キャロル&チューズデイを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
火星と、そこにある全ての人に長い影が伸びる。人生のブルーズを、社会の矛盾と嘘を、どう飲み込んでいけば良いのか。
黄金の光の中で、歌が溶け合う。約束されたクライマックスへ向けて、道に迷うもの、ただ歩むもの。
道は数多在れど、それは交わって一つに。
そんな感じのキャロチュー最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
今までの蓄積を全部引っ張り出す”Mother”に向けて、アンジーとスペンサーが”母”に向き合い、皆の問題が一つの終わりをしっかり迎えるお話である。
そこで何が成し遂げられたかは、作品自身が語るように現在進行系、未完成の解釈に委ねられていると思う。
アニメをどう受け取り消費するかなんて、見てる側が隙きに決めていいことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
このアニメが切り取った現実(の一面)、あるいは歪めた現実(の一面)を真実と受け止めて、自分と周囲のリアルを変えていく力にするのも、『楽しかった!』と明日への活力にするのも、苦虫噛み潰して納得しないのも。
全てあり得る反応だし、そこに貴賤も上下もないと、僕は思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
露骨にリアル(特にアメリカ?)をフィルターする火星のお伽噺は、果たして現実の問題と、音楽とコネクトし得たか?
それは答えを出し得ない問だ。同時に、既に出ている問いともいえる。
そういうあやふやなものを書く上で、このあにめのひっちは適切だったかどうかもまた、視聴者一人ひとり評価が分かれる部分だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
幸い、最終回はこれまでの物語に嘘なく、それを濃縮するようなエピソードにしっかりなってくれた。それを追いながら、僕の答え(の一部)を探していこうと思う。
物語はしっかりOPをやったあと、先週のヒキを受けてアンジーから始まる。青い光が刺し貫く、シリアスな闇。アンジーの象徴色に、タオが入っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
一個人の救済を置き去りにしても、終わらせなければいけなかった闘い。
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タオは一人で、それを終わらせた。シュヴァルツを刺し、天才としてデザインされた過去に決着を付けた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
その終わり方は、彼が手足としていたAIのように機械的で、冷たく見える。とても辛いブルーズを歩いたアンジーを、見捨てて闘ったように。
でも、それは大事な闘いだったと思う。
キャロチューは太陽がしろしめす黄金の中で、個人としてナチュラルに振る舞い続けた。家族に問題はあれど、あるいは人生のブルーズとすれ違っても、その陰りは満ち足りた双子を致命的には掴まえない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
しかし世界には、アンジーのようにブルーズに捕まってしまう人たちが沢山いる。
タオのブルーズがなんであったかは、メインストーリーとしては語られない。彼の内面は陰りの中にあって、僕らは輪郭からそれを推測するしか出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
タオは個人を持ち得ない機械として創られ、それでも人間であることを探し求めて、歌に辿り着いた。自分の妹のようなアンジーを見つけた。
そこに(僕が身勝手に、あって欲しいと願い続けた)人の温もりは、確かに合ったのだと思う。冷血プロデューサーとわがまま歌姫、身勝手なステージママの三人四脚は、タオにとっても結構楽しい歩みだったのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
だから、アンジーはそこにぬくもりを求めた。孤独を埋めるものを。
それは去っていってしまう。最後にアンジーが認めるように、黄金の季節の中ただ満ち足りていた幼年期は、とっくに終わっているのだ。それが、大概の人が歩む人生だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
(そこから特権的に、ナチュラルに開放されているからこそ、キャロチューは闇の中の光として希望を背負いうるのかも知れない)
そしてブルーズの中にいるからこそ、果たせるものがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
愛おしく密着したものを振りほどいて、自分の足で歩く。その先に荒野が待つとしても、己が選び取ったものを誇りに進んでいく。
タオはなぜ、シュヴァルツを刺したのか。それは語られず、僕らが推測しなければいけない物語だ。
僕個人の考えと希望としては、タオは”公”に向き合いたかったのだと思う。集団を為すより善き成員として、自分の能力と知識だけが果たしうる行いを、適切に果たす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
その結果、アンジーの”Help me(の中にある”me”)”は横に置かれるしかなかった。そうしてでも、やるべきことがあった。
それを貫いた結果、タオは逃亡者になる。大きなシステムと敵対した代償は、彼とアンジーを引き離していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
それを覚悟で、彼は音楽プロデューサーではなく(ましてや、総デザインされた人間操作の機械でもなく)、告発者として物語を走る決意を貫いたのだ。
そういう結末も、世界にはある。
