スタミュ -高校星歌劇-(三期)を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
高い塔に閉じ込められたもの、地の底で藻掻くもの。
光を求めて手を伸ばし、諦めに背中を向けるもの。
みんな、星の輝く舞台を見よう。ステージで踊る主役を見よう。
それは僕で、君なんだ。
かくして、祭の幕が上がる。
僕たちみんな、諦める方法を知らない
というわけで最・終・回! ラストステージの勢いで一気に押し切る…ようで正直モヤッとした部分も残り、同時に三期でやるべきだったことはちゃんと成し遂げられていて、その実”次”前提だったような…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
なんとも複雑な感覚だったけども、これだけは言える。
いいアニメだった…。
ここまで楽しませたスタミュに報いるのに一番いいのは率直であることだと思うので、納得してねぇ部分も含めて全部語っていこうと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
とは言うものの、”まぁスタミュだし”で結構腹に収めちゃってもいるんだよな。”好き”ってつえーなー…ロジックじゃないからな。
まさかの拉致監禁で引いた今回、状況はシリアスな現実を突破するために緻密に…は進まない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
これまでと同じように、サークル内部での細やかな心情を追いかけて、エモ重点で時間が使われていく。
すれ違う視線、隣り合う距離感。
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こうして最終回にたどり着いてみると、ムッツリ人間集合体だった四季世代の要は入夏先輩だったんだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
あの狭いPA室で、入夏先輩も千秋のように、複雑な内面をガラスに投影し、薄暗い感情を表に出したかったと思う。
しかし、彼はあくまでチャラい。終わったことを振り向かず、今を見据える。
それは過去や自分の感情を切り捨てるということではなく、飲み込んでなお微笑む道化の矜持である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
俺はプライドのあるクラウンがとても大好きなので、ここで千秋も冬沢も責めず、孤独にもせず、隣りに座ったこの男は本当に偉いと思う。
それは”俺達の華桜会”をまだ信じているから、可能な行いだ。
一方冬沢はこの期に及んで(”この期”だからこそ)、素直に相手の顔を見ないし、権勢の仮面を剥がしもしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
俺はこれで良いんだ。ずっと抱いてきた思いは嘘だったんだ。
入夏先輩とは真逆に、諦めることで安定を図る冬沢の歪みは、かなりどうにもならない所まで来てる。
これを爆破するために主役の働きかけが大事になるわけだが、星谷もまだ、翼を手に入れられていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
空っぽの掌を満たす役目を、鳳先輩が担うのは流石の貫禄、というか。
もう一人の主役には伸びない、導き手の優しさ。それを星谷は(再度)掴む。
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ここで鳳先輩が出てくるのは、二期24話(サイドコンテンツも含めればそれ以上)主役を張ってきた、星谷の物語的資産である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
四季にそれはない。
メンターとどういう関係なのか。過去どんなぶつかり合い(の不在)を経て、高い塔に閉じ込められたのか。
それを星谷と同じ質量で語る権利は、彼にはない
この不平等は、つまり四季世代が”主役”ではなかった、という事実を照らす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
三期から出たポッと出、物語要素を二期までに燃やし尽くしてしまった星谷世代(主役)の、新しい可能性を広げるための鏡。
それが彼らの役割であり、同時に三期は彼らの物語だ。
僕はスタミュ制作陣、自作の歪みと欠落にかなり自覚的で、それが四季達を半端な主役に押し込んだ事実を見据えていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
星谷を主役とする物語として、華桜会への挑戦(鳳超え)は”必然”であり、しかしそこに踏み込む物語的必然は足らない。
だから、三期はそれを足していく。
社会的な立場、立ち向かうべき規範、複雑な愛憎。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
学園を導く立場なら、真っ直ぐなままいられない”大人”なら当然背負うものを、四季世代はたっぷり詰め込んで描かれた。
