からくりサーカスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
熱砂の地獄が血を啜る。赤い血、闇の血、銀の血。
砕けて散る命は、貫き通す分厚い意志は、一体どこへたどり着くのか。”最古の四人”としろがねの激闘が加速する中、母の長い旅が終わる。
人でなしを殺すために、人でなくなった女の血は、やはり赤かった。
そんな感じのサハラ編第三弾、敵も味方もバンバン死ぬ終幕直前である。相変わらずの巻き進行で、ツンデレ共がすごい勢いで鳴海を守ろうとしたり、ぶっ飛ばされてルシールが切り札切ったり、ドットーレが人形のカルマを踏みにじって死んだり、ルシールが死んだり、しろがねと人形が死んだり、大忙しだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
何しろ尺がないので、人生を背負って舞台に上がり、何かを託して散っていく人たちがちと軽い感じは、少々否めない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
しろがねOでありながら鳴海のために人となったリィナが好きだったので、サラッと流される感じだったのは残念だ。まぁそういう小さな風呂敷広げて畳んでると、時間足りないからな…。
とはいうものの、ルシールとドットーレの濃厚な因縁は分厚く描かれ、いい感じの仕上がりだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
散々『闇色の血、人でなしに成り下がった元人間』といいつつ、ババァの血は赤く熱かった。ドットーレの死に様との対比。
© 藤田和日郎・小学館 / ツインエンジン pic.twitter.com/nsamfgBHkZ
家族の復讐のためにしろがねとなり、人生の可能性を黒く塗りつぶしてきたルシール。愛娘の形をした人形も、柔らかい石を埋め込んだ娘自身も、敵を縛り付ける武器に使うしか無い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
その業を背負いつつも、ミンシア相手には母のように人生を諭し、鳴海相手には柔らかな笑顔を見せる。
人形のようでいてどこまでも人間的で、しかし人形殺しの人形としてしか生きることを許されない不思議な存在、しろがね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
今回散っていった男たちも、鳴海への熱い友情と期待、自分自身の人生を取り戻す願いを秘めたまま、ゴミクズのように死んでいく。
人間から生まれ、あくまで人間として死んでいくしろがねに対し、自動人形は人形として作られ、与えられた役割から出ることは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
その迷いのなさ、傷ついた鳴海を守ろうとする仲間を嘲る冷たさは、確かに強さでもある。しかしそこに、『辛いことやマイナスでも、自分で選べる自由』はない。
ルシールが全人生を込めた挑発に乗っかり、自分で製造目的を捨てるドットーレ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
鳴海やルシール、しろがね達が人をやめつつも確保できている最後の人間性に、人形もまた手を伸ばす。しかしそれは、その命を奪う猛毒でもある。赤くて熱い人の生きざまは、怪物として生を受けた自動人形には重すぎる。
ルシールは人間で有り続けたが故に、ただ命をつなぐより大事な人の本懐を果たす。復讐を遂げ、若い世代に道を示し、その人生は悪いものではなかったと、三途の川代わりのバルコニーは美しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
© 藤田和日郎・小学館 / ツインエンジン pic.twitter.com/1RyLX7l18v
この死地では、鳴海は両手を備えているし、髪も銀に染まってはいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
人形殺しの人形、”しろがね”であることは鳴海にとって(そして多分、ルシールにとって)ナチュラルな在り方ではない。
可能なら、美しい花と優しい日差しに包まれ、穏やかに暮らしたかった。でも悪魔がそれを許さないなら…
俺達自身が悪魔になるぜ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
そういう道を選んでも、人間は幸福であることを諦めきれず、幸せだった時代の記憶をどこかに刻んでいる。
それは肉から生まれ土に帰る、人の特権なのかもしれない。歯車から作られ糸で操られるドットーレは、自由な意思を手に入れた瞬間死んだ。
コロンビーヌも自己暗示で自由を手に入れ、凄まじい殺戮の嵐を吹き荒らす。悠木碧のドスの利いた声と芸達者が、アクションに分厚さを与えていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
お互い譲れぬ意志と意志、人間と人形の意地比べ。サハラの決戦は、だんだんそういうあまりに人間的な光景に変わりつつある。
冷たい殺戮喜劇しか演じられないと思っていた自動人形も、銀色の血に彼らなりの自由と欲望を宿し、不自由さに苦しんでいる表情が見えてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
それはお互い喉笛に食らいつき、生存を否定する暗い生き方にしか結びつかないけども、やっぱりしろがねと自動人形はどこか似ている。だからこそ不倶戴天だ。
ルシールの挑発、ティンババティの”毒の塔”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
しろがねにまだ流れている赤い血は、自動人形を殺す強い毒だ。今の所、それに感化され”人”に近づく姿は描かれず、ただ殺すための兵器としてしか描かれない。
アンジェリーナの中の”柔らかい石”のように。
そこから少しはみ出した可能性は、この戦いの幕が下り、物語の様相がガラッと変わった後に広げられるものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
冷たい自動機械にしか見えなかったしろがねの、真っ赤な血。それが鳴海と視聴者に見えたように、自動人形の在り方もまた、大きく見え方を変える。この激戦は、そのための前振りでもある。
世界の見え方が、大きく変化してしまう。そんな瞬間に居合わせるのは主役の特権で、その道を作るためにしろがね達も奮戦している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
さて次回、熱砂の決戦の結末をどう書くか。ここまでで埋めた伏線を活かす意味でも、かなり大事な回になりそうだ。
血の涙を流しながらエピソードの要・不要を切り分け、どこに力点を置くかを考えなければ、この長い物語は走れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
その決断の結果として、リィナのあっさり退場と、ルシールの分厚い描写がある。個人的な思い入れを横に除ければ、正しい選択だしよく刺さる描写でもあった。
ただまー、ワリとどーでもいい死ぬために生まれてきたようなポジションのキャラやお話が、軒並み彼らなりの尊厳みてぇのをビカっと輝かせて鮮烈に散る姿が、からくりの醍醐味だよなぁ、とも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
それを描ききる余裕が無くてシンドいのは、間違いなく製作者サイドであろう。なかなか贅沢な苦しさだな
ならばこそ、選び取った描写やエピソード、キャラクターは分厚く描き、作品の重たさを支えて欲しい。ルシール(とドットーレ)の最後はそういうシーンで、よく描けたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月11日
その次がどうなるか、なかなかに楽しみである。その次も、その次も。
一つの幕が終わり、新しい幕が上がる。来週も楽しみです