キャロチューはナチュラルに”Mother”を作りきり、死人も逮捕者もなく世界に向けて発信しきる。アバンで約束されたように、世界を変える七分間の奇跡の真ん中にいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
そのトントン拍子だけじゃ、やっぱり嘘っぽくなるから。タオ&アンジーの物語は薄暗く、苦い結末で終わっていく。
その薄暗さを、主役の黄金と混ぜ合わせればもっと面白い色合いだったかな、と思わなくもないが、陰りを書かないよりも遥かにいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
愛は確かにそこにあって、でも境界線を超えない。別れていく中で通じ合うものがあり、月下の蘭だけが見守る。
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アメルが”Lonestar Jazz”の中で、キャロルへの恋を荒野の蘭に例えていたのと、これは呼応していると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
遠くに去っていく男たちが、胸に抱くたった一つの花。そこに君が咲いていてくれることが、生きる理由になるような輝き。
それは静かに、プライドを持って描かれている。
色恋に隣接しつつ、それが全て破綻しているのはこの作品の面白いところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
アンジーとタオ、キャロルとアメル、チューズデイとカイル。少女たちの初恋は軒並み、かなりの負け戦で終わる。
しかし全てが消えてなくなったわけではない。人生もブルーズも、静かに続いていく。
アンジーはそのことを確認できたから、世界を切り離すベッドサイドを乗り越えて、”Mother”をうたう光の中に漕ぎ出せたのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
ママの死を踏み越えて、生きる側、タオが遠くで闘い続けている世界に踏み出そうと思えたのだと思う。それはブルーズに満ちた、傷だらけの救いだ。
正直なことを言ってしまえば、サニーサイドで充実し続けるキャロチューのナチュラルよりも、アンジー達の静かなブルーズのほうが僕は惹かれる。(ここら辺、ホント人次第だと思う)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
アンジーの代わりに、ケイティがしっかり、タオの公平と情に礼を言うところも。
タオが人間を知るために掴んだアンジーの手は、彼にとってもやっぱり大切なもので、だからこそリスクを背負ってこの場に来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
その決意を、今まさに荒ぶる感情の中にいるアンジーは肯定できない。だから、傍に寄り添いつつ他人でしかないケイティが、言うべき言葉を形にする。
そういう切り離されて、でも隣り合っている距離感というのも世の中にはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
キャロチューが運命の重力で惹かれ合い、必ず相互に充足できるナチュラルとは別の形だけど、そこには意味も価値もある。
そう描くために、もう一人の主役たちがいたのかな、と思う。
なかなか思い通りには行かない夜闇を、もう一人の子供が歩く。スペンサーとカイルは”X”に刻まれた夜を共有しつつ、一つの妥協点にたどり着く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
カイルの歩み寄りは、母に絶望してなお信じたい自分にこそ、折り合いをつける提案だったと思う。
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スペンサーは刺客のリアルを全然認識しないまま、大慌てで水に飛び込み、リスクを回避する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
ここでジュリーの長い腕が悪事を成功させないのは、政治のディテールに接近しつつあくまでお伽噺として描いたこの話らしいな、と思う。まぁ収まり悪いしね、死んだりすると…。
母と対峙する重積を兄に任せてしまう所が、チューズデイらしいなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
その決断の背中を押したのは、妹と話し合ったからこそなんだけども、あくまで彼女の戦場は”音楽”にあり、そこに注力し続けると結果はあとから付いてくる。
しかしそれは、堂々母に向き合うもう一人がいてこそだ。
そんな妹は魂の双子と一緒に、無事曲を完成させる。だんだんと夜が明けて、黄金の時間が近づいてくる。彼女たちのステージだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
今まで言葉を持たなかった大家さんが、年長者としてキャロチューを認めるシーンは印象的だ。
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第1話、世界の片隅一人で歌っていた時代から、キャロルは変化したのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
チューズデイと出会った時点で変化は終わりきっていて、あとはそのビッグバンを延長し続けた感じもある。
同時に、一個人として自分の足で立つだけの力強さを手に入れ得た感じもある。
大家さんは後者のキャロルを、最も間近で見守ったものとして肯定する。その隣で、同じくいろんな人生のザラつきを受け止めたチューズデイも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
”Mother”というデカいクライマックスも良いけど、この手触りのある卒業試験はとてもこのアニメらしくて、なかなかいいなぁ、と思った。