その分、アクターとしての彼らの描写は極端に薄い。彼らがどう演じ、舞台に何を込めるかは、三期の描写から見えない。
(立ち向かうべき規範の内実がほぼ描写されていない、張子の虎だったことの是非は判断が難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
そもそも感情重点の話運びをしてるスタミュに、しかし持ち込まなければ不自然になる異物。主役たり得ないが描かなければいけないもの。
”外部”と三期と四季世代は、奇妙に似ていると思う)
あくまで、ステージを飾るのは星谷世代。四季世代は主役に足りないものを照らす鏡であり、新しい物語を引き出すサブ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
華桜会にステージングが用意されていない最終回、舞台袖からそれを見つめる冬沢のセリフに、(主役になりうる)脇役の悲哀と、製作者側の自覚が透けて見える気がする。
二期24話の物語を与えられず、真正面からぶつかり合うスタミュ・スタンダードを用意されなかった者たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
その結果として、複雑に拗れ、お互いの素顔を見つめるチャンスもないまま頂点に立たされてしまった者たち。
しかしそこにある感情の拗れ自体は、非常に的確で細密な筆で、丁寧に切り取られていく
エピソードの中心ではあっても、物語全体の主役ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
三期の立ち位置とも重なる四季世代の複雑さが、全ての決着が付く(付けなければ終わらない)最終回で、一気に噴出した感じもある。
メタな物語配置と、物語内部のキャラクターがシンクロしてるのは、強い作りではあるな。
四季世代にエモの濃さ(ロジックと尺の薄さ)を反映して、千秋はようやく冬沢に追いつく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
誘蛾灯のようにコンプレックスを誘う、”主役”のステージ。その光に落ちそうな幼馴染の手を掴み、本音をいう。
お前も、俺を見てねぇじゃねぇか。
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ここの『言わされちまった…ッ!』という千秋の表情は、彼のプライドと愛情をギュッと濃縮して素晴らしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
憎悪にかられて閉じ込めるほど焦がれた、四季の視線。それと同じものを、千秋に投げていた自分の傲慢に、冬沢はここでようやく気づく。
しかし、千秋が出来るのはここまでだ。
道化を演じ、必死に華桜会を繋ごうとしてでも足りない入夏先輩と同じく、千秋も望むものを決定的に掴む”主役”たり得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
そういう切なさが、四季世代にはみっちり満ちていたと思う。望めば手に入る、星谷達”主役”では描けない、敗北者達の悲哀と輝き。星屑なのは、多分彼らの方だ…。
しかし同時に、星1つ欠けても星座は完成しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
冬沢を独善の孤独に落とさず、一緒に地獄に落ちる覚悟を見せた千秋の足掻きがなければ、ハッピーエンドなんてありえなかった。
そういう脇役の矜持も、三期はちゃんと切り取っていたと思う。それが主役優先の判断と同居してる所が、難しいんだがな…。
んで、この『脇役は主役になれない(少なくとも、配役が決まった後は)』っていう残酷さは、情けをかけず貫いてこそ説得力を持つもので。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
冬沢が自分の影に背中を向ける決定打に、千秋の愛がなりえない残酷さこそが、三期をブレさせないポイントなのだと思う。でもヒデーわホント。
学園内の立場としては”上”なんだが、豊富な物語リソースに支えられ経験を積んだ人格としては”下”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
物語の最初からそこにあった歪みは、救済の特権を二年生のステージに委ねていく。
野望のダシにされた格好のteam柊は、冬沢に感謝を述べる。
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冬沢の世界のルールである冷たいギブ&テイクは、そこにはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
すべてが自分を描ききるための糧で、必然との出会いだったから、心の底から感謝する。
辰己の育ちの良さがよく出たリアクションを、冬沢はようやく真っ直ぐに見る。でも、闇はまだ晴れない。
一方、高い場所で光に幽閉されている四季は、星谷と向き合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
『オメーはマジで正しすぎ、”みんな”すぎ! 顔が見えねぇ!!』
