SSSS.GRIDMANを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
神様のいなくなった街で、壊れた日常が続く。学舎は病院に変わり、戦場には新たなヒーローが立つ。全てが変わり、何も変わらない僕らの日々。
完全に壊れて直らず、しかしどこか今までの薫りを残した街で、少年少女は己を探る。
曖昧な僕らの、曖昧な決戦が始まる。
というわけで、アカネちゃんが神様の座から降り、隠蔽という名前の修復が行われなくなった街を、怪獣という名前の災害が暴れまわるディザスター最終決戦開始である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
元々静物を巧く使うアニメだったが、今回は秀英・中園真登のセンスが映えるスピーディなカッティングで、”街”が色濃く描かれる。
それは霧が晴れ、怪獣がいなくなり、壊れたものが壊れたまま、隠されたものが顕になった街。ガラス越し、モニタ越しの曖昧さが消え去り、世界の真実が暴露された街だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
けども、街の人は怪獣映画のようにはパニックにならず、災害に傷つけられた日々を、当たり前に生きていく。
刺された裕太が死なないように、社会システムにはマージンと整復力があり、学校は非常時には避難所として機能するよう、色々事前に準備されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
それは何も特別なことではなく、日常は変質していない。同時に、決定的に変化してしまってもいるのだが。
ここら辺の”街”の顔を、貪欲に、また美麗に切り取るシティ・フォトジェニックな画作りが、今回非常に印象的である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
”ツツジ台”というタイトルの都市写真集のように、静かに精密に、壊れた街を切り取る映像。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会 pic.twitter.com/bxURABteZf
それは人間を描くか、それ以上に細密で印象的だ。風景にフェティシズムを持っている人は大喜びだが、”人間”に軸足を置く傾向が強い一般的なアニメからすると、攻めた演出である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
この無機質な重心は、今に始まったことじゃない。もともとこのアニメ、都市論的なアニメなのだhttps://t.co/Pn3bB3hQ7P
生っぽいけどどこか離人的で、僕らが生身の目で見るよりも綺麗な町並み。そこに何らか、作品の大事なものを預けている視座が気に入って、僕はこのアニメを見始めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
今だから告白すれば、ハードルは高かったのよ。僕は特撮に素養がないし、今もちゃんとこのアニメ真っ向から読めてる自信無いしね。
しかしそれでも、この”街”に迷い込みたいと思わせる魅力が、霧のツツジ台にはあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
アカネちゃんが担当していた偽装(それは癒やしでもある)が剥がれ、怪獣災害のさなかに放り込まれた街は、遅ればせながら自己を認識し始める。そのむき出しの街と人のたくましさが、かなり好きな回だ。
もっとこー、真実と欺瞞を対比させたり、日常と破壊を衝突させるような見せ方も、今回できたはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
何しろ怪獣もヒーローも、その正体を暴き立てられる。クライマックスに相応しいお約束シチュエーションだが、六花ママもはっす&みな子も、ダウナーなまま異常な街を受け入れていく。
もう特撮も怪獣も、生まれた時の衝撃力はない。それは一種の文化的インフラクチャで、維持コストがかかり、適度に刷新されつつ継続され、あるのが当たり前の存在だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
霧の街の怪獣に似た当然さが壊れれば、そら通信も食事も水道も止まる。しかし、止まったなり/動き出したなりに生き延びるすべを…
…ヒトも世界も兼ね備えているからこそ、パニックは起きず、災害の中にも日常は生まれる。焼き鳥の缶詰は、そういう状況でも美味いのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
その逞しさがアカネちゃんが作り出した不完全なギズモであっても機能しているからこそ、あるいは”裕太”なんてものはこの物語にはいなくて、その死すら偽物でも。
人は楽しく生き延びることを諦めきれず、生存のためのシェルターを積み重ねた”街”の中で、なんとか立ち直ろうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
通信が止まるなら、直接口で。車が動かないなら、自分の足で。
それは無力な一般人だけではなく、ヒーローたちも同じこと
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そういう生臭いエッホエッホ感が、”街”に暮らす人、”街”自体に宿っていることを、静かな物質の描写で積み上げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
この静かで執拗な描写力が、僕はこのアニメで一番好きなところである。ナイーブでマニアックで、妙に優しい。
エヴァで、あるいはウルトラマンで、大事にされた意識の継承。
無論、特別な力を手に入れたヒーローと、怪獣に踏み潰されるだけの一般人は違う。唐突に(しかし彼が好きな僕には、待ちに待った)爆裂するエモ力で主役に躍り出た将が、視聴者代表としてブチまける通りだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
駆け抜ける英雄たちを、六花も将もガラス越しに見る。全ては遠い街の戦い、自分には関係ない