かくして、キャロチューが始動させた火星からの声はぞろりぞろりとホールに集まり、クライマックスが加速していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
この色んなものが乗っかってる感じは、26話物語とキャラを積んだご褒美だなぁ、と思う。色々あった…。
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クリスタルとフラワーの抱擁は、少女が動き回らなければ果たされなかった奇跡だ。自分が主役になるだけでなく、誰かと誰かを結びつけるきっかけになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
そういう立場になれるくらいに、少女たちは大きくなった。二人の抱擁はそれを。肌で実感させてくれる一枚だったな、と思う。
まぁ僕の力点はアンジーにあるので、一番グッと来たのはアンジー参戦だけどもさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
自分を覆い隠すサングラスを外し、真っ直ぐ苛立ちの正体を見る。掌から滑り落ちていく愛おしさを認めて、それでも歌を選んだ自分を誇る。
アンジー…君が生き延びてくれて良かった…。
キャロチューが政治の空気を変えようと作った”Mother”は、アンジーにとっては復帰作だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
『もう歌えない』と絶望し、色んなものが去っていくけどなお、最後に残った自分自身。歌うセルフイメージを世に問い、『アンジェラ此処に在り』と突きつける。
そうして、アンジーはファンと、世界と繋がっていく
そういう再始動の場所を用意し、声をかけて待っていてくれた存在がいるなら、やっぱりアンジーは孤独ではないのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
そういう世界の、ナチュラルでちょっと高慢ででもありがたい優しさを、裸眼で見る覚悟。それが出来たから、アンジーは此処に辿り着いたのだろう。
ママは死んでプロデューサーは去って、まったく対価の多い歩みであったが、そこに辿り着けたことはやはり良いことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
そこから歩み直すうちに、また出会い直すこともあるだろう。現在進行系の物語が、”いつか”に出会える甘っちょろい希望を大事にしたのは、このアニメのいいところだ。
アンジーが背負う夜の陰りを、スペンサーもまた背負う。家族と政治の境界線に踏み出し、母に誇りを取り戻してほしいと願う歩み寄り。その時、日差しは柔らかな黄金で、”母”は眼鏡を必要とする人間味をようやく表に出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
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重たい家族の問題がうねる中に、チューズデイはいない。自分のことで手一杯なのは、最後まで彼女(達)の属性である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
だけどお兄ちゃんがちゃんとやってくれるので、問題はない。人生助け合い、それぞれの歌がそれぞれの前にあるのだ。
ホント、お兄ちゃんがいてくれてよかったよ。
ミュージシャンに為りたかった過去を思えば、妹が火星の声をまとめ上げて、大きな希望を歌に変える真ん中にいること…その代価として”ここ”にはいないことは、スペンサーの本懐なのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
チューだってその有り難さを踏みにじっているわけでは、当然ない。ないんだが、やっぱ少し気にはなる。
かくして”母”はあるべき責任に向き合い、ポピュリズムと手を切った。その決断が私人としての家族を再生させるのは、タオとは違う満ち足りた歩みだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
ジュリーと絶縁して降りた肩の荷は、”父”であらなければいけない重責でもあるのかななどと、勝手に考えたりもする。
色んな問題がフラットになって、待ちに待った最後のステージである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
暗闇から降り注ぐ、黄金の光。その中心に立つ運命の双子。”Mother”をバックに、今までの物語が回想されていく。
2クール色々あった…そう思えるアニメは、やはり幸福である
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実際に舞台に立つアクターだけでなく、舞台裏を支えるスタッフ、遠くで曲を受け取る観客が大事にされているのはとても良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
引き剥がされた愛おしい人たちも、またその歌を聞くだろう。
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死んだ人、遠くに去った人、ゼロからやり直す人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
そういう人たちのブルーズが、この”Mother”一発でどうにかなるわけじゃない。陰りはいつでもそこにあって、強く人生に突き刺さる。
でも、それで全てが終わるわけじゃない。変化は確かに起きていて、それを掴むことも出来る。
そういうメッセージを、凄くナチュラルに光をつかめてしまう特権を持った主役が、ナチュラルには生きれない人たちに届けるためのメディアとして、このお話の”歌”はあったのかな、などと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
普通の言語…例えば政治とか…で語られてたら、キツすぎて飲み込めない落差を、超えうる武器として。
