荒ぶる季節の乙女どもよ。を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
炎に照らされ、青春が踊る。
学園祭。文芸部が創り出した伝説は独自の命をもって踊りだし、作者たる少女たちもまた、恋に踊らされていく。
向き合って、踏み込んで。
キラキラした正解だけが、恋のすべてじゃない。石の裏のダンゴムシのように、しぶとく思いは続く。
そんな感じの学園祭編終了ッ! 恋が成就してお話も終わり終わり!…とはならない、ネトネト人生絵巻第8話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
塚田監督のコンテが、明暗を行き来する少女たちの瞳、生まれた伝説が勝手に動き回る様を丁寧に追って、群像劇として見応えがあった。色々あったなぁ…。
祭りはみんなが参加するものであり、文芸部も芝居を板に乗せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
しかし菅原氏はレールから外れたアドリブ領域にツッコみ、恋を成就させるもの、光に踏み込めないもの…同じ人生の箱に入っていても、その在り方は様々である。
”箱”を生き生きと書けばこそ、そこに集う個別の物語も輝き出す。
この文化祭は、そんな”箱”としてしっかり機能している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
個人を書くと集団の意味が見えて、集団行動の中で個別の在り方が光ってくる。
相反する属性が呼応して、お互いの真実を照らし合う描き方は、例えば”異性”とも通じ合う独自(そして普遍)の筆致だ。背中合わせをしっかり書くと、自分の顔が見える
今回は何かを見て、その瞳が揺れる様子が幾度もクローズアップされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
見られる対象、見る主体はそれぞれ別だが、彼女たちは”部”という箱に詰め込まれ、一つに繋がった存在として友情で繋がっている。
皆、何かを見る。心を揺らす。それは同じだが、思いの行く先、想いが行き着いた結果は異なる。
菅原氏は鏡の中の、見知らぬ自分を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
恋を初めて知った自分。相変わらず、こぼれ落ちる雫のメタファーが元気だ。
曖昧な虚像にこそ真実が映る。”瞳”と同じくらい多用される”影”のモチーフも、今回よく目立つ。菅原氏は、鏡の中に自分の影を見ている
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実像だからといって真実ではないし、虚像だからといって嘘にはならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
泉の実体ある心臓を掴んでも、恋は菅原氏のものにはならなかった。むしろその歩み寄りが、泉の真意と化学反応して、彼が誰を好きなのかを露わにしてしまう。
初恋死刑執行書に、自筆でサインする形になったね…。
本郷ちゃんはミロ先の健全な恋、自分の片恋を薄暗がりから見守り、曽根崎パイセンは天城くんが他の女の子と喋ると、勝手にショックを受ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
それが勝手な独り相撲だって、バカなガキでも知っている。それでも、虚実を巡る想いは止まらない。
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冒頭、お互いの恋を勝手に投影し、勝手に盛り上がったりショボショボしてたりした二人が、文化祭当日では明暗きっちり分かれるのは、なかなか面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
本郷ちゃんは一番槍を狙って、光の強さにビビって足踏みする。
影の中から、影へと踏み込めない。
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対してパイセンは天下御免のHoney Worksを背負い、キャンプファイアーの光に照らされ、堂々自分の作った伝説を証明してみせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
僕はトンチキな曽根崎り香も好きだけど、背筋が伸びたカッコイイ部長も好きなので、真っ向勝負非常に良かったです
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つーか天城くんの純情がようやく報われて、作品のフェアネスが回復されたのが自分的にはデカい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
恋の対象になる男の子は基本誠実で、ズルいことする特権は基本女の子の属性ってのは、作品の強みでもあり歪みでもあるんだろうなぁ…そういう偏りありつつ、皆可愛く書けてるからしっかり見れるわけだが
恋の領域では影にとどまった本郷ちゃんが、自作を無自覚に批評する大衆に向き合う”作家”でもあるのはとても面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
報われぬ恋を見る時の陰りに比べ、文学が生物として暴れまわる祭りの会場は、ほのかに青く美しい。そこは光に満ちた、活きた場所だ。
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ここで堂々『私が作りました!』と名乗りい出て、主体的な伝説の主役にならないところが、本郷ちゃん(そしてこう言ってよければ岡田麿里)の文学への屈折であり、シャイネスだなぁとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