誰もが言いたかったことを伝える特権は、やっぱり主役にある。冬沢…根っから闇属性のお前にゃ言えんのだ…。
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自分が”外部”を乗り越えるために、あるいは四季を葬るために画策した、OPセレモニー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
そんな思惑を超越して、team柊は素晴らしいステージを踊り切る。華桜会を継ぐに相応しい資質を示し、それ以上の”自分”を描く。
その光が、闇に届く。
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後輩のステージを見て、冬沢はどう思ったのか。とにかく内言しない最終回なので確たることは言えないのだが、自分の世界をぶっ壊されるような衝撃がそこにあったと、奥は思いたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
そういう理屈をぶっ飛ばしたパワーこそ、演劇を始めとする表現の力だからだ。お前も、その一員で”主役”なんだがな…。
小賢しいロジックを跳ね飛ばして、信じてた世界をぶっ壊す。その廃墟から、素直な自分が顔を出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
こういう経験をしないと、コンプレックスに凝り固まった冬沢(と、公平性に漂白された四季)は新しくあるき出せない。自分が主役になりうる、これからのステージに踏み出せない。
そこに踏み出さなきゃいけない時点で、やっぱり彼らは”脇役”で。満たされた”主役”の光を受け取る側であって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
光を与える分厚さは背負い得なかった(背負わせなかった)事実に、嘘なく最終話を書く筆が僕は好きである。
同時に三期が、歪んだ脇役二人をメインに据えたお話だったことも、僕は好きだ。
思えば千秋が自分を投げうって、冬沢の野望に付き合ったことも彼の世界観をぶっ壊す一助なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
打算、合理、私欲。そういうモノが世界のルールなんだと思いこんで、政治をぶん回した自分に、無私に己を捧げてくれる存在がいる。
その事実が、冬沢にヒビを入れたからこの最終回がある。
僕は千秋が好きなので、そう思いたい。team柊のOPセレモニーも、同様の仕事をした…のだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
ここら辺明言せず想像の余地を残すのは、ツメの甘いところでもあり、このお話の良いところでもあり。
作品世界へのシンクロ率で、受け取るものが大きく違う不安定性を、僕は好ましく思う。
さて、問題の”ラプンツェルの翼(勝手に命名)”なシーン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
高い塔に閉じ込められた(閉じこもった)四季は、自分から窓を超え、空に身を投げる。翼の生えた星谷が彼を受け止め、無事着地し舞台に間に合う。
え、なに? ディズニーファンタジー?
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って当惑したけど、ちょっと考えて納得した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
これはこれまで11回描かれてきたPVシーンを、音楽抜きでやっているのだ、と。
歌詞と踊り、舞台演出に感情の変化、決意や不安を凝縮してきたお歌のシーンと同じ、現実に密着した幻想なんだ、と。
現実の方では、まぁなんか色々あった…のだろう。
ここで新曲入れれば、四季が自分から高み(”みんな”しか見ない視点)を放棄し、”主役”の証明たる星谷の翼がそれを受け止める抽象も受け止めやすかったとは思うが、兎にも角にも尺がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
そこで現実を描くのではなく、今まで作品を支えてきた幻想を選ぶ所が、『ああ、スタミュくん…』という感じだ。
ここの受け取り方ホント人それぞれになるだろうな、と思っていて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
『は? わっかんねーーーーー』ってなる人、当然いるでしょう。解かんねぇもん、急に羽生えて時計塔パリーンだし(暴論ブッパ)。
『こっから抽象入りまーす』っていう合図として、今まで機能してたお歌シーンでもないしね。
でもまぁ僕は、多分比較的”スタミュ”にシンクロ率が高い視聴者で、好意も愛着もそれなりにある…はずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
だからここで描かれているもの、描きたいものが理解ってしまったので、『は? わっかんねーーーーー』に共感はしつつ『判る…判る…』サイドである。
でも賛否当然だかんな、この不親切描写!
