺し合いに発展させちゃうところが金銀ブラザーズのバカ! 弱虫! もう知らないッ! って感じである(からくりハイジ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
でもしょーがないじゃん、本気で好きだったんだから。
世界すべてを捧げても、君の笑顔には届かない。
ハーレクイン・ロマンスなら良いセリフだけども、銀くんその根性でゾナハ病撒き散らし、人肉サーカス大回転だからな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
そのくせ自分の狂気にも染まりきれず、愛も忘れられず、生み出した人形を首絞めセックスした後に投げ捨てて、後始末もせず去っていく、と。
イヤほんと、笑えねーわ。
金ニーサンも妄執を世界に広げ、”人形を狩る人形”しろがねを生み出した。かくして愛は無残に散り、祈りは戦塵に汚されていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
その果てに運命を受け取った男と男と女が、一体何をなし得るか。主役たちが受け取ったバトンの重たさが、より強さを増す回想でしたね。
アニメで再構築したことで取り落としたものは、当然たくさんある。俺もチャイナ・ホーと師匠の爆裂バトル、マジ見たかった!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
しかし過去と現在、金と銀、兄弟と鳴海、フランシーヌとしろがねの対比構造が鮮明になり、乗り越えるべき課題がクリアに見えてくるのは、アニメ独特の面白さだとも思う。
これを活かし、鳴海が血みどろで走る”今”を、穏やかな日常に生きるしろがねの”今”を、どう駆動させていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
どうあがいても配られたカードで勝負するしかないなら、良い手役を狙ってほしい。そしてそれは、結構叶えられてんじゃないかなと思える仕上がりでした。面白いなぁ、このアニメ。
余談 女性崇拝。けがれなき白としてのフランシーヌと、それを汚したがる幼児としての男達。母の乳を求め続ける赤子と、それを受け止める聖母の構図。
余談(ちょいネタバレ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
『鳴海=金、フランシーヌ=しろがねだとすると、銀=勝』という方程式の解は、今回の回想を掘ると見えてくる。
それを裏打ちするようにいろいろ衝撃の真実も顕になってくるわけども、僕の可愛い可愛い勝があの世界規模に迷惑なクソ童貞と=なんてヤダヤダ! という想いが強い
アニ勝マジ可愛いから、クソ横恋慕顔芸職人と同じ立ち位置ってのは悲しい…んだけども、銀とはまた別種のどす黒い感情が彼にもあるのは、先週描写されたとおりである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
天使なんて、どこにもいないのだ。どす黒い感情を兼ね備えてなお、善に向かえるからこそ人の尊さがある。https://t.co/QhfjISdfsS
ここで銀色の清潔さ、人間のカルマを超越する聖性を”女”に担当してもらうのは、藤田先生らしいロマンティシズムだなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
体を犯されてなお、貞淑の誓いを忘れなかったフランシーヌ。汚泥にまみれてなお輝く、美しい真珠。
その女性崇拝を古臭いと笑う人もいるだろうけども、僕は好きだな。
綺麗な聖女だけでなく、ブンブン暴れまわるババァとか、愛に狂ってエゴ叩きつけてくる狂女とか、”女”のいろんな側面を一つの話にいろいろ乗っけているからこそ、許されている崇拝でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
それは”男”もおんなじで、愛ゆえの妄執に囚われた罪人が、同時にそのカルマを乗り越える瞬間もしっかり描く
ここら辺の複雑なバランスを作品内部、キャラクター内部、ドラマ、キャラクターの相関と、複数の次元でしっかり取っているところが、この作品の大河感、人間讃歌としての熱量を支えている気もするのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
人には色んな顔がある。過去と現在は照応し、因縁の糸は絡み、しかし同じ結論が出るとは限らない
銀も金もフランシーヌの祈りを蹴っ飛ばして、戦争へと”男らしく”向かってしまったように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
あるいは彼らの宿命を背負う三人が、また別の道へと歩み始めているように。
その歩みが、長い長い運命の糸/意図に操られ、縛り付けられているように。
色んなものが裏腹で、強く惹かれ合い、結びついている。
そういうお話に『からくり』と付けたのは、まぁやっぱ天才だな、と思ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
銀くんのクレイジー童貞力を悲しいかな引き継ぐ立場にある勝が、今回見せたドス黒さをどう背負い、自分の答えを出していくか。注目のしどころだろう。
ほんっと勝ちゃんは、ああいう大人になっちゃダメだかんね!!
からくり追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
錬金術において”結婚”とは、本来結びつかない無機物が融合し、新たな化合物が生まれる現象も意味する。
なので金銀フランシーヌの愛と性、婚礼の誓いが無茶苦茶に失敗する過去編は、不完全なアマルガムから発生したガスが周辺被害をもたらした”不幸な結婚”とも読める。
とすれば、正反対に思えた男と女、その間をつなぐ子供が過酷な運命に巻き込まれ、己を見失い二度と結合できないままに彷徨う物語は、”幸福な結婚”を求める旅路となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
その果てにあるのが赤きティンクトラ、賢者の石、”柔らかい石”であることは、言うまでもない。
女性原理と男性原理の融和により、より善き人格、神に向かって恥じることのない赤子としての魂を生み出すことが、非物質的錬金術の深奥であるのなら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
その”幸福な結婚”に媒介が必ず必要であり、時に原形質よりも間をつなぐメディウムの探求に、錬金術師が血道を上げるのであれば。
『男と女と男の子』という三人で物語が始まり、火で炙ったりばらばらになったり、様々に操作されていくこの物語は、巨大な錬金術実験、オカルト的”結婚”に至る魔術書として読むことも出来るのだな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
ほんと藤田先生、死ぬほど本読んでるな…俺なんかが指摘することじゃあないけども。
追記 愛ゆえの憎悪も、信仰ゆえの冒涜も、綺麗なものが反転した時のハチャメチャぶりは本当に凄いな……ちょっとサド的な視座よね、ジュビロ先生の敬虔への視線。
からくり追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
フランシーヌの敬虔さは、誓いと貞淑を踏みにじられたことを”死ぬほど”気に病んでいる様子で描かれたけども、金銀兄弟はどうだったのか。
偉大な錬金術師が皆そうであったように、キリスト教に深く帰依し、人生の支えにしていたのだろうか?
彼らが錬金術の技術だけでなく哲学を求め、中国から西欧まで流れ着いたのだとしたら、神の御業を現世に映すアーツへの理解は、その根本原理への帰依なしでは成立し得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
とすれば、金をぶっ壊した告白が”教会”で行われたのは、彼の家族的・恋愛的自我だけでなく、宗教的自我も壊したのではないか
そこで神への信仰、『きっと上手くいくから、笑顔で頑張ろう!』という希望がぶっ壊れちゃった結果として、後の『神も仏も恐れぬ所業』があるとすると、色々納得は行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
あの夜金は、兄も憧れの人も信仰も、自分を支える全てを失ったのだ。それでも、最後に残った錬金術で復讐するしかない。
つくづくカルマの話だなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月14日
カルマから逃れたいからこそ人類文化の根底に宿った宗教。それへ強い意志すらも、カルマを増幅する触媒として機能してしまうところとか。
金もフランシーヌも、冷たい現実主義者ならここまで拗れなかったんだろうなぁ…ロマンスは残酷と、常に結びつくのだ。