逃亡者の装いで、タオもまた”Mother”を聴く。その瞳は今まで見せたことのない柔らかい色で、これを見た時僕は『ああ、良かったな』と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
人間に為りたかった機械が、そういう顔をできたことも。それを僕が見守らせてもらえたことも。
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変化は来る。そうは思えなくても、確かに脈を打っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
それが現在進行系で、アニメの向こう側の僕らにも届いてほしいと願いながら、この物語は続いてきた。でなければ、君の思いの中で、物語は”続く”とは終わらせないだろう。
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そう言いうるだけの力強さが、作品にあったかどうか。ここも人によって意見が分かれるところだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
光と闇の主役を立てて、繋がれてしまう奇跡と欠落、繋がり得ない悲しさと強さを掘り下げていく運びは…なかなか評価が難しい。
やっぱちょっとアンフェアに見えるよなぁ、正直…。
アンジーが終始背負い続けた陰りが魅力的だったから、キャロチューに分けてあげて欲しい、という願いは、第2クールで結構果たされたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
父との離別、破綻する初恋。そういう小さな痛みを噛み締めさせたことで、キャロチューの順当なサクセスには適度なノイズが混ざった。グリップが上がった。
最後に”母”に向き合わなくても、”音楽”だけに対峙することで物語が収束できてしまうところに見えるように、チューズデイとキャロルの物語はかなり順当だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
アンジーに代表されるブルーズをスタンダードと受け取る感性からは、そこから降りてくる音楽が果たして人に届くかは、ずっと悩ましい。
でも同時に、家庭と経済の問題に確かに取り囲まれつつ、あくまでナチュラルに輝き続けられる彼女たちの在り方は一つの希望でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
そういう強く正しい輝きがないと、陰りが持つ引力はあまりに強すぎて、ポジティブなメッセージを描ききるのは難しかったかな、とも思う。
ポピュリズム、排斥と抑圧、表現と自由の死。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
色々生っぽい話題を描きつつ、『なんとかなるよ』と前向きな運びで進めたのは、キャロチューが主役だったからだ。
そこでポジティブに進めなければいけない、という危機感があればこそ、彼女たちが主役だったのかも知れない。
このお話が火星の未来を舞台にして、地球の現在をどれだけ投射し得たのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
その答えは今ではなく、このアニメを受け取って現在進行系で進んでいく僕らが、どういう未来にたどり着くかで決まる感じもある。
無論、『たかがアニメは現実を変え得ない』という未来も含めて、だ。
冒頭言ったように、作品をどう受け取るかは読者の大事な権利だ。こう受け取れ、こういう生き方をしろ、と強制する権利はどんな作品にもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
でも同時に、寄り添うように『こういう世界の見方も、やっぱりあるんじゃないかな』と歌う権利は作品にあって、このお話はそれをちゃんと行使したように思う
色んな要素がチャンプルーになった話だから、色んな味方ができるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
音楽劇としてみることも出来るし、少女たちのサクセスストーリーとも、天使のブルーズとも受け取れる。在り得る未来の姿を想像したSFとしても、当然読める。
そのどれもが正しい…と言えるのは、やっぱり豊かで贅沢なことだ。
物語はいつでも、現在進行系。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
ナチュラルに満たされたキャロチューは、そのメッセージを発信する側だ。その対比となったアンジーもまた、現在進行系の人生に、色んなものを失いつつ体重を載せて終われたことは、僕はとても良かったと思う。
人生もブルーズも続くのだ。
途中MBで露骨に停滞したり、アンフェアな部分が臭ったり、正直言えば色々凸凹のある2クールだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
でもこの作品が切り取った火星、始まり出会い別れ続いていく人生を見られたことは、とても良かった。面白かったし、好きになれた。
アニメだし、やっぱりそういうことは大事だと思う。
作品が最後に言ったように、幕が下りても音楽は続く。だから僕も、”Mother”の残響を味わいながら感想を閉じたいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
なかなか難しい問題に向き合うべく、それを楽しく歌い切るべく、色々努力し、磨き上げてくれた良いアニメでした。面白かった、ありがとう。
アンジー…幸せにね…。
あ、最後の最後で急にカントリーのオジサンが声付きでてきたのは、ナウくあろうとする貪欲を感じてよかったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年10月2日
そらー、今のアメリカ(から敷衍するグローバルな)ヒットシーンを見るなら、カントリー切捨てて”全火星”構成できるわけないよな…。