作り込みが甘い所含めて、世界に投げ渡した作品で勝負したい。するべき。結構、文芸イデア論者よね。
話も時間軸も前後するけど、曽根崎パイセンがあんだけ足踏みしていたリア充領域にぶっ込めたのは、十条さんとの接触がデカいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
自分に縁がないと思っていたギャルは、恋と性を堂々素直に語っていた。その笑顔がいいと思えた。
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勝手に世界の在り方を規定する狭い(そして肥大した)自意識を乗り越えて、今めの真絵にあるものを素直に受け取る。良いな、と思えた自分の感性を信じ、行動で報いる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
そういう気持ちになれたのは、緑色の境界線を超えて十条さん(リア充の側、恋の側、性の側)と生身で向き合い、ちゃんと”見た”から
見ること。受け取ること。行動すること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
その連鎖がどう機能するか(あるいは機能しないか)を追う今回のエピソードは、曽根崎パイセンの人格的成長を丁寧に追う。
散々もがいて、無様にあがいて。認めたくない自分、受け入れたくない世界が、それでも綺麗であることを足場に、恋に飛ぶ。
良い跳躍だったなぁ、と思う。次回予告聞くだに、手に入れたハイカーストに胡座かいて、まーた無様を見せそうであるが、それも曽根崎り香である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
しかし『気持ち悪くてオレンジジュース』か…十条さんの未来も、無条件に笑顔になれる舗装路たぁ行かなそうだな…。
り香と十条さんの静かな友情が舞台裏で育まれる中、文芸部仲良し三人組の絆はガラス越し、泉を挟んでグラグラ揺れ続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
ここでもーちんが真ん中ポジションなの、彼女の胃痛がリアルに想像できて凄く良い。バランサー、マジ大変よね
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友情は虚像なのか。恋が真実なのか。少女たちは自分を主役に、文学で幾度も語られた難問に挑んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
その合間に、もーちんがスパッと恋の芽を摘みもする。この距離感と表情…ホント嫌なんだな。
あ、もーちんのまんじゅう顔は二億兆点です。
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明暗にはっきり区切られた朗読劇が、予定通り完結する…というところで、菅原氏は脚本をはみ出して、欲望のままにアドリブする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
影を踏む和紗の足を避けて、泉の実体ある心臓をつかもうとする。演劇経験と超絶いい顔という、ダブルの特権濫用。
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ライトをもって世界を照らす特権を、神に選ばれた顔面で手に入れてしまった少女は、和紗を暗がりに置き去りにして、自分の物語を進めようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
その独走に傷つけられつつ、和紗は赤らむその耳を、生身の菅原新菜を”見る”
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光に満ちた場所に踏み出して、泉の勘違いを心地よく浴びながら、新菜は風を感じる。心に吹く風、初恋という風。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
しかしその風は、彼女の背中を押さない。
泉は文学に出会ったように、自分の思いを菅原氏に反射することで確認する。
異化作用。自分の中にあって形をなさないものを、名付ける文芸の強さ
文芸部が育んだ友情に背中を向ける行為に踏み出しているのに、泉にとっての菅原氏は新しい言葉をくれる”文学”であり、”部”の精髄を形ではなく、血の通った行いで実践している。してしまっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
実体ある文学を体現するより、嘘でも恋が欲しかったのか。そんな虚像はいらないのか。
菅原新菜にとって、典本泉に反射した自分自身がどんな形なのか…二人の関係がどういう”文学”なのかは、未だ判然としない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
それでも読み進めたいと思わされるからこそ、彼女は泉に執着を決める。明るい炎に背中を向ける。
もーちん…何故そこに…。
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親友が闇落ちオーラ満載で突き進む中、和紗は自分の影をはっきりと見る。菅原新菜が衝動のままに綴った文学、そこに宿っている赤い体温をしっかり見据える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
