ガルパ履修記録
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
バンスト、イベスト読みも一段落し、ドリフェスくんで引いたカード育成に舵を切った途端、洪水のように押し寄せる個別カードストーリー。
ヌルい日常エピ、世界に偏在する粒子たるを向いて話しかけるエピの合間にねじ込まれる、根源的な人間存在にまつわるエピソード達。履修は続く。
バババッと開けて読んだ結果、奇妙な連動が見て取れたのでそれについて書く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
読んだのは
・”ジュリエットという名”白鷺千聖(私の名)
・”ここがあたしの居場所”奥沢美咲(ありがとうミッシェル)
・”それがアイドル”氷川紗夜(あとづけの運命)
・”素顔の姿”大和麻弥(フヘヘ……恐縮です)
である。
4つをまとめて、さらにパスパレ一章、”つぼみ開く時”、ハロハピ二章、”ジブン、アイディアル”を絡めて、感想を書いていく。なんか長くなりそうだな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
これらの物語に共通し連動し流動しているのは、『他人の瞳に映る自分』だと思った、という話をする。
千里エピは”儚世に咲く薔薇の名は”最終章ともいうべき話で、薫と千聖は学園祭をめぐりつつ、ジュリエットという役柄、それを演じる”ちーちゃん”について一つの結論を出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
他人が押し付けてくる名前、身勝手なイメージもまた、私であり、私を確立するかけがえのないもの。
だから家名を投げ捨てたジュリエットのようには生きられない。自分以外が持つ”形”も、私の誇りだから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
これは”つぼみ開く時”で感情と才能を爆発させ、時分を見つけ直した千聖だから出せる決断だと思う。
他人のイマージュを広げ、すくい上げる”アイドル”という仕事。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
他人の人生を演じつつ、時分を焼き付ける役者という仕事。
それを兼ねる千聖は、借り物の歌、借り物の名前を摂取し成長する体験を重ねている。それが自信へと、自分への愛情へと変わっていればこそ、”名”を含めて己だと思える。
その意識はパスパレでの様々な経験に裏打ちされているが、”名”を背負わずがむしゃらに己であることが”丸山彩”になってしまえる彩との出会いが、やはり決定的な気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
己を偽れない、真っ直ぐに過ぎる少女と出会ったことで、百の仮面を被ってきた千聖はその偽りごと、己を肯定し始める。
ここで『真の白鷺千聖』を(”丸山彩”のように)求めないこと、パスパレ二章で彩自身も”丸山彩”から外れかけ、イブの真っ直ぐな情熱で己を取り戻していることは、とても面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
『真実の自分らしさ』は、唯一絶対の正解として描かれがちだ。
しかしそれだけが答えではなく、それを体現しているように見える存在もまた揺らぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
むしろ人間として生きている以上必ず揺らぐアイデンティティを補強してくれるのが他人の目線、勝手に呼ばれる”名”でしかないからこそ、他者との接合は大事なのだろう。
あくまで私は、白鷺千聖。そこに付随する曖昧な幻想も含めて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
その答えを聞いて、薫は彼女を『ちーちゃん』とは呼ばなくなる。
その時演技の天才(であろうと、己を厳しく律し”王子”のイマージュに答え続けている少女)は、自分と正反対で、同等の役者として”白鷺千聖”を認めたのだと思う。
その瞬間、ちーちゃんとかおちゃんの幼年期が終わったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
背の小さな、自分の背中に隠れていた女の子は、いつの間にか才覚を発揮し、己を追い抜いていた。あるがまま”名”を背負わない自分として、千変万化の天才を見せた。
そのコンプレックスを、千聖は別ルートから追い抜く。
他者とのかかわり合いの中で時に鏡となり、時に刃ともなり得る身勝手な印象。そこに乱反射するセルフイメージを燃料に、役者として、アイドルとしての自分を前進させるスタイル。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
そこに生まれる過剰な力みと生真面目さ、不器用であるがゆえの馬力。、(どっか彩に似てるところが好き)
『私は白鷺千聖』という宣言を受けて、一度追い抜いた身の丈を役者・白鷺千聖が詰めてきた事実を、薫は強く認識したのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
そこに差異と尊厳(日菜ならば『違うからこそ楽しいんだよ!』と言うだろう)を認めたからこそ、”名”を改めて読んだのだ。
さよなら、ちーちゃん。さよなら、かおちゃん