同時にここで『理解れ! 理解ってくれ!! 今まで特別な抽象のステージであったものが、四季を決定的に変化させ現実に溢れ出すこの瞬間を、共鳴を持って受け止めてくれ!』って信頼して/甘えてくるスタミュくんの捨て身を、愛おしいな、とも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
おう、受け止めたろうじゃねぇか。(贔屓)
かくして世界で一番低い闇と、世界で一番高い光にお互いを縛り付けていた男たちは、ステージ袖から”主役”のパフォーマンスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
光はそこにある。そこにしかない、とも言える。自分たちではどうしても掴めなかったものを、”恵まれ”る脇役の惨めさ。
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でもそれは、確かに世界の一つの形だ。みんな、その惨めさの中で生き延び続けているのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
主役たちの光のサークルでは描けないものに接近し、なにか別のものを受け渡す。
三期のミッション(と、僕が受け取ったもの)を果たして、ようやく華桜会はスタートラインに着く。い、入夏…。
ここで光のプリズムを、ステージではなく舞台袖から『学園の支配者』が見てるの、ホントエグいな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
形上オメーらが座ってる椅子に相応しい人格も資質も見せ場も、オメーらにはねぇから。
12話かけて紡がれた事実を残酷に、美麗に描きつつ、華桜会もまた”次”へ進んでいく。
冬沢がぶん回した政治の象徴、四季を追放する書類をひっちゃぶいて、入夏先輩が閉じた世界をぶっ壊す。ホントアンタ三期のMVPだよ…人間一等賞だよ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
光は、確かにそこにあった。バラバラの花になるしかなかった俺達も、確かに繋がっていた。
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それを確認してなお『なー、時間巻き戻って、俺ら主役でアニメ二期くらいやんねぇかな?』とか言い出す冬沢が俺は好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
お互いを素直にさらけ出し、ぶつけ合い、真実の自分にたどり着く。信頼で結ばれた本物のカンパニーとして、しっかり機能する。それにふさわしい人格を宿す。
そういうスタンダードは、現華桜会には用意されなかった。間違えきって、何もかもが足りなかった凡人達のバーレスク。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
その果ての寂しさにしっかり足を付けて、そこから歩き出す。それでいいし、それが良いじゃないか。
『俺達、空っぽだったな』って確認するこのシーン、俺凄く好きよ。
不当に略奪した王衣を手渡し、華桜会はようやくお互いの顔を見る五角形を取り戻す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
彼らが戦い、振り回された”伝統”とか”抑圧”が何だったかは、結局透明なままだ。兎にも角にもそれに勝って、平等な綾薙学園がやってくる。新世代のための、平等な舞台が。
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team鳳が、そこにある重たさと複雑さに震えつつ、実感を込めた憧れで高い場所を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
この構図作るのが、四季世代の仕事であり三期の仕事であったのかな、と思う。
実際、三期始まったときより遥かに、華桜会を目指す新しい物語の足場はしっかり固められ、必然性と説得力があると思う。
四季達は、その犠牲だったのだろうか? 主役のための道を整える舗装材、沢山の不足を約束された脇役だったのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
いろんな見方があると思う。二年生の大活躍を見たい人にとっては、ポッと出のポッと野郎が余計な尺を使ったシリーズだったかもしれない。
でも僕は四季世代が好きになったし、彼らを描く筆は(”脇役”でしかない欠落や不足含め)誠実だったとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
彼らがいたから、これからのスタミュは面白くなる。そういう仕事量だけでなく、ドス黒い感情と立場の絡み合いを乗り越えられない”脇役”のドラマは、濃厚で新鮮な味わいを、スタミュにくれた
でも、”次”があるかどうかなんて、さっぱり分からない。四期があるかないかは、白紙の地図の中だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
それでも、”次”を描くためにはこの話をやるしかなかった。その作者達の判断は間違っていなかった(と、僕は思う。二期終了時点で、マジで物語燃料がない)し、描かれたものは良かった。とても良かった