世界の真実を知らなかった(覚えている特権を持ち得なかった)はっすとなみこに向き合う時、六花の世界は歪んでいる。いつものように窓が断絶を生み、グリッドマン同盟と一般人は隔絶されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
離断の感覚もまた、今始まったわけじゃない。
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しかし例え、神様を受け止める特権からはっすやなみこ(死んでしまったトンカワ)が切り離されていたとしても、友情が彼らを繋ぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
通信機器としては役に立たない携帯電話が、写真メディア、思い出の保管装置として機能して、一般人が怪獣とヒーローを受け止めるタフさの象徴になっているのは面白い。
主役たちが青く青く遠い空を睨み、自分たちにしか見えない怪獣を見つめていた屋上。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
そこに真実を教えられないモブが、でも真実としか言いようがない友情を抱えて立ちすくむ姿は、怪獣災害が”現実”をぶっ壊しから生まれた、妙にタフな絵面だhttps://t.co/LfZ0fRCV1U
アカネちゃんが弄んできた、繰り返す世界の真実。神様であることを手放して、少女も世界も当たり前に傷つく段階に入った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
そんな世界を反映するように、なみことはっすが見つめる街は、異常な逆向きの空と、癒やされることのない戦塵にまみれている。
でも、生きているということはそういうものなのだ
アカネちゃんが停止させ、麻痺させ、逆戻しにしていた街の傷。ツツジ台がアカネちゃんの心そのものであり、怪獣もまた神様の心象であるのなら、それは巨大な自傷行為、メンヘラ高校生のリストカットを世界規模に拡大したものだったのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
アカネちゃんは、そういう痛みに逃げ込むのをやめた
その果てに、夢破れた時に一度見つめた自死があるのか。はたまた、六花ちゃんがオーディオドラマで望んでいたような、凸凹ギクシャクもするけど悪くない『当たり前の高校生活』が待っているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
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それは”一般人”で居続けるカーテンから抜け出し、たくさんの”止まれ”を無視して、不帰の勝負に打って出た六花ちゃんが、勝ち取るべき物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
結局新条アカネは、六花が受け止め再獲得するべきリソースとして回転した。これを裕太=グリッドマン=怪獣を倒すものと接続するために、アカネは怪獣になる
グリッドマンは電脳英雄なので、『当たり前の高校生活』なんぞには接続できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
どんなに荒唐無稽な状況でも腹が減って、一つの缶詰を分け合うような”一般人”の感覚には、裕太のガワを借りたとしても届かない。今まで意識して積まれた裕太の白々しい正義が、スッと腑に落ちる暴露であったな。
そんな裕太=(もう≒で繋ぐ必要はない。この街に”裕太”はいないのだ。将が可哀想である)グリッドマンがアカネちゃんを『自分の問題』として引き受けるためには、怪獣になってもらうしか無い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
アカネの問題と裕太の問題を繋げるためには、今回ラストのヒキが絶対に必要なのだ。
同時に、偽物のガワだろうが裕太への友情しか持っていない将と、遠くで爆裂する戦場を繋げるためには、グリッドマンは裕太でなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
無責任に惨劇を消費する”悪いオタク”だった自分。新条アカネにどこか似ていた自分を、反省しつつも新しい道は見えない。六花のように、生身で駆け出せない
そんな将が秘めてる等身大の痛み、六花がアカネに向ける激重感情に負けない、裕太への思い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
その起爆剤として、ナイフで世界のコアをえぐり出すアカネちゃんの凶行は大事だったのだろうな。(なお、二話で予告された犯行だった模様)https://t.co/FkUByruKzs
モニターに接合された…というか、モニターの中の曖昧なグリッドマンと全く同一だった裕太の命が眠りにつく時、モニターもまた沈黙する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
それを前にただのオタクである将は無力に歯噛みする。ようやく、霧に包まれていない自分を見定め始める
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これを修復するべく、電脳存在である新世紀中学生が決死に走り、グリッドマンを再生させようとするのは、とても面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
生身の裕太(と内海が信じるしか無いもの)は、彼らにはどこか遠いのだ。懐かしきエレクトロの同胞意識、仲間の体温は、彼らにとってはあくまで冷たいジャンクの中にこそある。
その切断の意識は、生身の人間であり生身の人間でしか無い将が、目覚めぬ裕太を放っておけないまま病室に閉じこもるのと、同じ心象なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
僕らと似ていて、だからこそ見捨てられないもの。治療し、命を吹き込まなければいけないものは、それぞれ異なるのだ。
しかし、新世紀中学生はママさんを抱いて走り、内海は”裕太”がどこにもいないと知っっても、その肩を掴む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
二次元と三次元に分断されていたとしても、思いは通じる。形だけの偽物でも、真実繋がりあったなら、何かが生まれる。