両者の死を持って終わる”ロミオとジュリエット”を演じることで、幼い二人を綺麗なお墓に埋葬し、その魂を永遠に刻みつける構図が哀切に満ちて好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
そして他者との反射に胸を張る意識は、ここでとどまらず前進していく。
この認識のドミノ倒しが、なかなか曲者なのだ。
薫が『演じる私も、素顔の自分も、両方私』と”白鷺千聖”的な在り方を肯定することで、” ミッシェル”と”奥沢美咲”に分断されていた少女は、道を見据え直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
ハロハピ二章で描かれた物語の後、美咲からミッシェルへの詫び状が『ありがとうミッシェル』となる。
パフォーマーとして表に立ち、愛されるピンクのクマ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
裏方を黙ってこなし、トンチキ軍団を社会にアダプトする少女。
その両方に意味があり、両方が愛されているのだと確信した美咲は、自分であり自分ではないミッシェルに礼を言う。
『私も幸せにしてくれないかな』と呟いた呪詛は、ここに解呪される
外装と中身の乖離を『両方私だ』と受け止める在り方は、(彩)→千聖→薫→美咲と引き継いで展開していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
アイドルという虚業にプライドを持ち、血反吐を吐きながら戦ってきた彩の在り方は、バンドの垣根を超え、乱反射しながら様々な人に受け継がれていく。
理想の自分を演じきる、そういう器用さが一切ないからこそ、表面上の差異とは無関係に千聖は彩に光を見た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
むき出しだったかつての自分を思い出して、千の仮面を被るようになった今の自分を肯定できるようになった。
どんな形でも、私は私。その意識は個性を通じて姿を変える。そして受け継がれる。
”あとづけの運命”で日菜は、パスパレが商業アイドルであり、事務所のイメージに従って曲やステージを提供してもらっていることに疑問を抱く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
借り物でしかない”パスパレ”をパッチワークし、自分たちが演じることでそれは確かに本物になっている。唯一絶対の集団的個性として、私を支えている。
それはなぜかと問うた時、”丸山彩”が圧倒的な正解を告げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
『アイドルは、押し付けられた幻想を上回る奇跡を、常時生産し続けるから”アイドル”なのだ』と。
偽りの集合体は、総和を超えて真実に変わりうる。汗と涙を混ぜ合わせ、夢を加速させるガソリンにして真摯に突っ走ることで。
そんなきらめきのパッチワークには、ファンからの幻想もまた含まれていて、そこに夢を見るからこそパスパレは愛される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
”丸山彩”の表面に張り付いた、ドジで不器用な外装。彼女の魂の光は、時折大爆発してそれを引っ剥がし、圧倒的な正しさに唯一たどり着いていく。
そんな主人公力が、彼女をパスパレのセンターとして、メンバーの崇拝と信頼を集める”丸山彩”足らしめているのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
そしてその勝手な想いが、弱く脆い人間・丸山彩を再起させ、秘めた輝きを再度発露させもする。成功も失敗もひっくるめ、”丸山彩”であることは自分に帰還もするのだ。
日菜は他人の瞳に写った千の顔の自分、自分の瞳に映る千の顔の他人を心から楽しく思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
それが身勝手な濫用だった時代から、姉との衝突と和解、パスパレでの経験を経て、彼女は『自分と違う他人だからこそ、もっと面白いものを一緒に掴める』という結論に至る。
天才ゆえに孤独で、世界が退屈だった過去を日菜はよく言葉にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
”丸山彩”という他者に出会ったことで、自分ではないが自分であって欲しかった姉との距離を適正化した日菜は、楽しいことをもっと広げるために生徒会選挙にうって出た。
他人を才能で食い散らかす生き方から、共に楽しむ在り方へ。
そこに幻想を押し付けられる”アイドル”という職業経験が強く反映しているのは、恐らく間違いない。日菜が他者を貪るように、ファンも事務所も勝手に押し付けた”氷川日菜”を濫用する。だがそれは、存外に面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
ここにも、ジュリエットならざる”白鷺千聖”の影が、複雑な屈折を経て伸びている。
他人を愛おしく思えるようになった日菜は、”ジブン、アイデアル”で自分らしさと理想のアイドル像の間に悩む大和麻弥を救う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
オタクで可愛くない(『そんなことないよー!!!』って自分の中の麻也限界オタクが叫んだが、まぁ黙らせておく)セルフイメージと、あるべき”パスパレ”の差異。
