ガルパ履修記録
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
・地底人☆お届け大作戦!
パスパレ VS 地底人!
ひょんなことからモグラ型地底人を拾ったPastel*Palettes、迫りくる政府の魔の手から、素敵なトモダチを守り抜け!
…っつークソ映画に、パスパレの愉快な面々が挑むお話。虚実を行ったり来たりしつつ、"アイドル"の今を掘り下げる。
アイドル映画の眼目はいかに推しが可愛く、出番が多いかであり、スジのチープさはむしろスパイス、アイドルだけに焦点を合わせる足場に変わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
"ET"…を柔らかく煮込んで本歌取りした、種々のアイドルジュブナイル映画…"アンドロメディア""ジュブナイル""REX 恐竜物語""時をかける少女"…。
そこら辺のB級テイストを見事に描いた、解像度の高いクソ映画っぷりがまず目立つ。よく研究してんなぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
『政府機関の人』というざっくりフワフワな敵設定とか、長期休みのティーンに合わせたナメた展開とか、あまりにも"アイドル映画"な作り込みの甘さが、随所で見えるのが最高。
(ここら辺よく研究してたのが初代アイカツで、吹っ飛んだトンチキ力で笑わせつつ、推しが仕事を頑張るメタな楽しさで少し背筋を伸ばし、キッチュを笑うだけで終わらせないクソドラマがたくさんあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
"イケない刑事""…オオゾラッコーン"…"アイカツ先生"…並べるとホントクソだな…)
お話は映画という"虚"と、撮影という"実"を行ったり来たりしながら進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
映画館に看板かけても、資金回収の目処が立つと判断された二年目のパスパレ。ファンが抱くパブリックイメージは、実像より少しキャラが濃くて、アイドルたちは『フィクション化された自分』をカメラの前で演じる。
彩はSNS中毒、麻也ちゃんはメカマニア。イヴちゃんは何かと木刀を抜きたがり、日菜はルール無用のぶっ飛び小町。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
千聖さんが『人情に篤い』と思われているのは、イメージ戦略大成功なのではないか。いやあの人、情は篤いどころか、ふとしたきっかけで爆裂するニトログリセリンなんですけどね…。
実像と少し食い違ったイメージを、アイドルたちは『まぁそんなもんじゃないの?』で受け入れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
他のバンドがすれ違うのが、顔も名前もわかっていて直接対話も出来る身近な個人なのに対し、商業ベースに乗っかったパスパレは曖昧模糊なイメージと踊る。それも"アイドル"の仕事だ、と。
ここで日菜が『フィクション化された自分』も凄く遠い客観から判断して、ラストシーンでは泣くだろうと判断し実際泣けてしまうところに、彼女の才(と怪物性)が見えた気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
世界はこういう感じ、あなたはそういう人、自分はこういう人間。
それを凄く冷たく観察しきり、それに合わせた行動を取る
客観で世界が構築され、自分がそこから切り離され、それでも何かを求められる。そこにピッタリハマる自分を提出して、周囲の評価を上げていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
何かと『るんっ! っと来た!』で行動する衝動主義者に見えて、日菜は頭がいい。良すぎる頭を周囲に悟らせない程に、賢く冷静だ。
そのクールさが姉絡みだと一瞬でぶっ飛ぶところに、氷川紗夜という存在の特別さも見えるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
モグちゃんに与える食事(≒真心、コミュニケーションの端緒)が"クッキー"なだけで、ガルパのオタクは過剰な"文脈"を読み始めるんだよなぁ…。
彩ちゃんの無自覚な天才を見取ったのと同じ目で、白鷺千聖は氷川日菜をよく見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
自分とも薫とも違う、超俯瞰で状況を客観し、その冷徹さを感じさせないまま自分を演じてしまえる日菜の才。そこに靭いものを感じ取るのは、千聖がアクトレスだからこそか。
イメージの中の氷川日菜。自分が感じ取る氷川日菜。脚本で求められる氷川日菜。虚構の自分を演じる氷川日菜。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