胸の中で渦を巻く、形のない感情。それが顔を手に入れて、言葉とともに実像になる
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菅原氏は別に、親友の後押しをしたいから朗読劇を逸脱したわけではない…と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
ただ、心がそう叫んだから。非常にピュアで”文学的”な決断は、意図せず親友のモヤモヤに目鼻を付け、グダグダの足踏みを飛躍に変える。
(この変化は、曽根崎パイセンが別の相手、別の場面で果たしていたのと同じ構造)
ふにゃふにゃモヤモヤ、バカで身勝手に悩む時間が長かったからこそ、菅原氏をよく見てよく読んで、その反射に自分を見つける今回の和紗はカッコよかった。チャーミングでもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
どれだけ心が揺れても、その人が良いなと思った自分も、一緒にいた時間も嘘じゃない。それに報いるためにも、踏み込む
あるものは遠巻きに見守り、あるものは主役として踏み込む、巨大な炎。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
和紗は約束された勝利に向けて、堂々自分の物語を紡ぐ。完全に”恋人ツナギ”が”Emiya”と同じ仕事だコレ…(バカはなんでもFateで例える)
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何しろ文芸という虚構(虚飾ではない)を追う”部”の一員だから、実体ある心臓ではなく、影色の虚像を踏むことで一まずの決着が着くのは納得の展開である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
和紗もまた文芸部の一員として、己を文学と成したのだ。泉の踏み込みが、菅原新菜という文学に後押しされたことを、残酷に知らないまま。
しかし影踏みは呪いの遊びでもあって、影を踏まれたものは動けなくなる。恋が成就することが物語の終わりではなく、その先にはまだまだ文学が待っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
繋いだその手、見つめる影絵の街は、怪物を知らず孕んでいる
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『ロマンチック浮かれモードで見つめるその河原は、菅原氏ともーちんが苦しい恋の涙を受け止めてくれた河原でもあるんじゃねーの?』と、画面が冷静に水を指してくるのは、性格悪くて好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
何かが終わった。だが、何も始まっていない。
お楽しみはこれから、バッドエンドも文芸の範疇ッ!!
そんな感じの祭りの終わり、Honey Works無敵の青春力でした。音楽担当、マジいい仕事してるなこのアニメ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
リア充から持ち込まれて捏造した伝説が、本物の”文学”になって少女たちを傷つけたり、背中を押したり、真実を教えたりする虚実反転が、とても良かったです。
思わぬものに、詩神は潜むのだ。
こうして青春チェックポイント:学園祭を終えてみると、
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
・本郷ちゃんとミロ先
ミロ先が順調に自分の恋をかっ飛ばし、置いてけぼりの惨めさにリアルを感じもする作家・本郷
・曽根崎パイセン
”聖人(エル・サント)”天城に報いる形で大勝利。ギャルとの穏やかな友情もきっちりゲット
・和紗と泉
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
グダグダ長いトンネルを遂に抜け、彼氏彼女の関係に。
・菅原氏
そのダシにされつつ、初恋の喪失を諦めきらないことを決意。ロリコン悪魔がほくそ笑み。
・もーちん
無神経人間にNOを叩きつけるも、友情大ピンチに心が痛む。あと菅原氏への”重力”を感じる描写は、今後の伏線か?
という塩梅です。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
背負った課題をクリアした側、まだまだ問題山積の側。
文芸部も明暗分かれてきましたが、同じ箱に詰められてんだから、誰かのリア充は誰かの陰キャを侵食し、思いは必ず混じり合う。
恋の炎がメラメラ燃えた文化祭ですが、まだまだ熾火が燻る模様。来週も楽しみ。
追記 大上段に文学理論をそのまま振り下ろすことはゼッテーしないが、キャラの人生は根源的に文学理論で動く。岡田麿里、相当”文学”にツンデレだと思う。
荒乙追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
泉は菅原氏の行動を『三枝への挑発』と、決定的に読み間違える。
だが、そこに新菜自身を心配する誠実が滲んでいると、菅原氏はその誤読を愛おしく見つめる。
浮遊した文脈が勝手に読まれ、解釈され、己の読みが公開される。それが真偽ではなく、好悪の軸で判断されていく。
事実に沿った”正しい読み”だけが価値を生むわけではなく、かといってそうやって掴み取った自分の中の愛おしい真実が、望ましい結果を連れてくるわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月23日
文芸部の外にいる泉が、自分と菅原氏を”読んだ”一連のシーケンスは、ドラマの中でのテキスト読解としても面白いシーンだと思う。