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結局、裕太の面影を残したグリッドマンが戦場に向かうことを、将は止められない。ビー玉のように蒼い瞳から、グリッドマンの黄色に染まった瞳に気圧されて、『俺のダチの体、勝手に使うなよ!』とは言えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
(この身体性の濫用が、アカネとアレクシス、六花で後に再演されるのは面白い)
勝手に生身の少年少女を書き換えて、怪獣ごっこで街をぶっ壊しているのは、ヒーローも宇宙人もおんなじなのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
グリッドマンが背負う白々しい正義が、確かに踏みつけにするもの。それを糾弾できるのは、アンチくんへの踏み込みと同じく、将の仕事になる。
アンチくんがカーテンに覆われた病室に入ってくるのは、彼が”一般人”と対話できる”人間”に変化してきたこと、グリッドマン代理を務める資質の証明だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
そこは人が羽を休め、戦いに挑む準備室だ。メシをくったりフロに入ったりと同じだ。
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みなこのカーテンから出ることで、自分のなすべきこと、やりたいことを見つけ直して、ぶっ壊れたジャンク=グリッドマンを修繕したり、アカネちゃんを説得に行ったり、戦いに赴いたりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
将はそこから、結局出れない。出ないことが、”一般人”である彼の戦いなのかもしれない。
ダチが身近で血を流して、ようやく気づいた世界のリアル。眼の前の怪獣バトルはモニタの向こうのインスタントな娯楽じゃなくて、たくさん人が死んで、それが消え去ってしまう異常事態。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
一歩も動けない、ジャンク屋の将は、切実で哀しい。
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人が死ねば哀しい。人も自分も傷つけてはいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
将が実感できなかった当たり前の倫理を、優先的に獲得していた六花ちゃんは、ヒーローたちに並んで裕太をケアする。
でも、将はこの期に及んで動けない。キャリバーさんに生き方を教えてもらったわけでも、変身できるわけでもない。
その立ちすくみこそが、このアニメに足らなかった泥臭さを、上手く導入したかな、と感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
だって、僕らだって多分立ちすくむだろうから。
裕太の白々しい正義を、六花の熱い真っ当さを、憧れの眼で見上げつつ、オタク的快楽に耽溺して眼なんて醒めないだろうから。
そしてそれでも、だからこそ。ぼくらはヒーローに憧れる。その視線が、とても小さな何かを掴むときだってあるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
いよいよダチ(の形をした何か)が、その身を危険に晒そうとする時、将はその肩を掴めた。それだけしか出来ないけど、それだけは出来たのだ。
そうやって彼を突き動かした情熱は、やっぱり嘘じゃない。その小さな感動は、モニタの向こうの他人の話じゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
そういうモノをしっかり掴んできたのは、画竜に点睛を描く一筆になったんじゃないかな、と思う。
結構な数の人が『巧いけど自分の話じゃない』と感じてただろうこのアニメが接近する。
そういう契機になる、将の小さな踏み込みであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
俺は信じてたよ、お前が激エモ生命体として脱皮し、”一般人”だからこその巨大感情をしっかりグリップして、思いっきり殴り込んでくれると。
いやー、期待ってのはするもんだね。叶うと嬉しいから。https://t.co/GmKI4onkap
病室のシーンで将が暴力を手に取ろうとした時、六花が止めるシーンが好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
『ここは病院で、怪我を治すところ。怪我増やす場所じゃない』という当たり前の倫理をあそこで吠えられるのは、常に正しかった六花しかいない。
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カーテンで仕切られたパーソナルな空間は、しかし他人が存在する広い場所、パブリックな倫理へと常に繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
そんなアタリマエのことを、将はカッとなって忘れる。当たり前のことを当たり前に守り続ける、六花みたいには慣れないのだ。まるで、僕たちみたいに。
でも、だからこそ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
変身できなくても正しいことを常に見つけ、行い続ける六花みたいな等身大のヒロイズムが。
人間に接続できない正義の概念として、白々しく戦場をかけることしか出来ないグリッドマンが、それでも怪獣を倒し、人を救う姿が。
手の届かないきれいな星として、僕らの頭上に輝くから。
僕らはモニタ越しに殺戮を蕩尽したり、ダチがヤバそうな時にちゃんと泣いたり、そのダチの体使って戦争しそうな時に止めたり、元怪獣にスジを問うたり出来るのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
ドブみたいな世界と不出来な自分に絶望せず、何時か何処かのヒロイズムを信じることも出来るのだ。
そういうヒーローと一般人の見取り図、憧れと現実の曖昧な遠近法が、将を配置することで完成した感じが、今回した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