それが実はそこまで乖離しておらず、日菜の瞳に写った、ファンの夢に反射した大和麻弥は十分”アイドル”なのだということを、日菜は彼女らしい悪戯なメッセージで、真っ直ぐな言葉で伝える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
お互い頭いいから会話の消化スピードが異常に早いんだよな…”ひなまや”…強いじゃねぇの…。
千聖とは真逆に、麻也は他人のイメージに追いつけない自己像に悩んでいた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
そのギャップを埋め、麻也がなりたい”大和麻弥”も、麻也そのままの”大和麻弥”も大事で好きだよと告げる日菜は、もはや感情を貪る怪物ではない。
この変化に『紗夜←つぐみ』という人格ドミノ倒しが関係してるのも面白いが。
メガネを外した自分は存外可愛いと思ってもらえて、でも譲らず早口で自分らしくあることも肯定してもらっていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
その結論もまた、他者が押し付けてくるイメージと取っ組み合いの戦いを繰り広げた結果生まれた、大和麻弥だけの答えだろう。
それは”白鷺千聖”の、あるいは”ミッシェルと美咲”の答えと同じように尊い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
身を置く環境(”アイドル”としてのパスパレ、幸福追求集団としてのハロハピ)の違い。個性と接続された他者の差異。個人の資質。経験と夢。
様々なフィルターによって、選び取る結論は当然異なる。
だが断絶と接続が複雑に乱反射する人間存在の不可思議をしっかり見据え、あるべき時分を過たず捉えた答えは、どれも百点満点の”正解”なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
唯一絶対の答えはあり、そしてない。他者のイメージをどう受け取るか、答えは少女一人ひとりすべて違うが、全てが正解になりうるのだ。
そしてその異なる結論は、他者が同じ断絶と接続に示した答えを受け取ることでのみ導かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
こころがハロハピ二章で劃然と悟ったしたように、笑顔は他人との間にしかない。絶対に自分ではありえない、同一化し得ない”あなた”の中にしか。
それが違う形だとしても、否、だからこそ。
魂の在り方にそれぞれ悩む少女たちは、お互いに強く影響を与え合い、お互いのあり方を変えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
そんなダイナミックな魂の在り方と、瑞々しい変化の様相をこそ、ガルパは切り取りたいのでないかなと、乱反射するイメージのドミノを見ながら思った。
さて、二章を経てミッシェルと己の乖離を肯定できた美咲は、自分の中にすら存在する他者性に強く自覚的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
自分と他人(あるいは自分の中の他人)の間に引かれた境界線を明瞭に認識し、適切な距離を(他者の力を借りて)引き直すことが成長の一つの形であるなら。
自己と他者の境界線が明瞭ではないこころは、一足先にその境界線を学び取った美咲から、何を受け取るのか。彼女の在り方で倒れていくだろうドミノは、どんな絵を描くのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
ハロハピの物語が『奥沢美咲を強くする』一点に収束して進んでいるように見えるのは、そこを最終的に詰めるからではないか
そんなことを、また思うのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
あなたと私は違うけど、でも、キミは愛おしい。
ジュリエットならぬ己を強く吠えた薫が、千聖に向けたのと似て非なる、そして哀しいほどに似通った視線を、こころと美咲も持ちうるのか。
弦巻こころの広大な王国に、国境線が引かれるときはあるのか。
そして確実に存在してしまう私とあなたの間の線を認識してなお、そこを乗り越えて手を伸ばし、ハッピーとスマイルを世界に広げていく物語が展開されるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
そんなことを、僕は夢見る。身勝手に投射する。
ドミノがどんな風に倒れて、どんな絵が見えるかは解らない。
でも。だからこそ楽しみだ。
間違いないのは、第一章ラストで言っていたように、もしこころが”あなたと私”に引き裂かれている世界を認識して笑顔を失ったときは、バンドの仲間が、ハロハピが笑顔にしてきた誰かが、”奥沢美咲”が金色の獣に笑顔を取り戻させるだろう、ということだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
人はバラバラで、それでも繋がっている。
そんな世界認識を様々な形で描くことが、ガルパの一つのトーンであり、スタイルなのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月26日
様々なエピソードを跨ぎながら、形を変えて倒れていく『他人の中の私』というドミノ。その魔法を、これからも楽しみたいと思える物語体験だった。おもしれーなガルパ。