あのときの憧れを乗り越えて、『遊びの時間だ!』と吼える星谷。その姿が描かれることのない幻想なのか、いつかの未来を予告した現実なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
そんなことは分からない。でも、そこにたどり着きたいという夢を、諦めることは出来ないのだ。
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というわけで、スタミュ三期が終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
結論に際し、物語が始まったとき僕が何を考えていたかを思い返したい。(こういう時、ブログは便利だ)
第一話の感想を見返すと、結構簡勁に先に期待するもの、あってほしいと願うものがまとまってて、自分の筆ながら面白いな…。https://t.co/NaOo23Q0HD
華桜会が必然的に背負う捻れ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
それを投入することで、旧キャラが輝く期待感。
新しい物語への道を作り上げる野心。
危惧も期待も、だいたい叶った気がする。
何もかもが上手く行かない脇役たちを、メインに据えることで。そんな彼らが背負う重責を、主役に見せることで。
星谷達は”次”を的確に見つけられた気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
凄く強い思いが(主役に負けず劣らず)あるのに、どうしても問題を自力で克服できない脇役の悲しさ。
そこを突破可能な、ともすれば”恵む”ことすら可能な特権に無自覚な、スターの残酷さ。
そこまで踏み込んで描いたのは、テーマに誠実でいい。
選ばれるもの。選ばれないもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
その区別があって初めて、ステージは成立する。圧倒的に”持ってる”有利を、自覚しないことで無垢でい続ける星谷を、陰りを込めて見つめる辰己。
その桎梏を越えて、爽やかに繋がる彼らが書けたのは、繋がれない二人がいたからこそだろう。
そんな主役の描かれざる一面を照らす脇役は、同時に圧倒的に濃厚な感情の主役でもあって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
勝ち負けでいえば、四季世代は負けていると思う。立場に相応しい人格を持ち得ず、突破口は後輩に開けてもらって、自分たちはどうにも長い迷い道を走り続けただけ。
勝ち組を輝かせる、せいぜい引き立て役だ。
でも、そこから始めることが出来る。自分たちがどんな役者なのか見据えれば、始めることは出来るのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
そして”負け”の物語には、正解を掴み続ける(星谷のキャラクターが反映された、陽性の)物語にはない”コク”がある。
『あーあーしょうがねぇなぁ~』と呟きつつ、『でもま、そんなもんだな!』と
『俺達だって、なかなかうまくは行かねぇさ…』と、共鳴を寄せる陰影がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
かつて鳳・柊の兄弟、あるいは揚羽を対象に描かれた、感情の暗い鎖。ド素人・星谷の成長ではなく、その重たさをメインに据えた三期は、やっぱり新鮮で独特な面白さを、僕に伝えてくれた。
こうして終わってみると、星谷が一回ドン底まで沈んで、その圧倒的な光をメッタメタにされる話も必要なのかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
無論、何にも霞むことのない圧倒的な輝きこそが、彼を主人公として、そして人間として魅力的に見せ、”スタミュ”を支える柱なんだけども。三期も結局、それで突破したし。
しかし三期は、それだけでは救われない、そこに到達し得ない衆生が世界にあふれている所まで、カメラを広げてしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
脇役がいつか主役になりうるとしても、脇役でしかない…からこそ、主役足り得る人格に憧れ、恵まれ救われる構造を、際立たせてしまった。
なら、星谷くんは人間をどうしようもなく縛るドス黒い鎖を、『なんか大変だなー、助けたいなー』と他人事で見るのではなく、そこに自分も縛られ泥に汚れる物語へ、一回踏み込むべきなのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
それが彼を、”子供”から”大人”へ…かつての憧れへ近づけるのではないか。
華桜会を目指すサクセスの物語と同時に、この三期を終えて追うべき”次”はそれじゃないかな、などと、勝手に願っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
徹底的に僕個人の好みでしかないけど、それが描かれたら星谷くんは、スタミュはもっと面白くなるし、その準備は徹底的に四季達がしてくれたと思う。
そのためには”次”が来なけりゃいけない。1ファンに出来ることはあんまない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年9月17日
せいぜい、スタミュを見て死ぬほど面白かったこと、とても優れた作品だったことを語って、楽しみに四機を待つくらいだ。
やっぱ俺、スタミュが好きだ。すげえー面白かったです。ありがとう!