これを最後にドカンと爆発させるために、劣等生の立ち回りを余儀なくされた将は、まっことお疲れ様である。
誰もがスパイク決めれるわけじゃないのよ、泥臭いレシーブが試合作るのよ。
アンチくんが元怪獣、マトモにメシも教育もうけなかった少年兵として、自分を偽ることなく将に対峙していたのが、結構好きである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
将がカーテンから出てヒーローに為れないように、アンチくんも急に人間にはなれない。グリッドマンが”裕太”に為れないのと同じだ。
それでも、望まず産み落とされ破壊を宿命と書き込まれ、メシを食いフロに入るヒューマニティを蔑ろにされつつも、アンチくんは人の心を読んだ。キャリバーさんと暴力キャッキャしながら、礼について学び、人に近づいてきた。https://t.co/BEQNpsscV9
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
その一言をカーテンの中の”日常”(それは常に一つで完結せず、他人の”日常”と隣接して成立している。避難所として機能する学校、カーテンで止まらず波及する将の暴力)に残して、戦士は戦場に出る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
それが、アンチくんのやるべきことであり、やりたいことだから。
グリッドマンが引き受けられない”裕太”の身体性は、カーテンの中の日常にやっぱり残っている。戦場に立っているのはあくまでグリッドマンであって、どっかで眠っている裕太じゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
だから、将がカーテンの中立ちすくむのは、いつか帰るヒーローを受け止め、”日常”を返してあげる大事な仕事のためだ
アカネちゃん(=六花が背負うべきもの)怪獣(=裕太≒グリッドマンが対峙するべきもの)をどうにかして、アレクシスと決着を付けて、なお将だけが果たせる仕事を描く尺が残っているか否か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
非常に怖いところであるが、このスタッフならやれる! 信じよう…(”快楽ヒストリエ”風味)
そしてアカネちゃんは、ぶっ壊したはずの街も、ぶっ殺したはずの裕太にも決着をつけれないまま、遠くの戦場をボーッと見ていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
人間が持っている生への意志、『死ぬもんか』と最後まであがくみっともなさをナメた結果がコレだよ! アカネは特撮ばっかじゃなく、”レヴェナント”とかも見るべきだった
でもまぁ、そういうみっともなさって多分アカネちゃんが一番実感できず、否定したかったものだろうし、ツメが甘いのもしょうがない。アレクシスは意図的に、そういう事教えないしな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
生物が必然として持つ滅びと再生のルールを、あえて切り捨てた霧の街。清潔に一瞬を繰り返すオルガヌム。
アレだけ楽しく蕩尽してた戦場は、殺した人への罪悪感、本当は友達が欲しかった夢を思い出し、否定されればひどく遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
アカネちゃんが出るシーンは、全て戦闘が遠景に配されている。もはや、アガる(はずの)戦闘は遠いのだ。
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先週散々隠蔽されてきた”眼”が、今回歪んでいてもちゃんと見えているのは、少し安心した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
彼女は目を開き、目を見せる。しかし、何も視てはいない。ここに六花ちゃんが意味ある像を、結べるか否か。https://t.co/AMRTLwb6iU
『クソどうでもいい』なんて、アレクシスさん、とんでもない。俺はこういう極大感情の不器用なぶつけ合いを咀嚼するために、物語食ってるわけですから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
さーてどうなっかな。アカネちゃんが怪獣になったことで、グリッドマンがどうにか出来るようになったから、まぁどうにかなるかな。
生身の六花と向き合うのを、アレクシスが黒いカーテンとなって遮ること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
散々”遠さ”を基軸に描かれてきたアカネちゃんが、怪獣になる瞬間赤く躍動し、妙な高揚感とともに舞台に戻ること。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会 pic.twitter.com/0F2E5dJr6j
綺麗にヒーローサイドの描写、これまで積んできた『アガる戦闘シーン』をひっくり返した演出になってて、非常に面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
反転しているということが特別さを意味するのは、将を描く筆見てれば判ることである。
アカネちゃんが(強制的に)実感を取り戻し、血の流れる戦場に初めて立つ決戦が迫る。
そこをくぐり抜けて初めて、眠れる裕太姫は目が覚め、『普通の高校生活』が駆動しだす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
ずっと壊れ続けていた街は完全に壊れることで、霧を抜けてリアリティを取り戻すだろう。その先の物語は、語るべき価値のない、平凡な人生。ヒーローのいない、当たり前の日常。
その意味を取り戻すためには、バカな神様の怪獣遊びを、本気で走りきらなきゃいけない。怪獣そのものになった神様に、拳と言葉を届かせなければいけない。可能ならそれを超えた先の景色を、一瞬の光芒として焼き付けなきゃいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
やれるかTRIGGER雨宮哲、やってくれるさ絶対に!