万華鏡のように、人間の集合体の中で揺らめく複数の"氷川日菜"を、日菜は冷静に見て取り、バランスをとる。その時、その場所で求められるパーツを最適に取り出し、しっかりはめ込む。
るんっ! と来ようが来まいが、そういうことを出来てしまうからこそあの怪物は学校で孤立しない(むしろ人気者で、生徒会長まで上り詰めた)。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
紗夜が体内にくすぶる熱量を扱いきれず、自分も周囲も焼いていたのとは正反対である。そこがコンプレックスの源泉なわけだが、乗りこなし方も覚えてきたね
そして情熱と外形の間にある断絶は、日菜にとっても、社会にとっても不幸ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
世界は私と違うからこそ面白い。違うからこそ、敬意を持って真摯に向き合う必要がある。怪物は他者性を貪る生き方から、冷静に観察した自分の中の他者を、他人が喜ぶように差し出すところまで自我を発達させている
あるいはその演技性に寂しさを感じ取ったからこそ、"What a Wonderful World!"でも唯一、白鷺千聖は氷川日菜をじっと見つめていたのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
演技に己の存在意義をかければこそ、自分とは異質な演技者、観察者の冷たい熱量に悲しみを感じる。でもそれは、どれだけ優しくても身勝手な同情だ。
その事を解っているから、白鷺千聖は氷川日菜を憐れまない。哀れみを感じた自分で思いをせき止めて、それで日菜を別の…自分が望む場所に押し流すことはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
そういうプライドを尊重できるところが、(パスパレと出会った後の)白鷺千聖の美質だとも思う。
千聖さんが見つめている日菜の哀しさというのは、多分一面以上に真実があって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
でも日菜はそういうふうにしか生きられない。姉以外のあらゆる状況で、日菜は冷静に観察し、求められるイメージとそれに答える正解を見つけれてしまう。凡人はそれに気づかず、軋轢が生まれる。
パスパレの活動で、もしかしたら日菜は世界が自分の想像より愚かで、それでいて愛おしい事に気づいたのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
色んな人が見据える私は、全部ホントの事じゃない。でも大事なのは求められていることであって、正しいことじゃない。だからが、ヘンテコな夢を演じよう。
そう考えながら、氷川日菜は役者を、生徒会長を、"アイドル"をやっているのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
卓越した知性に驕ることなく、怪物の歪さを維持したままそれでも異質で劣性な他者をしっかり尊重出来ているところ。
『他人は面白い』と本気で言えるところ。
それが氷川日菜の、判りにくい善性なのだと思う。
氷川日菜をそこまで持ってきたパスパレと一緒に、映画は楽しく感性に向かう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
スクリーンに写った嘘の自分を、他者はどう受け止めるのだろう。日菜の興味はそこにある。
願わくば、暗室の中日菜が見据えるファンの顔が、明るく朗らかに笑っていて欲しい。精一杯の嘘を、心から楽しんで欲しい。
超絶トンチキ物語のはずなのに、妙に氷川日菜へのメロウな想いが加速するイベントであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
ホントこのエイリアンを怪物のまま、人間社会と折り合いをつけさせ、自分なりの喜びを見つけさせ、それを顔のない他者、かけがえのないパスパレと繋げ、魅力的に描いている筆には震える。
氷川日菜の非定形性は、"アイドル"としてその奇人キャラを消費する作中でも、彼女の物語に引き込まれるアプリの外側でも、一つの魅力として受け止められている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
彼女は"人間"にはならない。なれないからだ。
ならなくてもいいし、ならないままでも人の隣で、人としてあり続けることは出来る。
氷川日菜(と、彼女を愛おしく思う他者、哀しく見据えつつ尊重し尊敬する白鷺千聖、傷だらけの人間になれる唯一の愛姉)の物語は、そういうメッセージがこもっていると、僕は勝手に見る。とても綺麗で、勇気をもらえる物語だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年4月30日
楽しく、ちょっと立ち止まってキャラを見れる。いいイベントでした。