次回も楽しみ。
追記1
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
裕太が目覚めるシーンがモロに『知らない天井だ…』過ぎて、ひとしきり爆笑してしまった。
綾波の代わりにメガネのターボ先輩だけども、まぁヒロインレースを最後の爆上げでまくるのは、気持ちのいい走りだったな。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会 pic.twitter.com/9FUuMQ8JtT
追記2
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
こっからの将とグリッドマン≠裕太との対話は、二人のことを語りつつ、今戦ってるアンチくん、二人が届かないアカネちゃんの人間性を上手く投射していて、冴えた演出だった。
©円谷プロ ©2018 TRIGGER・雨宮哲/「GRIDMAN」製作委員会 pic.twitter.com/qkKdbToYIA
セリフと乖離した別地点の奮闘を重ねることで、登場人物が共有する命の意味を確認していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
裕太がぶっ刺されたようにアンチくんもぶっ刺され、裕太が流した血を浴びてアカネちゃんは赤く染まる。皆、どっかで似ているのだ。
この共有性を直感できるからこそ、六花ちゃんは倫理的優越を確保できる。
逆に言うと、アンチくんのこと全然知らない将は、怪獣と人間、ヒーローと凡人の間をつなぐ共通点を、全然センシング出来ないわけである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
それがフツーなのだが、卓越した倫理は受け取り、学び、憧れることも可能だ。その難しさをちゃんと描写したのは、”今”のヒーロー物語として大事だろう。
追記3
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
ボイスドラマがマジで最高で、すげーヤバかった。
変身能力を持たない凡人二人が、避難所と化した学校の中で、焼き鳥缶詰を分け合う。そんだけの話なんだけども、将の特別さ、六花ちゃんの強さがほんとに太く描かれていて、ぶっちゃけ本編より色濃く、馴染みやすい。
怪獣災害に焼け出されちまって腹ペコな時に、焼き鳥缶詰を差し出せるか。一人で食わず、分け与えられるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
街を駆け抜けるハードな戦闘は、絵がないボイスドラマでは描けない。でも、こういう戦いなら。
自分たちが戦うべきフィールドをよく見据え、しっかり演出したいいドラマだった。
このアニメの強みである生っぽい演技、演劇的な間のとり方が凄く生きてる話で、等身大の高校生が今出来ること、やるべきこと、やりたいことを荒廃の中で見つけていく息遣いが、非常に上手く焼き付けられていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
7年前、日本のあらゆる場所で見えたような、ちっぽけでかけがえのない倫理。
それを何度でも、別の形で語り直し、焼き付けることは、アニメのすごく大事なミッションなのだと、衒いなく自然に見せてくるのは、俺は凄い大事で、偉いことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
庵野パイセンが”シン・ゴジラ”で描いたものを、自分の筆で書き直している感じも、少しあるな。
そういうテーマ性と同時に、面倒くせー今どきの高校生たちがダラダラと、変質してなおタフに形を保つ”日常”で踊る姿に血が通っていて、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月17日
仮想の空間でも、キャラクターにとっては唯一の人生だ。それを尊重し、体温を宿す。とても大事なことを、しっかりやってくれていた。